2025年5月23日金曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第50編

 当初、第49編では、2003年1月28日に大分地方裁判所から言い渡された判決を紹介し、検討を行うこととしておりました。しかし、当日の動きは勿論、昨年末からの動きなども紹介したほうがよいと考え、急遽、内容を変更することといたしました。新聞記事などが多かったという事情もあります。

 また、判決の紹介および検討を行うことも考えていたのですが、様々な事情が重なり、全てをここに公表できません(いつかは公表することになると思いますが)。

 そこで、この第50編では、まず、判決の うち、大分地方裁判所の判断部分を紹介します。そして、1月28日、大分県庁で原告団長の寺井一弘弁護士によって読み上げられた声明の全文を紹介します。

 「平成13年(行ウ)第10号 行政処分無効確認、同取消請求事件」と名づけられた日田市対経済産業大臣訴訟の判決文は、全体で26頁になります。しかし、判決理由(「事実及び理由」)のうち、「当裁判所の判断」が示されているのは20頁目の最後の4行から26頁目までなので、実質では6頁を少し超える程度です。残りは、原告、被告、双方の代理人の氏名、主文、そして事実の概要と原告・被告の主張の概要です。

 以下は、判決のうち、裁判所の判断の部分です。


 第3 当裁判所の判断

 1 行訴法9条は、「当該処分又は裁決の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者」が取消訴訟の原告適格を有する旨規定するが、同条にいう「法律上の利益を有する者」とは、当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者をいい、当該行政処分を定めた行政法規が、不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には、かかる利益も上記にいう法律上保護された利益に当たり、当該処分によりこれを侵害され又は必然的 に侵害されるおそれのある者は、当該処分の取消訴訟における原告適格を有するものというべきである。そして、当該行政法規が、不特定多数者の具体的利益をそれが帰属する個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むか否かは、当該行政法規の趣旨・目的、当該行政法規が当該処分を通して保護しようとしている利益の内容・性質等を考慮して判断すべきである。

 また、同法36条は、無効等確認訴訟の原告適格について、「当該処分又は裁決に続く処分により損害を受けるおそれのある者その他当該処分又は裁決の無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有する者」と規定しているが、同条にいう「法律上の利益を有する者」の意義についても、上記取消訴訟の原告適格における意義と同義に解するのが相当である。

 2 そこで、本件設置許可処分の無効確認ないしその取消しを求める本件訴えについて、原告が原告適格を有するかどうかについて判断する。

 (1)本件許可処分は、場外車券売場の設置に関する一般的禁止を解除するにとどまるものであって、その法律上の効果として、直接第三者である地元自治体の権利を侵害し、あるいは何らかの不利益を受忍させる法的効果を有するものではない。

 したがって、本件許可処分の法律上の効果として、直接原告に場外車券売場の設置を受忍し、又は公安・公衆衛生等の権能を行使する義務を負わせたり、原告の主張する各種権能を侵害し、あるいは費用負担等の不利益を課するものではない。

 (2)次に、本件許可処分の根拠法規である法が地元自治体である原告の個別的利益を保護すべきものとする趣旨を含むか否かについて検討する。

 場外車券売場の設置について、上記のとおり、法4条1項は通商産業大臣の許可を受けなければならないと定め、同条2項は通商産業大臣は申請に係る施設の位置、構造及び設備が命令で定める基準に適合する場合に限り、その許可をすることができると定めている。

 このような場外車券売場設置許可制度は、昭和27年法律第220号「自転車競技法等の一部を改正する法律」により設けられたものであり、同法により改正された後の法4条2項は、申請が「命令で定める基準に適合する場合に限り、その許可をすることができる」旨規定し、また、昭和27年法律第220号は、競輪場の設置についても通商産業大臣の許可によることとし、同法による改正後の法3条4項は、「申請に係る競走場の位置、構造及び設備が公安上及び競輪の運営上適当であると認めるときに限り、その許可をすることができる」旨規定していた。その後、昭和32年法律第168号「自転車競技法の一部を改正する法律」により、競輪場については、「申請に係る競走場の位置、構造及び設備が命令で定める公安上及び競輪の運営上の基準に適合する場合に限り、その許可をすることができる」と、場外車券売場については、「申請に係る施設の位置、横造及び設備が命令で定める基準に適合する場合に限り、その許可をすることができる」とそれぞれ改正された。

 以上のような競輪場及び場外車券売場の設置許可に関する法の改正経過に加え、場外車券売場設置許可制度も競輪場設置許可制度と同様の趣旨・目的をもって設けられたものと解されることに照らすと、場外車券売場設置許可制度の目的は、申請に係る施設の位置、構造及び設備が公安上及び競輪事業の運営上適当であるか否かを審査することにあると解するのが相当である。

 そして、前記のような場外車券売場設置許可制度の目的、法には、地元自治体の個別的利益を直接保護することを目的とする明文の規定が存しないばかりか、前記許可制度が地元自治体の個別的利益を保護する趣旨であることをうかがわせるような規定が存しないこと、法は場外車券売場の許可基準について具体的に規定することなく、これを命令に委任していることからすると、前記許可制度によって、法が一般的公益と別に地元自治体の個別的利益を保護する趣旨であると解するのは困難である(なお、設置要領通達は、場外車券売場の設置に当たっては、その設置場所の属する地域社会との調和を図るため、当該施設が可能な限り地域住民の利便に役立つものとなるよう指導することや、地域社会との調整を十分に行うよう指導することとしていることが認められる(乙7)が、設置要領通達は、機械情報産業局長の各通商産業局長に対する行政内部の通達であって、場外車券売場の設置・運営が適正かつ円滑に行われるための行政指導上の指針にすぎないから、これが、地元自治体の個別的利益を保護する趣旨であるということもできない。)。したがって、原告が、本件許可処分によって侵害されたと主張する権能等は地元自治体の個別的利益として法が保護しているということはできない。

 (3)なお、原告の主張にかんがみ、法が場外車券売場設置許可制度により地元自治体の個別的利益を保護する趣旨を含むかどうかについて検討する。

 ア 法1条1項について

 同条項は、自治大臣(現総務大臣)が指定する市町村は、公益の増進を目的とする事業の振興に寄与するとともに地方財政の健全化を図るため、自転車競走を行うことができる旨規定する。

 そして、その規定自体から明らかなとおり、同条項は、競輪を施行する目的が、同条項に例示された公益の増進を目的とする事業の振興に寄与すること、及びこれを施行する市町村の財政の健全化にあることを定めた規定である。したがって、同条項によって、原告が主張するような、住民の生活の安全、福祉、保健衛生、教育、青少年の健全育成、生活環境の保全等地元自治体の公共の利益に関わる事項やその財政の健全化を個別的利益として保護する趣旨であると解することは到底できない。

 イ 法4条2項、施行規則4条の3(位置基準及び構造等環境調和基準)について

 位置基準及び構造等環境調和基準に関する施行規則の規定は前記のとおりであり、これを受けた場外告示の前記規定も考え併せると、これらの許可基準等が、場外車券売場の設置により周辺環境が受ける影響に一定の配慮をすべきものとしていると解される。

 しかしながら、場外車券売場設置許可制度の目的は、前記(2)で判示したとおり、申請に係る施設の位置、構造及び設備が公安上及び競輪事業の運営上適当であるか否かを審査することにあり、前記の許可基準等もその目的のために設けられたものというべきであるから、施行規則及び場外告示の前記各規定は、場外車券売場の設置による周辺環境に悪影響が及ぶことをできるだけ回避するなどすることによって、これが社会的に受容され、公安を維持し、競輪事業の運営が円滑に行われることに資するという観点から定められたものと解するのが相当である。したがって、前記各基準がこれらの一般的公益と別に地元自治体の個別的利益を保護する趣旨であると解することはできない。なお、施行規則4条の2第2項1号は、場外車券売場設置許可申請書に場外車券売場付近の見取図(敷地の周辺から1000メートル以内の地域にある学校その他の文教施設及び病院その他の医療施設の位置並びに名称を記載した1万分の1以上の縮尺による図面)を添付しなければならないとしているが、これも添付図面として要求されているにすぎないから、前記の規定によっても、地元自治体の個別的利益が保護されているということはできない。

 ウ 法7条の2、21条について

 法7条の2、21条は、学生生徒及び未成年者の車券購入及び譲受を禁止するとともに、その禁止行為の相手方に罰則を科する規定であって、地元自治体の個別的利益を保護する趣旨でないことはその規定自体から明らかである。

 エ 法2条、3条について

 法2条は、競輪を開催しようとする場合の規定であり、法3条は競走場を設置又は移転しようとする場合の規定であって、場外車券売場設置許可についてはこれら各規定はいずれも準用されていないから、前記各規定も地元自治体の個別的利益を保護する趣旨であるということはできない。

 オ 地方自治法について

 地方自治法は、地方自治の本旨に基づいて、地方公共団体の区分並びに地方公共団体の組織及び運営に関する事項の大綱を定め、併せて国と地方公共団体との間の基本的関係を確立することにより、地方公共団体における民主的にして能率的な行政の確保を図るとともに、地方公共団体の健全な発展を保障することを目的とする(同法1条)ものである。他方、法は、その目的を明示した規定はないものの、自転車競走の施行に伴う諸制度を定めることを目的とするものであるから、法の目的と地方自治法の前記目的が共通するものでないことは明らかである。したがって、地方自治法の規定によって、本件許可処分の根拠法規である法が地元自治体の個別的利益を保護する趣旨であることを根拠づけようとすることはその前提を誤ったものであり、既にこの点において理由がないことは明らかである。

 カ 憲法31条及び憲法の保障する自治権について

 これら憲法の諸規定が本件許可処分の根拠法規である法と目的を共通するものでないことは明らかであるから、これらの規定によって場外車券売場設置許可制度に関して地元自治体の個別的利益が保護されているとすることはできない。

 以上のとおり、原告の主張する各規定は、いずれも場外車券売場の設置に関して、地元自治体の個別的利益を保護する趣旨であるということができない。

 (4)また、本件で原告に原告適格が認められるか否かは我が国の法令解釈の問題であるから、法制度の異なる諸外国において、地方自治体の自治権が侵害された場合に国等の行為に対する出訴が認められるとしても、原告が原告適格を有する根拠となるものではない。したがって、原告の主張は採用できない。

 (5)以上によれば、原告は、本件許可処分に関して法律上保護された利益を有せず、その無効確認ないし取消しを求めるにつき法律上の利益を有しないから、原告は本件訴えについて原告適格を欠くというべきである。

 3 よって、その余の点について判断するまでもなく、本件訴えはいずれも不適法であるから却下することとし、訴訟費用の負担につき行訴法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

 (口頭弁論終結の日 平成14年10月1日)


 次は、平成15年1月28日付の声明です。これは、原告弁護団の団長である、寺井一弘弁護士の名義によるものです。なお、この声明文は、熊本県立大学大学院アドミニストレーション研究科博士前期課程学生の鶴尾和憲氏が入手されたものを送っていただいたものです。この場を借りて、改めて御礼を申し上げます。


 本日、大分地方裁判所は、経済産業大臣がなしたサテライト日田設置許可処分は、日田市の「まちづくり権」を侵害するとして無効又は取消を求める訴えの提起に対し、「法律上の利益」がなく原告適格は認められず本件訴訟を不適法として却下した。

 この判決は、地方分権の時代の流れに逆行して憲法が保障した地方自治の本旨と自治体の司法救済を求める権利を真っ向から否定することによって実質的には国の不当な処分を是認するもので、時代錯誤も甚だしく到底容認できない。

 すなわち、第1に、地方自治体が憲法によって保障された自治権を侵害されたとして司法救済を求めているにもかかわらず、判決のようにその救済可能性を一刀両断に否定することは、憲法による自治権の保障そのものを否定するに等しい。第2に、最高裁判決も「当該行政法規及びそれと目的を共通する関連法規の関係規定によって形成される法体系の中において」当該行政法規が個別的利益を保護しているかどうかを検討すべきであるとして法律の合理的解釈が要請されるところ、本判決はこれを無視し、自治体が司法救済を求める権利を完全に否定している。第3に、自転車競技法、同施行規則は、「文教上又は保健衛生上著しい支障をきたすおそれがないこと」、及び、「周辺環境と調和したものであること」を設置許可処分の要件とし、地方自治体の権利利益を配慮している。にもかかわらず、判決はそうした法律上の定めをまったく考慮せず、実質上国の処分を是認している。第4に、本件のような事案においては、原告適格の有無を判断するために処分の適否という翻案を審理せざるを得ないものであるところ、判決はそうした必要性すら認めなかったもので、当事者の裁判を受ける権利を否定すること著しい。

 日田市は、本日この判決の誤りを明確にし、さらにサテライト日田設置許可処分の違法性を明らかにするため、直ちに控訴した。弁護団は、ここに、裁判勝訴、処分の全面撤回を実現するまで市民とともに戦い続けることを決意する。

 

 一方、2003年1月28日に大分地方裁判所から言い渡された判決についてですが、第48編において、別府市が控訴するか否かに関して検討をいたしました。法的には可能であるが、政治的には難しいという趣旨を述べました。その後、このホームページの掲示板「ひろば」に、1167番として「今日が別府市の控訴期限」という題で次のように記しています。

 「今日が、別府市の控訴期限です。本来は市議会に議案として出さなければならないのですが、市長の専決処分として控訴する方針であるという報道もなされました。/果たして、別府市は控訴したのでしょうか。/明後日の8時間研修を前にして、準備をしながらも、非常に気になります。」

 (2002年12月3日20時29分付。/は、原文改行箇所)

 その後すぐに、別府市が控訴を断念していたことを知りました。やはり「ひろば」に、1168番として「別府市は控訴を断念」という題で次のように記しています。

 「大分合同新聞のホームページに「サテライト訴訟 別府市は訂正記事を掲載へ」という記事が掲載されています。/http:/www.oita-press.co.jp/cgi-bin/oitanews/news2.cgi?2002-12-03=16/これで、大分地方裁判所の11月19日判決は確定です。」

 (2002年12月3日22時7分付。/は、原文改行箇所。なお、大分合同新聞の記事は、上記と同じアドレスで、現在も読むことができます。)

 結局、別府市は、市報べっぷ2003年1月号で、大分地方裁判所の判決で命じられたように訂正記事を掲載いたしました。一方、日田市は、広報ひた2002年12月15日号で勝訴を大々的に取り上げ、日田市の2002年十大ニュースでトップに位置づけています。内容は、このホームページで紹介した判決の概要とほぼ同様です。

 今、大分市では、三佐地区に計画されているボートピア大分建設問題が再燃しています。地元では賛成派のほうが多いようですが、反対派の意見も強く、意見調整が難航しています。また、4月の大分市長選挙に木下氏が立候補しないこともあり、本格的な結論は市長選挙の後に出されることとなりそうです。大分市は、これまで、ボートピア大分建設問題について、賛成とも反対とも述べておりません。


(初出:2003年3月29日)

2025年5月22日木曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第49編

 2003年になりました。前回(第48編)から2か月弱が経過しました。私自身がこの問題に取り組み始めて、既に2年半が経過していますが、不定期とはいえ、ここまで連載を続けることができました。今後も、問題が続く限り、連載は継続する予定ですので、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

 昨年(2002年)は、日田市対別府市訴訟で日田市が勝訴するという大きな出来事がありました。詳しいことは第50編または第51編で取り上げますが、別府市は、結局、控訴を断念しました。

 第48編において、別府市が控訴するか否かに関して検討をいたしました。法的には可能であるが、政治的には難しいという趣旨を述べました。その後、このホームページの掲示板「ひろば」に、1167番(2002年12月3日20時29分付 )として「今日が別府市の控訴期限」という題で次のように記しています。

 「今日が、別府市の控訴期限です。本来は市議会に議案として出さなければならないのですが、市長の専決処分として控訴する方針であるという報道もなされました。/果たして、別府市は控訴したのでしょうか。/明後日の8時間研修を前にして、準備をしながらも、非常に気になります。」(/は、原文改行箇所)

 その後すぐに、別府市が控訴を断念していたことを知りました。やはり「ひろば」に、1168番 (2002年12月3日22時7分付)として「別府市は控訴を断念」という題で次のように記しています。

 「大分合同新聞のホームページに「サテライト訴訟 別府市は訂正記事を掲載へ」という記事が掲載されています。/http:/www.oita-press.co.jp/cgi-bin/oitanews/news2.cgi?2002-12-03=16/これで、大分地方裁判所の11月19日判決は確定です。」( /は、原文改行箇所。なお、大分合同新聞の記事は、上記と同じアドレスで、現在も読むことができます。)

 もっとも、訴訟が終わって別府市が市報に訂正記事を掲載したからと言って、日田市と別府市との対立が解けた訳ではありません。別府市はサテライト日田設置を断念していないのです。もっとも、今年春の統一地方選挙の一つともなっている別府市長選挙では、サテライト日田問題を別府市の失政として争点にしようとする立候補者もいるようです。

