ラベル アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第三部(2002年1月から12月まで) の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2025年5月22日木曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第48編

 第47編にて紹介し、検討いたしましたように、2002年11月19日(火)の13時10分、大分地方裁判所民事第1部は、日田市対別府市訴訟について日田市全面勝訴の判決を下しました。その日、別府市長は控訴の意向を示すコメントを発表しました。しかし、第47編において述べましたように、現在の別府市は、前市議会議長の政治的疑惑など、様々な問題を抱えており、少なくとも2001年2月のあの与党分裂以来、現在の別府市議会は少数与党という情勢です(その与党分裂については、第23編において取り上げております。第20編および第21編も御覧下さい)。控訴をすれば、2001年2月から3月にかけての別府市議会での混乱の再来は避けられません。それどころか、来年行われる市長選挙が近く、既に数名の立候補が予定されている中では、別府市政が未曾有の状況に追い込まれることも、十分に考えられます。

 さて、こうした状況において、別府市は控訴をするのでしょうか。

 今回の訴訟は、行政事件訴訟法によるものではなく、民法によるものですから、民事訴訟法が全面的に適用されます。もっとも、行政事件訴訟法には控訴などに関する規定が存在しませんので「民事訴訟の例による」ことになります(行政事件訴訟法第7条。実際には、民事訴訟法がそのまま適用されることが圧倒的に多いのです)。民事訴訟法第281条により、法人たる別府市は、今回の判決(「終局判決」)について控訴をなすことができます。但し、幾つかの条件が必要です。

 第一に、理由です。民事訴訟法第286条第1項により、別府市は控訴状を大分地方裁判所に提出しなければなりません。その控訴状には、大分地方裁判所判決の趣旨と「その判決に対して控訴をする旨」が示されていなければなりません(同第286条第2項第2号)。もっとも、この点については、おそらく、別府市の側に問題はないものと思われます。

 第二に、控訴期限です。別府市が抱えている問題は、こちらのほうです。民事訴訟法第285条によれば「控訴は、判決書又は第二百五十四条第二項の調書の送達を受けた日から二週間の不変期間内に提起しなければならない」とされています。送達は民事訴訟法第98条以下に規定されています。期間の計算については、民事訴訟法第95条第1項により、民法第1編第5章の規定に従うことになります。控訴の場合は、民法第139条および第140条によりますので、判決言渡日は初日に参入しません。そうすると、別府市は、12月3日(火)までに控訴を行わなければなりません。

 しかし、既に一週間以上経っている11月28日の時点において、別府市は控訴の手続を全く進めていません。それだけでなく、別府市が置かれている状況からして、控訴は困難であるという見方が強いようです。

 この点について、西日本新聞2002年11月29日付朝刊30面(大分)に掲載されている「サテライト日田市報訂正訴訟 別府市控訴、厳しい情勢」という記事によると、別府市助役の三浦義人氏は、28日、弁護士と相談をした上で控訴するか否かの結論を出したいという趣旨を述べたそうです。

 別府市議会議長の首藤正氏は、11月20日、つまり、判決が出された日の翌日に、市の総務部長に対し、控訴の場合には臨時市議会を開催するように、という趣旨の要請をしていました。しかし、市議会招集の手続は取られていません。このため、市長の専決処分によって控訴がなされるかもしれないという見通しが、三浦助役によって述べられました。仮にそうなるとすれば、これは「重大案件」であるために「与党少数の同士議会で井上市政に対する反発が強まるのは必至」であるため、「市議や市職員に『控訴は事実上不可能』という見方が広がっている」と、西日本新聞は報じています。

 このあたりの事情を、行政法学の観点から、いかに説明することができるでしょうか。

 第47編において、地方自治法第96条第1項第12号について考えてみました。そこにおいて、私は、次のように述べています。

 控訴ということは、市の財政支出を伴うということです。地方自治法第96条第1項第12号は、普通地方公共団体(都道府県および市町村)の議会の議決事項として「当事者である審査請求その他の不服申立て、訴えの提起、和解、斡旋、調停及び仲裁に関すること」をあげており、控訴や上告については明示していません。そのために解釈に自信がないのですが、それを承知の上で考えてみます。

 今回、別府市は敗訴し、訴訟費用も負担することとなっています。控訴は「訴えの提起」ではないので、文字通りであれば議会の議決は不要とも考えられますが、控訴の場合であっても一定の費用を要することは「訴えの提起」の場合と変わりません。次に、控訴は高等裁判所に司法判断を求めることですから「訴えの提起」と類似します。さらに、控訴を「訴えの提起」と完全に区別するならば、首長以下の執行部に対する議会の統制権を弱めることになります。地方自治法第96条第1項第12号で「当事者」と規定されているのは、普通地方公共団体が被告ではなく、原告として裁判の当事者になることを想定しているからでしょう。そうであれば、控訴人は原告と同様に訴えを起こす側として捉えられるはずです。少なくとも、控訴に踏み切るのであれば、議会の同意を得なければ、地方自治、とくに議会制民主主義の趣旨を没却します。

 今回は、松本英昭『新版逐条地方自治法』(2001年、学陽書房)という、おそらくは総務省関係者による解釈・見解の集大成とも言いうる定番の逐条解説書を参考にしつつ、別府市の控訴の可能性について検討を加えます。

 まず、地方自治法第96条第1項第12号について、上記逐条解説書322頁は「普通地方公共団体が民事上または行政上の争訟及びこれに準ずべきものの当事者となる場合に議会の議決を必要とする旨の規定である」と述べています。但し、この場合、条文では「訴えの提起」となっておりますから、普通地方公共団体(都道府県および市町村) が被告となる場合は含みません(第47編において述べたとおりです)。そして、「訴えの提起」は「第一審たる訴訟の提起のみならず、上訴の提起をも含むものである」とされています(同頁。なお、上訴とは、控訴と上告とをまとめた言い方です)。

 ただ、「第一審の訴訟提起の際の議決に当たつて議会が特に上訴につき改めて議会の議決を得べき旨を明確に示して議決した場合を除き、上訴につき改めて議決を経る必要はないものと」解釈されており、これについて、昭和5年(同書322頁からでは月日などが不明)の大審院判決が参照されています。

 しかし、今回、別府市は原告でなく、被告でしたから、この説明は妥当しません。そのため、第46編にて私の解釈を示しましたように、判決に不服があるとして控訴する場合、別府市は、市議会の議決を得る必要があります(同頁)。

 既に触れたように、別府市議会は、判決の翌日、市に対して臨時議会の開催を要請しています。しかし、詳しい事情は不明ですが、市側は議会の招集をしていません。地方自治法第101条第2項は、議会の招集について、原則として、都道府県であれば開会日の7日前、町村であれば3日前に告示をしなければならないと規定しています(但書で「急施を要する場合は、この限りではない」とされてはいますが)。市議会での討議が何日もかかるような案件とは思えませんので、臨時議会の招集は可能であったはずです。あるいは、市側としては、臨時議会を開催した場合、2001年2月と同様に否決される可能性が高いとみて、敢えて招集手続を取らなかったのかもしれません。しかし、そうであるとすると、地方自治法第179条第1項との関係で問題が生じてきます。

 この地方自治法第179条は、上記西日本新聞掲載記事に登場する専決処分の根拠条文です。規定を引用しておきましょう。

 第1項:普通地方公共団体の議会が成立しないとき、第百十三条但書の場合においてなお会議を開くことができないとき、普通地方公共団体の長において議会を招集する暇がないと認めるとき、又は議会において議決すべき事件を議決しないときは、当該普通地方公共団体の長は、その議決すべき事件を処分することができる。

 第2項:議会の決定すべき事件に関しては、前項の例による。

 第3項:前二項の規定による処置については、普通地方公共団体の長は、次の会議において、これを議会に報告し、その承認を求めなければならない。

 第1項にいう「議会を招集する暇がない」とは、議会を招集して議決を経るほどの時間的余裕がない場合、例えば、控訴期間が経過してしまうような場合、という意味です。但し、この判断は、長(都道府県知事、市町村長)の自由裁量に属するものではなく、羈束(きそく)裁量の事項であるというのが、上記逐条解説書による解釈です。私も、同じ解釈を採用したいと考えます。従って、市議会の同意が得られないと予想された場合であっても、そのことが専決処分を正当化する事由にならないはずです。

 さて、専決処分は、第1項において示されているように、本来であれば議会が議決すべき事項について、都道府県知事または市町村長が議会を経由せずに決定などを行う訳です。或る意味では緊急手段です。憲法第73条第3号に規定される条約の締結で、それ自体は内閣の職権に属する事柄であるとは言え、事前に国会の承認を得るだけの時間的余裕がなかった場合と似ています。おそらく、そのような理由のため、第3項によって議会の承認が求められることになるのでしょう。なお、ここでいう「次の会議」には、臨時会を含みます。

 専決処分について議会の承認が得られるならば、問題は生じません。しかし、承認が得られなかった場合には、専決処分の効力はどうなるのでしょうか。地方自治法には明文の規定がありません。本来、専決処分は、あくまでも議会制民主主義の例外ですから、議会の承認が得られなかったら専決処分は無効である、あるいは失効する、という解釈もできるでしょう。しかし、行政実例は、この場合、承認が得られなくとも専決処分の効力に影響がないという解釈を採用しています。その理由ですが、上記逐条解説書538頁は次のように説明しています。

 「本条の専決処分は、議決機関たる議会がその本来の職責を果たし得ない場合又は果たさない場合に長が補充的に議会に代わつてその機能を行うものであり、かつまた時間的に猶予できないために処分するものであるから、議会の承認が得られないためその処分が無効になるとすれば、すでに行われた処分に関係する者の利益を害し、行政の安定をそこない、当該処分の目的を達成することも不可能になる場合も考えられ、本条制定の趣旨が全く没却される虞れがあるからである。」

 勿論、「議会が専決処分そのものでなく、その処分の内容について不満があり承認を与えないような場合には、長にその政治的の責任は残るのであつて、後日、予算の修正、条例の否決、不信任決議等の原因となることも考えられる」とも述べられています。いずれにせよ、承認が得られなかったからといって、法的効力は否定されないということになります。この点も、憲法第73条第3号の解釈と類似します(条約の締結について、事後に国会の承認が得られなかったとしても、少なくとも条約の対外的効力は否定されません)。

 果たして、行政解釈が妥当であると言いうるのでしょうか。一般的な感覚からすれば、事後に議会の承認が得られなかったのに専決処分の法的効力が否定されないという結論は、議会制民主主義の否定につながると思われるでしょう。たしかに、そのように言える面はあります。議会の承認が得られないような専決処分が全く存在しないとは言えませんし、行政解釈では、議会のチェック機能を軽視することになり、行政の専横が増大する懸念が増えるかもしれません。

 しかし、議会の議決を経た処分によってであれ、専決処分によってであれ、処分がなされるならば、普通地方公共団体と他者との法的関係が形成されることになります。その場合、例えば、契約を考えますと、相手方にとっては、普通地方公共団体の内部的事情によって効力が左右されるようでは、安心して契約をなしえません。行政行為についても同様で、例えば、専決処分によって行政行為がなされるとして(そのような実例がどれほどあるのかわかりませんが)、議会の承認が得られなかったためにその行政行為が失効する、あるいは当初から無効であるとすれば、相手方の法的地位は著しく不安定になります。また、法的関係は複数成立しえますし、周辺にも新たな法的関係が築かれることになります。そのため、専決処分の法的効力を議会の承認にかからしめることは、多くの法的関係を否定することにもなり、不測の侵害を与えかねません。従って、ここでは行政実例の解釈を妥当としておきます。

 このように考えるならば、別府市は、12月2日または3日に、市長の専決処分として控訴手続を取ることができます。仮に専決処分が承認されないとしても、そのことから直ちに控訴の取り下げをするという義務が生じる訳ではありません(勿論、市議会の意向を尊重して自発的に控訴を取り下げることは可能です)。

 但し、これはあくまでも法的な話であって、政治的な側面は捨象しています。現在の別府市の状況を念頭に置くと、控訴は別府市政に一層の混乱を招くでしょう。

 別府市の状況は、裁判の場において図らずも示されたと言えます。別府市は、日田市の主張に対して何ら有効な反論をなしえなかったのです(控訴の場で新たな証拠を提出することも考えられなくはないのですが)。準備書面においても、判決が批判したように、別府市は、問題となった市報掲載記事について、文面からは到底読み取れそうもないような、相当に強引な解釈をせざるをえなかったのです。このような状態で控訴したとしても、別府市が勝訴するとは思えません。そればかりでなく、日田市民、そして少なからぬ別府市民から反発を招くだけでしょう。日田市の名誉権侵害が争われたとは言え、この問題で名誉なり評価なりを落としたのは、日田市というよりも別府市です。


(初出:2002年11月30日)

2025年5月21日水曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第47編

 このホームページの掲示板「公園通り」においても度々取り上げておりますように、最近、場外券売場(競馬、競輪、競艇など)に関する問題が各地で多く生じています。そのような中、サテライト日田問題は、全国的にも注目を浴びる代表例でもあり、その行方が他の事例にも何らかの影響を与える可能性が高いと思われます。また、行政法学の観点からも、地方分権に関する論点を多く含んでいますし、自治体間の対立についても一種のモデルケースとして考えることができるでしょう。

 今回は、自治体間の対立に焦点を置き、2002年11月19日(火)、13時10分、大分地方裁判所1号法廷にて出された日田市対別府市訴訟の判決を中心に、考察を進めて参ります。

 当日、私は、判決が出される時間がわからなかったことと、他の場所にも用事があったため、朝の9時半過ぎに大分地方裁判所へ行きました。13時10分からということで、他の用件を済ませたのですが、その間、今回の判決を予想していました。事実認定では日田市に歩があるのですが、市報べっぷに訂正記事を掲載せよという請求は認められないのではないか、と考えていました。自治体に名誉権があるのか否かという問題と、損害賠償請求が認められるかという問題とは、一応、別物と考えられます。そうすると、日田市敗訴の可能性も高い訳です。

 勿論、別府市敗訴の予想も立てました。その場合には、別府市が果たして控訴するのだろうか、今の別府市の政治状況を考えるならば、サテライト日田問題どころではないという話になるし、市議会の同意を得ることはできないだろう、そうすれば、控訴は無理で、判決は確定するだろう、と考えていました。

 12時30分ころ、大分地方裁判所に行くと、テレビ大分(TOS)の取材班が到着していました。私は、その方々と話をしていました。NHK大分、大分放送(OBS)、大分朝日放送(OAB)、朝日新聞大分支局の記者の方々も来られ、話などをしました。全く予想がつかないという意見は、記者の方々も同じように抱いていたようです。12時50分ころに日田市側の訴訟代理人である梅木哲弁護士が到着、すぐ後に日田市職員の方々が到着しました。一方、別府市のほうは、何故か内田健弁護士がおられず、別府市職員お一人だけだったようです。

 判決言い渡しということで、開廷前に写真撮影が行われました。報道関係者と日田市職員を除けば、傍聴席は私だけという状態です。

 そして、民事第1部の須田啓之裁判長が判決主文を読み上げました(理由は省略)。聞いた瞬間、驚きました。日田市の完全勝訴です。日田市職員の方も予想していなかったようでして、「やった!」とガッツポーズを(軽く)したほどです。何しろ、当初は日田市に原告適格があるかどうかが問題とされるという予想もありました。その点が何ら問題にされなかったことが、日田市の方々を驚かせたのです。しかし、私は、すぐに、事実の点などについて、この不定期連載で解説を加えましたように、別府市側の主張に一貫性がなく、日田市の主張に有効な反論をなしていなかったことを思い出しました。

 市報問題を知ったのは2000年の11月、私がこの問題について連載を始めて間もないころで(第2編も参照)、仮に別府市の主張が正しいとしても、市報でわざわざ競輪特集を行い、日田市を批判するとは完全なフライングではないかと思っていましたし(そんな市報の記事を見たことがなかったからです)、2001年3月に日田市役所を訪れた時に(第23編も参照)、当時、サテライト日田問題を担当されていた日野和明氏に資料をいただき、市報べっぷ2000年11月号の記事は、故意か過失かはともあれ、完全に誤っていると確信しました。この時の成果である「サテライト日田をめぐる自治体間対立と条例―日田市公営競技の場外券売場設置等による生活環境等の保全に関する条例―」(月刊地方自治職員研修2001年5月号27頁)でも、私は、「別府市は、この記事について、いまだ見解を明らかにしていない」と述べていますが、裁判の場では、市報べっぷの記事を拡大解釈するような見解を述べて、日田市の主張に正面から反論をしたものとは認められないような態度を取ったのです。

 これまで、この不定期連載では、第25編、第26編、第29編、第30編、第32編、第34編、第36編、第39編、第41編、そして第45編において、日田市対別府市訴訟を扱い、準備書面などについて検討を重ねて参りました〔但し、第39編(2002年3月5日)、第41編(2002年5月21日午前)、第45編(2002年9月10日)の分については、実際には傍聴しておりません〕。不十分な点も多いのですが、御参考になれば幸いです。