 さて、サテライト日田問題のもう一つの側面、日田市対経済産業大臣訴訟が残っています。私は、日田市の提訴というニュースを聞き、このホームページでも取り上げました(第16編、第19編を参照して下さい)。そして、2001年2月、私は「サテライト日田問題について(訴訟提起の議案可決を受けて)」という寄稿文を作成しました。これは、読売新聞2001年2月24日付朝刊36面(大分地域ニュース)に掲載されました(第22編に掲載しております)。さらに、2001年3月、私は論文「サテライト日田をめぐる自治体間対立と条例―日田市公営競技の場外券売場設置等による生活環境等の保全に関する条例―」を作成しました。これは、4月に発売された月刊地方自治職員研修2001年5月号に掲載されました。私自身の立場を確認するという意味を込めて、この論文の最後の2段落を、改めて引用します。

 「しかし、この訴訟について、日田市に設置許可の無効等の確認を求める法律上の利益を有すると認められるのか。とくに、法律上の利益については、自転車競技法の解釈上、また判例の傾向からみても、日田市に認めることは難しいと思われる。仮に訴訟要件を充たすとしても、設置許可に係る行政裁量、さらに自転車競技に係る立法裁量という壁にぶつかる。これを突破することは非常に難しいと思われる。

 但し、この訴訟が無意味であるかと問われるならば、否と答えなければならない。日田市の提訴は、地方分権が進められる中、地方自治体、そして何よりも地域住民が主体的にまちづくり(地域づくり)をすることを認めなかった(あるいは予定していなかった)従来の法体系(さらに行政)に対する重大な異議としての意味を有する。地方自治法第一条の二第二項にも「国(中略)住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねることを基本として、地方公共団体との間で適切に役割を分担するとともに、地方公共団体に関する制度の策定及び施策の実施に当たつて、地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されるようにしなければならない」と規定されている。されば、地域の声が十分に反映されない仕組みの法制度は、見直されなければならない。一大分県民として、今後の展開に注目したい。」

 そして、この不定期連載でもレポートとして示したように、私は、口頭弁論の度に大分地方裁判所へ行き、日田市役所、そして日田市民の方々とともに傍聴をしました。そして、今年の1月28日、火曜日、10時を迎えたのでした。

 ここまで、かなり長い前置きとなりました。そろそろ判決の中身、および、それに対する私の考え方を示して欲しいという声が聞こえてくるのですが、もう少し、判決より前のことで述べたいことがありますので、お付き合い下さい。

 昨年12月21日、日本財政法学会の予備研究会が神田駿河台の明治大学で行われました。これに参加するため、私は、午前中、東京に帰りました(私にとっては上京ではありません。念のため)。その数日前だったでしょうか、東京のリベルテ法律事務所から連絡をいただき、私の手元にあったサテライト日田問題に関する資料(私自身が収集したのではなく、このホームページの常連さんでもある税理士の江崎一恵さんが情報公開請求の結果として届けて下さったもの)を読んでみたいということで、私は膨大な資料を持ち帰りました。12月24日、私は、JR南武線、東急目黒線・営団南北線を乗り継いでリベルテ法律事務所を訪れました。そこで、寺井弁護士および桑原弁護士と話をしたのですが、そこで気になる内容が示されたのです。

 寺井弁護士は、昨年7月9日、最高裁判所第三小法廷から出された判決文のコピーを私に下さいました。実は、その判決の理由が問題だったのです。もしかしたら、日田市対経済産業大臣訴訟でも、同じような理由で日田市の請求が却下される可能性があるということでした。私は、却下されるとしたら(第46編で紹介したように、10月1日に突然の結審となったので、却下は予想していました)原告適格が理由となるだろうと思っていたのですが、仮にこの最高裁判決と同じ理由だとすると、原告適格にも至らず、そもそも法律上の争訟(裁判所法第3条第1項)に該当しないということになります。つまり、もし訴訟を起こすというのであれば、行政事件訴訟法に規定される取消訴訟や無効等確認訴訟では争えないということになるのです。もし、原告適格だけが問題であるのならば、原告適格の要件さえ揃えば中身も判断されることになるのですが、法律上の争訟に該当しないとなると、客観訴訟(機関訴訟、民衆訴訟)ということになり、地方自治法第242条の2(住民訴訟)、公職選挙法第15章の各規定(選挙の効力に関する争訟)のごとく特別な規定を必要とします。

 上記の最高裁判所判決ですが、事案は次の通りです。「宝塚市パチンコ店等、ゲームセンター及びラブホテルの建築等の規制に関する条例」第8条により、上告人(宝塚市長)は、同市内でパチンコ屋を建設しようとした被上告人に建築工事中止命令を出しました。しかし、被上告人が従わなかったので、上告人は、裁判で建設の中止を求めました。

 これについて、神戸地方裁判所および大阪高等裁判所は、上告人の請求を棄却しました。つまり、訴えそのものは適法なのですが、中身である請求に理由がないと判断したのです。しかし、最高裁判所は、大阪高等裁判所の判決を破棄し、神戸地方裁判所の判決を取り消しました。これだけ読むならば、上告人の請求は認められたのかと思われるかもしれませんが、残念ながら違います。最高裁判所は上告人の請求を却下したのです。そこで持ち出されたのが法律上の争訟でした。

 法律上の争訟は「当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することができるもの」です(引用は上記最高裁判所判決からですが、最三小判昭和56年4月7日民集35巻3号443頁が参照されています)。例えば、AさんがBさんに金を貸したのですが、Bさんが期日になっても返さないというのであれば、法律上の争訟に該当し、民事訴訟で争うことができます。しかし、宝塚市の場合は、条例に定められた「義務が上告人の財産的権利に由来するという事情も認められない」として、法律上の争訟に該当しないと判断されているのです。

 さらに、この最高裁判所判決では、次のように述べられています。

 「国又は地方公共団体が専ら行政権の主体として国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟は、法規の適用の適正ないし一般公益の保護を目的とするものであって、自己の権利利益の保護救済を目的とするものということはできない。(中略)行政事件訴訟法その他の法律にも、一般に国又は地方公共団体が国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟を提起することを認める特別の規定は存在しない。」

 この部分は、日田市対経済産業大臣訴訟に関係のない部分であると思われます。ただ、日田市の請求が経済産業大臣に対して法規の正しい適用を求めるものと解釈されるのであれば、この理屈が妥当すると解釈されかねません。もっとも、これでは、原告が日田市であっても日田市民であっても同じようなもので、周辺住民による取消訴訟あるいは無効等確認訴訟そのものが否定されかねません。それだからこそ、行政事件訴訟法には地方自治体が原告となって義務の履行を求める訴訟を提起できる旨の規定がない、という歯止めを置いているのでしょう。しかし、理屈を徹底すれば、サテライト日田設置許可を日田市民が争うとしても、それは日田市民の権利利益に関するものではなく、法規の適正な適用を求める訴訟であると解釈することもできますから、許可の効力を争えなくなるかもしれません。そもそも、訴訟は、自己の権利利益の救済が第一義的であるとは言え、法規の正しい適用をも求めるものではないでしょうか。

 ともあれ、原告側弁護団は、この法律上の争訟が却下判決の理由になるかもしれないと考えたのでした。そして、私は、この点について考えるように、という課題を与えられました。年末年始、川崎の実家で、この最高裁判決と、雑誌「法学教室」2002年12月号に掲載された阿部泰隆教授の論文を読み、考え込んでいました。一方、このホームページに設けている掲示板「公園通り」に、気になる書き込みがありました。元は某MLで「御先輩の先生」が書かれたことです。ここに再録します(ここで明かしてしまいますが、「御先輩の先生」とは、早稲田大学法学部の首藤重幸教授のことです。新井隆一先生の一番弟子です。私は、博士後期課程まで進んだ者としては6番目で、最後となります。勝手にお名前を出して申し訳ございません)。

 「なかなか面白そうな問題ですね。さて、この訴訟は問題なく主観訴訟(取消訴訟、無効確認訴訟)と考えていいのでしょうか。主観訴訟とすると、日田市(自治法により法人とされている)の、いかなる(主観的)権利が侵害されていると考えたらよいのでしょうか。そこらの点が明確でないと機関訴訟(客観訴訟)とされ、即、却下ということになる可能性があるのでは。成田新幹線訴訟でも、路線認可「処分」の取消訴訟において、区が原告に入っていましたが、区に原告適格が認められるか否かの問題に入る前の時点で決着がつき、最高裁判所の判断は示されませんでした。」

 1月28日の判決がいかなるものになろうとも、そして、控訴、上告ということになろうとも、法律上の争訟に該当するか否かという問題は、サテライト日田問題のような事件の場合、常に念頭に置かなければならないものとなりました。しかし、考えてみれば、上記最高裁判所の判決はおかしなものです。行政代執行法のようなものがなければ、地方自治体は、条例違反などを放置しなければならないということになるのでしょうか。

 今年に入り、朝日新聞の白石記者から連絡をいただきました。判決に備えた記事を作成するということで研究室に来られました。この件などについて色々と話をしました。その後、1月24日付の朝刊25面13版に「日田 場外車券訴訟 28日判決 『まちづくり権』判断は」という記事が掲載されました(ここに私は登場しません)。記事は、「国相手の訴え、資格も焦点」として、原告適格に関する解説がなされています。また、「住民は快適な環境で生活する権利を持ち、まちづくりが地域全体の取り組みである以上、市は地域全体を代理できる。住民意思を無視した国の設置許可は、地方自治の自治権の侵害になる」という、日田市役所企画課の五藤和彦主任のコメントが掲載されています。さらに、「上下関係見直す契機に」という題が付された、木佐茂男教授の談話が紹介されています。これについても、全文を紹介しましょう。

 「住民ではなく自治体が国を訴えた日田市の試みは上下関係だった国と地方の立場を、対等に見直すきっかけになり、『負けるも勝ち』と評価できる。

 『景観の利益』を認めた国立マンション訴訟の判決など、裁判所は住民の権利に沿った判決を出し始めた。踏み込んだ判決に期待したい。」

 私も、大分大学に勤務している者の中で、さらに言えば大分県内の大学に勤務するものの中で唯一、この訴訟に関わり続けていますから、木佐教授と同じ思いはあります。しかし、現実の地方分権改革を眺めていると、とくに市町村合併について言いうることですが、上下関係から対等関係へという地方分権の理念は掛け声倒れに終わっているような気がしてなりません。否、キャッチフレーズと現実との間には、決して浅いと言えない裂け目が存在するものです。正直に申し上げるならば、この訴訟の行方によっては、木佐教授が述べられることと逆の方向に進む可能性を否定できないのです。別府市、および設置許可申請者である 溝江建設の姿勢もあります。

 1月には、勿論、講義、会議など色々な仕事を抱えていましたが、何が何でも判決を聞かなければならないと思っていました。そして、ついに1月28日を迎えました。早く起きて大学へ行き、車を置いて大分大学前駅へ向かい、列車に乗りました。そして、大分駅から歩いて大分地方裁判所へ向かいました。到着したのが9時前です。この日、大分市は晴れていましたが、かなり寒く、震えるほどでした。日田市では雪が降ったようです。福岡市などでも雪が降ったとのことでした。裁判所の玄関には傍聴整理券の配布を知らせる看板が立っています。しかし、到着した時には私しかおらず、10分ほどしてからテレビ大分の取材班が来ました。経済産業大臣側訴訟代理人は早めに到着していたようです。日田市関係者が到着したのは9時半を回ってからでした。1という番号が振られた傍聴整理券を受け取ったのですが、結局、9時40分までの間に半分ほどしか配布されず、抽選のないままに1号法廷に入りました。もっとも、開廷時までには法廷が満員に近い状態となっています。私は、左側の最前列に座りました。日田市議会議員の方々などに囲まれる形です。原告席には、寺井一弘弁護士、大石昭忠市長、桑原育朗弁護士、そして藤井範弘弁護士がおりました。

 〔余談:閉廷後に知ったのですが、この日、聖嶽洞窟遺跡疑惑で別府大学の賀川光夫名誉教授が自殺した事件に関連して遺族側から提起された損害賠償請求訴訟(文芸春秋社に対してのもの)の口頭弁論も開かれました。〕

 10時、民事第一部の須田啓之裁判長、細野高広裁判官、宮本博文裁判官が入廷しました。2分間、ニュース用の撮影が行われました。いやがうえにも緊張感が高まります。

 そして、撮影が終わり、判決が言い渡されました。2003年1月28日付の朝日新聞夕刊9面3版が伝えるように「わずか十数秒」の出来事でした。次のように、主文だけが言い渡されました。

 「1.本件訴えをいずれも却下する。」

 「2.訴訟費用は原告の負担とする。」

 その瞬間、傍聴席からはため息とも落胆の声ともつかないようなものが聞こえ、落胆と怒りがあふれました。中には、判決の言い渡しというものはこんなにあっけないものなのかという声もありました。私はすぐに「民事訴訟や行政事件訴訟はこのようなものです。刑事訴訟なら理由を朗読するのですが」と答えました。

 予想していたとは言え、やはり、私も落胆しました。1月27日、名古屋高等裁判所金沢支部から出された高速増殖原型炉「もんじゅ」に関する訴訟の判決のことが頭にあったからです。この訴訟も、周辺住民の原告適格が問題となり、同じ名古屋高等裁判所金沢支部は原告適格を認め、最高裁判所も認めたことから実体審理に入りました。そして、福井地方裁判所は訴えを棄却しましたが、名古屋高等裁判所金沢支部は周辺住民の逆転勝訴判決を出したのです。「もんじゅ」、そして新潟空港訴訟よりもはるかに後退したものではないのか、と思いました。

 閉廷後も、原告席には先の4氏が残っていました。私も原告席に移り、判決文を眺めました。原告適格で却下されたのです。法律上の争訟に該当しないという、これ以上はない最悪の理由ではなかったのでした。しかし、却下は却下です。原告適格が認められなかったのです。

 それから、恒例の、大分地方裁判所玄関での説明がなされました。今回は、大石市長、寺井弁護士が発言をされました。私も大石市長の隣におりました。大石市長は、今後も闘っていくという決意を述べられました。上記朝日新聞夕刊記事では「門前払いの判決で残念だ。直ちに控訴し、高いレベルでの話し合いをしたいので、今後とも支援をお願いしたい」とまとめられております。続いて、寺井弁護士は、やや興奮した面持ちで、今回の判決の不当性を主張されました。

 閉廷後から、私もコメントを求められました。そこで話した内容が、2003年1月28日付朝日新聞夕刊9面3版「『地方自治に逆行』 場外車券訴訟 幕切れ判決十数秒 日田市長怒り強く」という記事、そして 2003年1月28日付大分合同新聞夕刊夕F版13面「サテライト設置許可訴訟 『まちづくり権』門前払い 地裁『原告適格なし』 日田市の訴え退ける」 という記事に掲載されました。同じような内容ですが、紹介します。

 「地方分権とは、単なる国と地方との仕事の役割分担ではなく、住民の手によるまちづくりを意味する。事例は違うが、昨年12月の国立マンション訴訟の判決や、高速増殖原型炉もんじゅの判決など住民の主張が認められ始めてきた。それだけに大分地裁の原告適格を理由にした却下は、あまりに形式的ではないか。日田市の主張の中身に踏み込んで欲しかった。」(朝日新聞。なお、私のコメントの部分には「あまりに形式的」 という小見出しが付されています。)

 「原告適格の有無で判断せず、住民のまちづくり権について踏み込んだ判断をしてほしかった。地方分権の流れを考えれば、一歩後退した判決。住民は、原告適格の壁をクリアするためにも、まちづくり権を具体化する必要がある。 」(大分合同新聞)

 正直なところ、私は、「一歩後退」という表現でもどうかと思います。そして、朝日新聞のほうに紹介されているように(私の発言より一歩踏み込んだ内容になっているような気もしますが)、私は、地方分権に住民自治の観点が必要だと考えています。まちづくり自体もそうです。機能分担は当然のことですが、それだけでは地方自治の実現と言えません。役割分担だけであれば、中央集権の下でも可能です。実際、日本は、中央集権的な体制であった時代でも、相当量の事務を地方が行ってきています。分権という場合に問題となるのは、単なる事務配分ではなく、事務の権限配分です。そして、権限配分がなされるならば、地方の場合、住民と行政との間に存在する、より直接的な関係が問題となるのです。

 ちなみに、私は、テレビ大分にもコメントを求められました。テレビカメラの前で話したのですが、放送されたのかどうかはわかりません。

 この訴訟では、口頭弁論終了後、毎回、日田市側が大分県庁記者クラブにて記者会見を行っておりました。私は参加したことがなかったのですが、今回は、寺井弁護士が声明文を用意されていたこともあり、参加 したいと思っていました。そこで、お願いをしてみたところ、「是非とも」という趣旨のことを言われました。藤井弁護士、そして日田市の五藤氏とともに、日田市の車で県庁へ向かいました。

 その五藤氏のコメントが、上記朝日新聞夕刊で紹介されています。記事では「この判決内容なら9回も口頭弁論を開く必要はなかった」と書かれております。この思いは、五藤氏だけのものではありません。昨年11月19日、日田市対別府市訴訟では日田市が勝訴しました(これについても、寺井弁護士は政治的なものを感じるとおっしゃっていましたが)。「それなのに、同じ裁判所で、この判決とは……」とは、同じ記事に掲載された五藤氏の落胆の思いですが、これも多くの人に共通するものでしょう。実際、1月29日朝日新聞朝刊25面(大分10版)に掲載された記事「日田市民『むなしい判決』 場外車券場 無効請求却下」では、日田市民の意見として、「法律だけをよりどころとした、しゃくし定規の判決」、「判決では環境を守りたいという地域住民の切実な願いが一切無視されている。控訴は当然だ」というコメントが掲載されています。また、直接的には判決に対するものではないのですが、サテライト日田設置に反対する別府市民(「サテライト日田設置を強行する別府市長に腹が立つ会」のメンバー)の意見として「日田市がいい町をつくろうとしているのに別府市が押しかけてつくってほしくない。子どもが育つには環境が大切」というコメントも掲載されています。

 記者会見が始まる11時になるまで、私は、大石市長、室原議長、武内会頭と、今回の判決などについて話し合いました。やはり、これだけ時間をかけて却下判決ということに落胆と怒りがあったようです。行政法学者としては、今回の判決を予想していましたが、これだけの思いが伝えられると、私としても、現在の法制度は何なのかという素朴な疑問が頭をよぎります。それだけ、日田市の意見の重さを感じざるをえないということなのです。

 11時ころ、県庁内の記者クラブに入りました。当初、私はただ参加して話を聞くだけのつもりでしたが、日田市職員の方から会見の席に着くように促され、右端に座っておりました。 こんな体験は初めてのことです。原告でも弁護団のメンバーでもない私がこの席に着いてよいのかと迷ったのですが、陰ながら支援をさせていただいたことに変わりはないし、「私も発言したい」という思いから、席に着かせていただきました。 先の大分合同新聞夕刊の記事に、会見の写真が写し出されています。会見の席に座っているのは、左から、藤井範弘氏(弁護士)、寺井一弘氏(弁護士)、大石昭忠氏(日田市長)、室原基樹氏(日田市議会議長)、武内好高氏(日田商工会議所会頭)、そして私です。

 まず、会見では、寺井弁護士が声明を読み上げました。 この声明はあらかじめ作成されたものです。残念ながら、声明文は私の手元にありません。趣旨は、今回の判決が不当であること、今後も闘っていく、つまり、今回の判決について直ちに控訴するということです。実際、直ちに控訴手続が取られています。今回の却下判決は、昨年7月23日の口頭弁論の際、それまでとは裁判長の態度が変わったこと(第44編もお読み下さい)、10月1日に口頭弁論が終結したことからしても予想の範囲内でありました。控訴の方針も、既に決められていました。

 それから、大石市長、室原議長、武内会頭の順に、印象などを語りました。2003年1月29日付読売新聞朝刊24面(大分地域ニュース)〔読売新聞大分支局のホームページ2003年1月29日分〕「場外車券場訴訟却下判決、控訴で解決遠のく」では、「判決にはあ然とし、憤りを感じた。より住みよく、文化の薫りの高い街をつくるため、断固として闘っていきたい」とまとめられています。また、大石市長の発言は、「原告不適格という、一刀両断の判決は大変残念。市民自らが、街を守ろうという意欲を踏みにじられた思いだ」とまとめられています。 また、上記朝日新聞夕刊記事では、大石市長の発言として「全市をあげて戦ってきた。1年9カ月の議論は何だったのかという憤りを感じる。国は地方分権や『地方が主役の21世紀』を唱えているが、逆行する判決だ」と書かれて、1月29日朝日新聞朝刊25面(大分10版)に掲載された記事「日田市民『むなしい判決』 場外車券場 無効請求却下」では、やはり大石市長の発言として「1年9カ月の議論は何だったのかという憤りを感じる。控訴して市民一体となって戦っていくことを改めて覚悟した」と書かれています。室原議長も同じ趣旨のことを語っておられました(少なくとも、記者会見前に、県庁の1階で私に対してそのようにおっしゃられました)。先の五藤氏の思いと同じだった訳です。

 それに続いて、藤井弁護士から、この判決についての解説などがなされました。 やはり、新潟空港訴訟などを引き合いに出しつつ、一歩後退した判決だと締めくくられました。

 最後に私が意見を述べました。この時は興奮していたのか、あまりまとまりのない発言になったのですが、 読売新聞の記事で「この訴訟が全国に問いかけたものは『地方自治とは何か』に尽きる。その点にほとんど触れておらず、原告適格が広げられる方向にあったのを逆の方向に持っていくとは、いったい何年前の判決なんだという印象を強く持った」とまとめられています。

 たしか、私は、この時、「地方自治、そして地方分権とは何かに尽きる」という趣旨の発言をしたはずです。そして、2001年11月23日・24日に北海道大学で開催された第1回日本自治学会において千葉大学の大森彌教授がサテライト日田問題を取り上げられたことを述べた上で、全国的にも注目されたこの訴訟だけに、判決は残念だという趣旨を語りました。今回の訴訟は、まさに地方分権のあり方が問われた訴訟と位置づけるべきだと思っています。その趣旨を、会見でも述べたはずです。

 このホームページを御覧の方であればおわかりだと思うのですが、私が記者会見で述べたことは、サテライト日田訴訟について私が一貫して考えてきたことです。第4編に掲載した朝日新聞2000年11月26日付朝刊13版34面のコメントに始まり、第22編に掲載した2001年2月24日付の読売新聞朝刊36面(大分地域ニュース)の寄稿文「サテライト日田問題について(訴訟提起の議案可決を受けて)」で、私は、このサテライト日田問題が「条例制定権の限界、まちづくりの進め方、住民意思の反映の仕方、市町村関係の在り方など、地方自治における重要な諸課題が凝縮されたものである」と記しておりますし、第24編に掲載した2001年3月20日付の大分合同新聞朝刊朝F版23面のコメント、そして、ひたの掲示板などへの投稿でも、根本的には同じ趣旨のことを述べています。 上で引用している論文「サテライト日田をめぐる自治体間対立と条例―日田市公営競技の場外券売場設置等による生活環境等の保全に関する条例―」 も、読売新聞への寄稿文とほぼ同内容のことを記しております。

 今回の判決について、行政法学者はどのように考えているのでしょうか。私が集めえたものを紹介しておきます。

 まず、今回の訴訟で鑑定意見を作成された村上順教授(神奈川大学法学部)の御意見です。2003年1月29日付読売新聞朝刊24面(大分地域ニュース)の上記記事にコメントが掲載されています。

 「自治体の原告適格が認められなかったが、欧米では、重大な自治権侵害については、訴訟資格を認めている。こうした考えが出てこないと、国が進める分権改革の趣旨にそぐわないのではないか。裁判所の判断は、市民の権利や自治体の権利を狭くとらえている」

 次に、木佐教授の御意見です。2003年1月29日付朝日新聞朝刊25面 (大分10版)に「理論的検討の貧しさ目立つ」として、2003年1月29日付大分合同新聞朝刊朝F版19面に「行政訴訟の流れに逆行」(おそらく寄稿文)として掲載されています。今回は「理論的検討の貧しさ目立つ」のほうを紹介します。

 「新しい社会状況や地方分権を一切考慮しない古色蒼然とした判決。高速増殖原型炉「もんじゅ」の設置許可無効判決や、02年12月の国立マンション事件の違法建築部分取り壊し命令など、行政関係の裁判としては画期的なものが出つつある中で、本判決の理論的検討の貧しさが目立つ。社会の変遷が極めて激しい中で、法令改正が追いつかない現状を司法的に認知するだけで、裁判の権利保護創造機能を自ら放棄するものといわざるを得ない。」

 一方、2003年1月29日付大分合同新聞朝刊朝F版19面に掲載された「サテライト訴訟 高裁へ 『原告適格』壁に挑む」という記事には、「地方自治体の原告適格を認める新判断がなければ、そこで裁判は終わる。個別の法律上の利益の有無を審理し、実体審理への道を開くよう、予定地周辺の住民を原告に加える工夫も必要だったのでは」という「法曹関係者」の指摘が掲載されています。

 この「法曹関係者」が誰なのかわかりませんが、判例を知っていてこのような趣旨の発言をしたのかと疑問を持たざるをえません。今回の判決文を読めば、そしてこれまでの判決をたどってみればわかりますが、原告が日田市であろうが日田市民であろうが、趣旨としては同じ判決が出されたでしょう。勿論、住民が加わることによって、それなりのインパクトがあるかもしれません。しかし、判決は、あくまでも法的問題に対して、法律の解釈を通じて出されるものです(そうでなければ、逆に不当性も高まります)。以前、やはり場外車券売場の設置許可を巡って近隣住民が起こした訴訟で、自転車競技法は周辺住民の利益を法的なものとして保護する趣旨のものではないという意味の判決が出されたことがあります。これをどのように考えるのでしょうか。

 〔余談ですが、この記事に書かれた内容について、私はクレームをつけました。改めて記しておきますが、このホームページはサテライト日田問題がきっかけで開設したものではありません。おそらく、「ホームページを開設した学者」とは私のことなのでしょう。大分合同新聞社からはお詫びの電話をいただいたことも記しておきます。〕

 ここまで相当の長文になりました。判決の検討は第50編または第51編において行うことといたします。ただ、記者会見終了後のことだけは記しておきます。

 記者会見の席上、大石市長は、28日の午後に別府市役所を訪問すると語られました。判決がどのようなものであれ、方針は決まっていたようです。正午になる少し前に記者会見が終わり、私は皆さんと別れ、県庁から大分駅まで歩き、駅の近所で昼食をとって、豊肥本線の列車で大分大学へ戻りました。一方、大石市長、日田市職員の方々は、別府市役所を訪問しました。この時の模様は、2003年1月29日付朝日新聞朝刊25面(大分10版)、2003年1月29日付読売新聞朝刊24面 (大分地域ニュース)、および2003年1月29日付大分合同新聞朝刊朝F版19面の上記各記事に掲載されました。当日、別府市の井上市長は不在で、安部一郎助役が対応しました。日田市側は、改めて設置計画の断念を要請しました(文書が用意されています)。これに対し、別府市側は、相変わらず「当事者ではない」と主張しており、業者が適法に許可を得たという立場、そして国や業者との信頼関係の存在も主張しています。この際、別府市側は日田市の行動などに苦言を呈したそうです(大分合同新聞の上記記事によります)。これに対し、大石市長は、別府市は当事者以外の何物でもないという趣旨を述べたとのことです。

 自転車競技法の構造からして、別府市の主張には理解できない点があります。これについても、私自身が何度か述べています。別府競輪の車券を販売するのはサテライト日田を設置する 溝江建設自身なのでしょうか。そのようなことをすれば、自転車競技法に違反します。場外車券売場の設置にも幾つかの形態があるのかもしれませんが、通常、設置業者は、競輪事業施行者との調整を行った上で設置許可を申請するはずです。そうでなければ、設置したところでどこの競輪事業施行者が発券するかわからないという、非常におかしなことになります。設置業者は、建物などを設けて、競輪事業施行者に賃貸することで利益を上げることになるはずです。このように考えれば、競輪事業施行者である別府市は当事者になります。もし、サテライト日田設置許可の申請が経済産業省によって拒否されるならば、 溝江建設が原告となって設置 申請拒否処分の取消訴訟を提起することができます。先の最高裁判所判決の趣旨などからすれば、別府市が原告となって訴訟を提起することはできないかもしれません。しかし、 溝江建設が原告であるならば、別府市も訴訟に参加することができるのではないでしょうか(できないとしても、何らかの形で、実質的当事者として行動するはずです)。また、別府市も認めるように、サテライト日田を設置し、車券を販売するには財政支出が必要で、別府市議会の議決を経なければなりません。この予算が否決され、凍結されているのが現在の状態です。仮に別府市がこの計画を断念するならば、損害賠償を請求されます。これも、別府市自身が認めているのです。それなのに「当事者」という主張を繰り返すのです。不思議な構造です。

 また、記者会見の席で、大石市長は、別府市が久留米競輪との商圏調整を行っているのか否かを確認したいとも述べておられました。何故か、このことは新聞記事に登場しません。日田市は、地理的にみても久留米競輪の商圏になります。しかし、そこに別府市が入ってくるという訳です。私も所持している文書によると、経済産業省は、別府市はこの調整について久留米市と合意をしていません。現在の状況も不明です。そうなると、違法かどうかは別として、今回の設置許可には不当な点があると言えないのでしょうか。、なお、久留米市は、現在のところ、日田に場外車券売場を作る予定を有していないとのことです。


(初出:2003年2月2日)

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第48編

 第47編にて紹介し、検討いたしましたように、2002年11月19日(火)の13時10分、大分地方裁判所民事第1部は、日田市対別府市訴訟について日田市全面勝訴の判決を下しました。その日、別府市長は控訴の意向を示すコメントを発表しました。しかし、第47編において述べましたように、現在の別府市は、前市議会議長の政治的疑惑など、様々な問題を抱えており、少なくとも2001年2月のあの与党分裂以来、現在の別府市議会は少数与党という情勢です(その与党分裂については、第23編において取り上げております。第20編および第21編も御覧下さい)。控訴をすれば、2001年2月から3月にかけての別府市議会での混乱の再来は避けられません。それどころか、来年行われる市長選挙が近く、既に数名の立候補が予定されている中では、別府市政が未曾有の状況に追い込まれることも、十分に考えられます。

 さて、こうした状況において、別府市は控訴をするのでしょうか。

 今回の訴訟は、行政事件訴訟法によるものではなく、民法によるものですから、民事訴訟法が全面的に適用されます。もっとも、行政事件訴訟法には控訴などに関する規定が存在しませんので「民事訴訟の例による」ことになります(行政事件訴訟法第7条。実際には、民事訴訟法がそのまま適用されることが圧倒的に多いのです)。民事訴訟法第281条により、法人たる別府市は、今回の判決(「終局判決」)について控訴をなすことができます。但し、幾つかの条件が必要です。

 第一に、理由です。民事訴訟法第286条第1項により、別府市は控訴状を大分地方裁判所に提出しなければなりません。その控訴状には、大分地方裁判所判決の趣旨と「その判決に対して控訴をする旨」が示されていなければなりません(同第286条第2項第2号)。もっとも、この点については、おそらく、別府市の側に問題はないものと思われます。

 第二に、控訴期限です。別府市が抱えている問題は、こちらのほうです。民事訴訟法第285条によれば「控訴は、判決書又は第二百五十四条第二項の調書の送達を受けた日から二週間の不変期間内に提起しなければならない」とされています。送達は民事訴訟法第98条以下に規定されています。期間の計算については、民事訴訟法第95条第1項により、民法第1編第5章の規定に従うことになります。控訴の場合は、民法第139条および第140条によりますので、判決言渡日は初日に参入しません。そうすると、別府市は、12月3日(火)までに控訴を行わなければなりません。

 しかし、既に一週間以上経っている11月28日の時点において、別府市は控訴の手続を全く進めていません。それだけでなく、別府市が置かれている状況からして、控訴は困難であるという見方が強いようです。

 この点について、西日本新聞2002年11月29日付朝刊30面(大分)に掲載されている「サテライト日田市報訂正訴訟 別府市控訴、厳しい情勢」という記事によると、別府市助役の三浦義人氏は、28日、弁護士と相談をした上で控訴するか否かの結論を出したいという趣旨を述べたそうです。

 別府市議会議長の首藤正氏は、11月20日、つまり、判決が出された日の翌日に、市の総務部長に対し、控訴の場合には臨時市議会を開催するように、という趣旨の要請をしていました。しかし、市議会招集の手続は取られていません。このため、市長の専決処分によって控訴がなされるかもしれないという見通しが、三浦助役によって述べられました。仮にそうなるとすれば、これは「重大案件」であるために「与党少数の同士議会で井上市政に対する反発が強まるのは必至」であるため、「市議や市職員に『控訴は事実上不可能』という見方が広がっている」と、西日本新聞は報じています。

 このあたりの事情を、行政法学の観点から、いかに説明することができるでしょうか。

 第47編において、地方自治法第96条第1項第12号について考えてみました。そこにおいて、私は、次のように述べています。

 控訴ということは、市の財政支出を伴うということです。地方自治法第96条第1項第12号は、普通地方公共団体(都道府県および市町村)の議会の議決事項として「当事者である審査請求その他の不服申立て、訴えの提起、和解、斡旋、調停及び仲裁に関すること」をあげており、控訴や上告については明示していません。そのために解釈に自信がないのですが、それを承知の上で考えてみます。