 さて、ここで判決の概要を紹介します。なお、この判決文は、朝日新聞大分支局の記者、白石昌幸氏の御協力を得て入手したものであることを記し、この場を借りて御礼を申し上げます。

 まず、主文は次の通りです。

 「1.被告は、原告に対し、被告が発行する『市報べっぷ』に、表題2号活字、本文3号活字として、別紙1記載のとおりの訂正記事を掲載せよ。」

 「2.訴訟費用は被告の負担とする。」

 日田市は、判決では別紙2に記載されている内容の請求をしました。参考までに、別紙1と別紙2の全文を紹介しておきましょう。

 ●別紙1の「訂正文」(判決で命令されたもの)

 「市報べっぷ」平成12年11月号「競輪特集・別府競輪はいま…」に、『②場外車券売場の通産大臣の設置許可まで、「サテライト日田」の場合3年を要した。反対するのであれば、日田市としては、本来、設置許可が出る前に、許可権者である通産大臣に対して明確な反対の意思表示をすべきだったのではないか』と、日田市が別府競輪場場外車券売場の設置許可まで通産大臣に対して明確な反対の意思表示をしなかった趣旨の記事を掲載しました。しかし、日田市は、平成8年9月に別府競輪場場外車券売場「サテライト日田」の設置が明らかになって以来、通産大臣に対してその設置反対の要望書を提出するなど、通産大臣の設置許可前から明確な反対の意思表示をしていました。

 事実に反する内容でしたので、訂正するとともに、日田市にご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。

 以  上

 ●別紙2の「訂正文」(日田市が請求していたもの)

 市報べっぷ平成12年11月号「競輪特集・別府競輪はいま…」に掲載された、『②場外車券売場の通産大臣の設置許可まで、「サテライト日田」の場合3年を要した。反対するのであれば、日田市としては、本来、設置許可が出る前に、許可権者である通産大臣に対して明確な反対の意思表示をすべきだったのではないか。』という箇所は事実に反する内容でしたので、次のとおり訂正するとともに、これが原因で日田市及び日田市民に多大なご迷惑をお掛けしたことをお詫びいたします。

 日田市は、平成8年9月に別府競輪場場外車券売場「サテライト日田」の設置が明らかになって以来、その設置は日田市の目指すまちづくりビジョンにそぐわず、青少年健全育成の環境、市民の生活に多大な影響を与えるとして設置反対の意思を表明していました。また、「公営競技の場外車券売場の設置に反対する決議」を市議会全員一致で決議するとともに、日田市長は平成9年1月13日、通商産業大臣に対し『「サテライト日田」の設置に反対する要望書』を提出する等、通商産業大臣の設置許可が出る前から明確な反対の意思表示をしていました。

 以後、日田市は再三に亘って、九州通産局、通商産業省に対し、設置反対の要望を行い、また市民総意で「サテライト日田」設置反対の行動を展開しています。

 読み比べますと、別紙1によれば日田市が明確な意思表示をしてきたことはわかりますが、具体的な取り組みが不明確になるという難点があります。また、別紙1では日田市民という言葉が抜けており、この点でも問題が残ります。おそらく、訂正記事掲載請求は実質的に謝罪文の掲載要求に等しいという別府市の意見を取り入れたのではないかと思われるのですが、やや不鮮明になったことは否めません。勿論、別紙1でも日田市の請求は十分に充たされていることになります。

 そればかりでなく、判決は、市報べっぷ2000年11月号掲載の記事が「事実に反する」ことを明確に認めています。しかも、それが少なくとも重過失によるものであると述べているのです。その他、まさか私がこのホームページで検討し、論じてきたことを参考にしたとは思えませんが、それでも私の主張と共通するような部分もありました。

 当日および翌日、各報道機関がこの判決を取り上げました。私の手元には、朝日新聞2002年11月20日付朝刊34面13版(社会面)、西日本新聞2002年11月20日付朝刊28面16版(社会面)・20面(大分)のコピーがあります。このうち、西日本新聞2002年11月20日付朝刊28面16版(社会面)のほうには、日田支局の南里義則氏の解説があり、その最後で「分権型社会に向けて地方の自立が迫られるなか、自治体の社会的評価、名誉権を認めた判決は時代の流れに沿うと言える」と、非常に高い評価を与えています。

 また、当事者である日田市の大石市長は、「市民、議会のサテライト反対への後押しが今日の結果につながった」という感想を述べておられ、梅木弁護士も「自治体の名誉権を認め、名誉回復のために訂正文の掲載まで認める画期的な判決」という評価をなされています(梅木氏は、閉廷直後、大分地方裁判所でのインタヴューでも同じ趣旨の発言をされています)。西日本新聞2002年11月20日付朝刊20面(大分)には、日田商工会議所専務理事の佐々木栄真氏、サテライト日田設置反対女性ネットワークの代表、高瀬由紀子氏も、全面勝利を喜ぶ旨のコメントを寄せています。

 一方、別府市の井上信幸市長は、「主張が認められず、大変遺憾。控訴する方向で検討したい」という短いコメントを出していますが、会見などは行われなかったとのことです。

 大分地方裁判所から大学へ向かい、研究室で、ひたの掲示板に判決の報告を記しました。その直後、朝日新聞大分支局の白石昌幸記者から連絡をいただきました。上記のように、判決文をファクシミリで送っていただいた上で、判決文を一読し、私の感想、評価などをメールでお届けいたしました。これは、まとめられた上で朝日新聞2002年11月20日付朝刊34面13版(社会面)に私のコメントとして掲載されました。「自治体広報の基準を示した」という小見出しが付けられています。

 「昨年2月、新潟県上越市が放送局などを訴えた裁判の判決で、新潟地裁高田支部は、一般論として地方公共団体にも名誉権が認められると示した。今回の判決は、さらに一歩踏み込んだもので画期的だ。誤った内容を広報の記事とすることは、日田市のみならず、日田市民に対する名誉毀損とも考えられる。/地方公共団体の広報のあり方について一つの基準を示したと評価できる。」(/は、原文改行箇所)

 広報のあり方という観点は、西日本新聞の解説記事と異なっています。これには理由があります。市町村の広報の場合、意外に編集者の裁量の幅が広く、法的な位置づけも明確ではないという点があります(このようなものについて、別府市側は「公権力の行使」などと主張したのです。行政法を最初から勉強しなおしていただきたいものです!)。また、この事件は、広報の場を借りて他の市町村を批判するという、あまり例のないものでして、しかもその広報の記事が、少なくとも結果的には虚偽であり、他の市町村の社会的評価を、一時的にではあれ、低下させたのでした(結果的には、日田市より別府市の社会的評価が低下しましたし、姿勢の混乱という結果をも招きましたが)。行政法学者の間でも、こうした別府市の行為には批判的な意見が強かったようです。

 さて、新聞記事に掲載された私のコメントは、私の感想や評価の一部分です。私が白石記者にメールでお知らせした内容を、勝手ながらここで紹介させていただきます。なお、一部ですが修正を加えています。

 (1)今日の判決内容は、総じて妥当である。 また、おそらく、これまでに類似の事案が存在していないであろうことからすれば、 画期的な判決でもある。

 (2)地方公共団体にも名誉権が認められることについては、既に上越市対東京放送 (TBS)訴訟で、新潟地方裁判所高田支部の判決が出されている。 しかし、この判決は一般論あるいは傍論として述べているだけであり、実際には上越市の請求は棄却された。 今日の判決は、被告も地方公共団体であり、しかも広報という手段によるものであるが、明確に日田市の名誉権を認め、別府市の責任を認めたということで、当然の内容だと思う。」

 (3)別府市は、日田市の主張に対し、なんら有効な反論をなしえなかったし、これ までの様々な主張には一貫性が欠けていたともいえるので、事実認定の部分についての判旨は妥当である。

 (4)判決文の8ページと9ページに「被告は地方公共団体であり、国民主権ないし 民主主義の観点から被告の他の地方公共団体に対する批判・論評を当該地方公共団体の住民その他の国民による批判・論評と同列に扱うことはできない」とある。ここまで踏み込んだ判断が出されるとは予想していなかったが、私も、かねてホーム ページなどで同旨を述べていた。

 (5)この判決は、今後、地方公共団体の広報のあり方について一つの基準を示したと評価できる。 少なくとも、事実誤認に重大な過失があるような場合、それを広報の記事とすることは、日田市のみならず、日田市民に対する名誉毀損とも考えられるからである。

 ここで、ようやく、判決文の「事実及び理由」の検討に入ります。「事実の概要」が1頁から3頁まで続きますが、この不定期連載をお読みの方であればおわかりだと思いますので、省略させていただきます。

 そして「争点」です。判決は、(1)原告の名誉権享有主体性、(2)本件記述の名誉毀損性、(3)本件記述の真実性及び故意・過失、(4)名誉回復措置の必要性、この4点にまとめた上で、判断を下しています。争点ごとに概観します。なお、判決文中には、それぞれの点についての日田市側と別府市側の主張を掲載していますが、これについても省略します。

 (1)原告の名誉権享有主体性

 判決は、地方公共団体も法人であって「行政目的のためになされる活動等は種々異なり、これを含めた評価の対象となり得るものであるから、それ自体一定の社会的評価を有しているし、取引主体ともなって社会的活動を行うについては、その社会的評価が 基礎になっていることは私法人の場合と同様であるから、名誉権の享有主体性が認められる」と判断しています。

 ここで注目すべき点は、判決が、公法人も私法、つまり、民法や商法などの分野において活動することがあるということを述べている点です。このような判断を示した判決は、過去に例がないのではないでしょうか。少なくとも、私はその例を知りません。この部分は、地方公共団体の名誉権侵害が問題とされるべき場面を限定していると解釈することが可能です。公法人は公権力行使の主体としての一面を有していますが、こうした場面では名誉権侵害が問題とはならないでしょうし、問題とされるべきではありません。この歯止めがなければ、逆に妥当性を欠くことにもなります。

 そして、既に私が評価している「被告は地方公共団体であり、国民主権ないし民主主義の観点から被告の他の地方公共団体に対する批判・論評を当該地方公共団体の住民その他の国民による批判・論評と同列に扱うことはできない」という部分につながります。これは、明らかに、別府市側の主張を強く批判している部分で、私も賛同します。実は、私自身、この不定期連載の第32編において、次のように述べていました。

 「別府市側の準備書面は、無視し難い錯誤を犯しています。市報に表現の自由が全くないとは言いませんが、他の市町村の『批判・論評する自由』は、私人に対して認められるものであって、地方公共団体に対して無制約に保障されるものというべきではないはずです。どうやら、名誉毀損について私人と地方公共団体との立場は異なると表明しながら、無意識に混同していないでしょうか。」

 判決も述べているように、別府市側の主張は、別府市が地方公共団体であることを忘れてあたかも一個人であるかのような内容になっているのです。私は、かねてから、この事件の場合は地方公共団体対地方公共団体であって、私人対私人の事案と同様に考えるべきであると述べて参りました。私人対国家の事案とは、明らかに性質が違うのです。

 (2)本件記述の名誉毀損性

 ここは、原告の名誉権享有主体性と切っても切れない関係にあり、基本的には同旨が妥当します。判決もその点を確認しています。その上で、市報べっぷ掲載記事は「原告の反対の意思表示が時機に遅れて適正でないとの印象を与えるものであるから、本件記述は原告の社会的評価を低下させるものと認められ、その名誉を毀損するものである」と述べています。

 別府市は、この点について表現の自由と名誉の保護との比較考量を持ち出していたのですが、判決は、別府市が地方公共団体であることを理由にして、別府市の主張を認めていません。当然のことでしょう。

 その上で、判決は、別府市の主張が「地方公共団体の行政運営に対する社会的評価とこれとは別の地方公共団体自身の社会的評価が峻別できることを前提とするものであるが、これらを果たして峻別できるかどうかははなはだ疑問である」と述べています。

 (3)本件記述の真実性及び故意・過失

 これは、私が第32編において別府市の主張に疑問を示しておいた部分と関係します。別府市は、日田市の請求について、「平成8年から9月から設置許可申請のあった平成9年7月までの日田市の行動や、平成8年12月20日の日田市の決議、平成9年1月13日の要望書の提出などについては、本件論評では全くふれていない部分であり、過大な要求」であるなどと主張し、本件論評は、同申請後3年間の行動についての認識とそれをふまえた批判である」と述べていました。しかし、市報掲載の記事を読む限り、問題となった箇所から、平成9年1月13日の要望書の提出などが論評されていないと読むことは、少々無理という気もしていました。

 判決は、市報べっぷ掲載記事の記述が「『設置許可が出る前に』意思表示をしていないと記述しているに過ぎず、その始期については何ら限定されていない」と断じています。そして、事実認定からしても別府市の主張は採用できないとしています。そして、日田市は「本件設置許可申請の前後を通じ、通産大臣に対して、書面によるか又は下部機関である九州通産局への口頭の申し入れを通じて、明確な反対の意思表示をしていたのであり、本件記述は真実に反するものと認められる」ということになります。

 判決が明快に指摘していますように、別府市が裁判で主張した記事の意図あるいは意味は、記事からでは読み取れません。後付けの理由なのか、文章表現上の問題なのか。前者であるとすれば責任の問題になりますし、後者であるとすれば責任とは別の重大問題です。この部分の判決を読んだ時、私の恩師である新井隆一先生(早稲田大学法学部名誉教授)が常日頃おっしゃられ、今は私が学生に対して話している「法律学は言葉の学問である」という言葉を思い出しました。

 さらに、判決は、日田市側が提出した証拠(甲第2号証ないし第6号証。)に依拠しつつ、「本件記述がされた当時、原告が実際には本件設置許可に先立って、同設置許可申請の前後を通じ、通産大臣に対して、書面によるか又は下部機関である九州通産局への口頭の申入れを通じて、明確な反対の意思表示をしていたことを被告は容易に認識し得たと認定でき、本件記述による名誉毀損について少なくとも重過失がある」と判断しています。

 このうちの甲第5号証が、2000年1月14日付で別府市長に宛てられた通商産業省機械情報産業局車両課長名義の「競輪場外車券売場(サテライト日田)の設置問題について」という文書で、甲第6号証が、同年2月25日付で通商産業省機械情報産業局車両課長に宛てられた別府市長名義の「確約書」です。先ほど、私が2001年3月に日田市役所を訪れた時に日野氏から資料をいただき、市報べっぷの記事が完全に誤っていると確信したと記しましたが、それはこの2点の資料のことです。今も、この資料を見た時の私自身の驚きと、日野氏の憤慨ぶりを思い出すほどです。私も、直接の当事者であれば、日野氏以上に怒りを覚えることでしょう。別府市は、訴訟の場において、日田市が提出した証拠を覆すようなものを、何一つ示していないのです。

 (4)名誉回復措置の必要性

 私が最も懸念していたのがこの点でした。判決は、まず「『サテライト日田』設に対する反対運動について原告住民の関心の高いこと」および「地方公共団体が多数の住民に配布する市報という社会的信頼性の高い刊行物に本件記述が掲載されたこと」を理由に、日田市の「社会的評価は大きく低下したと認められる」と判断しています。そして、これが別府市の「少なくとも重過失によるものである」という点を踏まえ、訂正記事の掲載が「相当である」と判断しています。

 また、別府市は、日田市が広報ひた号外(2001年3月15日付)に日田市の主張を掲載していること、日田市の主張を掲載した新聞報道がなされていることを主張していましたが、判決は「それらによっては、原告が本件記述が事実でない旨主張している事実は広く知られるものの、本件記述が事実でないと認識されるまでには至らないから、原告の社会的評価が回復されたとは到底いえず、上記訂正記事の掲載の必要性は失われない」と結論付けています。

 管見の限りですが、類似の事件があったとしても裁判で争われたことはなかったはずですし、あったとしても、ここまで認めた判決はないはずです。その意味では画期的です。しかし、市報の性質からすれば、この判断は妥当でしょう。市報は、いかなる編集形態によるものであれ、市の公式見解などを市民に示すものと考えるべきです。従って、そこには、表現の自由があるといっても相当に制約されたものしかありません。そして、仮に他の市町村を批判する自由が存在したとしても、結果的に虚偽の事実によってその市町村の評価を貶めるようなことがあってはなりません。市報の段階であれば、他の市町村であっても特定の私人であっても、対象としては同じような地位になります。

 さて、この判決を受けて、別府市はいかなる態度を示すのでしょうか。上記の通り、井上市長は控訴の意向を示しています。しかし、現在の別府市は、前市議会議長の政治的疑惑など、様々な問題を抱えています。控訴どころではないでしょう。来年、市長選挙が行われることをも考慮すれば、ここで控訴ということになれば、少なからぬ市民の反発も予想されます。そして、市議会も、2001年2月と同様に混乱する可能性が高くなります。

 控訴ということは、市の財政支出を伴うということです。地方自治法第96条第1項第12号は、普通地方公共団体(都道府県および市町村)の議会の議決事項として「当事者である審査請求その他の不服申立て、訴えの提起、和解、斡旋、調停及び仲裁に関すること」をあげており、控訴や上告については明示していません。そのために解釈に自信がないのですが、それを承知の上で考えてみます。

 今回、別府市は敗訴し、訴訟費用も負担することとなっています。控訴は「訴えの提起」ではないので、文字通りであれば議会の議決は不要とも考えられますが、控訴の場合であっても一定の費用を要することは「訴えの提起」の場合と変わりません。次に、控訴は高等裁判所に司法判断を求めることですから「訴えの提起」と類似します。さらに、控訴を「訴えの提起」と完全に区別するならば、首長以下の執行部に対する議会の統制権を弱めることになります。地方自治法第96条第1項第12号で「当事者」と規定されているのは、普通地方公共団体が被告ではなく、原告として裁判の当事者になることを想定しているからでしょう。そうであれば、控訴人は原告と同様に訴えを起こす側として捉えられるはずです。少なくとも、控訴に踏み切るのであれば、議会の同意を得なければ、地方自治、とくに議会制民主主義の趣旨を没却します。

 今、この記事を作成しながら、2000年6月にサテライト日田問題を知った時からのことを思い出しています。私自身にとっても、行政法学者として、そして、1997年4月からの大分県民として、この問題は大きなものでした。以前にも記しましたが、行政法学者としての私の原点を改めて見出したという思いがあります。そして、2000年12月9日の午後、別府市北浜から別府駅前までのサテライト日田設置反対デモ行進は、私にとっては、少なくとも2000年で最も印象的な出来事でしたし、大分大学に着任した1997年4月以来からでも、あの時ほど熱く、興奮していた私もなかったと思います。どこかで、参加されていた日田市民そして別府市民と一体となれたような気持ちがありました。それからもう2年が経とうとしていますが、地方分権が語られる現在、サテライト日田問題は我々に大きな何かを投げかけています。


(初出:2002年11月22日)

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第46編

 「地方分権の試金石」とも評されるサテライト日田設置許可無効等確認訴訟ですが〔「 」の中は、月刊ガバナンス2002年10月号(通巻18号)61頁の記事「サテライト日田事件で原告が『まちづくり権』を主張」によります〕、第44編において記したように、7月23日の口頭弁論では、最後に不穏な空気が流れました。再掲しておきますと、「最後に、寺井弁護士のほうから次々回の期日について申し立てがなされたのですが、裁判長は一方的に、次回の様子を見て決めるという趣旨の発言をして打ち切りました。これが、原告弁護団、そして木佐教授に不安を与えたようです。次回(10月1日)で口頭弁論が終結するという可能性もあるからです」。

 (余談ですが、月刊ガバナンスの記事には誤りがあります。口頭弁論の期日が10月2日となっていますが、以前から10月1日と決まっていました。)

 そして、この不安は的中しました。10月1日、口頭弁論が行われましたが、裁判長のほうから、突然、傍聴席にはあまりよく聞こえない声で「今回で結審する」という趣旨の発言がありました。正直に申し上げると、私は、7月23日以来、結審の可能性は高くなったと考えており、10月1日に結審すると予想していました。しかし、外れて欲しいと思っていました。民事訴訟でいう本案審理には全く入らないまま、終わることになるからです。これでは、設置許可手続の何が問題だったのかについて判断がなされず、不明瞭な形になってしまいます。そればかりでなく、経済産業省のあり方、競輪事業のあり方、まちづくり権の有無などの本質的な問題が放置されることになりかねません。この訴訟の行方によっては、地方自治、地方分権などといっても、結局のところは何も変わらない、それどころか、市町村合併などのことを考え合わせると、「環境ネットワーク奄美」の代表、薗博明氏が主張されるように「(市町村合併について―引用者注)今回も地方分権とか地方の主体性の強化と言っているけれど、国が地方を治めやすい方向に持っていこうとする意図が見えている」という結論に結びつきかねません〔薗氏の主張は、久岡学他著『「田舎の町村を消せ!」-市町村合併に抗うムラの論理』(2002年、南方新社)44頁によります〕。

 山場に入ったと思ったら急降下したような感もありますが、今回は、この口頭弁論の模様をお届けいたします。

 私が大分地方裁判所についたのは13時前です。この時、知っている人はまだ誰も来ていなかったのですが、13時を過ぎて、大分地方裁判所には日田市の関係者の方々など、大勢が集まりました。第1号法廷に入ると、傍聴席に空席があまりないような状態です。マスコミ関係者なども多かったようです。

1 3時32分、裁判長以下3名の裁判官が入廷し、口頭弁論が始まりました。今回は、日田市側からの準備書面はなく、経済産業省側から、9月24日付の第5準備書面が提出されております。

 今回の口頭弁論は、冒頭から異様でした。まず、書記官や事務官の声が聞こえないことはいつもの通りなのですが、裁判長の声がよく聞き取れません。これまでは、第1回目の口頭弁論で傍聴席から野次が飛んだこともあって、もう少しよく聞こえたものです。しかし、今回は、傍聴人の存在も完全に無視されています。後で伺ったところ、原告席に着かれていた大石市長も、寺井弁護士をはじめとする原告弁護団も、ところどころで聞き取れなかったようです。

 始まったと思ったら、経済産業省側の代理人によって準備書面の訂正が伝えられたのですが、これも何を言っているのかよくわからないほど聞き取りにくく、ようやく、何頁の何行目かだけがわかったという有様です。

 そして、被告側の陳述が終わった瞬間、裁判長が「結審する」という趣旨を述べました。そして、判決の言い渡しを来年1月28日に行うと述べました(実は、これも非常に聞き取りにくく、判決言渡日については口頭弁論終了後に確認したほどです 。時間については、今もわかりません)。そこで、寺井弁護士は、今回の第5準備書面について反論の機会を与えるように申し出ました。しかし、裁判長は、そのようなことなどが「裁判所が判断すべきこと」であるとして、却下しました。この時の様子は、まさに緊迫していたという表現が妥当するでしょう。この時傍聴していた日田市民の多くは、裁判長の訴訟指揮があまりに権力的、一方的にみえたはずです。寺井弁護士は、準備書面の節毎に、日田市側の主張を補充する必要性を述べたのですが、ことごとく却下されました。大石市長も、5万人以上の署名の件をあげて抗議したのですが、やはり却下されています。そこで、裁判官が退廷しようとした瞬間に、桑原弁護士により、裁判官の忌避が申し立てられました。この申し立てが認められるか否かはわかりませんが、さしあたりは今回で結審となりました。第1号法廷を出て玄関に向かった時、13時40分を過ぎていなかったので、実質的に5分ほどしか開かれなかったということになります。或る意味ではあまりにも呆気ない終わり方でした。

 これにより、7月23日に申し立てられた証人尋問、検証などは、結局、全て却下されたことになります。このことから、本案審理はなされないということになった訳です。この瞬間、私は、すぐにいかなる判決が出るかを予想することができました。しかし、今ここで記すことは控えます。

 その後、いつものように、大分地方裁判所の玄関前に、大石市長、寺井弁護士、日田市民の方々が集まりました。今回の口頭弁論については、ほとんどの方々が怒りを覚えられていたようです。そのことは、大石市長の挨拶からもうかがわれました。次に寺井弁護士が解説などをなされました。明らかに、裁判官の訴訟指揮に対する怒りの色が示されています。或る程度予想していたことではあったが、最悪の結果になったという趣旨が語られました。そして、新たな論点を用意し、新たな主張を展開すること、今後、判決の内容次第では控訴する可能性も示されました。また、忌避については、2日以内に行わなければならないこと、この忌避の申し立てが却下された場合には福岡高等裁判所への抗告、さらには最高裁判所への特別抗告も検討することが示されました。

 そして、今回は久しぶりに私も発言させていただきました。実は、今回の口頭弁論を傍聴して、私も興奮しておりました。この問題に関わるようになって、今回ほど興奮したことはありません。むしろ、最近の私はかなり冷静でした。第34編に記したように、昨年(2001年)の11月6日に経済産業大臣側の準備書面を読んだ時にも、驚いて「何だこれは!?」と叫んだことがありますが、その時以上に興奮していました。そのために、発言の内容をよく覚えていないのですが、今回の訴訟が原告適格だけで終わり、実体審理に入らなかったことへの不満を述べました。また、今回の第5準備書面(経済産業大臣側)の内容についても、問題点などを簡単に指摘したと記憶しています。そして、結果如何にかかわらず、この訴訟はまちづくりの第1段階であるという意見を述べ(以前からこうしたことを述べているつもりです)、終わらせていただきました。その場におられた方々に申し上げておきますと、今回は、行政法学者としてではなく、一大分県民としての発言と捉えていただきたいのです。

 さて、いよいよ、経済産業大臣側代理人から提出された第5準備書面の内容を紹介しましょう。そして、検討を加えて進めて参ります。既に述べたように、この準備書面は9月24日付となっているため、原告側が反論の準備書面を作成する余裕がなかったとのです。

 一読して、これまでの主張の繰り返しが基本的な内容であるということがわかります。これまで、経済産業省側からはあまり反論がなされていなかったのですが、今回は10頁(実質的には8頁と数行)にわたり、原告側が7月23日付で提出した準備書面(第5)に対して真正面から反論を試みています。

 まず、「第1」として「諸外国における自治権侵害を理由とする自治体の原告適格について」という節が設けられています。この不定期連載でも取り上げたように、原告側は、白藤博行教授、村上順教授、そして人見剛教授による鑑定書を提出しています。この中で、ドイツ、フランス、そしてアメリカの例などが紹介されています。被告側は、「第3準備書面の第1の2(2)において主張したとおり、我が国の裁判制度における地方公共団体の出訴権の有無は、我が国の判例及び判例に照らして判断すべきであり、法制度の異なる海外における実情によって直ちに本件における原告の原告適格の有無の判断が左右されるものでないことは明らかである」と述べ、原告側の主張をあっさりと一蹴しています。

 しかし、原告側の鑑定書でも引用されている、福島大学行政社会科学部の垣見隆禎助教授による「明治憲法下の自治体の行政訴訟」という論文(福島大学行政社会論集14巻2号に掲載)によれば、行政裁判所法の下で、地方自治体の原告適格が認められていました。問題にすらされていなかったのです(この点については、第40編も参照して下さい)。明治憲法で認められていたものが、どうして日本国憲法の下で認められないのか、という点について、被告側は何も述べていません。

 そもそも、行政事件訴訟法の規定を参照しても、地方自治体が被告になる場面が想定されているとはいえ(機関訴訟は別とします)、原告となることを否定する規定は存在しません。そのことから考えても、たとえ例外的であれ、地方自治体が抗告訴訟の原告となることは、法律上、直ちに否定されるべきものではないと考えられます。また、地方自治体が原告となった訴訟はほとんどなく、数少ない例の代表である摂津訴訟(東京高判昭和55年7月28日行裁例集31巻7号1558頁)や大牟田市電気税訴訟(福岡地判昭和55年6月5日訟務月報26巻9号1572頁)は損害賠償請求訴訟ですから、判例は参考になりません。

 次に、「第2 日本における地方自治体の原告適格について」という節です。原告側の主張は、日本国憲法や地方自治法によって地方自治体には自治権が保障されるべきであり、その侵害に対して司法的な救済が認められるべきであると主張しています。これに対し、被告側は、第1準備書面や第3準備書面を示しつつ、「憲法上の規定から直ちに地方公共団体に具体的権利を保障していると解することはできない」、地方自治法や地方分権推進法の規定は「宣言的・指針的性格を有するにすぎ」ないという主張が繰り返されています。その上で、「仮に地方自治体に一定の権利が認められるとしても、そのことから直ちに本件許可処分の取消しを求める原告適格が認められるものではない」とも述べています。

 「宣言的・指針的性格」については、第34編において疑問を示し、第37編においても私見を述べています。しかし、経済産業大臣側の論旨は、これまでの繰り返しに過ぎないため、主張の具体的な内容はよくわかりません。また、憲法の解釈については、たしかに、被告側が主張するような制度的保障説が通説であると言いえます。しかし、これだけでは、結局、地方自治であろうが地方分権であろうが国のさじ加減、ふところ加減で範囲と内容が決定されるということになります。この点については、北野弘久教授の新固有権説が参考になると思われます。大分大学で憲法の講義を担当している私は、何らかの形でこのあたりについて検討を加えたいと考えています。いずれにせよ、(省庁によって若干の差異があるとは言え)国が地方分権をいかなるものと考えているのか、おぼろげながら示されている主張です。

 ただ、次の点だけはここで確認しておきたいと思います。地方自治体のうち、都道府県および市町村は法人です。地方自治法第2条第1項にも明示されています。すなわち、人格的には国と別のものであるということなのです。勿論、個人とも別です。例えば、私は現在、大分県民であり、大分市民です。つまり、構成員です。しかし、私は大分県でもなければ大分市でもありません。そして、大分県と大分市とは別の法人です。地方分権改革が進められる前、機関委任事務という概念がありましたので、法人格の点は、ともすれば忘れられがちになるのですが、それは憲法の理念が半ば無視されていたにすぎません。

 制度的保障説を採った場合、地方自治法第2条第1項の規定と整合性があるのでしょうか。あるとすれば、どの程度なのでしょうか。実は、ここが大きな問題です。制度的保障論は、この点を見過ごしていたのではないでしょうか。

 勿論、法人とは、具体的な法によって人格を与えられた、自然人(生物としての人間を、法律学ではこう呼びます)以外の何かでして、そのことは民法第33条からも理解できます。その意味では、法人の存在自体、能力の中身などは、個々の法律によって規定されるのですから、制度的保障であると言えなくもありません。しかし、例えば株式会社の存在などについて憲法の制度的保障説を持ち出す人はいません(財産権の保障が制度的保障であると考えるならば、そこから導かれるかもしれませんが)。

 そして、制度的保障説は、地方公共団体を国の機関とした場合には、無理なく成立するのですが、国とは別の法人格を持つ団体と考えると、どこまで通用する理論なのか、と考えたのです。

 さらに言うならば、「宣言的・指針的性格」の強調は、地方自治法第2条第1項の趣旨と矛盾しないでしょうか。法人格を有する以上、公私の別を問わず、一定の権能が認められるべきものです。まして、都道府県及び市町村は、地域の住民から構成される社団法人です。自治権の存在自体を認めないということは、間接的ながら、その住民の人権の一部分を認めない、ということにならないでしょうか。住民自治的地方分権論の立場に身を置く場合、根本的問題がここにあると考えられます。

 第5準備書面では1頁に満たない部分について長きを割きました。次は「第3 原告適格について」の部分です。

 まず、第5準備書面は、判例(高速増殖炉もんじゅ設置許可取消訴訟についての最三小判平成4年9月22日民集46巻6号571頁、がけ崩れ事件についての最三小判平成9年1月28日民集51巻1号250頁)に言及し、行政事件訴訟法第9条について、いわゆる「法律上保護された利益説」に立つことを言明しています(但し、純粋なものではなく、「保護に値する利益説」の要素を加味したものです)。しかし、第5準備書面を読む限り、純粋な「法律上保護された利益説」ではないのかという疑問もあります。この点について、もう少し、中身を読んでみます。

 原告適格について、原告側は、「市議会の意思決定権」、「公営ギャンブルをめぐる財源獲得方法の決定権」、「教育・福祉・人権・快適な住環境をつくる権能」、「公安・公衆衛生・道路・環境保全の権能」を主張しているのですが、被告側は、これらについて自転車競技法によって保護される利益ではないと主張しています。

 さらに詳しくみますと、第一に「市議会の意思決定権」についてですが、被告側は、自転車競技法第4条について「場外車券売場の設置許可をなすに当たって当該場外車券売場の設置が予定されている場所の都道府県あるいは市町村の議会の場外車券売場設置同意の議決は要件とされていない」とした上で、「場外車券売場設置許可制度を通して都道府県あるいは市町村の議会の意思決定権なるものを保護すべきものとしている根拠は見当たらない」と述べ、この点で日田市の原告適格を認めることはできないと主張しています。なお、ここで、「意思決定権なるもの」という表現に御注意下さい。これは、そもそもそのようなものは存在しないという立場を示唆するものです。

 しかし、まさにここが自転車競技法の問題ではないでしょうか。事業を営む地方自治体の利益しか想定していないからです。また、市議会の意思決定権に否定的な見解については、先ほど述べた地方自治体の法人としての正確に鑑みると、疑問が残ります。ここは、本案審理での争点となるべきところでした。

 第二に、「公営ギャンブルをめぐる財源獲得方法の決定権」については、原告の主張が「必ずしも明確とはいい難い」としつつ、自転車競技法第1条にいう「地方財政の健全化」は「競輪事業を行う地方公共団体の財政の健全化」を指すと述べています。また、やはり原告が主張する「競輪事業を営まないことによって得られる地域環境的利益」が「法律上保護された利益」であると述べる根拠は法律に存在しないと述べています。