 今回、別府市は敗訴し、訴訟費用も負担することとなっています。控訴は「訴えの提起」ではないので、文字通りであれば議会の議決は不要とも考えられますが、控訴の場合であっても一定の費用を要することは「訴えの提起」の場合と変わりません。次に、控訴は高等裁判所に司法判断を求めることですから「訴えの提起」と類似します。さらに、控訴を「訴えの提起」と完全に区別するならば、首長以下の執行部に対する議会の統制権を弱めることになります。地方自治法第96条第1項第12号で「当事者」と規定されているのは、普通地方公共団体が被告ではなく、原告として裁判の当事者になることを想定しているからでしょう。そうであれば、控訴人は原告と同様に訴えを起こす側として捉えられるはずです。少なくとも、控訴に踏み切るのであれば、議会の同意を得なければ、地方自治、とくに議会制民主主義の趣旨を没却します。

 今回は、松本英昭『新版逐条地方自治法』(2001年、学陽書房)という、おそらくは総務省関係者による解釈・見解の集大成とも言いうる定番の逐条解説書を参考にしつつ、別府市の控訴の可能性について検討を加えます。

 まず、地方自治法第96条第1項第12号について、上記逐条解説書322頁は「普通地方公共団体が民事上または行政上の争訟及びこれに準ずべきものの当事者となる場合に議会の議決を必要とする旨の規定である」と述べています。但し、この場合、条文では「訴えの提起」となっておりますから、普通地方公共団体(都道府県および市町村) が被告となる場合は含みません(第47編において述べたとおりです)。そして、「訴えの提起」は「第一審たる訴訟の提起のみならず、上訴の提起をも含むものである」とされています(同頁。なお、上訴とは、控訴と上告とをまとめた言い方です)。

 ただ、「第一審の訴訟提起の際の議決に当たつて議会が特に上訴につき改めて議会の議決を得べき旨を明確に示して議決した場合を除き、上訴につき改めて議決を経る必要はないものと」解釈されており、これについて、昭和5年(同書322頁からでは月日などが不明)の大審院判決が参照されています。

 しかし、今回、別府市は原告でなく、被告でしたから、この説明は妥当しません。そのため、第46編にて私の解釈を示しましたように、判決に不服があるとして控訴する場合、別府市は、市議会の議決を得る必要があります(同頁)。

 既に触れたように、別府市議会は、判決の翌日、市に対して臨時議会の開催を要請しています。しかし、詳しい事情は不明ですが、市側は議会の招集をしていません。地方自治法第101条第2項は、議会の招集について、原則として、都道府県であれば開会日の7日前、町村であれば3日前に告示をしなければならないと規定しています(但書で「急施を要する場合は、この限りではない」とされてはいますが)。市議会での討議が何日もかかるような案件とは思えませんので、臨時議会の招集は可能であったはずです。あるいは、市側としては、臨時議会を開催した場合、2001年2月と同様に否決される可能性が高いとみて、敢えて招集手続を取らなかったのかもしれません。しかし、そうであるとすると、地方自治法第179条第1項との関係で問題が生じてきます。

 この地方自治法第179条は、上記西日本新聞掲載記事に登場する専決処分の根拠条文です。規定を引用しておきましょう。

 第1項:普通地方公共団体の議会が成立しないとき、第百十三条但書の場合においてなお会議を開くことができないとき、普通地方公共団体の長において議会を招集する暇がないと認めるとき、又は議会において議決すべき事件を議決しないときは、当該普通地方公共団体の長は、その議決すべき事件を処分することができる。

 第2項:議会の決定すべき事件に関しては、前項の例による。

 第3項:前二項の規定による処置については、普通地方公共団体の長は、次の会議において、これを議会に報告し、その承認を求めなければならない。

 第1項にいう「議会を招集する暇がない」とは、議会を招集して議決を経るほどの時間的余裕がない場合、例えば、控訴期間が経過してしまうような場合、という意味です。但し、この判断は、長(都道府県知事、市町村長)の自由裁量に属するものではなく、羈束(きそく)裁量の事項であるというのが、上記逐条解説書による解釈です。私も、同じ解釈を採用したいと考えます。従って、市議会の同意が得られないと予想された場合であっても、そのことが専決処分を正当化する事由にならないはずです。

 さて、専決処分は、第1項において示されているように、本来であれば議会が議決すべき事項について、都道府県知事または市町村長が議会を経由せずに決定などを行う訳です。或る意味では緊急手段です。憲法第73条第3号に規定される条約の締結で、それ自体は内閣の職権に属する事柄であるとは言え、事前に国会の承認を得るだけの時間的余裕がなかった場合と似ています。おそらく、そのような理由のため、第3項によって議会の承認が求められることになるのでしょう。なお、ここでいう「次の会議」には、臨時会を含みます。

 専決処分について議会の承認が得られるならば、問題は生じません。しかし、承認が得られなかった場合には、専決処分の効力はどうなるのでしょうか。地方自治法には明文の規定がありません。本来、専決処分は、あくまでも議会制民主主義の例外ですから、議会の承認が得られなかったら専決処分は無効である、あるいは失効する、という解釈もできるでしょう。しかし、行政実例は、この場合、承認が得られなくとも専決処分の効力に影響がないという解釈を採用しています。その理由ですが、上記逐条解説書538頁は次のように説明しています。

 「本条の専決処分は、議決機関たる議会がその本来の職責を果たし得ない場合又は果たさない場合に長が補充的に議会に代わつてその機能を行うものであり、かつまた時間的に猶予できないために処分するものであるから、議会の承認が得られないためその処分が無効になるとすれば、すでに行われた処分に関係する者の利益を害し、行政の安定をそこない、当該処分の目的を達成することも不可能になる場合も考えられ、本条制定の趣旨が全く没却される虞れがあるからである。」

 勿論、「議会が専決処分そのものでなく、その処分の内容について不満があり承認を与えないような場合には、長にその政治的の責任は残るのであつて、後日、予算の修正、条例の否決、不信任決議等の原因となることも考えられる」とも述べられています。いずれにせよ、承認が得られなかったからといって、法的効力は否定されないということになります。この点も、憲法第73条第3号の解釈と類似します(条約の締結について、事後に国会の承認が得られなかったとしても、少なくとも条約の対外的効力は否定されません)。

 果たして、行政解釈が妥当であると言いうるのでしょうか。一般的な感覚からすれば、事後に議会の承認が得られなかったのに専決処分の法的効力が否定されないという結論は、議会制民主主義の否定につながると思われるでしょう。たしかに、そのように言える面はあります。議会の承認が得られないような専決処分が全く存在しないとは言えませんし、行政解釈では、議会のチェック機能を軽視することになり、行政の専横が増大する懸念が増えるかもしれません。

 しかし、議会の議決を経た処分によってであれ、専決処分によってであれ、処分がなされるならば、普通地方公共団体と他者との法的関係が形成されることになります。その場合、例えば、契約を考えますと、相手方にとっては、普通地方公共団体の内部的事情によって効力が左右されるようでは、安心して契約をなしえません。行政行為についても同様で、例えば、専決処分によって行政行為がなされるとして(そのような実例がどれほどあるのかわかりませんが)、議会の承認が得られなかったためにその行政行為が失効する、あるいは当初から無効であるとすれば、相手方の法的地位は著しく不安定になります。また、法的関係は複数成立しえますし、周辺にも新たな法的関係が築かれることになります。そのため、専決処分の法的効力を議会の承認にかからしめることは、多くの法的関係を否定することにもなり、不測の侵害を与えかねません。従って、ここでは行政実例の解釈を妥当としておきます。

 このように考えるならば、別府市は、12月2日または3日に、市長の専決処分として控訴手続を取ることができます。仮に専決処分が承認されないとしても、そのことから直ちに控訴の取り下げをするという義務が生じる訳ではありません(勿論、市議会の意向を尊重して自発的に控訴を取り下げることは可能です)。

 但し、これはあくまでも法的な話であって、政治的な側面は捨象しています。現在の別府市の状況を念頭に置くと、控訴は別府市政に一層の混乱を招くでしょう。

 別府市の状況は、裁判の場において図らずも示されたと言えます。別府市は、日田市の主張に対して何ら有効な反論をなしえなかったのです(控訴の場で新たな証拠を提出することも考えられなくはないのですが)。準備書面においても、判決が批判したように、別府市は、問題となった市報掲載記事について、文面からは到底読み取れそうもないような、相当に強引な解釈をせざるをえなかったのです。このような状態で控訴したとしても、別府市が勝訴するとは思えません。そればかりでなく、日田市民、そして少なからぬ別府市民から反発を招くだけでしょう。日田市の名誉権侵害が争われたとは言え、この問題で名誉なり評価なりを落としたのは、日田市というよりも別府市です。


(初出:2002年11月30日)

2025年5月21日水曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第47編

 このホームページの掲示板「公園通り」においても度々取り上げておりますように、最近、場外券売場(競馬、競輪、競艇など)に関する問題が各地で多く生じています。そのような中、サテライト日田問題は、全国的にも注目を浴びる代表例でもあり、その行方が他の事例にも何らかの影響を与える可能性が高いと思われます。また、行政法学の観点からも、地方分権に関する論点を多く含んでいますし、自治体間の対立についても一種のモデルケースとして考えることができるでしょう。

 今回は、自治体間の対立に焦点を置き、2002年11月19日(火)、13時10分、大分地方裁判所1号法廷にて出された日田市対別府市訴訟の判決を中心に、考察を進めて参ります。

 当日、私は、判決が出される時間がわからなかったことと、他の場所にも用事があったため、朝の9時半過ぎに大分地方裁判所へ行きました。13時10分からということで、他の用件を済ませたのですが、その間、今回の判決を予想していました。事実認定では日田市に歩があるのですが、市報べっぷに訂正記事を掲載せよという請求は認められないのではないか、と考えていました。自治体に名誉権があるのか否かという問題と、損害賠償請求が認められるかという問題とは、一応、別物と考えられます。そうすると、日田市敗訴の可能性も高い訳です。

 勿論、別府市敗訴の予想も立てました。その場合には、別府市が果たして控訴するのだろうか、今の別府市の政治状況を考えるならば、サテライト日田問題どころではないという話になるし、市議会の同意を得ることはできないだろう、そうすれば、控訴は無理で、判決は確定するだろう、と考えていました。

 12時30分ころ、大分地方裁判所に行くと、テレビ大分(TOS)の取材班が到着していました。私は、その方々と話をしていました。NHK大分、大分放送(OBS)、大分朝日放送(OAB)、朝日新聞大分支局の記者の方々も来られ、話などをしました。全く予想がつかないという意見は、記者の方々も同じように抱いていたようです。12時50分ころに日田市側の訴訟代理人である梅木哲弁護士が到着、すぐ後に日田市職員の方々が到着しました。一方、別府市のほうは、何故か内田健弁護士がおられず、別府市職員お一人だけだったようです。

 判決言い渡しということで、開廷前に写真撮影が行われました。報道関係者と日田市職員を除けば、傍聴席は私だけという状態です。

 そして、民事第1部の須田啓之裁判長が判決主文を読み上げました(理由は省略)。聞いた瞬間、驚きました。日田市の完全勝訴です。日田市職員の方も予想していなかったようでして、「やった!」とガッツポーズを(軽く)したほどです。何しろ、当初は日田市に原告適格があるかどうかが問題とされるという予想もありました。その点が何ら問題にされなかったことが、日田市の方々を驚かせたのです。しかし、私は、すぐに、事実の点などについて、この不定期連載で解説を加えましたように、別府市側の主張に一貫性がなく、日田市の主張に有効な反論をなしていなかったことを思い出しました。

 市報問題を知ったのは2000年の11月、私がこの問題について連載を始めて間もないころで(第2編も参照)、仮に別府市の主張が正しいとしても、市報でわざわざ競輪特集を行い、日田市を批判するとは完全なフライングではないかと思っていましたし(そんな市報の記事を見たことがなかったからです)、2001年3月に日田市役所を訪れた時に(第23編も参照)、当時、サテライト日田問題を担当されていた日野和明氏に資料をいただき、市報べっぷ2000年11月号の記事は、故意か過失かはともあれ、完全に誤っていると確信しました。この時の成果である「サテライト日田をめぐる自治体間対立と条例―日田市公営競技の場外券売場設置等による生活環境等の保全に関する条例―」(月刊地方自治職員研修2001年5月号27頁)でも、私は、「別府市は、この記事について、いまだ見解を明らかにしていない」と述べていますが、裁判の場では、市報べっぷの記事を拡大解釈するような見解を述べて、日田市の主張に正面から反論をしたものとは認められないような態度を取ったのです。

 これまで、この不定期連載では、第25編、第26編、第29編、第30編、第32編、第34編、第36編、第39編、第41編、そして第45編において、日田市対別府市訴訟を扱い、準備書面などについて検討を重ねて参りました〔但し、第39編(2002年3月5日)、第41編(2002年5月21日午前)、第45編(2002年9月10日)の分については、実際には傍聴しておりません〕。不十分な点も多いのですが、御参考になれば幸いです。

 さて、ここで判決の概要を紹介します。なお、この判決文は、朝日新聞大分支局の記者、白石昌幸氏の御協力を得て入手したものであることを記し、この場を借りて御礼を申し上げます。

 まず、主文は次の通りです。

 「1.被告は、原告に対し、被告が発行する『市報べっぷ』に、表題2号活字、本文3号活字として、別紙1記載のとおりの訂正記事を掲載せよ。」

 「2.訴訟費用は被告の負担とする。」

 日田市は、判決では別紙2に記載されている内容の請求をしました。参考までに、別紙1と別紙2の全文を紹介しておきましょう。

 ●別紙1の「訂正文」(判決で命令されたもの)

 「市報べっぷ」平成12年11月号「競輪特集・別府競輪はいま…」に、『②場外車券売場の通産大臣の設置許可まで、「サテライト日田」の場合3年を要した。反対するのであれば、日田市としては、本来、設置許可が出る前に、許可権者である通産大臣に対して明確な反対の意思表示をすべきだったのではないか』と、日田市が別府競輪場場外車券売場の設置許可まで通産大臣に対して明確な反対の意思表示をしなかった趣旨の記事を掲載しました。しかし、日田市は、平成8年9月に別府競輪場場外車券売場「サテライト日田」の設置が明らかになって以来、通産大臣に対してその設置反対の要望書を提出するなど、通産大臣の設置許可前から明確な反対の意思表示をしていました。

 事実に反する内容でしたので、訂正するとともに、日田市にご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。

 以  上

 ●別紙2の「訂正文」(日田市が請求していたもの)

 市報べっぷ平成12年11月号「競輪特集・別府競輪はいま…」に掲載された、『②場外車券売場の通産大臣の設置許可まで、「サテライト日田」の場合3年を要した。反対するのであれば、日田市としては、本来、設置許可が出る前に、許可権者である通産大臣に対して明確な反対の意思表示をすべきだったのではないか。』という箇所は事実に反する内容でしたので、次のとおり訂正するとともに、これが原因で日田市及び日田市民に多大なご迷惑をお掛けしたことをお詫びいたします。

 日田市は、平成8年9月に別府競輪場場外車券売場「サテライト日田」の設置が明らかになって以来、その設置は日田市の目指すまちづくりビジョンにそぐわず、青少年健全育成の環境、市民の生活に多大な影響を与えるとして設置反対の意思を表明していました。また、「公営競技の場外車券売場の設置に反対する決議」を市議会全員一致で決議するとともに、日田市長は平成9年1月13日、通商産業大臣に対し『「サテライト日田」の設置に反対する要望書』を提出する等、通商産業大臣の設置許可が出る前から明確な反対の意思表示をしていました。

 以後、日田市は再三に亘って、九州通産局、通商産業省に対し、設置反対の要望を行い、また市民総意で「サテライト日田」設置反対の行動を展開しています。

 読み比べますと、別紙1によれば日田市が明確な意思表示をしてきたことはわかりますが、具体的な取り組みが不明確になるという難点があります。また、別紙1では日田市民という言葉が抜けており、この点でも問題が残ります。おそらく、訂正記事掲載請求は実質的に謝罪文の掲載要求に等しいという別府市の意見を取り入れたのではないかと思われるのですが、やや不鮮明になったことは否めません。勿論、別紙1でも日田市の請求は十分に充たされていることになります。

 そればかりでなく、判決は、市報べっぷ2000年11月号掲載の記事が「事実に反する」ことを明確に認めています。しかも、それが少なくとも重過失によるものであると述べているのです。その他、まさか私がこのホームページで検討し、論じてきたことを参考にしたとは思えませんが、それでも私の主張と共通するような部分もありました。

 当日および翌日、各報道機関がこの判決を取り上げました。私の手元には、朝日新聞2002年11月20日付朝刊34面13版(社会面)、西日本新聞2002年11月20日付朝刊28面16版(社会面)・20面(大分)のコピーがあります。このうち、西日本新聞2002年11月20日付朝刊28面16版(社会面)のほうには、日田支局の南里義則氏の解説があり、その最後で「分権型社会に向けて地方の自立が迫られるなか、自治体の社会的評価、名誉権を認めた判決は時代の流れに沿うと言える」と、非常に高い評価を与えています。