 たしかに、この点についての原告の主張には不明確な部分があるかもしれません。しかし、主張そのものは非常に簡単で、要するに地方自治体には「いかなる手段により、その財源を確保するかは当該自治体の基本的権能に属する」という言葉に尽きます。これは、考えようによっては当然のことでしょう。また、第34編においても述べましたように、自転車競技法第1条には「その他の公益」という文言があります。この点について、被告側は何も述べておりません。また、「地方財政の健全化」については、たしかに被告の主張するとおりでしょう(文言解釈からすれば、そういう結論しか得られません)。しかし、これでは場外車券売場の設置場所となる市町村の利益はどうでもよいもの、つまり、保障されなくてもよいものとなります。これも、法律自体が内包する問題です。ここは是非とも本案で審理して欲しかったところです。

 第三に、「教育・福祉・人権・快適な住環境をつくる権能」についてです。これについても、被告側は、原告適格の有無との関連が明確でないと指摘して、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(以下、風営法と略)第4条第2項第2号などと異なり、「文教施設あるいは医療施設の設置者の個別的利益を保護していると解することはできない」と述べています(ここでは最三小判平成6年9月27日判時1518号10頁が参照されています)。理由として、自転車競技法の目的が「地方財政の健全化」であること、「場外車券売場設置許可制度は、競争場(先ほど述べた、経済産業大臣指定代理人による訂正は、この言葉についてであると思われます。実は、この時の説明が、あまりに小さな声で聞き取りにくく、よくわからなかったのです。正しくは「競走場」か「競技場」でしょう)設置許可制度と同様に、申請にかかる施設の位置、構造及び設備が公安上及び競輪事業の運営上適当であるか否かを審査することを目的とするものである」ことがあげられております。その上で、自転車競技法施行規則第4条の3第1号に、風営法第4条第1項第2号に明示される「良好な風俗環境を保全するため」という文言がないこと、設置基準について「相当の距離」としているが具体的な距離が特定されていないことから、原告適格は認められないと述べております。

 しかし、それでは何故に場外車券売場についても許可申請書に図面などを添付させ、文教施設や医療施設の位置や名称を記載させるのでしょうか。しかも、自転車競技法施行規則第4条の2第2号は1km以内と明示しています。場外車券売場の存在が周辺の環境に多大な影響を与えるからに他ならないからではないでしょうか。経済産業大臣側の主張は「地方財政の健全化」をあげるだけで、全く説明になっていません。また、この主張は、まさしく純粋な「法律上保護された利益説」に立つものと考えられます。関連法規との関連などを結局のところは切り捨てているからです。

 第四に、「公安・公衆衛生・道路・環境保全の権能」について、被告側は、自転車競技法施行規則第4条の3第4号が「『周辺環境と調和したもの』というきわめて抽象的な文言を用いていること等」からして、原告の言う公衆衛生や環境保全ではなく、「競輪事業の円滑な運営に資することを目的とすべきである」と主張しています。

 この「きわめて抽象的な文言」という言い方自体、行政裁量(ここでは立法裁量、あるいは行政立法裁量)の観点からして問題とされるべきものです。また、「競輪事業の円滑な運営に資する」のであれば、周辺環境はいかなるものであってもよいということなのでしょうか。そうであれば、自転車競技法は悪法の部類に入ります。

 さらに、被告側は、場外車券売場設置許可制度の目的が上記の通りであり、「場外車券売場設置許可処分に」より「生命、身体の安全の安全が必然的に侵害されるおそれがあるという場合ではない」ことからも、日田市の原告適格を認めることはできないと述べています。この部分はいまひとつわかりにくいのですが、いずれにせよ、自転車競技法は競輪事業者の利益を保護するものであるという立場をとるものです。

 さて、原告適格については上記の通りなのですが、第5準備書面は「第4 自治体の迷惑施設の区域外越境的設置における協議の必要性」という節を置き、甲第28号証として提出された人見剛教授の鑑定書に示された論旨に対して全面的な反論を行っています。ここは、全文を引用して紹介しておきましょう。

 「原告は、本件許可処分の手続においては、地方自治法244条の3第1項の類推適用による、関係普通地方公共団体である原告との協議の手続がなされていないから、原告には原告適格が認められる旨主張しており(原告の準備書面(第5)の第6)、その意図するところは明確でないものの、一定の行政処分について、その根拠となった法律が第三者たる地方公共団体に参加的地位を認める場合には、原告適格を認めるべきであるという前提に立脚するものであると理解される(甲第28号証9、11、16~17ページ)。

 しかしながら、第三者に参加的地位が付与されていることは、当該法律がその第三者の法的利益に何らかの配慮をしているということはできるが、そのような参加的地位が認められているということから、直ちに原告適格を基礎付ける『法律上保護された利益』があるという結論を導くのは早計である。特に地方公共団体に参加的地位が認められている趣旨は、地方公共団体自体の利益を保護するというよりも、その背後にある住民の一般的利益を保護するという点にある場合が多いと考えられる。また、地方自治法244条の3は『公の施設』を設置する場合についての規定であるところ、本件のような『公の施設』であるとはいえず、かつ設置者も地方公共団体ではない場合に、同条を類推適用することは理論的に無理があるといわざるを得ない。したがって、地方自治法244条の3の類推適用を根拠とする原告の主張は到底採用することができるものではない。」

 長く引用したのは、おそらく、判決文もこれを引用するような形で判断を示すことが予想されるからです。ここで疑問となるのは、被告側の主張を妥当とした場合に、場外車券売場はいかなる性質のものかということです。たしかに、サテライト日田に照らし合わせてみると、設置者は別府市でなく、民間の建設業者です。しかし、設置者が車券を販売することはできません。あくまでも施設の賃貸者です。そして、別府市が車券を販売するのは「地方財政の健全化」を図るためです。従って、全く公的な性格を有しないと考えることには無理があります。実際、競輪事業による収益は、公的な目的のために支出されることになっています。詳しいことを覚えていないのですが、競馬事業について公共の福祉を図るものだとする判決がありました。このことも考え合わせると、公的性格がないという判断は妥当ではないと思われます。また、逆に公の施設ではないという主張が正当であるとすると、自転車競技法の構造には捩れがないでしょうか。「地方財政の健全化」を徹底するのであれば、設置許可申請者が民間業者であってもよいという主張には、よくわからない点が残ります。

 こうして、被告側は原告側に原告適格がないことを主張しました。そして、今回で大分地方裁判所での口頭弁論は打ち切られました。私としても、まだ納得のいかない部分が多く残っています。そして、日田市の主張が正しいのか経済産業省の主張が正しいのかについては、むしろ本案審理で明らかにして欲しかったのです。そうでなければ、多くの点が明らかにならないまま、この問題は終結してしまいます。

 最後に。この連載はまだまだ続けます。大分県民として、この訴訟の行方は追い続けなければなりません。ただ、この段階で非常に残念に思うのは、他ならぬ地元の問題について、大分大学の関係者で1回でも裁判を傍聴した人が、私の知る限りでは私しかいなかったことです。


(初出:2002年10月2日)

2025年5月20日火曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第45編

 このところ、ひたの掲示板を見ていると、サテライト日田設置反対運動、そして現在進められている日田市対経済産業大臣訴訟への批判が目に付きます。とくに、7月22日、日田市中央公民館にて行われた市民集会(第44編において記したとおり、私は参加しておりませんし、翌日になって新聞記事で知りました)については、税金の無駄遣い、さらには市民集会を役所と学者が利用しているなどという痛烈な口調の批判が書かれています(ここにいう学者に私が含まれているとすれば、即座に反論しなければなりません。即物的な利益などを目的とするのであれば、このような不定期連載を続けることなどいたしません)。これに対する反論は、残念ながら説得的なものではありません。両者ともに感情的な泥仕合を演じているような印象すら受けます。

 私は、この時の反対集会に参加しておりませんので、どのような状況であったのかを知りません。そのため、新聞報道、憶測や伝聞だけに基づいて何かを記すべきでないことは十分に承知しています。しかし、他ならぬひたの掲示板で反対集会などに批判的な意見が記されたということは、少なくとも、冷静な第三者に対してこの集会が何らかの問題を帯びているような印象を与えるようなものであったと推測させます。

 また、最近では、8月31日をもって閉店した岩田屋日田店、数年前のジャスコ進出問題(結局、日田市内には出店していません)などとの関連でサテライト日田設置反対運動への批判もなされています。これも、それほど説得力を持つとは言えず、むしろ飛躍が目立つくらいのものですが、商業圏としての日田が空洞化し、福岡や久留米などに買い物客が流れるという懸念(あるいは、現実)を示すものかもしれません。もっとも、そうであればサテライト日田の設置にはあまり意味がないということにもなります。

 さて、今回は、日田市対別府市訴訟について記しておきます。

 朝日新聞社のホームページ(大分版)は、9月11日付で「市報訂正訴訟地裁で結審」という記事(http://mytown.asahi.com/oita/news02.asp?kiji=2318)を掲載し、2002年9月10日(火)、 大分地方裁判所において日田市対別府市訴訟の最終口頭弁論が行われたと報じました。

 いつもの書き方と違う、と気づかれた方もおられるでしょう。実は、このことを知ったのは9月12日の朝です。つまり、今回の口頭弁論については全く知らなかったので、傍聴もできなかったのです。前回、つまり5月21日の午前中に行われた口頭弁論についても、事前に情報を得ることができず、2度も続けて、ということになります。私は当事者ではありませんし、ただの傍聴人には何らの権利もありませんので、仕方がないということでしょう。また、仮に、9月10日に口頭弁論が行われることを知っていたとしても、大学の公務が重なったために、行くことはできなかったのです。判決が11月19日に言い渡される予定であるとのことなので、その日には傍聴に行こうかと思っています。

 記事には日田市と別府市の主張が掲載されています。

 日田市:「地方公共団体にも社会的評価はあり、名誉棄損の対象になりうる。名誉回復は同一メディアである市報を通じて取られなければならない」

 別府市:「『行政運営の阻害、社会的評価の低下』などの具体的事実の主張・立証は行われず、訂正文は実質謝罪文で過大請求だ」

 いずれも、従来からの主張を繰り返すような内容となっております。そして、客観的にみれば、双方の主張にはそれぞれ理があると言わざるをえません(そもそも、名誉毀損というものは訴える側の主観に拠るところが、他の利益の主張に比してもかなり多く、具体的な事実を主張し、立証することは困難であるとも言えます)。第36編に記したところを再び援用させていただきつつ述べますと、日田市の主張については、広報ひた2001年3月15日号の表にも掲載されている通り、1999年から2000年5月31日までの動きが明確になっていないという問題点があります。おそらく、日田市としては、当時の通商産業省機械情報産業局車両課長から別府市長あてに出された2000年1月14日付の文書において「本場外車券売場(注:サテライト日田のこと)を予定している日田市においては、日田市、日田市議会及び地域住民が設置に反対しているところです」と記されており、「確約書」として2000年2月25日付で別府市長名により当時の通商産業省機械情報産業局長に提出された文書(別事第4-0574号)において「競輪場外車券売場(サテライト日田)については、日田市、日田市議会及び地元住民が設置に反対しており、また久留米市(久留米競輪場)との商圏調整についての合意形成も整ってない状況にあります」と記されていることを、「日田市、日田市議会及び地元住民」が反対運動を続けてきた事実を示すものと主張しているものと思われます。また、1997年12月2日、サテライト日田設置計画の一時凍結を当時の九州通産局が日田市に連絡していることからしても、1999年から2000年5月31日までの段階で表立った反対運動の足跡を示せなかったとしても、或る意味では当然のことかもしれません。しかし、経過を示すものとしては不十分であるきらいを免れないでしょう。

 ただ、市報(町村についても同じです)の名を借りて他市町村の行政運営などを批判する自由がどれだけ存在するのかという疑問は、今も残ります。市報の存在意義を考えていただきたいのです。まず、何よりもその市の行政、政策、財政状況などについて、住民にお知らせすることが広報の存在意義です。それに尽きると言ってもよいでしょう。場合によっては、国への請願事項、都道府県や他市町村への要望などを記事にすることもありえます。しかし、その場合であっても、自らの意向を押し通すために他市町村を攻撃することは、広報の意義から逸脱しかねません。とくに、サテライト日田設置問題についてはこのことが妥当します。仮に、日田市となっているところを市民団体などに置き換えてみます。主体が違うだけで中身は同じですから、市報が市民団体の活動などを批判することになります。とりもなおさず、反対派に対する行政側の攻撃に他なりません。明らかに市報掲載記事ではなくなります。

 そうすると、こうした記事を市報に掲載するということは、故意または過失によるものと考えざるをえません。

 或る市の方からうかがった話によると、地方自治体の広報の記事作成および編集には、担当者の意向など強く反映され、内容などについて明確なチェック体制は存在しないとのことです(本当かどうかわかりませんが)。


(初出:2002年9月14日)

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第44編

 梅雨明けして間もない2002年7月23日(火)、13時30分から、日田市対経済産業大臣訴訟の口頭弁論が、大分地方裁判所第1号法廷にて開かれました。今回は、この時の模様をお届けいたします。

 ただ、その前に、第43編において取り上げたサテライト六戸問題について、ここでもう一度記しておくこととします。

 7月2日付の東奥日報夕刊2面に、「六戸・場外車券場着工遅れ 事業者を聴取へ 東北経産局」という記事が掲載されました。この記事によると、サテライト六戸(同名の会社が設置を計画)は、経済産業省の設置許可を得てから2年4ヶ月以上経った現在でも着工されていないようです。そのため、東北経済産業局は、7月4日に設置許可申請をした会社から事情を聴くことを明らかにしたとのことです。実際に行われたか否かについてはわかりません。しかし、同局は、この会社が事業推進の意思を持っていると判断しており、よほどのことがなければ設置許可の撤回を考えていないようです。

 一方、会社のほうですが、用地買収を既に終えているとのことで、資金繰りの面でも目途がついたという趣旨を、東奥日報に対して示しています。8月中に着工するとのことですが、どうなるのか、注目していきたいと考えています。

 なお、東奥日報7月2日付夕刊2面の記事ですが、青森県上北郡六戸町に在住する方が私の研究室にコピーを送って下さりました。御本人の意向を汲み、お名前などの公表は差し控えます。お届け下さったことに、この場を借りて御礼を申し上げます。

 さて、サテライト日田問題に戻ることといたしましょう。

 7月22日、日田市中央公民館にてサテライト日田設置反対市民集会が行われました。私は、この集会のことを大分合同新聞2002年7月23日付朝刊朝F版21面の記事で知ったのですが、約500人が参加したそうです。記事によると、日田市長は「経済産業省を相手に起こした裁判は、核心を突く段階になると思う。設置反対に向け前進していこう」と挨拶し、原告弁護団が裁判の経過を報告したとのことです。 また、この集会は、私が確認した限りでは西日本新聞および毎日新聞でも扱われていますが、もう少し大きく報道されています(但し、いずれも木佐茂男先生がお持ちのコピーによるもので、西日本新聞大分版には掲載されていないようです)。 西日本新聞の記事は、同社のホームページ日田版に掲載されており、それによると、市長は「国は自立した地域づくりを目指す市町村合併を進めているが、サテライトの設置許可はその流れに逆行するもので同意できない」と述べたようです。また、木佐先生の研究報告も行われたとのことです。

 また、この訴訟と関係があるかどうかはわかりませんが、7月23日の午前中、おおいた・市民オンブズマン(原告)が別府市長(被告)を相手取って起こした情報公開訴訟(非公開処分取消請求訴訟)の判決言渡しがあり、原告の請求を棄却したようです。正午過ぎのNHKラジオ第一放送のニュース(大分ローカル)で知りました。裁判長がサテライト日田訴訟と同じ方です。

 13時前、日田市民、日田市長、原告弁護団などが続々と到着しました。今回は、九州大学大学院法学研究院教授の木佐茂男教授、そしてゼミ生の皆さんも来られました。傍聴人はかなり多かったと思われます。また、今回、原告弁護団は4人でした。

 6月に信山社から、木佐茂男教授編著(ゼミ生の共著)の『<まちづくり権>への挑戦―日田市場外車券売場訴訟を追う―』という書籍が出版されました。私も、日田市経由でいただきました(この場を借りて、木佐先生、そして日田市役所の方々に御礼を申し上げます)。この書籍には、資料提供者 および参考サイトなどとして私の名前が登場します。また、この本は甲第37号証として大分地方裁判所に提出されました。

 今回は、準備書面(第5)の他、書証として、甲第30号証(日田市長大石昭忠氏の陳述書)、甲第31号証(日田市議会議長室原基樹氏の陳述書)、甲第32号証(「サテライト日田」設置反対連絡会代表で日田商工会議所会頭の武内好高氏の陳述書)、甲第33号証(平成13年3月まで日田市総務部企画課課長補佐兼同課企画調整係長としてサテライト日田問題関係の事務を担当され、現在は経済部商工労政課長の日野和則氏の陳述書)、甲第34号証(「サテライト日田」設置反対女性ネットワーク代表の高瀬由紀子氏の陳述書)、甲第35号証(日田市連合育友会会長の佐藤里代氏の陳述書)、甲第36号証(西新宿競輪誘致反対の会代表の古川昭夫氏の陳述書。但し、大部にわたるとのことで、私を含めた傍聴人には配布されておりません)、そして甲第37号証(上述書籍)が提出されています。また、文書送付嘱託申立書、検証申立書(第一)、証拠申立書(第一)〔これは、証人の申立書です〕も提出されています。

 これらについて、例の通り、原告弁護団から説明がなされました。書証については寺井弁護士から、準備書面については木田弁護士から、文書送付嘱託申立書については別の男性弁護士から(お名前を記憶しておりません。申し訳ございません)、証拠申立書についてはおそらく中野弁護士から、説明がなされました。

 被告側からは、原告に対する反論を9月24日までに提出する旨が示されただけで、他に何の弁論もなされておりません。 不気味とも言えるし、不思議だとも言えます。多少の反論くらいは簡単に出来るはずだからです(どのように、ということについては、ここで記さないこととします)。あるいは、原告側によるこれまでの主張が、原告適格、および被告による設置許可の無効(許可に含まれる重大かつ明白な瑕疵)を立証するに十分でないということを意味するのかもしれません(余裕を持っているということでしょうか)。

 そして、最後に、寺井弁護士のほうから次々回の期日について申し立てがなされたのですが、裁判長は一方的に、次回の様子を見て決めるという趣旨の発言をして打ち切りました。 これが、原告弁護団、そして木佐教授に不安を与えたようです。次回(10月1日)で口頭弁論が終結するという可能性もあるからです。しかし、大分地方裁判所で情報公開訴訟を傍聴を繰り返している私の経験からすれば、訴訟の困難性の高さは当初から予想されていることです。それは、このホームページをお読みの方であれば察しがつくと思われます。実際、大分地方裁判所の判決が福岡高等裁判所で覆されることも少なくありません。

 さて、今回は大変です。原告側から提出された証拠が膨大だからです。これらの全てを扱うとすれば大変な長文となります。また、甲第37号証は公刊されている書籍ですから、このホームページで扱うのは不適当です。そこで、それ以外の書証などについて、適宜簡略化しつつ、紹介して参ります。

 7月23日に提出された原告側の書面は一覧としてまとめられており、そこに書かれている順番は、当日に説明が加えられた順番と若干異なります。ここでは、一覧のほうに即して概観しておきます。

 〔1〕準備書面(第5)

 これは、既に提出された鑑定意見書3通(白藤博行教授、村上順教授、人見剛教授)などの書証を踏まえて、主張の補充・追加などを行ったものです。 まず、白藤教授の鑑定意見書を基にして、ドイツにおける市町村(ゲマインデ)の原告適格を論じています。次に、村上教授の鑑定意見書を基にして、フランスにおける地方自治体の原告適格を論じています。また、人見教授の鑑定意見書を基に、アメリカにおける地方自治体の原告適格を論じています。

 そして、日本における地方自治体の原告適格です。準備書面(第5)では「第3 日本における地方自治体の原告適格について」という部分にあたります。

 (1)憲法の規定について

 まず、憲法の規定に触れています。準備書面(第5)は、「憲法92条より、国の法律は『地方自治の本旨』に反すれば違憲無効であって、『地方自治の本旨』を生かすように解釈運用されなければならない」という前提を置き、その上で「憲法の謳う『地方自治の本旨』は、自治権を不当な侵害から防衛する法規概念にとどまらず、地方自治体が国から独立して自主的に自治権に基づき地方自治制度を形成、運用することを積極的に誘導するものである」としています。

 実を申せば、私は、日本国憲法がどこまで地方分権を射程においているのか、地方財政などの点から疑問を持っています。憲法第93条および第94条を併せ読むと、日本国憲法が本当に中央集権でなく、地方分権を採用する憲法であると断言できないのではないのか、と考えられるのです。

 準備書面(第5)にも登場するドイツ連邦共和国基本法では、連邦、州、そしてゲマインデの財源を保障する規定が存在します。それでも、私の論文「財政調整法理論の成立と発展(1)―アルベルト・ヘンゼルの財政調整法理論を中心に―」(大分大学教育福祉科学部研究紀要第23巻第1号に掲載)において紹介しましたように、ドイツの政治学者レンチュ(Wolfgang Renzsch)は、ヴァイマール共和国が成立して間もないころに行われたエルツベルガー財政改革により「ドイツの連邦国家的な財政基本規範の一つの特徴は 、ワイマール憲法以後のドイツ憲法においては、連邦を構成する州に対して事実上、独自課税権(Steuerfindungsrecht)と租税立法権が認められていないという事情の中に現われている。この点が 、他の連邦国家と異なるところである」、そしてこの状態はドイツ連邦共和国においても基本的に変わらないという趣旨を述べています〔Wolfgang Renzsch, Finanzverfassung und Finanzausgleich, Die Auseinandersetzungen um ihre politische Gestaltung in der Bundesrepublik Deutschland zwischen Wahrungsreform und deutscher Vereinigung (1948~1990), S. 5. この本は、伊東弘文 教授によって邦訳され、九州大学出版会から1999年に『ドイツ財政調整発展史―戦後から統一まで―』 として出版されています。引用文は、邦訳版ではⅸ頁に掲載されており、ここでも邦訳版に従いました〕。まして、日本国憲法には、都道府県および市町村の自主財源を根本から保障するような規定が存在しません。この点については、いずれ、私自身の論文で詳しく論じるつもりです。

 また、この「地方自治の本旨」は曖昧な言葉です。憲法学界の通説は、これを団体自治と住民自治という二つの要素が含まれるものと解しています。しかし、これでもまだ不十分です。それだからこそ、ドイツの公法学者、カール・シュミット(Carl Schmitt)が提唱した制度的保障の規定であるとも解されるのです。制度的保障とは、「日本国憲法」講義ノート〔第3版〕第06回目において述べたように、憲法に定められた基本的人権の中心的な部分を立法権による侵害から守るというところに、その核心的な意味があります。そのため、例えば基本的人権の中心的な部分でない部分であれば、立法権による侵害(規制)が正当化されることもある のです。これは、地方自治のようなものについても同様です。というより、シュミット自身は、Verfassungslehreという著書(邦訳は『憲法論』と『憲法理論』の2種類)において、地方自治を取り上げて制度的保障論を扱っています。制度的保障の理論は、制度および基本的人権の中心的部分をいかに解するかにかかっているのです。

 日本国憲法は、たしかに地方自治を保障しています。しかし、議会の設置、議員などの公選制、財産管理、事務の処理、行政執行に関する権限、条例制定権しか定められていません。その上、条例制定権はあくまでも「法律の範囲内」に留められています。要するに、具体的なことは全て法律に委任しているのです。憲法の規定を素直に読めば、例えば憲法第93条第2項からは、法律の定め方次第で、都道府県知事や市町村長を公選制から任命制に改めることもできます。議員については公選制を定めているのですが、あとは「法律の定めるその他の吏員」について公選制を採用するという趣旨しか書かれていないからです(当初、教育委員について公選制が採られていたのに、僅か数年で任命制に改められたのは周知の通りです。これも、憲法第93条を素直に解釈すれば、当然に導き出される結論です)。1990年代前半のことですが、道州制の議論で、道および州の首長(これを知事と称してよいのか、よくわかりません)を任命制とするという提案がなされたことがあります。これは、それこそ「地方自治の本旨」からすれば望ましくないのでしょうが、違憲ではないと考えられます。少なくとも文理解釈からは、こうした結論が導かれます。このように考えると、日本国憲法がどこまで地方自治ないし地方分権を重視しているのか、疑問が増大します。仮に地方分権などを強く主張するというのであれば、憲法の改正が必要であると思われます。もっとも、このように考えると、現行の市町村制および都道府県制が憲法の要請するところであるのかという問題も生じてきます(現に、都道府県については、憲法が保障する制度であるか否かについて議論があります)。一部の憲法学者や政治学者は、大日本帝国憲法と日本国憲法の連続性を強調する見解を示していますが、一切の余計な装飾を取り外し、純粋に文理だけで解釈するならば、こうした見解にも妥当性はあります。

 これまで、この不定期連載で私が主張してきたことをお読みの方は、上記に対して相当の違和感を覚えられることでしょう。たしかに、今回は挑発的なことを記しておりますし、その意図もあります。しかし、これは、突発的なものではなく、日本国憲法といえども真に分析的・科学的な検証を経なければならないという私の基本的立場を公にしたものにすぎません。地方分権推進委員会などが唱えてきた地方分権論について、少なからぬ批判が寄せられるのですが(実は私もその一人ですが)、憲法の解釈からすれば当然に予想されるものです。私は地方分権論者の一人であると考えています。それだからこそ、日本国憲法の規定に不十分性を痛感するのです。そもそも、私は、法というものに「なしくずしの死」(MORT A CREDIT. フランスの作家Louis Ferdinand Celineが遺した小説の題名)は付き物であると考えています。問題は、「なしくずしの死」をもたらしやすいか否かです。第9条を引き合いに出すまでもなく、日本国憲法ほど「なしくずしの死」を招きやすいもの、言い換えると(多少の無理を伴うとは言え)どのようにでも解釈しうるものは、そう多くないでしょう(大日本帝国憲法にもその傾向がありました)。

 長々と私自身の見解を記してきました。本題に戻りましょう。日本国憲法が、地方自治について多くを法律に委ねている以上、地方自治法などの規定が重要となります。準備書面(第5)は、現行の地方自治法第2条第11項および第13項を引用し、「総合的に憲法原理を具体化するものであり」、「日本国憲法に定める自治権」を「具体的に確認」したものと評価しています。そして、「手続法的・訴訟法的救済が保障されないところの実体的権利保障は無意味なのであって、憲法及び地方自治法によって直接保障された自治権が侵害された場合には、その救済、回復を求めて地方自治体が出訴出来なければならない」と述べ、日田市の原告適格を裏付けようとしています。

 (2)日田市の原告適格(無効等確認訴訟および取消訴訟)

 まず、最高裁の判例を検討しています。援用するのは、最判平成元年2月17日民集43巻2号56頁(新潟空港訴訟際高裁判決)です。サテライト日田問題では、日田市住民、日田市長、そして日田市議会が設置反対の意思表示をしています。設置許可は日田市議会の意思決定権を損なうと評価されます。また、「地方自治体がいかなる手段により、その財源を確保するかは当該自治体の基本的権能に属する」のであり、公営競技に依拠するか否かも地方自治体の決定権限に属することであるとされます。また、地方自治体には「教育・福祉・人権・産業・快適な住環境を作る権能」、「公安、公衆衛生、道路、環境保全の権能」があり、サテライト日田のような施設が設置されることによってこれらが否定され、あるいは行使を義務づけられることになります。そして、地方自治法第1条の2第1項を援用しつつ、「地方自治体の、公安・公衆衛生・道路・環境保全・教育・福祉・産業・快適な住環境を作る権能など、広範囲に及ぶ権能の集体が『まちづくり権』である」として、サテライト日田設置許可処分がこのまちづくり権の「根幹を否定する」と主張しています。

 自転車競技法の目的などについても述べられています。これは、村上教授による論文「日田訴訟と自治体の出訴資格」〔自治総研281号(2002年3月号)18~41頁〕、および人見教授による鑑定意見書を基にしています。

 まず、自転車競技法第1条が掲げる目的の一つである地方自治体の財政基盤の強化が地方自治の目的と同じことであることに着目し、「自転車競技法が地方自治の確立を目標の一つとして掲げる法律であればこそ、そもそも自治体の権限を制約するような運用は許されるはずがない」と述べています。これを前提として、A市がB市に場外車券売場を設けるとすれば、B市が「競輪事業を営むことによって獲得されるはずの収益に多大の負の影響を及ぼす」ため、B市の財政上の利益は「『法律上保護された利益』と認められるべきであろう」と述べています。

 そして、人見教授の見解を援用しつつ、日田市が主張するのは「競輪事業を営まないことによって得られる地域環境的利益」であり、これは「競輪事業を営むことによって得られる財産的利益を放棄して獲得される利益」なのであるから「自転車競技法の定める目的及び経済産業大臣の許可制度に当然に予定され、そこに組み込まれている法律上の保護利益である」と主張しています。

 さらに、施行規則について述べています。この規則の第4条の3第1号が「文教上・保健衛生上の利益を保護する」ことは明白であり、しかもこの分野が自治体の事務処理では中心的な部分を占めることなどから、まちづくり権の保護を趣旨とすることが述べられています。また、第4条の3第4号にいう「周辺環境との調和」について、これが公益保護規定であるが故に「自治体のみが原告適格を有しうることの根拠になる」という人見教授の指摘を引用し、日田市の第4次総合計画をも参照しつつ、日田市の原告適格を基礎づけようとしています。

 (3)設置許可の法的性質

 実は、この部分における原告側の見解には、私の見解と異なる部分があるのではないかと思われます。第42編において述べたように、場外車券売場の設置許可を講学上の許可と捉えるには無理があります。私は講学上の認可と解しております。書面では村上教授の見解が引用されていますが、村上教授がどのような性質を念頭に置かれているのか、必ずしも明らかではありません。もっとも、「営業の自由に規制を加える風俗営業と比しても自転車競技法施行規則は営業に厳しい制限を加えて周辺環境へ配慮している」、「場外車券売場設置許可処分は、射倖性の高い‘ギャンブル=とばく’の違法性を阻却する例外的なものである」と論じられているのですが。

 許可であるか認可であるかは、本質的な問題ではないとも言いうるでしょう。準備書面は、自転車競技法施行規則第4条の3を「自治体のまちづくり権に配慮した『位置基準』『環境調和基準』を定める」として「経済産業大臣は『位置基準』『環境調和基準』に適合しない限り、許可決定をすることは出来ないのである」と述べています。そして、「場外車券売場の設置許可処分の判断にあたっては経済産業大臣の裁量は、自治体の基本計画・基本構想に示された地域特性に拘束されるのであり、これを損なう場合は経済産業省は不許可処分を下さなければならない」と述べ、浦和地判平成10年3月23日判時1689号58頁をも参照しています。

 〔2〕陳述書

 上述のように、7名の陳述書が提出されています。これについては、御要望をいただき次第、改めて紹介することとしようかと考えます。あるいは、機会を改めて、とすればよいでしょうか。

 〔3〕文書送付嘱託申立書

 これは、原告の立証を行うために被告が所持している文書の提出を要求するものです。具体的には、次の通りです。

 第一に、訴外(訴訟で当事者となっていない者を指す)会社が当時の通商産業大臣に対して設置許可の申請書を提出した際に添付された一切の資料です。設置許可を申請するからには、当然、自転車競技法第4条第1項・第2項および自転車競技法施行規則に従っているとされているはずであり、設置許可基準を満たしているとされているはずです。そして、実際にはどうなのかという点が問題となります。

 第二に、設置許可を審査する際に作成された決済伺文、決済文、添付資料など関連の資料全般です。設置許可の申請が基準を満たしているか否かについては、当然、資料に基づいて何らかの判断が文書に示されているはずです。そして、これらが残されているはずです。

 仮にこれらが存在しないとすると、故意か過失かは別として行政文書の不存在というおかしな事態になります。もっとも、設置許可の時点では情報公開法が施行されていないので、不存在の違法性を争うのは困難です。そのため、担当者であれば、情報公開法施行前に文書を破棄することを考えるかもしれません。残っていれば厄介なことになるかもしれないからです。実例を聞いたこともあります。情報公開法の施行にあたって保存年限を短縮したという例は数多く存在します。

 逆に、残されているとすれば、設置許可が「日田市の地域環境及びまちづくり権に配慮」をなしたものであるのか、手続的保障がなされているのかが問題となります。

 第三に、当時の通商産業省、訴外別府市、訴外会社でなされた協議などの内容を示す文書です。狙いは、第二と同じ点にあります。

 〔4〕検証申立書(第一)

 これは、サテライト日田の予定地(日田市大字友田字萩鶴976番地の1、977番地の1、954番地の10、954番地の12、986番の4)および周辺地域について、現況、道路状況、医療機関および学校の有無など、隣接する公道を利用する児童・生徒の状況、上下水道や動力電源などの供給状況などの検証を求めるものです。立証すべきものは、原告側によれば「サテライト日田建設予定地に別府競輪場場外車券売場が設置されることにより、近隣の生徒・児童らにギャンブルに関する悪影響を及ぼすこと、医療機関の利用者らに対して悪影響を及ぼすこと、本件土地周辺を通行する車両に渋滞等の影響を及ぼすこと、および、原告のまちづくり権を侵害し、原告としての受忍限度を超えた多大の行政事務および出費をもたらす事実」です。