 また、当事者である日田市の大石市長は、「市民、議会のサテライト反対への後押しが今日の結果につながった」という感想を述べておられ、梅木弁護士も「自治体の名誉権を認め、名誉回復のために訂正文の掲載まで認める画期的な判決」という評価をなされています(梅木氏は、閉廷直後、大分地方裁判所でのインタヴューでも同じ趣旨の発言をされています)。西日本新聞2002年11月20日付朝刊20面(大分)には、日田商工会議所専務理事の佐々木栄真氏、サテライト日田設置反対女性ネットワークの代表、高瀬由紀子氏も、全面勝利を喜ぶ旨のコメントを寄せています。

 一方、別府市の井上信幸市長は、「主張が認められず、大変遺憾。控訴する方向で検討したい」という短いコメントを出していますが、会見などは行われなかったとのことです。

 大分地方裁判所から大学へ向かい、研究室で、ひたの掲示板に判決の報告を記しました。その直後、朝日新聞大分支局の白石昌幸記者から連絡をいただきました。上記のように、判決文をファクシミリで送っていただいた上で、判決文を一読し、私の感想、評価などをメールでお届けいたしました。これは、まとめられた上で朝日新聞2002年11月20日付朝刊34面13版(社会面)に私のコメントとして掲載されました。「自治体広報の基準を示した」という小見出しが付けられています。

 「昨年2月、新潟県上越市が放送局などを訴えた裁判の判決で、新潟地裁高田支部は、一般論として地方公共団体にも名誉権が認められると示した。今回の判決は、さらに一歩踏み込んだもので画期的だ。誤った内容を広報の記事とすることは、日田市のみならず、日田市民に対する名誉毀損とも考えられる。/地方公共団体の広報のあり方について一つの基準を示したと評価できる。」(/は、原文改行箇所)

 広報のあり方という観点は、西日本新聞の解説記事と異なっています。これには理由があります。市町村の広報の場合、意外に編集者の裁量の幅が広く、法的な位置づけも明確ではないという点があります(このようなものについて、別府市側は「公権力の行使」などと主張したのです。行政法を最初から勉強しなおしていただきたいものです!)。また、この事件は、広報の場を借りて他の市町村を批判するという、あまり例のないものでして、しかもその広報の記事が、少なくとも結果的には虚偽であり、他の市町村の社会的評価を、一時的にではあれ、低下させたのでした(結果的には、日田市より別府市の社会的評価が低下しましたし、姿勢の混乱という結果をも招きましたが)。行政法学者の間でも、こうした別府市の行為には批判的な意見が強かったようです。

 さて、新聞記事に掲載された私のコメントは、私の感想や評価の一部分です。私が白石記者にメールでお知らせした内容を、勝手ながらここで紹介させていただきます。なお、一部ですが修正を加えています。

 (1)今日の判決内容は、総じて妥当である。 また、おそらく、これまでに類似の事案が存在していないであろうことからすれば、 画期的な判決でもある。

 (2)地方公共団体にも名誉権が認められることについては、既に上越市対東京放送 (TBS)訴訟で、新潟地方裁判所高田支部の判決が出されている。 しかし、この判決は一般論あるいは傍論として述べているだけであり、実際には上越市の請求は棄却された。 今日の判決は、被告も地方公共団体であり、しかも広報という手段によるものであるが、明確に日田市の名誉権を認め、別府市の責任を認めたということで、当然の内容だと思う。」

 (3)別府市は、日田市の主張に対し、なんら有効な反論をなしえなかったし、これ までの様々な主張には一貫性が欠けていたともいえるので、事実認定の部分についての判旨は妥当である。

 (4)判決文の8ページと9ページに「被告は地方公共団体であり、国民主権ないし 民主主義の観点から被告の他の地方公共団体に対する批判・論評を当該地方公共団体の住民その他の国民による批判・論評と同列に扱うことはできない」とある。ここまで踏み込んだ判断が出されるとは予想していなかったが、私も、かねてホーム ページなどで同旨を述べていた。

 (5)この判決は、今後、地方公共団体の広報のあり方について一つの基準を示したと評価できる。 少なくとも、事実誤認に重大な過失があるような場合、それを広報の記事とすることは、日田市のみならず、日田市民に対する名誉毀損とも考えられるからである。

 ここで、ようやく、判決文の「事実及び理由」の検討に入ります。「事実の概要」が1頁から3頁まで続きますが、この不定期連載をお読みの方であればおわかりだと思いますので、省略させていただきます。

 そして「争点」です。判決は、(1)原告の名誉権享有主体性、(2)本件記述の名誉毀損性、(3)本件記述の真実性及び故意・過失、(4)名誉回復措置の必要性、この4点にまとめた上で、判断を下しています。争点ごとに概観します。なお、判決文中には、それぞれの点についての日田市側と別府市側の主張を掲載していますが、これについても省略します。

 (1)原告の名誉権享有主体性

 判決は、地方公共団体も法人であって「行政目的のためになされる活動等は種々異なり、これを含めた評価の対象となり得るものであるから、それ自体一定の社会的評価を有しているし、取引主体ともなって社会的活動を行うについては、その社会的評価が 基礎になっていることは私法人の場合と同様であるから、名誉権の享有主体性が認められる」と判断しています。

 ここで注目すべき点は、判決が、公法人も私法、つまり、民法や商法などの分野において活動することがあるということを述べている点です。このような判断を示した判決は、過去に例がないのではないでしょうか。少なくとも、私はその例を知りません。この部分は、地方公共団体の名誉権侵害が問題とされるべき場面を限定していると解釈することが可能です。公法人は公権力行使の主体としての一面を有していますが、こうした場面では名誉権侵害が問題とはならないでしょうし、問題とされるべきではありません。この歯止めがなければ、逆に妥当性を欠くことにもなります。

 そして、既に私が評価している「被告は地方公共団体であり、国民主権ないし民主主義の観点から被告の他の地方公共団体に対する批判・論評を当該地方公共団体の住民その他の国民による批判・論評と同列に扱うことはできない」という部分につながります。これは、明らかに、別府市側の主張を強く批判している部分で、私も賛同します。実は、私自身、この不定期連載の第32編において、次のように述べていました。

 「別府市側の準備書面は、無視し難い錯誤を犯しています。市報に表現の自由が全くないとは言いませんが、他の市町村の『批判・論評する自由』は、私人に対して認められるものであって、地方公共団体に対して無制約に保障されるものというべきではないはずです。どうやら、名誉毀損について私人と地方公共団体との立場は異なると表明しながら、無意識に混同していないでしょうか。」

 判決も述べているように、別府市側の主張は、別府市が地方公共団体であることを忘れてあたかも一個人であるかのような内容になっているのです。私は、かねてから、この事件の場合は地方公共団体対地方公共団体であって、私人対私人の事案と同様に考えるべきであると述べて参りました。私人対国家の事案とは、明らかに性質が違うのです。

 (2)本件記述の名誉毀損性

 ここは、原告の名誉権享有主体性と切っても切れない関係にあり、基本的には同旨が妥当します。判決もその点を確認しています。その上で、市報べっぷ掲載記事は「原告の反対の意思表示が時機に遅れて適正でないとの印象を与えるものであるから、本件記述は原告の社会的評価を低下させるものと認められ、その名誉を毀損するものである」と述べています。

 別府市は、この点について表現の自由と名誉の保護との比較考量を持ち出していたのですが、判決は、別府市が地方公共団体であることを理由にして、別府市の主張を認めていません。当然のことでしょう。

 その上で、判決は、別府市の主張が「地方公共団体の行政運営に対する社会的評価とこれとは別の地方公共団体自身の社会的評価が峻別できることを前提とするものであるが、これらを果たして峻別できるかどうかははなはだ疑問である」と述べています。

 (3)本件記述の真実性及び故意・過失

 これは、私が第32編において別府市の主張に疑問を示しておいた部分と関係します。別府市は、日田市の請求について、「平成8年から9月から設置許可申請のあった平成9年7月までの日田市の行動や、平成8年12月20日の日田市の決議、平成9年1月13日の要望書の提出などについては、本件論評では全くふれていない部分であり、過大な要求」であるなどと主張し、本件論評は、同申請後3年間の行動についての認識とそれをふまえた批判である」と述べていました。しかし、市報掲載の記事を読む限り、問題となった箇所から、平成9年1月13日の要望書の提出などが論評されていないと読むことは、少々無理という気もしていました。

 判決は、市報べっぷ掲載記事の記述が「『設置許可が出る前に』意思表示をしていないと記述しているに過ぎず、その始期については何ら限定されていない」と断じています。そして、事実認定からしても別府市の主張は採用できないとしています。そして、日田市は「本件設置許可申請の前後を通じ、通産大臣に対して、書面によるか又は下部機関である九州通産局への口頭の申し入れを通じて、明確な反対の意思表示をしていたのであり、本件記述は真実に反するものと認められる」ということになります。

 判決が明快に指摘していますように、別府市が裁判で主張した記事の意図あるいは意味は、記事からでは読み取れません。後付けの理由なのか、文章表現上の問題なのか。前者であるとすれば責任の問題になりますし、後者であるとすれば責任とは別の重大問題です。この部分の判決を読んだ時、私の恩師である新井隆一先生(早稲田大学法学部名誉教授)が常日頃おっしゃられ、今は私が学生に対して話している「法律学は言葉の学問である」という言葉を思い出しました。

 さらに、判決は、日田市側が提出した証拠(甲第2号証ないし第6号証。)に依拠しつつ、「本件記述がされた当時、原告が実際には本件設置許可に先立って、同設置許可申請の前後を通じ、通産大臣に対して、書面によるか又は下部機関である九州通産局への口頭の申入れを通じて、明確な反対の意思表示をしていたことを被告は容易に認識し得たと認定でき、本件記述による名誉毀損について少なくとも重過失がある」と判断しています。

 このうちの甲第5号証が、2000年1月14日付で別府市長に宛てられた通商産業省機械情報産業局車両課長名義の「競輪場外車券売場(サテライト日田)の設置問題について」という文書で、甲第6号証が、同年2月25日付で通商産業省機械情報産業局車両課長に宛てられた別府市長名義の「確約書」です。先ほど、私が2001年3月に日田市役所を訪れた時に日野氏から資料をいただき、市報べっぷの記事が完全に誤っていると確信したと記しましたが、それはこの2点の資料のことです。今も、この資料を見た時の私自身の驚きと、日野氏の憤慨ぶりを思い出すほどです。私も、直接の当事者であれば、日野氏以上に怒りを覚えることでしょう。別府市は、訴訟の場において、日田市が提出した証拠を覆すようなものを、何一つ示していないのです。

 (4)名誉回復措置の必要性

 私が最も懸念していたのがこの点でした。判決は、まず「『サテライト日田』設に対する反対運動について原告住民の関心の高いこと」および「地方公共団体が多数の住民に配布する市報という社会的信頼性の高い刊行物に本件記述が掲載されたこと」を理由に、日田市の「社会的評価は大きく低下したと認められる」と判断しています。そして、これが別府市の「少なくとも重過失によるものである」という点を踏まえ、訂正記事の掲載が「相当である」と判断しています。

 また、別府市は、日田市が広報ひた号外(2001年3月15日付)に日田市の主張を掲載していること、日田市の主張を掲載した新聞報道がなされていることを主張していましたが、判決は「それらによっては、原告が本件記述が事実でない旨主張している事実は広く知られるものの、本件記述が事実でないと認識されるまでには至らないから、原告の社会的評価が回復されたとは到底いえず、上記訂正記事の掲載の必要性は失われない」と結論付けています。

 管見の限りですが、類似の事件があったとしても裁判で争われたことはなかったはずですし、あったとしても、ここまで認めた判決はないはずです。その意味では画期的です。しかし、市報の性質からすれば、この判断は妥当でしょう。市報は、いかなる編集形態によるものであれ、市の公式見解などを市民に示すものと考えるべきです。従って、そこには、表現の自由があるといっても相当に制約されたものしかありません。そして、仮に他の市町村を批判する自由が存在したとしても、結果的に虚偽の事実によってその市町村の評価を貶めるようなことがあってはなりません。市報の段階であれば、他の市町村であっても特定の私人であっても、対象としては同じような地位になります。

 さて、この判決を受けて、別府市はいかなる態度を示すのでしょうか。上記の通り、井上市長は控訴の意向を示しています。しかし、現在の別府市は、前市議会議長の政治的疑惑など、様々な問題を抱えています。控訴どころではないでしょう。来年、市長選挙が行われることをも考慮すれば、ここで控訴ということになれば、少なからぬ市民の反発も予想されます。そして、市議会も、2001年2月と同様に混乱する可能性が高くなります。

 控訴ということは、市の財政支出を伴うということです。地方自治法第96条第1項第12号は、普通地方公共団体(都道府県および市町村)の議会の議決事項として「当事者である審査請求その他の不服申立て、訴えの提起、和解、斡旋、調停及び仲裁に関すること」をあげており、控訴や上告については明示していません。そのために解釈に自信がないのですが、それを承知の上で考えてみます。

 今回、別府市は敗訴し、訴訟費用も負担することとなっています。控訴は「訴えの提起」ではないので、文字通りであれば議会の議決は不要とも考えられますが、控訴の場合であっても一定の費用を要することは「訴えの提起」の場合と変わりません。次に、控訴は高等裁判所に司法判断を求めることですから「訴えの提起」と類似します。さらに、控訴を「訴えの提起」と完全に区別するならば、首長以下の執行部に対する議会の統制権を弱めることになります。地方自治法第96条第1項第12号で「当事者」と規定されているのは、普通地方公共団体が被告ではなく、原告として裁判の当事者になることを想定しているからでしょう。そうであれば、控訴人は原告と同様に訴えを起こす側として捉えられるはずです。少なくとも、控訴に踏み切るのであれば、議会の同意を得なければ、地方自治、とくに議会制民主主義の趣旨を没却します。

 今、この記事を作成しながら、2000年6月にサテライト日田問題を知った時からのことを思い出しています。私自身にとっても、行政法学者として、そして、1997年4月からの大分県民として、この問題は大きなものでした。以前にも記しましたが、行政法学者としての私の原点を改めて見出したという思いがあります。そして、2000年12月9日の午後、別府市北浜から別府駅前までのサテライト日田設置反対デモ行進は、私にとっては、少なくとも2000年で最も印象的な出来事でしたし、大分大学に着任した1997年4月以来からでも、あの時ほど熱く、興奮していた私もなかったと思います。どこかで、参加されていた日田市民そして別府市民と一体となれたような気持ちがありました。それからもう2年が経とうとしていますが、地方分権が語られる現在、サテライト日田問題は我々に大きな何かを投げかけています。


(初出:2002年11月22日)

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第46編

 「地方分権の試金石」とも評されるサテライト日田設置許可無効等確認訴訟ですが〔「 」の中は、月刊ガバナンス2002年10月号(通巻18号)61頁の記事「サテライト日田事件で原告が『まちづくり権』を主張」によります〕、第44編において記したように、7月23日の口頭弁論では、最後に不穏な空気が流れました。再掲しておきますと、「最後に、寺井弁護士のほうから次々回の期日について申し立てがなされたのですが、裁判長は一方的に、次回の様子を見て決めるという趣旨の発言をして打ち切りました。これが、原告弁護団、そして木佐教授に不安を与えたようです。次回(10月1日)で口頭弁論が終結するという可能性もあるからです」。

 (余談ですが、月刊ガバナンスの記事には誤りがあります。口頭弁論の期日が10月2日となっていますが、以前から10月1日と決まっていました。)

 そして、この不安は的中しました。10月1日、口頭弁論が行われましたが、裁判長のほうから、突然、傍聴席にはあまりよく聞こえない声で「今回で結審する」という趣旨の発言がありました。正直に申し上げると、私は、7月23日以来、結審の可能性は高くなったと考えており、10月1日に結審すると予想していました。しかし、外れて欲しいと思っていました。民事訴訟でいう本案審理には全く入らないまま、終わることになるからです。これでは、設置許可手続の何が問題だったのかについて判断がなされず、不明瞭な形になってしまいます。そればかりでなく、経済産業省のあり方、競輪事業のあり方、まちづくり権の有無などの本質的な問題が放置されることになりかねません。この訴訟の行方によっては、地方自治、地方分権などといっても、結局のところは何も変わらない、それどころか、市町村合併などのことを考え合わせると、「環境ネットワーク奄美」の代表、薗博明氏が主張されるように「(市町村合併について―引用者注)今回も地方分権とか地方の主体性の強化と言っているけれど、国が地方を治めやすい方向に持っていこうとする意図が見えている」という結論に結びつきかねません〔薗氏の主張は、久岡学他著『「田舎の町村を消せ!」-市町村合併に抗うムラの論理』(2002年、南方新社)44頁によります〕。

 山場に入ったと思ったら急降下したような感もありますが、今回は、この口頭弁論の模様をお届けいたします。

 私が大分地方裁判所についたのは13時前です。この時、知っている人はまだ誰も来ていなかったのですが、13時を過ぎて、大分地方裁判所には日田市の関係者の方々など、大勢が集まりました。第1号法廷に入ると、傍聴席に空席があまりないような状態です。マスコミ関係者なども多かったようです。