 ただ、これについては、どの程度まで立証できるのかという問題が残ります。悪影響と言われますが、基本的には自己責任、あるいは家庭における躾の範疇であると考えられるからです(何でも施設など環境のせいにするのは、悪い思考方法です)。最近、時々思うのですが、公営競技に反対する心理の中に、青少年への悪影響を重要視する要素があり、これが一種のパターナリズム(訳に困るのですが、元々は父性を意味する言葉から派生したもので、家族主義、温情主義を意味します)になっていないでしょうか。日田市の反対運動がパターナリズムに堕すことのないよう、注文をつけておきましょう。仮にパターナリズムに支配されるようであれば、地方分権は良からぬ方向に走ります。

 〔5〕証拠申出書(第一)

 証人尋問を請求するものです。証人として求められているのは、平沼赳夫氏(経済産業大臣)、井上信幸氏(別府市長)、大石昭忠氏(日田市長)、室原基樹氏(日田市議会議長)、武内好高氏(日田市商工会議所会頭)、日野和則氏(日田市役所経済部商工労政課長)、高瀬由紀子氏(「サテライト日田」設置反対女性ネットワーク代表)、佐藤里代(日田市連合育友会会長)、古川昭夫氏(西新宿競輪施設誘致反対の会代表)、木佐茂男氏(九州大学大学院法学研究院教授)です。それぞれについて立証趣旨や尋問事項は異なるのですが、ここでは省略します。

 ただ、次の点だけは記しておきます。

 まず、尋問時間です。平沼氏については120分、井上氏および大石氏については90分間が要求されております。

 次に、平沼氏、井上氏および大石氏への尋問事項です。平沼氏については、設置許可の根拠法令と理由、2000年1月14日に当時の通商産業省車両課長名で出された別府市長への通知の経緯(私は、日田市対別府市訴訟のこともあり、ここに関心があります)、2000年6月7日に設置許可がなされた理由、サテライト日田設置許可が今も撤回(自転車競技法第4条第4項・第3条第7項では「取消し」)されていない理由などとなっています。井上氏については、サテライト日田設置を企画した理由、申請から許可までの3年間になされた交渉の経過、2001年2月の別府市議会で設置関連予算が否決された理由(これについては、第20編も参照して下さい)、現在の見解などです。一方、大石氏については、日田市の概況、まちづくり(日田市総合計画)の内容、サテライト日田が設置されることによって日田市が被る不利益、経済産業省や別府市との交渉過程などです。

 既に記したとおり、次回の口頭弁論は10月1日に行われます。いよいよ、この訴訟は一つの山場を迎えます。私は、大分県に在住する者として、今後も日田市および別府市の様子を見守っていきます。 そして、地方分権、およびまちづくりの権限を重要視しつつ、どちらのほうにも偏らない立場を維持していくつもりです。既に何度か記しているように、私は、競輪などの公営競技そのものを罪悪視する考え方を持っておりません。その市町村のまちづくりに合うというのであれば、反対する理由などありません。逆に、街並みを破壊するなど、深刻な影響を及ぼしかねないというのであれば、反対するしかありません。また、私がサテライト日田問題に深入りするようになったのは、競輪事業施行者である別府市の態度に疑問を感じたこと〔これについては、既に何度か記しています。第22編に収録した寄稿文「サテライト日田問題について(訴訟提起の議案可決を受けて) (2001年2月24日付読売新聞朝刊36面 大分地域ニュースに掲載)を参照して下さい〕、および、経済産業省の許可手続などに疑問を持ったことです。こうした状況と、豆田、淡窓地域の街並みを知っているからです。

 また、私にとって理解しかねるのは、何故、サテライト日田問題が中心街空洞化問題などと連動していないのかということです。これは、今回初めて記すことではありません。既に第6編にて指摘しておりますし、何度か、日田市の関係者や原告弁護団などに話をしています。まちづくりという観点からすれば、中心街空洞化問題は切実な問題です。実際、武内好高氏は、陳述書において「郊外型超大型店イオン日田ショッピングセンターの出店反対運動を展開」という一節を設け、2頁以上を割いています。サテライト日田設置予定地は、日田駅から3キロメートルほど離れています。日田市の規模からしても、この位置は郊外であり、中心街とは言えません。おそらく、今後の検証などにおいては触れられる点であると思われますが、場合によっては中心街空洞化問題をもう少し強く前に出すべきではないでしょうか。


(初出:2002年7月25日)

2025年5月19日月曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第43編

 私がサテライト日田問題に関わるようになって、2年が経過しました。第1編にて大分合同新聞2000年7月2日付朝刊朝F版23面の記事に掲載された私のコメントを紹介しました。6月下旬、研究室に電話があり、その際に話した内容の一部が掲載されたものです。実は偶然の産物です。当初、大分合同新聞の記者氏は、他の方にコメントを求めたのです。しかし、詳しい理由はわかりませんが、私のところに話が回ってきました。伺った瞬間、これは別府市と日田市という地方自治体間の対立であり、地方分権が曲がりなりにも進められる中で行政法学上も大きな問題となるであろう、という予感、あるいは職業的な勘が働きました。大分県内の事件としては非常に大きい、全国的なものであることが、すぐに理解できました。果たして、その後の経過は私の予想通りでした。今、私は、この問題に取り組めてよかったという思いと、その取り組みへのきっかけを下さった方々への感謝の念を、ここで改めて示しておかなければなりません。

 公営競技の問題は、九州でも幾つか登場しています。その一つである福岡ドーム内場外馬券売場設置計画は、地元の強力な反対が功を奏し、佐賀、荒尾そして岩手の3競馬組合が設置を断念するという結果に終わりました。どういう訳か、この時の記事が手元にないのですが、このホームページの掲示板「公園通り」でも話題になりましたので、そちらも参照していただければ幸いです(お書き下さった方々に、ここで御礼を申し上げます)。

 そして、福岡ドーム内場外馬券売場設置計画が断念されることになって、佐賀競馬の存続についても見直し論議が始まる可能性が出てきました。朝日新聞社のホームページ(佐賀版)に6月4日付で掲載された「佐賀競馬、赤字続くなら廃止も/知事が見解」という記事によります(但し、現在は掲載期間終了の故に読むことができません)。これについては、既に「公園通り」に「佐賀競馬の見直し論議が始まるか」(3635番)として記しましたが、ここで再録しておきます。

 6月3日に行われた佐賀県知事の定例記者会見で、知事が佐賀県競馬組合の見直しの方向を述べました。単年度赤字が4年続いており、競馬組合のの財政調整積立金を取り崩しているようですが、この積立金も尽きる可能性が高く、佐賀県が一般財源を投入せずに廃止する可能性もあります。今年度の経営状況が判断材料となるようです。しかし、福岡ドーム内の場外馬券売場設置を断念したことで、記事の言葉を借りるならば「『経営改善策の柱』を失い、苦しい対応を迫られている」という状況では、かなり苦しいのではないでしょうか。「昨年、有識者らでつくる経営改善委員会から提言を受け、職員賃金やレース賞金のカットなど合理化策や振興策に取り組んでいる。今年度は収支均衡にし、来年度からの黒字化をめざしている」というのですが。また、佐賀県にとって、福岡市周辺は魅力のある市場であるとのことで、今後も福岡市に場外馬券売場の候補地を探すようです。

 しかし、このことから、場外馬券売場設置そのものが断念されたという訳ではありません。つまり、福岡市(あるいは、もう少し広く、福岡都市圏)に場外馬券売場を設置したいという意向は放棄されていません。朝日新聞社のホームページ(福岡圏版)には、6月11日付で「『馬券場、都市圏に設置を』/鳥栖市長要請」という記事が掲載されています(但し、この記事も、現在は掲載期間終了の故に読むことができません)。この記事によると、佐賀競馬組合の副管理者を務める鳥栖市長が、昨日、福岡市役所を訪れ、福岡市長と会談したようです。鳥栖市長が、福岡都市圏での場外馬券売場設置に理解を求めたのに対し、福岡市長は協力の意向を示したとのことです(なお、福岡市では競艇事業を行っています)。

 なお、福岡市にはサテライト博多問題もありますが、どのように進捗しているのかはわかりません。

 一方、6月20日に、西日本新聞宮崎版で、宮崎市北部での場外車券売場設置計画が報じられました。宮崎市議会でも取り上げられており、この模様は朝日新聞宮崎版でも6月26日付で報道されました。このことについても、掲示板「公園通り」3735番および3764番に記したのですが、一部を引用する形で、改めて紹介します。

 西日本新聞宮崎版に掲載された記事は「宮崎市に競輪場外車券場計画 来年夏にも開設か 教育環境悪化懸念も」というものです(http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-local/miyazaki.html。但し、既に別記事に差し替えられています)。この場外車券売場がどの競輪場に関係するものなのか、記事では明らかにされておりません。日田や福岡と違うのは、地元住民が建設推進の立場を明らかにしている点です。設置予定場所は、宮崎市の広原という所にある山林です。手元にある地図ではよくわからないのですが、同市の北のほうにあるようで、「サテライト設置構想については、建設予定地周辺の住民でつくる同市住吉地区振興会(山口兼幸会長)と同市北地区振興会(窪田義秋会長)が昨年九月、宮崎市議会に推進の請願を提出、賛成多数で採択されている」とのことです。そして、「同市は既に、建設を計画している同市内の会社と都市計画法などに基づく事前協議に入っており、同市の開発承認と経済産業相の設置許可を経て、早ければ来年夏にもオープンする見通し」であるとのことです。

 朝日新聞宮崎版に掲載された記事は「場外車券売り場前向き対処示す 宮崎市長」というものです(http://mytown.asahi.com/miyazaki/news02.asp?kiji=1456)。この記事は、宮崎市議会において場外車券売場構想に関する質問が出され、市長が答弁したという内容のものです。 昨年の9月には、設置促進に関する請願を宮崎市議会本会議で採択しています。宮崎市も、設置に向けて動き出すようです。また、設置に際して、場外車券売場の予定地に近い「北地区、住吉の両振興会は、市民100人を雇用することなどを条件に、98年9月に設置に同意」しており、「市も5月24日に業者との間で、林地開発に関する協定を締結していた」とのことです。

 さらに、7月に入ってから、青森県にも場外車券売場設置問題があるという内容のメールをいただきました (御教示をいただいたことに関し、この場を借りて御礼を申し上げます)。この件について新聞記事などがあるのか探したところ、東奥日報という新聞社のホームページに、昨年(2001年)6月12日付の「六戸場外車券場、着工の動きなし」という記事が掲載されていました(http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2001/0612_6.html)。この記事の内容を紹介します。

 六戸町の坪毛沢地区に、サテライト六戸の設置が計画されていました。設置許可の申請者は民間会社で、競輪事業施行者である青森市、六戸町、北日本自転車競技会とともに開設の準備をしていました。設置許可は、2000(平成12)年2月、当時の通商産業省(大臣)から出されました。当初は2000年の3月に着工し、8月に完成させ、9月に開業という段取りだったのですが、用地買収を終えることができないため、施設の着工ができないという状態です。この間、資金調達ができなかったという理由で、申請者である民間会社の会長が交代しています。

 何故、設置許可が出されてから1年4ヶ月も経ったというのに用地買収ができなかったのか、そのあたりはよくわかりません。しかし、計画そのものとして杜撰であると評価できます。このようなものに設置許可を出した当時の通商産業省(大臣)は何をやっていたのかという疑問も湧いてきます。自転車競技法第3条第7項によれば、「経済産業大臣は、競輪場の設置者が一年以上引き続きその競輪場を競輪の用に供しなかつたときは、第一項の許可を取り消すことができ」ます。この規定は、第4条第4項により、場外車券売場についても準用されます。従って、設置許可が出されたのに1年以上も設置されないのであれば、「競輪の用に供しなかつた」ことに他なりませんから、設置許可の撤回―条文には「取り消」しとありますが、この場合、行政法学上の撤回です―がなされてもおかしくないのですが、撤回はなされなかったようです。

 おそらく、撤回をすれば行政の問題が浮上するという理由なのでしょう。仮に、用地買収が困難であることが容易に予想される場合であれば、そもそも設置許可をするとは思えません。そして、設置許可の申請がなされ、その内容を審査する際に、如何なる方法で判断がなされるのかという問題があります。経済産業大臣(実際には経済産業省の地方部局である経済産業局)は、実地調査などを行っているのでしょうか。おそらく、書類審査のみではないでしょうか。そうであれば、用地の取得の難易度などはわからないでしょう。そして、いざ設置許可を出してから1年以上も着工されなかったとなれば、杜撰な計画に基づく申請に対して設置許可をなしたということになり、実際に申請の審査を担当した者の責任などが問われうることとなります。

 しかし、考えてみれば、撤回に至りうるまでの1年間は、決して短いものではありません。むしろ、撤回までの期間としては適切、いや、場合によっては長すぎるものかもしれません。何年経っても用地買収すら進まないようでは、その計画が破綻していることと意味の違いはないと言ってもよいでしょう。長期間の後に着工し、開設したとしても、情勢の変化により、営業の見通しがどうなるかはわかりません。まして、サテライト六戸の場合、用地買収の際に資金調達ができなかったということですから、実際に開業してもどうなるかわからない、というのが本当のところでしょう。様々なことを考慮に入れるならば、このような場合には速やかに許可を撤回すべきではないでしょうか。

 東奥日報の記事によると、6月11日、六戸町議会の一般質問でこのサテライト六戸問題が扱われたようです。この時、町長は「民間会社の経営にかかわる問題に、町として直接立ち入るわけにはいかないが、関係者などからの情報収集に努めたい」という趣旨の答弁をしたようです。一方、6月13日には、東北経済産業局産業課が事情聴取を行う旨が記されています(実際に行われたか否かは不明です)。設置許可の撤回がなされるかどうか、この時点でもわからなかったのですが、どうやら、撤回はなされておらず、今も着工されず、という状態にあるようです。

 Googleで検索したところ、この記事以外にサテライト六戸問題を扱ったものは見つからなかったので、今年に入ってからの状況はよくわかりません。しかし、いただいたメールによると、今も着工されていないようです。しかも、岩手県内に予定されているサテライト石鳥谷(いしどりや)も、1997(平成9)年に設置許可が出されたにもかかわらず、1年以内に着工されなかったということです(なお、まだ事実の確認をしていないことを、ここでお断りしておきます)。但し、ここは1999年7月にオープンしています(岩手県内では初の場外車券売場です)。

 おそらく、 同種の問題は、競輪、競馬などの別を問わず、各地に存在するものと思われます。情報などがございましたら、お寄せいただければ幸いです。


(初出:2002年7月3日)

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第42編

 このところ、講義などの仕事が増え、以前ほどサテライト日田問題に充てる時間がありません。そのためもあり、第41編からかなり時間がたち、1ヶ月になろうという6月中旬になって、ようやく第42編をお届けすることができました。

 今回は、第41編に続き、2002年5月21日に大分地方裁判所で行われた口頭弁論の模様を報告いたします。

 午前中、大分県庁に行き、市町村合併関係の資料を探しました。目的のものが見つからなかったのは残念でした。また、この時には、第41編で紹介した口頭弁論は終わっています(既に記したように、この口頭弁論のことは事前に全く知らされておりません)。

 12時20分ころに大分地方裁判所に入りました。その後、日田市の方々が来られました。もう顔なじみになっている方々ばかりですが、今回、大石市長は、やむをえない事情により来られておりません。そして、口頭弁論の度に遠方から駆けつけてくれる他大学の学生氏も、大学院生となって大分地方裁判所に到着しました。それに対し、大分県内の大学の関係者は、相変わらず私一人です。講義と重なるため、やむをえない部分もあるのですが、学生に呼びかけたりしても全く反応がありません。教員にしても同じです。純粋に行政法学者と言える者が、大分県内では私しかいないからかもしれませんが。

 13時10分から、口頭弁論が始まりました。経済産業大臣側からは、とくに準備書面などが提出されておりません。これに対し、日田市側は、5月21日付の「準備書面(第4)」、そして第41編で紹介した村上順教授の論文が甲第29号証として提出されております。また、今回は、寺井一弘弁護士、木田秋津弁護士に加え、藤井範弘弁護士が原告席に着きました。そして、いつものように、準備書面の骨子について説明がなされています。

 今回提出された準備書面は、既に提出されている経済産業大臣側の第3準備書面および第4準備書面に対する反論と、日田市側の主張の補充を内容としております。法廷での骨子説明においても述べられているのですが、第40編においても紹介した通り、経済産業大臣側の第4準備書面は、日田市側が今年1月21日付で提出した準備書面(第3)においてなされた求釈明(第37編も参照して下さい)に対する応答にも釈明にも全くなっていないため、提出されたものです。

 まず、原告適格について述べられています。 経済産業大臣側は、自転車競技法第4条第1項による許可処分が「申請者に対して場外車券売場の設置に関する一般的な禁止を解除するという法的効果を与えるにとどま」る旨を主張しています。これに対し、今回の準備書面は、自転車競技法の規定にある「経済産業省令で定める基準に適合する場合に限り、その許可をすることができる」という文言に着目して反論を行っております。つまり、この規定は行政法学の許可(警察許可)を意味するのではなく、一定の裁量を与える趣旨であるという訳です。そのため、場外車券売場設置の許可を受けるための形式的な要件が揃っていたとしても、経済産業大臣には許可の義務が発生しないということになります。「できる」と規定されているのですから。そこで、「国は許可・不許可処分に際し、(中略)実質的に文教上、保健衛生上又は周辺環境等との調和において保護に欠ける場合は、不許可とすることが予定されているのである」という主張につながるのです。

 「許可しなければならない」という規定であるから警察許可であり、「許可をすることができる」という規定であるから警察許可ではない、という論法が、全ての法律に当てはまるか否か、検討を要すると思われますが、行政法学の一般論からすれば、このような主張に帰することとなります。さらに、日田市側の主張としては、「国は場外車券売場が設置される地方自治体の文教上又は保健衛生上の利益や周辺環境等との調和を総合的に判断し、憲法及び新地方自治法(―地方分権一括法によって改正を受けた地方自治法のこと。引用者注)によって確認された自治権から派生する「まちづくり権」を侵害しないように十分配慮することが要請されており、地方自治の本旨を侵害しかねない場合には、国は不許可処分とするべく羈束されているのである」ということになります。 こうして、場外車券売場の設置許可は「原告の生活安全、公衆衛生、環境保全に関する権能に対して制約するもので、原告には『法律上の利益』があると解すべきである」という結論に至ります。

 警察許可とは、既に示されているように、一般的な禁止を特定の場合に解除するというものです。自動車運転免許がこれに該当します。警察許可の前提としては、本来、国民の一般的な権利・自由に属すべき事柄を、保健衛生や安全、秩序維持などの理由から一般的に禁止する、というものがあります。今回の準備書面にも登場する食品衛生法の規定がまさにそれです。憲法第22条第1項によって職業選択の自由が保障されることからすれば、(憲法学で時折論じられる営業の自由という問題を別として)飲食店の営業は、基本的に誰でもできるはずです。しかし、全く無制約であるとすれば、保健衛生という面において重大な問題を生じます。そのために、一般的に禁止した上で許可制にしているのです。調理師免許も同様に考えてよいでしょう。また、自動車の運転免許にしても、自動車の運転そのものは国民の一般的自由(憲法第13条にいう「幸福追求権」の一種などとしてのもの)に属するはずですが、事故の際に人体に与える甚大な影響は自転車が与えるそれとは比較になりませんし、その他、交通秩序に重大な支障をきたすおそれもあるので、免許制にしているのです。

 これに対し、 法令の文言は許可であっても、行政法学上は特許あるいは認可と考えられるものがあります。とくに特許とされるものについては、元々、国民の側にその営業などを行う自由が存在しない、従って、一般的な禁止も予定されていない、という前提があります。認可についても同様のことが言えるでしょう。許可と認可との違いについて、よく、許可を受けないで行った違法な行為であっても直ちに効力を失うものではないのに対し、認可を受けないで行った違法な行為は原則として効力を生じない、と説明されます。これも、国民が本来有するはずの権利や自由などと関係があります。

 それでは、自転車競技法で定められる場外車券売場の設置許可の法的性質は如何なるものなのでしょうか。これまで、この不定期連載でも考察を加えてこなかったところですから、ここで検討を加えることとしましょう。あるいは、既に或る程度の検討を済ませているかもしれませんが、改めて、ということになります。仮に前に下した結論と異なっている場合は、訂正、あるいは改説ということにさせていただきます。

 自転車競技法第1条によると、競輪事業の施行者は都道府県および指定市町村〔この場合の指定者は総務大臣(中央省庁改革法施行前は自治大臣)〕です。そして、これら以外のものが競輪事業を行ってはならないこととされています(刑法の賭博罪に該当することとなります)。一方、競輪場および場外車券売場を設置する者は、同法において競輪事業の施行者と区別されており、第3条第8項において「相続若しくは合併」または「競輪場の譲渡し」が示されていること、「相続人若しくは合併後存続する法人若しくは合併による設立した法人又は競輪場を譲り受けた者」が「当該競輪場の設置者の地位を承継する」ことが規定されていることからして、競輪事業の施行者と人格を別個にする者であってもよいことになります。現に、サテライト日田の場合、設置許可の申請者は、既に日田市内においてパチンコ店などを経営する建設会社です(余談ですが、この会社が経営するパチンコ店のCMは、大分県内の民放で流れています)。設置者は、車券を販売することができません。しかし、競輪事業の施行者に場外馬券売場の施設(建物など)を賃貸することは認められます。

 場外車券売場となる可能性がある施設の設置許可を申請し、許可が得られた後に施設を建てるという点だけに着目すれば、基本的には一般の建築確認と変わりがありません。その意味では、法律の文言に示されているように、行政法学上の概念を用いても許可であるとも考えられます。

 しかし、場外車券売場の場合、施設が完成した後に競輪事業の施行者によって車券が販売されなければ意味がありません。設置者が競輪事業の施行者でない限り、車券の販売を業とすることは許されません(第18条が罰則規定です)。場外車券売場として許可がなされた施設について、実際には車券が発売されうるような状況ではないから他の施設に転用しようと考える者も存在するかもしれませんが、現実にありうるかどうかは疑問ですし、第4条第4項によって準用される第3条第7項により、設置許可を得てから1年以上の間に場外車券売場として使用されなかった場合には、設置許可が取り消されうる(この場合は撤回されうる)こととなります。

 また、そもそも、刑法の賭博罪の規定、民法第90条などの存在を考えると、競輪事業、とくに車券の販売は、本来、国民の自由に属する事柄であって、許可が一般的な禁止を解除するものである、と考えるべきなのでしょうか。そのような意見も成立しうるのですが、日本の刑法が賭博罪を設けており、これを社会的法益に関する犯罪と位置づけていること、自転車競技法が刑法の特別法として、競輪事業の施行者を都道府県および指定市町村に限定していることの趣旨を考えるならば、場外車券売場の設置許可を警察許可と位置づけることは妥当でないと考えられます。

 むしろ、行政法学的にみれば認可に該当するのではないでしょうか。認可は、補充行為とも言われるように、第三者あるいは申請者の行為を補充して完成させる行為です。これを場外車券売場の設置許可に当てはめてみると、申請者は、設置許可を得ることによってようやく場外車券売場としての施設を設置することができます。設置許可を得なければ、施設そのものを建てることができるとしても場外車券売場を設置することになりません。逆に言えば、設置許可は施設の設置を完成させるために必要なものです。

 しかも、自転車競技法には、第4条の許可を受けずに場外車券売場を設置したことに対する罰則規定がありません。仮に、場外車券売場の設置許可が警察許可であるとすれば、違反した場合の罰則規定があるはずです。しかし、自転車競技法の場合、設置許可を受けないで場外車券売場を設置しても無効となるだけです。

 このように考えるならば、場外車券売場の設置許可は行政法学上の認可に当たるとするのが妥当です。同じような理屈は、競輪場の設置許可についても妥当します。

 (但し、これまで、自転車競技法にならって設置許可という表現を用いたため、とくに必要のない限り、この用語を引き続いて使うこととします。折に触れて、行政法学上の認可であるということを確認することとします。)

 また、許可と認可の違いは、行政庁が有する裁量権の幅にあるとも言われています。許可の場合、行政庁に全く裁量が存在しない場合もありますし、あるとしてもかなり狭いものにならざるをえません。何故なら、一般的禁止を解除して本来の権利・利益を回復させるという意味が込められているからです。これに対し、認可の場合、一般的禁止ということそのものが予定されていません。行政法上の認可で典型的なものは、公益法人設立の際になされる「許可」です。民法第34条では「許可」となっているため、民法学では許可制とされていますが、行政法学の観点からすれば誤りです。民法学では、許可制と認可制が行政法学と全く逆といってもよいような理解のされ方をしていますが、公益法人の設立に際しては「主務官庁」の裁量が大きく物を言うという現実もあります(この趣旨を述べる判決として、最判昭和63年7月14日判時1297号29頁を参照)。また、この許可を得ないで公益法人が設立されても無効となるだけで、罰則が存在する訳でもありません。

 このことは、場合にも拠りますが、裁量収縮論が適用される可能性があるということをも意味します。つまり、設置許可(ということは、行政法学上の認可)が裁量権の行使の結果であるとしても、一定の場合には裁量権の幅が徐々に小さくなり、ついには零となることもありうる、という理論です。日本では、国家賠償の分野に関して度々用いられるもので、援用する裁判例もありますが、元はドイツ行政法学に由来するもので、Hartmut Maurer, Allgemeines Verwaltungsrechtなどの代表的な行政法学の教科書では、国家賠償などの箇所ではなく、まさしく裁量(Ermessen)の箇所において論じられています。私は、この理論が国家賠償に関して用いられることに疑問を抱いています。結論の妥当性はともあれ、国家賠償はあくまでも行為の結果が違法であることこそ第一の前提であるからです。むしろ、行政事件訴訟において活用されることこそ筋ではないかと考えています。今回のサテライト日田訴訟は、裁量収縮論を使うのにうってつけではないか、と愚考した次第です。何故なら、日田市、および訴訟代理人の寺井弁護士などが主張する「まちづくり権」を補強する可能性があるからです。

 今回の訴訟において裁量収縮論を用いるために、場外車券売場の設置許可に際して、経済産業大臣は広汎な裁量権を有する、ということを第一次的な前提として置きます(その妥当性については、ここで問わないこととします)。しかし、100%の裁量はありえません。憲法をはじめ、内閣法、経済産業省設置法、地方自治法、地方分権推進法、その他の法律による拘束を受けます。自転車競技法が経済産業大臣に一定程度の裁量を与えるとしても、憲法や他の法律の趣旨を全く無視するような裁量権の行使は許されません。従って、この段階で次に、設置許可をなす際にも、便宜の点からして全く基準を作らない訳にもいきません。それだけでなく、基準設定は、申請者が行政手続上有する権利・利益を保障するためにも必要不可欠なものです。これによって、裁量権はさらに縮まってきます。そして、実際に設置が予定されている市町村の状況も大きな鍵となります。住民の反対が多く、現地を調査すると―この現地調査というものが、実際にどの程度行われているのでしょうか。サテライト博多問題を含めて考えると、さらに疑問が膨らみます―、自然環境、社会的環境の悪化が懸念される、としますと、一層、裁量権は収縮します。そして、地方自治体のまちづくり権、あるいは、場外車券売場が設置されることによって地方自治体の負担(行政経費など)が増大する、となれば、さらに収縮されることになります。仮に、誰の目にもこれらのことが明らかであれば、経済産業大臣が有する裁量権は完全に零になる、あるいは零に限りなく近づくことになり、設置許可を出すことはできない、ということになるでしょう。設置許可をなすならば、行政事件訴訟法第30条にいう「裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合」に該当し、違法として「裁判所は、その処分を取り消すことができる」ということになります(条文では「取り消すことができる」となっていますが、「取り消さなければならない」に近いと考えるべきでしょう。第31条において事情判決が規定されていることを考慮しても、違法な処分を取り消さないことは、裁判所の義務に背くことになります)。

 ここまで、原告適格との関連において、行政行為論や裁量収縮論をも援用して論じて参りました。次に、私自身がこの不定期連載において何度となく繰り返して論じている、地方自治法第1条の2および地方分権推進法第4条の意味について、原告側の準備書面が述べているところを検討することといたします。

 私は、この不定期連載において、経済産業大臣側が主張する「プログラム規定説」(地方自治法第1条の2および地方分権推進法第4条について)が妥当でないことを主張しています。これに呼応しているのか否かはわかりませんが、原告側の準備書面も、経済産業大臣の主張について、「これらの規定には何らの裁判規範性が認められないとの趣旨であれば、平成11年7月8日に成立した地方分権一括法の制定過程の論議を全く無視したものであり、国の態度としても極めて不当と言わなければならない」と断じています。

 改めて、地方自治法第1条の2および地方分権推進法第4条を読み返してみます。たしかに、これらの規定は、国の立法方針などを規定するものであり、自然人としての一般国民の権利・利益に直接的な影響を及ぼすものではありません。しかし、このことと、国家機関に対する拘束性の有無とは別の問題です。地方自治法は、日本国憲法を受け、地方自治制度そのものを保障しています。これが個々の具体的な地方自治体の存在を保障する訳ではありません(合併あるいは分割などがありうるからです)。しかし、地方自治制度そのものを保障するということは、とりもなおさず、現に存在する地方自治体の活動などを保障することを意味します。国には、このことに関する義務が課せられています。憲法の規定からしても、「プログラム規定説」は全く妥当性を欠いています。原告の準備書面においては地方自治法第2条第11項ないし第13項が援用されております。私も、これを妥当と解しております。これまで、憲法学におけるプログラム規定説は、自然人としての一般国民の権利・利益に直接的な影響を及ぼさないことをもって、直ちに「指針的・宣言的性格」に結びつけ、法的な拘束力が皆無であるかのように論じてきたように見受けられます。しかし、これはあまりに単純な議論であり、改められなければなりません。

 そして、原告側の準備書面は「自転車競技法の目的について」論じています。経済産業大臣側の主張は「自転車競技法の目的を狭く解釈して本件にあてはめているに過ぎず、自転車競技法の目的を関連法規の関係規定によって形成される法体系の中において合理的に解釈すべき姿勢が欠落している」と批判し、同法が「自転車そのほかの機械の改良及び輸出の振興、機械工業の合理化並びに体育事業その他公益の増進を目的とする事業の振興に寄与すること」、および「地方財政の健全化を図ることを目的としているのであって、地方自治体や周辺住民の個別的利益の保護も目的としていると理解すべき」である、そのために自転車競技法第4条第2項および同法施行規則第4条の3において設置許可の要件が定められている、と述べています。

 原告の準備書面では「第4 最高裁判例の解釈について」において述べられている新潟空港訴訟最高裁判決(平成元年2月17日民集43巻2号56頁)は、行政事件訴訟法第9条に規定される原告適格について、「当該処分を定めた法規が、不特定多数者の具体的な利益をもっぱら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には、かかる利益も右にいう法律上保護された利益に当たる」と述べています。その上で、「当該行政法規が、不特定多数者の具体的な利益をそれが帰属する個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むか否かは、当該行政法規及びそれと目的を共通する関連法規の関係規定によって形成される法体系の中において、当該処分の根拠規定が、当該処分を通じて右のような個々人の個別的利益をも保護すべきものとして位置付けられているとみることができるかどうかによって決すべきである」と述べています。

 これを今回の訴訟に当てはめると、場外車券売場の設置も自転車競技法第1条と無関係ではない、ということになります。また、競輪事業が同法によって地方自治体の自治事務(であると考えられます)と位置づけられていることからして、地方自治法や地方財政法などの規定などとも無関係ではありません。また、設置許可の基準で「学校その他の文教施設及び病院その他の医療施設から相当の距離を有し、文教上又は保健衛生上著しい支障をきたすおそれがないこと」があげられていることからしても、原告の準備書面が主張するように、設置される地方自治体の「環境保護」なども視野に入れたものであると解さざるをえません。

 さらに、原告の主張にもあるように、競輪場と場外車券売場とは「その効果が全く異な」ります。場外車券売場そのものは「自転車競技選手の養成等の側面」を持たないからです。

 原告側の準備書面は、「設置要領通達」および「出訴期間」にも言及しています。このうち、「設置要領通達」については、「通達が許可要件を補完し具体化するものであり、許可要件を解釈する上で重要な役割をもつものである。通達行政の是非は別として、通達は事実上の拘束力を有するもので、経済産業大臣は自ら発した通達に拘束されるべきであ」ると主張しております。実は、通達は行政規則の一種で、行政内部では法的な拘束力を有します。また、外部に対しては法的な拘束力を持たないものの、この通達が設置許可の基準となっていることは否定のしようがありません。そのため、他の処分については通達に従っているのに当該処分については従っていない、というような場合には、違法という評価を受ける可能性もあります。

 また、「出訴期間」ですが、原告側の準備書面は「地方公共団体による提訴は、議会の決議が必要とされており、3ヶ月の出訴期間を遵守することは不可能ないし著しく困難」であることを述べています。また、「地方自治体が国を相手に訴訟を提起することは必ずしも一般的と言えないこと」、「通常は国に対し陳述、請願、要請等を行い解決しようとすること」、「解決に至らないとき初めて訴訟提起を考えること」、「しかもその時期に地方議会が開催されていなければ、臨時議会を召集しなければならないこと」を、理由としてあげています。

 今後の日程ですが、既に次回は7月23日の13時30分から、と決まっております。そして、次々回は10月1日の13時30分から、ということになりました。

 実は、この訴訟との関連で、私は、或る宿題を抱えております。行政法学者の中でも、最初から傍聴を繰り返すなど、或る意味では最も深く関係しているだけに、私も何かをなさねばならない、と考えております。 今回、ここで多少なりとも果たせたならば、この記事の存在意義が増すこととなります。


(初出:2002年6月16日)