1 3時32分、裁判長以下3名の裁判官が入廷し、口頭弁論が始まりました。今回は、日田市側からの準備書面はなく、経済産業省側から、9月24日付の第5準備書面が提出されております。

 今回の口頭弁論は、冒頭から異様でした。まず、書記官や事務官の声が聞こえないことはいつもの通りなのですが、裁判長の声がよく聞き取れません。これまでは、第1回目の口頭弁論で傍聴席から野次が飛んだこともあって、もう少しよく聞こえたものです。しかし、今回は、傍聴人の存在も完全に無視されています。後で伺ったところ、原告席に着かれていた大石市長も、寺井弁護士をはじめとする原告弁護団も、ところどころで聞き取れなかったようです。

 始まったと思ったら、経済産業省側の代理人によって準備書面の訂正が伝えられたのですが、これも何を言っているのかよくわからないほど聞き取りにくく、ようやく、何頁の何行目かだけがわかったという有様です。

 そして、被告側の陳述が終わった瞬間、裁判長が「結審する」という趣旨を述べました。そして、判決の言い渡しを来年1月28日に行うと述べました(実は、これも非常に聞き取りにくく、判決言渡日については口頭弁論終了後に確認したほどです 。時間については、今もわかりません)。そこで、寺井弁護士は、今回の第5準備書面について反論の機会を与えるように申し出ました。しかし、裁判長は、そのようなことなどが「裁判所が判断すべきこと」であるとして、却下しました。この時の様子は、まさに緊迫していたという表現が妥当するでしょう。この時傍聴していた日田市民の多くは、裁判長の訴訟指揮があまりに権力的、一方的にみえたはずです。寺井弁護士は、準備書面の節毎に、日田市側の主張を補充する必要性を述べたのですが、ことごとく却下されました。大石市長も、5万人以上の署名の件をあげて抗議したのですが、やはり却下されています。そこで、裁判官が退廷しようとした瞬間に、桑原弁護士により、裁判官の忌避が申し立てられました。この申し立てが認められるか否かはわかりませんが、さしあたりは今回で結審となりました。第1号法廷を出て玄関に向かった時、13時40分を過ぎていなかったので、実質的に5分ほどしか開かれなかったということになります。或る意味ではあまりにも呆気ない終わり方でした。

 これにより、7月23日に申し立てられた証人尋問、検証などは、結局、全て却下されたことになります。このことから、本案審理はなされないということになった訳です。この瞬間、私は、すぐにいかなる判決が出るかを予想することができました。しかし、今ここで記すことは控えます。

 その後、いつものように、大分地方裁判所の玄関前に、大石市長、寺井弁護士、日田市民の方々が集まりました。今回の口頭弁論については、ほとんどの方々が怒りを覚えられていたようです。そのことは、大石市長の挨拶からもうかがわれました。次に寺井弁護士が解説などをなされました。明らかに、裁判官の訴訟指揮に対する怒りの色が示されています。或る程度予想していたことではあったが、最悪の結果になったという趣旨が語られました。そして、新たな論点を用意し、新たな主張を展開すること、今後、判決の内容次第では控訴する可能性も示されました。また、忌避については、2日以内に行わなければならないこと、この忌避の申し立てが却下された場合には福岡高等裁判所への抗告、さらには最高裁判所への特別抗告も検討することが示されました。

 そして、今回は久しぶりに私も発言させていただきました。実は、今回の口頭弁論を傍聴して、私も興奮しておりました。この問題に関わるようになって、今回ほど興奮したことはありません。むしろ、最近の私はかなり冷静でした。第34編に記したように、昨年(2001年)の11月6日に経済産業大臣側の準備書面を読んだ時にも、驚いて「何だこれは!?」と叫んだことがありますが、その時以上に興奮していました。そのために、発言の内容をよく覚えていないのですが、今回の訴訟が原告適格だけで終わり、実体審理に入らなかったことへの不満を述べました。また、今回の第5準備書面(経済産業大臣側)の内容についても、問題点などを簡単に指摘したと記憶しています。そして、結果如何にかかわらず、この訴訟はまちづくりの第1段階であるという意見を述べ(以前からこうしたことを述べているつもりです)、終わらせていただきました。その場におられた方々に申し上げておきますと、今回は、行政法学者としてではなく、一大分県民としての発言と捉えていただきたいのです。

 さて、いよいよ、経済産業大臣側代理人から提出された第5準備書面の内容を紹介しましょう。そして、検討を加えて進めて参ります。既に述べたように、この準備書面は9月24日付となっているため、原告側が反論の準備書面を作成する余裕がなかったとのです。

 一読して、これまでの主張の繰り返しが基本的な内容であるということがわかります。これまで、経済産業省側からはあまり反論がなされていなかったのですが、今回は10頁(実質的には8頁と数行)にわたり、原告側が7月23日付で提出した準備書面(第5)に対して真正面から反論を試みています。

 まず、「第1」として「諸外国における自治権侵害を理由とする自治体の原告適格について」という節が設けられています。この不定期連載でも取り上げたように、原告側は、白藤博行教授、村上順教授、そして人見剛教授による鑑定書を提出しています。この中で、ドイツ、フランス、そしてアメリカの例などが紹介されています。被告側は、「第3準備書面の第1の2(2)において主張したとおり、我が国の裁判制度における地方公共団体の出訴権の有無は、我が国の判例及び判例に照らして判断すべきであり、法制度の異なる海外における実情によって直ちに本件における原告の原告適格の有無の判断が左右されるものでないことは明らかである」と述べ、原告側の主張をあっさりと一蹴しています。

 しかし、原告側の鑑定書でも引用されている、福島大学行政社会科学部の垣見隆禎助教授による「明治憲法下の自治体の行政訴訟」という論文(福島大学行政社会論集14巻2号に掲載)によれば、行政裁判所法の下で、地方自治体の原告適格が認められていました。問題にすらされていなかったのです(この点については、第40編も参照して下さい)。明治憲法で認められていたものが、どうして日本国憲法の下で認められないのか、という点について、被告側は何も述べていません。

 そもそも、行政事件訴訟法の規定を参照しても、地方自治体が被告になる場面が想定されているとはいえ(機関訴訟は別とします)、原告となることを否定する規定は存在しません。そのことから考えても、たとえ例外的であれ、地方自治体が抗告訴訟の原告となることは、法律上、直ちに否定されるべきものではないと考えられます。また、地方自治体が原告となった訴訟はほとんどなく、数少ない例の代表である摂津訴訟(東京高判昭和55年7月28日行裁例集31巻7号1558頁)や大牟田市電気税訴訟(福岡地判昭和55年6月5日訟務月報26巻9号1572頁)は損害賠償請求訴訟ですから、判例は参考になりません。

 次に、「第2 日本における地方自治体の原告適格について」という節です。原告側の主張は、日本国憲法や地方自治法によって地方自治体には自治権が保障されるべきであり、その侵害に対して司法的な救済が認められるべきであると主張しています。これに対し、被告側は、第1準備書面や第3準備書面を示しつつ、「憲法上の規定から直ちに地方公共団体に具体的権利を保障していると解することはできない」、地方自治法や地方分権推進法の規定は「宣言的・指針的性格を有するにすぎ」ないという主張が繰り返されています。その上で、「仮に地方自治体に一定の権利が認められるとしても、そのことから直ちに本件許可処分の取消しを求める原告適格が認められるものではない」とも述べています。

 「宣言的・指針的性格」については、第34編において疑問を示し、第37編においても私見を述べています。しかし、経済産業大臣側の論旨は、これまでの繰り返しに過ぎないため、主張の具体的な内容はよくわかりません。また、憲法の解釈については、たしかに、被告側が主張するような制度的保障説が通説であると言いえます。しかし、これだけでは、結局、地方自治であろうが地方分権であろうが国のさじ加減、ふところ加減で範囲と内容が決定されるということになります。この点については、北野弘久教授の新固有権説が参考になると思われます。大分大学で憲法の講義を担当している私は、何らかの形でこのあたりについて検討を加えたいと考えています。いずれにせよ、(省庁によって若干の差異があるとは言え)国が地方分権をいかなるものと考えているのか、おぼろげながら示されている主張です。

 ただ、次の点だけはここで確認しておきたいと思います。地方自治体のうち、都道府県および市町村は法人です。地方自治法第2条第1項にも明示されています。すなわち、人格的には国と別のものであるということなのです。勿論、個人とも別です。例えば、私は現在、大分県民であり、大分市民です。つまり、構成員です。しかし、私は大分県でもなければ大分市でもありません。そして、大分県と大分市とは別の法人です。地方分権改革が進められる前、機関委任事務という概念がありましたので、法人格の点は、ともすれば忘れられがちになるのですが、それは憲法の理念が半ば無視されていたにすぎません。

 制度的保障説を採った場合、地方自治法第2条第1項の規定と整合性があるのでしょうか。あるとすれば、どの程度なのでしょうか。実は、ここが大きな問題です。制度的保障論は、この点を見過ごしていたのではないでしょうか。

 勿論、法人とは、具体的な法によって人格を与えられた、自然人(生物としての人間を、法律学ではこう呼びます)以外の何かでして、そのことは民法第33条からも理解できます。その意味では、法人の存在自体、能力の中身などは、個々の法律によって規定されるのですから、制度的保障であると言えなくもありません。しかし、例えば株式会社の存在などについて憲法の制度的保障説を持ち出す人はいません(財産権の保障が制度的保障であると考えるならば、そこから導かれるかもしれませんが)。

 そして、制度的保障説は、地方公共団体を国の機関とした場合には、無理なく成立するのですが、国とは別の法人格を持つ団体と考えると、どこまで通用する理論なのか、と考えたのです。

 さらに言うならば、「宣言的・指針的性格」の強調は、地方自治法第2条第1項の趣旨と矛盾しないでしょうか。法人格を有する以上、公私の別を問わず、一定の権能が認められるべきものです。まして、都道府県及び市町村は、地域の住民から構成される社団法人です。自治権の存在自体を認めないということは、間接的ながら、その住民の人権の一部分を認めない、ということにならないでしょうか。住民自治的地方分権論の立場に身を置く場合、根本的問題がここにあると考えられます。

 第5準備書面では1頁に満たない部分について長きを割きました。次は「第3 原告適格について」の部分です。

 まず、第5準備書面は、判例(高速増殖炉もんじゅ設置許可取消訴訟についての最三小判平成4年9月22日民集46巻6号571頁、がけ崩れ事件についての最三小判平成9年1月28日民集51巻1号250頁)に言及し、行政事件訴訟法第9条について、いわゆる「法律上保護された利益説」に立つことを言明しています(但し、純粋なものではなく、「保護に値する利益説」の要素を加味したものです)。しかし、第5準備書面を読む限り、純粋な「法律上保護された利益説」ではないのかという疑問もあります。この点について、もう少し、中身を読んでみます。

 原告適格について、原告側は、「市議会の意思決定権」、「公営ギャンブルをめぐる財源獲得方法の決定権」、「教育・福祉・人権・快適な住環境をつくる権能」、「公安・公衆衛生・道路・環境保全の権能」を主張しているのですが、被告側は、これらについて自転車競技法によって保護される利益ではないと主張しています。

 さらに詳しくみますと、第一に「市議会の意思決定権」についてですが、被告側は、自転車競技法第4条について「場外車券売場の設置許可をなすに当たって当該場外車券売場の設置が予定されている場所の都道府県あるいは市町村の議会の場外車券売場設置同意の議決は要件とされていない」とした上で、「場外車券売場設置許可制度を通して都道府県あるいは市町村の議会の意思決定権なるものを保護すべきものとしている根拠は見当たらない」と述べ、この点で日田市の原告適格を認めることはできないと主張しています。なお、ここで、「意思決定権なるもの」という表現に御注意下さい。これは、そもそもそのようなものは存在しないという立場を示唆するものです。

 しかし、まさにここが自転車競技法の問題ではないでしょうか。事業を営む地方自治体の利益しか想定していないからです。また、市議会の意思決定権に否定的な見解については、先ほど述べた地方自治体の法人としての正確に鑑みると、疑問が残ります。ここは、本案審理での争点となるべきところでした。

 第二に、「公営ギャンブルをめぐる財源獲得方法の決定権」については、原告の主張が「必ずしも明確とはいい難い」としつつ、自転車競技法第1条にいう「地方財政の健全化」は「競輪事業を行う地方公共団体の財政の健全化」を指すと述べています。また、やはり原告が主張する「競輪事業を営まないことによって得られる地域環境的利益」が「法律上保護された利益」であると述べる根拠は法律に存在しないと述べています。

 たしかに、この点についての原告の主張には不明確な部分があるかもしれません。しかし、主張そのものは非常に簡単で、要するに地方自治体には「いかなる手段により、その財源を確保するかは当該自治体の基本的権能に属する」という言葉に尽きます。これは、考えようによっては当然のことでしょう。また、第34編においても述べましたように、自転車競技法第1条には「その他の公益」という文言があります。この点について、被告側は何も述べておりません。また、「地方財政の健全化」については、たしかに被告の主張するとおりでしょう(文言解釈からすれば、そういう結論しか得られません)。しかし、これでは場外車券売場の設置場所となる市町村の利益はどうでもよいもの、つまり、保障されなくてもよいものとなります。これも、法律自体が内包する問題です。ここは是非とも本案で審理して欲しかったところです。

 第三に、「教育・福祉・人権・快適な住環境をつくる権能」についてです。これについても、被告側は、原告適格の有無との関連が明確でないと指摘して、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(以下、風営法と略)第4条第2項第2号などと異なり、「文教施設あるいは医療施設の設置者の個別的利益を保護していると解することはできない」と述べています(ここでは最三小判平成6年9月27日判時1518号10頁が参照されています)。理由として、自転車競技法の目的が「地方財政の健全化」であること、「場外車券売場設置許可制度は、競争場(先ほど述べた、経済産業大臣指定代理人による訂正は、この言葉についてであると思われます。実は、この時の説明が、あまりに小さな声で聞き取りにくく、よくわからなかったのです。正しくは「競走場」か「競技場」でしょう)設置許可制度と同様に、申請にかかる施設の位置、構造及び設備が公安上及び競輪事業の運営上適当であるか否かを審査することを目的とするものである」ことがあげられております。その上で、自転車競技法施行規則第4条の3第1号に、風営法第4条第1項第2号に明示される「良好な風俗環境を保全するため」という文言がないこと、設置基準について「相当の距離」としているが具体的な距離が特定されていないことから、原告適格は認められないと述べております。

 しかし、それでは何故に場外車券売場についても許可申請書に図面などを添付させ、文教施設や医療施設の位置や名称を記載させるのでしょうか。しかも、自転車競技法施行規則第4条の2第2号は1km以内と明示しています。場外車券売場の存在が周辺の環境に多大な影響を与えるからに他ならないからではないでしょうか。経済産業大臣側の主張は「地方財政の健全化」をあげるだけで、全く説明になっていません。また、この主張は、まさしく純粋な「法律上保護された利益説」に立つものと考えられます。関連法規との関連などを結局のところは切り捨てているからです。

 第四に、「公安・公衆衛生・道路・環境保全の権能」について、被告側は、自転車競技法施行規則第4条の3第4号が「『周辺環境と調和したもの』というきわめて抽象的な文言を用いていること等」からして、原告の言う公衆衛生や環境保全ではなく、「競輪事業の円滑な運営に資することを目的とすべきである」と主張しています。

 この「きわめて抽象的な文言」という言い方自体、行政裁量(ここでは立法裁量、あるいは行政立法裁量)の観点からして問題とされるべきものです。また、「競輪事業の円滑な運営に資する」のであれば、周辺環境はいかなるものであってもよいということなのでしょうか。そうであれば、自転車競技法は悪法の部類に入ります。

 さらに、被告側は、場外車券売場設置許可制度の目的が上記の通りであり、「場外車券売場設置許可処分に」より「生命、身体の安全の安全が必然的に侵害されるおそれがあるという場合ではない」ことからも、日田市の原告適格を認めることはできないと述べています。この部分はいまひとつわかりにくいのですが、いずれにせよ、自転車競技法は競輪事業者の利益を保護するものであるという立場をとるものです。

 さて、原告適格については上記の通りなのですが、第5準備書面は「第4 自治体の迷惑施設の区域外越境的設置における協議の必要性」という節を置き、甲第28号証として提出された人見剛教授の鑑定書に示された論旨に対して全面的な反論を行っています。ここは、全文を引用して紹介しておきましょう。

 「原告は、本件許可処分の手続においては、地方自治法244条の3第1項の類推適用による、関係普通地方公共団体である原告との協議の手続がなされていないから、原告には原告適格が認められる旨主張しており(原告の準備書面(第5)の第6)、その意図するところは明確でないものの、一定の行政処分について、その根拠となった法律が第三者たる地方公共団体に参加的地位を認める場合には、原告適格を認めるべきであるという前提に立脚するものであると理解される(甲第28号証9、11、16~17ページ)。

 しかしながら、第三者に参加的地位が付与されていることは、当該法律がその第三者の法的利益に何らかの配慮をしているということはできるが、そのような参加的地位が認められているということから、直ちに原告適格を基礎付ける『法律上保護された利益』があるという結論を導くのは早計である。特に地方公共団体に参加的地位が認められている趣旨は、地方公共団体自体の利益を保護するというよりも、その背後にある住民の一般的利益を保護するという点にある場合が多いと考えられる。また、地方自治法244条の3は『公の施設』を設置する場合についての規定であるところ、本件のような『公の施設』であるとはいえず、かつ設置者も地方公共団体ではない場合に、同条を類推適用することは理論的に無理があるといわざるを得ない。したがって、地方自治法244条の3の類推適用を根拠とする原告の主張は到底採用することができるものではない。」

 長く引用したのは、おそらく、判決文もこれを引用するような形で判断を示すことが予想されるからです。ここで疑問となるのは、被告側の主張を妥当とした場合に、場外車券売場はいかなる性質のものかということです。たしかに、サテライト日田に照らし合わせてみると、設置者は別府市でなく、民間の建設業者です。しかし、設置者が車券を販売することはできません。あくまでも施設の賃貸者です。そして、別府市が車券を販売するのは「地方財政の健全化」を図るためです。従って、全く公的な性格を有しないと考えることには無理があります。実際、競輪事業による収益は、公的な目的のために支出されることになっています。詳しいことを覚えていないのですが、競馬事業について公共の福祉を図るものだとする判決がありました。このことも考え合わせると、公的性格がないという判断は妥当ではないと思われます。また、逆に公の施設ではないという主張が正当であるとすると、自転車競技法の構造には捩れがないでしょうか。「地方財政の健全化」を徹底するのであれば、設置許可申請者が民間業者であってもよいという主張には、よくわからない点が残ります。

 こうして、被告側は原告側に原告適格がないことを主張しました。そして、今回で大分地方裁判所での口頭弁論は打ち切られました。私としても、まだ納得のいかない部分が多く残っています。そして、日田市の主張が正しいのか経済産業省の主張が正しいのかについては、むしろ本案審理で明らかにして欲しかったのです。そうでなければ、多くの点が明らかにならないまま、この問題は終結してしまいます。

 最後に。この連載はまだまだ続けます。大分県民として、この訴訟の行方は追い続けなければなりません。ただ、この段階で非常に残念に思うのは、他ならぬ地元の問題について、大分大学の関係者で1回でも裁判を傍聴した人が、私の知る限りでは私しかいなかったことです。


(初出:2002年10月2日)

2025年5月20日火曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第45編

 このところ、ひたの掲示板を見ていると、サテライト日田設置反対運動、そして現在進められている日田市対経済産業大臣訴訟への批判が目に付きます。とくに、7月22日、日田市中央公民館にて行われた市民集会(第44編において記したとおり、私は参加しておりませんし、翌日になって新聞記事で知りました)については、税金の無駄遣い、さらには市民集会を役所と学者が利用しているなどという痛烈な口調の批判が書かれています(ここにいう学者に私が含まれているとすれば、即座に反論しなければなりません。即物的な利益などを目的とするのであれば、このような不定期連載を続けることなどいたしません)。これに対する反論は、残念ながら説得的なものではありません。両者ともに感情的な泥仕合を演じているような印象すら受けます。

 私は、この時の反対集会に参加しておりませんので、どのような状況であったのかを知りません。そのため、新聞報道、憶測や伝聞だけに基づいて何かを記すべきでないことは十分に承知しています。しかし、他ならぬひたの掲示板で反対集会などに批判的な意見が記されたということは、少なくとも、冷静な第三者に対してこの集会が何らかの問題を帯びているような印象を与えるようなものであったと推測させます。

 また、最近では、8月31日をもって閉店した岩田屋日田店、数年前のジャスコ進出問題(結局、日田市内には出店していません)などとの関連でサテライト日田設置反対運動への批判もなされています。これも、それほど説得力を持つとは言えず、むしろ飛躍が目立つくらいのものですが、商業圏としての日田が空洞化し、福岡や久留米などに買い物客が流れるという懸念(あるいは、現実)を示すものかもしれません。もっとも、そうであればサテライト日田の設置にはあまり意味がないということにもなります。

 さて、今回は、日田市対別府市訴訟について記しておきます。

 朝日新聞社のホームページ(大分版)は、9月11日付で「市報訂正訴訟地裁で結審」という記事(http://mytown.asahi.com/oita/news02.asp?kiji=2318)を掲載し、2002年9月10日(火)、 大分地方裁判所において日田市対別府市訴訟の最終口頭弁論が行われたと報じました。

 いつもの書き方と違う、と気づかれた方もおられるでしょう。実は、このことを知ったのは9月12日の朝です。つまり、今回の口頭弁論については全く知らなかったので、傍聴もできなかったのです。前回、つまり5月21日の午前中に行われた口頭弁論についても、事前に情報を得ることができず、2度も続けて、ということになります。私は当事者ではありませんし、ただの傍聴人には何らの権利もありませんので、仕方がないということでしょう。また、仮に、9月10日に口頭弁論が行われることを知っていたとしても、大学の公務が重なったために、行くことはできなかったのです。判決が11月19日に言い渡される予定であるとのことなので、その日には傍聴に行こうかと思っています。

 記事には日田市と別府市の主張が掲載されています。

 日田市:「地方公共団体にも社会的評価はあり、名誉棄損の対象になりうる。名誉回復は同一メディアである市報を通じて取られなければならない」

 別府市:「『行政運営の阻害、社会的評価の低下』などの具体的事実の主張・立証は行われず、訂正文は実質謝罪文で過大請求だ」

 いずれも、従来からの主張を繰り返すような内容となっております。そして、客観的にみれば、双方の主張にはそれぞれ理があると言わざるをえません(そもそも、名誉毀損というものは訴える側の主観に拠るところが、他の利益の主張に比してもかなり多く、具体的な事実を主張し、立証することは困難であるとも言えます)。第36編に記したところを再び援用させていただきつつ述べますと、日田市の主張については、広報ひた2001年3月15日号の表にも掲載されている通り、1999年から2000年5月31日までの動きが明確になっていないという問題点があります。おそらく、日田市としては、当時の通商産業省機械情報産業局車両課長から別府市長あてに出された2000年1月14日付の文書において「本場外車券売場(注:サテライト日田のこと)を予定している日田市においては、日田市、日田市議会及び地域住民が設置に反対しているところです」と記されており、「確約書」として2000年2月25日付で別府市長名により当時の通商産業省機械情報産業局長に提出された文書(別事第4-0574号)において「競輪場外車券売場(サテライト日田)については、日田市、日田市議会及び地元住民が設置に反対しており、また久留米市(久留米競輪場)との商圏調整についての合意形成も整ってない状況にあります」と記されていることを、「日田市、日田市議会及び地元住民」が反対運動を続けてきた事実を示すものと主張しているものと思われます。また、1997年12月2日、サテライト日田設置計画の一時凍結を当時の九州通産局が日田市に連絡していることからしても、1999年から2000年5月31日までの段階で表立った反対運動の足跡を示せなかったとしても、或る意味では当然のことかもしれません。しかし、経過を示すものとしては不十分であるきらいを免れないでしょう。

 ただ、市報(町村についても同じです)の名を借りて他市町村の行政運営などを批判する自由がどれだけ存在するのかという疑問は、今も残ります。市報の存在意義を考えていただきたいのです。まず、何よりもその市の行政、政策、財政状況などについて、住民にお知らせすることが広報の存在意義です。それに尽きると言ってもよいでしょう。場合によっては、国への請願事項、都道府県や他市町村への要望などを記事にすることもありえます。しかし、その場合であっても、自らの意向を押し通すために他市町村を攻撃することは、広報の意義から逸脱しかねません。とくに、サテライト日田設置問題についてはこのことが妥当します。仮に、日田市となっているところを市民団体などに置き換えてみます。主体が違うだけで中身は同じですから、市報が市民団体の活動などを批判することになります。とりもなおさず、反対派に対する行政側の攻撃に他なりません。明らかに市報掲載記事ではなくなります。

 そうすると、こうした記事を市報に掲載するということは、故意または過失によるものと考えざるをえません。

 或る市の方からうかがった話によると、地方自治体の広報の記事作成および編集には、担当者の意向など強く反映され、内容などについて明確なチェック体制は存在しないとのことです(本当かどうかわかりませんが)。


(初出:2002年9月14日)

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第44編

 梅雨明けして間もない2002年7月23日(火)、13時30分から、日田市対経済産業大臣訴訟の口頭弁論が、大分地方裁判所第1号法廷にて開かれました。今回は、この時の模様をお届けいたします。

 ただ、その前に、第43編において取り上げたサテライト六戸問題について、ここでもう一度記しておくこととします。

 7月2日付の東奥日報夕刊2面に、「六戸・場外車券場着工遅れ 事業者を聴取へ 東北経産局」という記事が掲載されました。この記事によると、サテライト六戸(同名の会社が設置を計画)は、経済産業省の設置許可を得てから2年4ヶ月以上経った現在でも着工されていないようです。そのため、東北経済産業局は、7月4日に設置許可申請をした会社から事情を聴くことを明らかにしたとのことです。実際に行われたか否かについてはわかりません。しかし、同局は、この会社が事業推進の意思を持っていると判断しており、よほどのことがなければ設置許可の撤回を考えていないようです。

 一方、会社のほうですが、用地買収を既に終えているとのことで、資金繰りの面でも目途がついたという趣旨を、東奥日報に対して示しています。8月中に着工するとのことですが、どうなるのか、注目していきたいと考えています。

 なお、東奥日報7月2日付夕刊2面の記事ですが、青森県上北郡六戸町に在住する方が私の研究室にコピーを送って下さりました。御本人の意向を汲み、お名前などの公表は差し控えます。お届け下さったことに、この場を借りて御礼を申し上げます。

 さて、サテライト日田問題に戻ることといたしましょう。

 7月22日、日田市中央公民館にてサテライト日田設置反対市民集会が行われました。私は、この集会のことを大分合同新聞2002年7月23日付朝刊朝F版21面の記事で知ったのですが、約500人が参加したそうです。記事によると、日田市長は「経済産業省を相手に起こした裁判は、核心を突く段階になると思う。設置反対に向け前進していこう」と挨拶し、原告弁護団が裁判の経過を報告したとのことです。 また、この集会は、私が確認した限りでは西日本新聞および毎日新聞でも扱われていますが、もう少し大きく報道されています(但し、いずれも木佐茂男先生がお持ちのコピーによるもので、西日本新聞大分版には掲載されていないようです)。 西日本新聞の記事は、同社のホームページ日田版に掲載されており、それによると、市長は「国は自立した地域づくりを目指す市町村合併を進めているが、サテライトの設置許可はその流れに逆行するもので同意できない」と述べたようです。また、木佐先生の研究報告も行われたとのことです。

 また、この訴訟と関係があるかどうかはわかりませんが、7月23日の午前中、おおいた・市民オンブズマン(原告)が別府市長(被告)を相手取って起こした情報公開訴訟(非公開処分取消請求訴訟)の判決言渡しがあり、原告の請求を棄却したようです。正午過ぎのNHKラジオ第一放送のニュース(大分ローカル)で知りました。裁判長がサテライト日田訴訟と同じ方です。

 13時前、日田市民、日田市長、原告弁護団などが続々と到着しました。今回は、九州大学大学院法学研究院教授の木佐茂男教授、そしてゼミ生の皆さんも来られました。傍聴人はかなり多かったと思われます。また、今回、原告弁護団は4人でした。

 6月に信山社から、木佐茂男教授編著(ゼミ生の共著)の『<まちづくり権>への挑戦―日田市場外車券売場訴訟を追う―』という書籍が出版されました。私も、日田市経由でいただきました(この場を借りて、木佐先生、そして日田市役所の方々に御礼を申し上げます)。この書籍には、資料提供者 および参考サイトなどとして私の名前が登場します。また、この本は甲第37号証として大分地方裁判所に提出されました。

 今回は、準備書面(第5)の他、書証として、甲第30号証(日田市長大石昭忠氏の陳述書)、甲第31号証(日田市議会議長室原基樹氏の陳述書)、甲第32号証(「サテライト日田」設置反対連絡会代表で日田商工会議所会頭の武内好高氏の陳述書)、甲第33号証(平成13年3月まで日田市総務部企画課課長補佐兼同課企画調整係長としてサテライト日田問題関係の事務を担当され、現在は経済部商工労政課長の日野和則氏の陳述書)、甲第34号証(「サテライト日田」設置反対女性ネットワーク代表の高瀬由紀子氏の陳述書)、甲第35号証(日田市連合育友会会長の佐藤里代氏の陳述書)、甲第36号証(西新宿競輪誘致反対の会代表の古川昭夫氏の陳述書。但し、大部にわたるとのことで、私を含めた傍聴人には配布されておりません)、そして甲第37号証(上述書籍)が提出されています。また、文書送付嘱託申立書、検証申立書(第一)、証拠申立書(第一)〔これは、証人の申立書です〕も提出されています。

 これらについて、例の通り、原告弁護団から説明がなされました。書証については寺井弁護士から、準備書面については木田弁護士から、文書送付嘱託申立書については別の男性弁護士から(お名前を記憶しておりません。申し訳ございません)、証拠申立書についてはおそらく中野弁護士から、説明がなされました。

 被告側からは、原告に対する反論を9月24日までに提出する旨が示されただけで、他に何の弁論もなされておりません。 不気味とも言えるし、不思議だとも言えます。多少の反論くらいは簡単に出来るはずだからです(どのように、ということについては、ここで記さないこととします)。あるいは、原告側によるこれまでの主張が、原告適格、および被告による設置許可の無効(許可に含まれる重大かつ明白な瑕疵)を立証するに十分でないということを意味するのかもしれません(余裕を持っているということでしょうか)。

 そして、最後に、寺井弁護士のほうから次々回の期日について申し立てがなされたのですが、裁判長は一方的に、次回の様子を見て決めるという趣旨の発言をして打ち切りました。 これが、原告弁護団、そして木佐教授に不安を与えたようです。次回(10月1日)で口頭弁論が終結するという可能性もあるからです。しかし、大分地方裁判所で情報公開訴訟を傍聴を繰り返している私の経験からすれば、訴訟の困難性の高さは当初から予想されていることです。それは、このホームページをお読みの方であれば察しがつくと思われます。実際、大分地方裁判所の判決が福岡高等裁判所で覆されることも少なくありません。

 さて、今回は大変です。原告側から提出された証拠が膨大だからです。これらの全てを扱うとすれば大変な長文となります。また、甲第37号証は公刊されている書籍ですから、このホームページで扱うのは不適当です。そこで、それ以外の書証などについて、適宜簡略化しつつ、紹介して参ります。

 7月23日に提出された原告側の書面は一覧としてまとめられており、そこに書かれている順番は、当日に説明が加えられた順番と若干異なります。ここでは、一覧のほうに即して概観しておきます。

 〔1〕準備書面(第5)

 これは、既に提出された鑑定意見書3通(白藤博行教授、村上順教授、人見剛教授)などの書証を踏まえて、主張の補充・追加などを行ったものです。 まず、白藤教授の鑑定意見書を基にして、ドイツにおける市町村(ゲマインデ)の原告適格を論じています。次に、村上教授の鑑定意見書を基にして、フランスにおける地方自治体の原告適格を論じています。また、人見教授の鑑定意見書を基に、アメリカにおける地方自治体の原告適格を論じています。

 そして、日本における地方自治体の原告適格です。準備書面(第5)では「第3 日本における地方自治体の原告適格について」という部分にあたります。

 (1)憲法の規定について

 まず、憲法の規定に触れています。準備書面(第5)は、「憲法92条より、国の法律は『地方自治の本旨』に反すれば違憲無効であって、『地方自治の本旨』を生かすように解釈運用されなければならない」という前提を置き、その上で「憲法の謳う『地方自治の本旨』は、自治権を不当な侵害から防衛する法規概念にとどまらず、地方自治体が国から独立して自主的に自治権に基づき地方自治制度を形成、運用することを積極的に誘導するものである」としています。

 実を申せば、私は、日本国憲法がどこまで地方分権を射程においているのか、地方財政などの点から疑問を持っています。憲法第93条および第94条を併せ読むと、日本国憲法が本当に中央集権でなく、地方分権を採用する憲法であると断言できないのではないのか、と考えられるのです。

 準備書面(第5)にも登場するドイツ連邦共和国基本法では、連邦、州、そしてゲマインデの財源を保障する規定が存在します。それでも、私の論文「財政調整法理論の成立と発展(1)―アルベルト・ヘンゼルの財政調整法理論を中心に―」(大分大学教育福祉科学部研究紀要第23巻第1号に掲載)において紹介しましたように、ドイツの政治学者レンチュ(Wolfgang Renzsch)は、ヴァイマール共和国が成立して間もないころに行われたエルツベルガー財政改革により「ドイツの連邦国家的な財政基本規範の一つの特徴は 、ワイマール憲法以後のドイツ憲法においては、連邦を構成する州に対して事実上、独自課税権(Steuerfindungsrecht)と租税立法権が認められていないという事情の中に現われている。この点が 、他の連邦国家と異なるところである」、そしてこの状態はドイツ連邦共和国においても基本的に変わらないという趣旨を述べています〔Wolfgang Renzsch, Finanzverfassung und Finanzausgleich, Die Auseinandersetzungen um ihre politische Gestaltung in der Bundesrepublik Deutschland zwischen Wahrungsreform und deutscher Vereinigung (1948~1990), S. 5. この本は、伊東弘文 教授によって邦訳され、九州大学出版会から1999年に『ドイツ財政調整発展史―戦後から統一まで―』 として出版されています。引用文は、邦訳版ではⅸ頁に掲載されており、ここでも邦訳版に従いました〕。まして、日本国憲法には、都道府県および市町村の自主財源を根本から保障するような規定が存在しません。この点については、いずれ、私自身の論文で詳しく論じるつもりです。

 また、この「地方自治の本旨」は曖昧な言葉です。憲法学界の通説は、これを団体自治と住民自治という二つの要素が含まれるものと解しています。しかし、これでもまだ不十分です。それだからこそ、ドイツの公法学者、カール・シュミット(Carl Schmitt)が提唱した制度的保障の規定であるとも解されるのです。制度的保障とは、「日本国憲法」講義ノート〔第3版〕第06回目において述べたように、憲法に定められた基本的人権の中心的な部分を立法権による侵害から守るというところに、その核心的な意味があります。そのため、例えば基本的人権の中心的な部分でない部分であれば、立法権による侵害(規制)が正当化されることもある のです。これは、地方自治のようなものについても同様です。というより、シュミット自身は、Verfassungslehreという著書(邦訳は『憲法論』と『憲法理論』の2種類)において、地方自治を取り上げて制度的保障論を扱っています。制度的保障の理論は、制度および基本的人権の中心的部分をいかに解するかにかかっているのです。

 日本国憲法は、たしかに地方自治を保障しています。しかし、議会の設置、議員などの公選制、財産管理、事務の処理、行政執行に関する権限、条例制定権しか定められていません。その上、条例制定権はあくまでも「法律の範囲内」に留められています。要するに、具体的なことは全て法律に委任しているのです。憲法の規定を素直に読めば、例えば憲法第93条第2項からは、法律の定め方次第で、都道府県知事や市町村長を公選制から任命制に改めることもできます。議員については公選制を定めているのですが、あとは「法律の定めるその他の吏員」について公選制を採用するという趣旨しか書かれていないからです(当初、教育委員について公選制が採られていたのに、僅か数年で任命制に改められたのは周知の通りです。これも、憲法第93条を素直に解釈すれば、当然に導き出される結論です)。1990年代前半のことですが、道州制の議論で、道および州の首長(これを知事と称してよいのか、よくわかりません)を任命制とするという提案がなされたことがあります。これは、それこそ「地方自治の本旨」からすれば望ましくないのでしょうが、違憲ではないと考えられます。少なくとも文理解釈からは、こうした結論が導かれます。このように考えると、日本国憲法がどこまで地方自治ないし地方分権を重視しているのか、疑問が増大します。仮に地方分権などを強く主張するというのであれば、憲法の改正が必要であると思われます。もっとも、このように考えると、現行の市町村制および都道府県制が憲法の要請するところであるのかという問題も生じてきます(現に、都道府県については、憲法が保障する制度であるか否かについて議論があります)。一部の憲法学者や政治学者は、大日本帝国憲法と日本国憲法の連続性を強調する見解を示していますが、一切の余計な装飾を取り外し、純粋に文理だけで解釈するならば、こうした見解にも妥当性はあります。

 これまで、この不定期連載で私が主張してきたことをお読みの方は、上記に対して相当の違和感を覚えられることでしょう。たしかに、今回は挑発的なことを記しておりますし、その意図もあります。しかし、これは、突発的なものではなく、日本国憲法といえども真に分析的・科学的な検証を経なければならないという私の基本的立場を公にしたものにすぎません。地方分権推進委員会などが唱えてきた地方分権論について、少なからぬ批判が寄せられるのですが(実は私もその一人ですが)、憲法の解釈からすれば当然に予想されるものです。私は地方分権論者の一人であると考えています。それだからこそ、日本国憲法の規定に不十分性を痛感するのです。そもそも、私は、法というものに「なしくずしの死」(MORT A CREDIT. フランスの作家Louis Ferdinand Celineが遺した小説の題名)は付き物であると考えています。問題は、「なしくずしの死」をもたらしやすいか否かです。第9条を引き合いに出すまでもなく、日本国憲法ほど「なしくずしの死」を招きやすいもの、言い換えると(多少の無理を伴うとは言え)どのようにでも解釈しうるものは、そう多くないでしょう(大日本帝国憲法にもその傾向がありました)。

 長々と私自身の見解を記してきました。本題に戻りましょう。日本国憲法が、地方自治について多くを法律に委ねている以上、地方自治法などの規定が重要となります。準備書面(第5)は、現行の地方自治法第2条第11項および第13項を引用し、「総合的に憲法原理を具体化するものであり」、「日本国憲法に定める自治権」を「具体的に確認」したものと評価しています。そして、「手続法的・訴訟法的救済が保障されないところの実体的権利保障は無意味なのであって、憲法及び地方自治法によって直接保障された自治権が侵害された場合には、その救済、回復を求めて地方自治体が出訴出来なければならない」と述べ、日田市の原告適格を裏付けようとしています。

 (2)日田市の原告適格(無効等確認訴訟および取消訴訟)

 まず、最高裁の判例を検討しています。援用するのは、最判平成元年2月17日民集43巻2号56頁(新潟空港訴訟際高裁判決)です。サテライト日田問題では、日田市住民、日田市長、そして日田市議会が設置反対の意思表示をしています。設置許可は日田市議会の意思決定権を損なうと評価されます。また、「地方自治体がいかなる手段により、その財源を確保するかは当該自治体の基本的権能に属する」のであり、公営競技に依拠するか否かも地方自治体の決定権限に属することであるとされます。また、地方自治体には「教育・福祉・人権・産業・快適な住環境を作る権能」、「公安、公衆衛生、道路、環境保全の権能」があり、サテライト日田のような施設が設置されることによってこれらが否定され、あるいは行使を義務づけられることになります。そして、地方自治法第1条の2第1項を援用しつつ、「地方自治体の、公安・公衆衛生・道路・環境保全・教育・福祉・産業・快適な住環境を作る権能など、広範囲に及ぶ権能の集体が『まちづくり権』である」として、サテライト日田設置許可処分がこのまちづくり権の「根幹を否定する」と主張しています。

 自転車競技法の目的などについても述べられています。これは、村上教授による論文「日田訴訟と自治体の出訴資格」〔自治総研281号(2002年3月号)18~41頁〕、および人見教授による鑑定意見書を基にしています。

 まず、自転車競技法第1条が掲げる目的の一つである地方自治体の財政基盤の強化が地方自治の目的と同じことであることに着目し、「自転車競技法が地方自治の確立を目標の一つとして掲げる法律であればこそ、そもそも自治体の権限を制約するような運用は許されるはずがない」と述べています。これを前提として、A市がB市に場外車券売場を設けるとすれば、B市が「競輪事業を営むことによって獲得されるはずの収益に多大の負の影響を及ぼす」ため、B市の財政上の利益は「『法律上保護された利益』と認められるべきであろう」と述べています。

 そして、人見教授の見解を援用しつつ、日田市が主張するのは「競輪事業を営まないことによって得られる地域環境的利益」であり、これは「競輪事業を営むことによって得られる財産的利益を放棄して獲得される利益」なのであるから「自転車競技法の定める目的及び経済産業大臣の許可制度に当然に予定され、そこに組み込まれている法律上の保護利益である」と主張しています。

 さらに、施行規則について述べています。この規則の第4条の3第1号が「文教上・保健衛生上の利益を保護する」ことは明白であり、しかもこの分野が自治体の事務処理では中心的な部分を占めることなどから、まちづくり権の保護を趣旨とすることが述べられています。また、第4条の3第4号にいう「周辺環境との調和」について、これが公益保護規定であるが故に「自治体のみが原告適格を有しうることの根拠になる」という人見教授の指摘を引用し、日田市の第4次総合計画をも参照しつつ、日田市の原告適格を基礎づけようとしています。

 (3)設置許可の法的性質

 実は、この部分における原告側の見解には、私の見解と異なる部分があるのではないかと思われます。第42編において述べたように、場外車券売場の設置許可を講学上の許可と捉えるには無理があります。私は講学上の認可と解しております。書面では村上教授の見解が引用されていますが、村上教授がどのような性質を念頭に置かれているのか、必ずしも明らかではありません。もっとも、「営業の自由に規制を加える風俗営業と比しても自転車競技法施行規則は営業に厳しい制限を加えて周辺環境へ配慮している」、「場外車券売場設置許可処分は、射倖性の高い‘ギャンブル=とばく’の違法性を阻却する例外的なものである」と論じられているのですが。

 許可であるか認可であるかは、本質的な問題ではないとも言いうるでしょう。準備書面は、自転車競技法施行規則第4条の3を「自治体のまちづくり権に配慮した『位置基準』『環境調和基準』を定める」として「経済産業大臣は『位置基準』『環境調和基準』に適合しない限り、許可決定をすることは出来ないのである」と述べています。そして、「場外車券売場の設置許可処分の判断にあたっては経済産業大臣の裁量は、自治体の基本計画・基本構想に示された地域特性に拘束されるのであり、これを損なう場合は経済産業省は不許可処分を下さなければならない」と述べ、浦和地判平成10年3月23日判時1689号58頁をも参照しています。

 〔2〕陳述書

 上述のように、7名の陳述書が提出されています。これについては、御要望をいただき次第、改めて紹介することとしようかと考えます。あるいは、機会を改めて、とすればよいでしょうか。

 〔3〕文書送付嘱託申立書

 これは、原告の立証を行うために被告が所持している文書の提出を要求するものです。具体的には、次の通りです。

 第一に、訴外(訴訟で当事者となっていない者を指す)会社が当時の通商産業大臣に対して設置許可の申請書を提出した際に添付された一切の資料です。設置許可を申請するからには、当然、自転車競技法第4条第1項・第2項および自転車競技法施行規則に従っているとされているはずであり、設置許可基準を満たしているとされているはずです。そして、実際にはどうなのかという点が問題となります。

 第二に、設置許可を審査する際に作成された決済伺文、決済文、添付資料など関連の資料全般です。設置許可の申請が基準を満たしているか否かについては、当然、資料に基づいて何らかの判断が文書に示されているはずです。そして、これらが残されているはずです。

 仮にこれらが存在しないとすると、故意か過失かは別として行政文書の不存在というおかしな事態になります。もっとも、設置許可の時点では情報公開法が施行されていないので、不存在の違法性を争うのは困難です。そのため、担当者であれば、情報公開法施行前に文書を破棄することを考えるかもしれません。残っていれば厄介なことになるかもしれないからです。実例を聞いたこともあります。情報公開法の施行にあたって保存年限を短縮したという例は数多く存在します。

 逆に、残されているとすれば、設置許可が「日田市の地域環境及びまちづくり権に配慮」をなしたものであるのか、手続的保障がなされているのかが問題となります。

 第三に、当時の通商産業省、訴外別府市、訴外会社でなされた協議などの内容を示す文書です。狙いは、第二と同じ点にあります。

 〔4〕検証申立書(第一)

 これは、サテライト日田の予定地(日田市大字友田字萩鶴976番地の1、977番地の1、954番地の10、954番地の12、986番の4)および周辺地域について、現況、道路状況、医療機関および学校の有無など、隣接する公道を利用する児童・生徒の状況、上下水道や動力電源などの供給状況などの検証を求めるものです。立証すべきものは、原告側によれば「サテライト日田建設予定地に別府競輪場場外車券売場が設置されることにより、近隣の生徒・児童らにギャンブルに関する悪影響を及ぼすこと、医療機関の利用者らに対して悪影響を及ぼすこと、本件土地周辺を通行する車両に渋滞等の影響を及ぼすこと、および、原告のまちづくり権を侵害し、原告としての受忍限度を超えた多大の行政事務および出費をもたらす事実」です。

 ただ、これについては、どの程度まで立証できるのかという問題が残ります。悪影響と言われますが、基本的には自己責任、あるいは家庭における躾の範疇であると考えられるからです(何でも施設など環境のせいにするのは、悪い思考方法です)。最近、時々思うのですが、公営競技に反対する心理の中に、青少年への悪影響を重要視する要素があり、これが一種のパターナリズム(訳に困るのですが、元々は父性を意味する言葉から派生したもので、家族主義、温情主義を意味します)になっていないでしょうか。日田市の反対運動がパターナリズムに堕すことのないよう、注文をつけておきましょう。仮にパターナリズムに支配されるようであれば、地方分権は良からぬ方向に走ります。

 〔5〕証拠申出書(第一)

 証人尋問を請求するものです。証人として求められているのは、平沼赳夫氏(経済産業大臣)、井上信幸氏(別府市長)、大石昭忠氏(日田市長)、室原基樹氏(日田市議会議長)、武内好高氏(日田市商工会議所会頭)、日野和則氏(日田市役所経済部商工労政課長)、高瀬由紀子氏(「サテライト日田」設置反対女性ネットワーク代表)、佐藤里代(日田市連合育友会会長)、古川昭夫氏(西新宿競輪施設誘致反対の会代表)、木佐茂男氏(九州大学大学院法学研究院教授)です。それぞれについて立証趣旨や尋問事項は異なるのですが、ここでは省略します。

 ただ、次の点だけは記しておきます。

 まず、尋問時間です。平沼氏については120分、井上氏および大石氏については90分間が要求されております。

 次に、平沼氏、井上氏および大石氏への尋問事項です。平沼氏については、設置許可の根拠法令と理由、2000年1月14日に当時の通商産業省車両課長名で出された別府市長への通知の経緯(私は、日田市対別府市訴訟のこともあり、ここに関心があります)、2000年6月7日に設置許可がなされた理由、サテライト日田設置許可が今も撤回(自転車競技法第4条第4項・第3条第7項では「取消し」)されていない理由などとなっています。井上氏については、サテライト日田設置を企画した理由、申請から許可までの3年間になされた交渉の経過、2001年2月の別府市議会で設置関連予算が否決された理由(これについては、第20編も参照して下さい)、現在の見解などです。一方、大石氏については、日田市の概況、まちづくり(日田市総合計画)の内容、サテライト日田が設置されることによって日田市が被る不利益、経済産業省や別府市との交渉過程などです。

 既に記したとおり、次回の口頭弁論は10月1日に行われます。いよいよ、この訴訟は一つの山場を迎えます。私は、大分県に在住する者として、今後も日田市および別府市の様子を見守っていきます。 そして、地方分権、およびまちづくりの権限を重要視しつつ、どちらのほうにも偏らない立場を維持していくつもりです。既に何度か記しているように、私は、競輪などの公営競技そのものを罪悪視する考え方を持っておりません。その市町村のまちづくりに合うというのであれば、反対する理由などありません。逆に、街並みを破壊するなど、深刻な影響を及ぼしかねないというのであれば、反対するしかありません。また、私がサテライト日田問題に深入りするようになったのは、競輪事業施行者である別府市の態度に疑問を感じたこと〔これについては、既に何度か記しています。第22編に収録した寄稿文「サテライト日田問題について(訴訟提起の議案可決を受けて) (2001年2月24日付読売新聞朝刊36面 大分地域ニュースに掲載)を参照して下さい〕、および、経済産業省の許可手続などに疑問を持ったことです。こうした状況と、豆田、淡窓地域の街並みを知っているからです。

 また、私にとって理解しかねるのは、何故、サテライト日田問題が中心街空洞化問題などと連動していないのかということです。これは、今回初めて記すことではありません。既に第6編にて指摘しておりますし、何度か、日田市の関係者や原告弁護団などに話をしています。まちづくりという観点からすれば、中心街空洞化問題は切実な問題です。実際、武内好高氏は、陳述書において「郊外型超大型店イオン日田ショッピングセンターの出店反対運動を展開」という一節を設け、2頁以上を割いています。サテライト日田設置予定地は、日田駅から3キロメートルほど離れています。日田市の規模からしても、この位置は郊外であり、中心街とは言えません。おそらく、今後の検証などにおいては触れられる点であると思われますが、場合によっては中心街空洞化問題をもう少し強く前に出すべきではないでしょうか。


(初出:2002年7月25日)

「ひろば 研究室別室」の移転について

   長らくgoo blogで続けてきましたが、あれこれと考えた結果、2025年8月7日より、はてなブログのほうで書いていくこととしました。何卒よろしくお願い申し上げます。  新しいアドレスは、次の通りです。   https://derkleineplatz8537.hatena...