2025年5月18日日曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第41編

 平成14年度になってから、この不定期連載の記事を作成するのは、今回が初めてのこととなります。

 その間、福岡市中央区における福岡ドーム内の場外馬券売場設置許可問題のほうも、色々な動きがありました。九州朝日放送(KBC)のホームページ、西日本新聞、朝日新聞などのホームページで動きを追っています。こちらも、既に設置許可が出されておりますが、福岡市は設置に消極的な姿勢を示しています。そして、5月21日に西日本新聞社のホームページに掲載された「ドーム場外馬券場「断念」正式回答へ 福岡市長が見通し」という記事によると、この場外馬券売場設置計画は断念されるようです(http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-today/today.html#011。なお、同社の場合、同じアドレスでも、毎日、記事の内容が変わります)。

 記事によりますと、21日、福岡市の山崎広太郎市長との定例記者会見の席上、市長は、佐賀県競馬組合などの3組合から、正式に計画断念の通知(回等)が届くという見通しを示したとのことです。また、4月末に、市長が福岡ドームの副社長、高塚猛氏と面会したそうで、その席上、市長は計画の断念を求めたのに対し、高塚氏は「迷惑をかけないようにします」と答えたとのことです。記事では「計画断念の意向を表明した、と明らかにした」と評価しています。

 一方、サテライト日田問題のほうですが、現在、訴訟が進行中であるということもあって、目新しい動きはありません。別府市のほうも、設置関連の予算案を市議会に提出しておりませんし、現場のほうも全く進行しておりません。これだけ全国に知られてしまえば、工事を強行することも難しいでしょう。最近知ったのですが、北海道は札幌市の方が、このホームページを紹介して下さっております。また、 第42編においても取り上げますが、神奈川大学の村上順教授が、おそらく、サテライト日田問題に関する本格的な論文としては2番目になるものと思われる―いや、こういう書き方はおこがましいですね 。私の論文など、大したことはありません。他の方による論文で引用されていないのですから―「日田訴訟と自治体の原告適格」という論文を、財団法人地方自治総合研究所が発行する雑誌「自治総研」2002年3月号(通巻第281号)にて発表されています(18頁から41頁まで)。

 さて、5月21日、大分地方裁判所においてサテライト日田関連訴訟の口頭弁論が行われました。今回は、その模様などを報告いたします。

 まず、午前中、10時から10分間、日田市対別府市訴訟の口頭弁論が行われました。実は、私はこのことを全く知らされていなかったため、こちらのほうは傍聴しておりません。しかし、日田市役所の方から原告側の 「準備書面(5)」(平成14年5月15日付)をいただきましたので、それに沿って紹介しましょう。

 準備書面(5)は、まず、「第1 被告の認識」において、被告側が提出した準備書面を引用しつつ、「被告が、『原告が通産大臣に対し明確な意思表示をしなかった』と“認識”あるいは“論評”するにあたり、それを真実と信じるに相当な理由がなければならないが、その資料あるいは根拠を全く示していない」と評価しています。

 上記については、私も、既に何度か、様々な形で指摘しています。 要するに、別府市側は、反論こそ重ねているものの、具体的な主張としては内容の乏しいものか、的外れなものしか出していないのです。情報公開関係の訴訟であれば、それでも勝訴できる可能性はあります(実際、大分地方裁判所で出された諸判決を読むと、その点を強く感じます)。しかし、事は名誉毀損が問題になっている訴訟であり、日田市の主張に対しては、それなりに筋の通った反論こそが求められます。それは、本来であれば決して難しくないはずです。日田市が別府市報によって名誉を毀損されたとする主張の立証責任は、日田市が負っているのですから。

 この部分の後、準備書面(5)は事実経過の説明に頁を割いています。そして、「原告は、平成9年7月31日以降も、再三再四に亘って、通商産業省及び九州通商産業局に対し、『サテライト日田』の設置につき明確な反対の意思表示を行ってきたのである」と主張しています。

 そして、地方自治体の名誉について、新潟地方裁判所高田支部平成13年2月28日判決を引用しつつ、存在を肯定しています。この点についても、私は、既に何度か述べております。

 最後に、本件における名誉回復措置の必要性について述べています。別府市側は、日田市が広報ひた号外(2001年3月15日付)において日田市の主張を掲載していること(第24編も参照)、および、「原告の本件訴訟における主張が報道されていることの二点をとらえ、本件謝罪文(原告は「訂正文」という表示をしている)の掲載の必要はないと主張している」のですが、これについて日田市側は「理解に苦しむ」と述べております。私の意見は、既にこの不定期連載をお読みの方であればおわかりのことと思います。つまり、私も、別府市側の主張について「理解に苦し」んでいるのです。また、準備書面(5)も述べている通り、「広報ひた」に日田市の意見を記すことと、別府市側による名誉の侵害を回復することとは、全く別の次元のことです(あまりに簡単な話ですが)。そして、日田市の主張が「報道されたことをもって名誉が回復されたことにならないのも当然のこと」です。それは、「新聞・テレビ・ラジオなどの報道機関は社会の出来事を広く告げ知らせるにあたり、特に訴訟において係争中の事実については、中立の立場から当事者双方の主張を掲載するものであり、報道という一言をもって名誉が回復されたということなどあり得ない」からです。

 なお、今後の方向性ですが、かなり気になることを耳にしました。どうも、今後、和解の方向に進む可能性が高いようなのです(もっとも、私にとっては予想の範囲内ですが)。4月に進行協議が行われたのですが、裁判長から、和解勧告(あるいはそれに類するもの)が出されたようなのです。6月には、東京高等裁判所から、上越市対東京放送訴訟の判決が出るようです。それを見た上で、7月1日に進行協議がなされるようです。その際、日田市が最初に示している訂正文案を若干修正したもの(表現がきついから穏やかなものにするということのようですが、要は別府市の面子も立つような文面にするということです)を提示するようです。これが受け入れられるならば、今年度中にも和解が成立することになります。

 5月21日の午後には、日田市対経済産業大臣訴訟の口頭弁論が開かれましたが、これについては第42編において報告をいたします。


(初出:2002年5月22日)

2025年5月16日金曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第40編

 このサテライト日田問題がTBSの「噂の! 東京マガジン」によって全国的に知られるようになって、もう1年以上がすぎます。私自身が取り組み始めたのは2000年の6月末で、ホームページで取り上げたのは7月のことです。それから不定期連載となり、今回で第40編となりました。しかも、今回は、私にとって一つの区切りになる日に掲載することになります(その意味は、ここで記しません。次回の更新で明らかにいたします)。よくここまで続けられたものだと、私自身が思っています。熱し易く冷め易いほうなのか、単に飽きっぽい性格なのか、ここまで続くとは思っておらず、このホームページのメインの一つになるとは予想もしていなかったのです。

 今では、多くの行政法学者や行政学者などにも知られるようになり、論文や学会報告においても言葉などが取り上げられるようになりました。この問題について本格的に取り上げた論文は、私の知る限りですが、私の「サテライト日田をめぐる自治体間対立と条例―日田市公営競技の場外券売場設置等による生活環境等の保全に関する条例―」(月刊地方自治職員研修2001年5月号)だけです。また、ホームページに記事を掲載する形でこれほどまでに追い続けているのも、おそらくはこのホームページだけでしょう(掲示板は除いています)。この問題に取り組むようになって、多くの方にこの不定期連載をお読みいただき、御意見をいただきましたし、面識を得させていただく機会を得ることもできました。最近聞いた話では、或る有名な行政法学者の方も、主に日田市のまちづくりという観点からこの問題を取り上げた論文集を公刊されるようです。そこには、このホームページも何度か登場するとのことです。

 しかし、この問題はまだ終わっていません。どのような形で終末を迎えるのか、或る程度の予想はできますし、幾つかのシナリオを書くこともできるのですが、ここではやめておきましょう。

 また、私は加入していないのですが(そして、既に少なからぬ学会に加入していることもあって、予定もないのですが)、民主主義科学者協会法律部会という、学界横断的な(といっても、法律学の中でのことですが)組織があり、ここの合宿が熊本県水俣市の湯の児温泉で開かれるのだが、行政法部会で「自治体間対立」としてこの問題について報告をしてくれないか、という御依頼を、名古屋経済大学の榊原秀訓氏からいただきました。そこで、大分大学内の様々な用事に忙殺される中でそれほど十分な準備ができないまま、3月28日に報告をいたしました。サテライト日田訴訟のうち、日田市対経済産業大臣訴訟に関係されている、九州大学の木佐茂男氏、専修大学の白藤博行氏、東京都立大学の人見剛氏も合宿に参加されているので、正直に申し上げれば不安が多く、私自身も不満足な出来に終わってしまい、申し訳なく思っています。しかし、当日参加された方に、大分県に住んでいる者としての見方を御理解いただければ、と思っています(なお、草稿を用意していたのですが、ここには掲載しません)。

 いずれにせよ、サテライト日田関連の話題が出る限りは、最後まで続けて参ります。

 さて、本題に入ることといたしましょう。

 日田市対別府市訴訟の口頭弁論が行われたのが3月5日、その2日後、私は東京へ帰りました。目的は、ヴァイマール共和国期の財政調整法理論に関する資料の収集でしたが、別の用事として、このサテライト日田訴訟の件がありました。午前中、早稲田大学で資料収集をして、一旦中断し、バスで四谷へ向かいました。そして、14時、日田市側の原告代理人を務める寺井弁護士、木田弁護士などが所属するリベルテ法律事務所を訪れました。この日、私は参考資料を持っており、これをお渡しするとともに、若干の意見交換などをいたしました。また、既に2月22日付で経済産業大臣側の第4準備書面が提出されており、これを読ませていただきました。また、寺井弁護士の活動を紹介する記事が、毎日新聞2002年3月6日付朝刊(と思われます)3面14版に掲載されており、そのコピーもいただきました。

 今年に入ってから、福島大学行政社会科学部の垣見隆禎助教授より「明治憲法下の自治体の行政訴訟」という論文の抜刷を送っていただきました(体裁としては失礼なのですが、この場で改めての御礼を申し上げます)。福島大学行政社会論集14巻2号に掲載されたものです。私は、研究室で早速読んだのですが、行政裁判所法という、行政訴訟に関する法律としては著しく不備なものが施行されていた中で、地方自治体の原告適格が認められていた、というより、問題にされていなかったことを知り、驚いたのです。

 そもそも、日本国憲法と異なり、大日本帝国憲法には地方自治に関する規定がありません。このことからして、明治時代から昭和20年代、大日本帝国憲法の時代には、地方自治は憲法上の制度ではなく、地方自治体(とくに都道府県)は国の出先機関のような性格を有しており、自治権などというものが予定されていなかったことになります。

 大日本帝国憲法時代、行政に関する法的紛争(損害賠償を除きます)については、大審院を頂点とする通常裁判所の管轄から外されておりました。つまり、現在のように地方裁判所などに訴訟を提起することができなかったのです。この時代には、ドイツ帝国、とくにプロイセン王国の法制度が模範とされていたため、行政訴訟については別の系統とされていたのです。しかも、行政裁判所法は列記主義を採用していました。これもプロイセン王国の制度に倣ったものです。どういうことかというと、行政裁判所法により、訴訟を提起しうる場合が幾つか定められており、それらのいずれにも該当しない場合には、たとえ行政に関する法的紛争といっても争うことができなかったのです。さらに、行政裁判所は、司法権の系列ではなく、行政権の一環とされ、全国に一箇所、現在の東京都千代田区にしかなかったのです。戦後、日本国憲法が制定されると、行政裁判所は憲法第76条第2項と矛盾するために廃止されましたし、列記主義から概括主義(いかなる法的事件について訴訟を提起することができるかについて、とくに制限を設けないこと)となり、最高裁判所を頂点とする各裁判所において扱われるようになりました。行政事件に関する法律は、日本国憲法制定後、何回かの変遷を経て、現在の行政事件訴訟法となりました。

 しかし、現在の行政事件訴訟法も、地方自治体の原告適格、というより、そもそも、垣見助教授の表現をお借りすれば「出訴資格」があるのか否かは不明です。私人に「出訴資格」があるのは明らかで、その上で原告適格が問題となります。現在、日田市対経済産業大臣訴訟において争われているのは、この「出訴資格」であり、まだ原告適格の段階にあるとは言えない部分があるのです。これまでの判例を検討すると、有名な摂津訴訟など、自治体の「出訴資格」は肯定されているのですが、行政裁判所法の時代にも、この点については全くと言ってもよいほど問題にされておらず、処分の第三者としての地位にある地方自治体が原告となって処分の取消などを請求する訴訟を提起することが認められていたのです。仮に、日田市対経済産業大臣訴訟において日田市の「出訴資格」が否定されるとなると、大日本帝国憲法時代よりも後退することになります。これは、まちづくりを進める場合などに障害となります。また、住民自治の観点からみても問題です。結局、住民自治が否定されかねないからです。何のために、都道府県や市町村が地方自治法によって法人格を与えられているのか、わからなくなるのです。

 次に、経済産業大臣側の第4準備書面について、内容を簡単に紹介します。

 これは、今年1月21日付で原告側から提出された準備書面(第3)においてなされた求釈明(第37編を参照して下さい)に対する応答の形をとっていますが、全く応答にも釈明にもなっておりません。第37編において述べたように、予想がつくことでした。

 まず、「(1)サテライト日田設置許可処分の法的性質(自転車競技法第4条第1項)」ですが、これについて、経済産業大臣側は許可であるという趣旨を述べていますが、第3準備書面(第34編を参照して下さい)で述べた通りであるというような調子で書かれており、他の論点についても同様です。

 次に、「(2)場外車券売場設置許可処分は、立地する地方自治体に何らかの権利義務の変動を与えないのか、そして、この許可処分は地方自治体の権限行使との関係において、法的な問題を一切生じさせないのか」という問題ですが、これについての経済産業大臣側の主張は、全く意味不明です。

 「(3)地方分権推進法、地方自治法の規定の性格」については、経済産業大臣側が正式に条文の訂正をしており、その上で「被告の第3準備書面第1の2の(1)において主張したとおりであり、それ以上に釈明する必要はないと思料する」と書かれております。私は、この文面を見た時、「これでは回答(解答)になっていない。出典くらい明示せよ!」と叫びだす寸前にまで至りました。もっとも、最近読んだ本の中で、これらの規定がプログラム規定だという解説があったのですが、これは公定解釈でも何でもなく、地方分権に関する研究書でした(著者および書名を覚えていないので、改めて調べてみます)。第34編および第37編において述べたように、地方分権推進法第4条や地方自治法第1条などの規定は、国民や住民を直接的に拘束しません。しかし、地方自治法にある他の規定を解釈する際に、強力な基準となります。そればかりでなく、地方自治法の各規定を改正する場合などに、国会に対し、一定の縛りをかけることとなります。さらに言うならば、地方自治法以外の諸法律についても、解釈や改正の指針、基準となるべきものです。その意味において、単なるプログラム規定だとは言えないのです。「宣言的・指針的」規定という言葉の意味について、経済産業大臣側は何の説明もしていません。あるいは、説明できないのでしょうか。それはどちらでもよいのですが、この程度の説明では、相手に理解を求めること自体が無理な話です。仮に、このような言葉が修士論文か何かに書かれていて、私が審査員として学生に説明を求め、この程度の回答しか得られなかったとしたら、私は躊躇せずに不可の評価を与えるでしょう。大学院時代、私自身が、ここに改めて書くまでもない早稲田大学名誉教授の恩師から何度となく厳しく注意されたことでもあります。

 「(4)自転車競技法が保護する利益」については、経済産業大臣側は「第1準備書面第1の2の(1)ないし(5)で詳細に主張した」としております(第1準備書面については第31編も参照して下さい)。原告は「地方自治体の文教上、保健衛生上、周辺環境上の利益保護を一切目的としていないとする趣旨か」と質していました。経済産業大臣側の第4準備書面だけではよくわからないのですが、おそらく、「地方自治体の文教上、保健衛生上、周辺環境上の利益保護を一切目的としていないとする趣旨」なのでしょう。

 最後に、「(5)自転車競技法第1条第1項と地方自治法第1条との関連」についてですが、これについても、経済産業大臣側は第3準備書面において述べたと主張しています。とは言え、その趣旨は必ずしも明らかになっていません。おそらく、従来の「法律上保護された利益説」を堅持するという趣旨でしょう。行政学的な立場を加味して記すならば、この「法律上保護された利益説」は、従来の過度な縦割り行政を訴訟などの面において助長するという弊害をもたらしたのではないでしょうか。法律は、憲法第74条において「法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする」と規定されるように、内容に応じて異なる官庁が所轄します。地方分権推進法は、おそらく、内閣府が所轄官庁でしょう。地方自治法は総務省(以前は自治省)、自転車競技法は経済産業省、競馬法は農林水産省、などとなっております。このこと自体の問題を指摘する意見もあるのですが、それを措くとして、本来であれば体系的に、省庁横断的に捉えるべき法の世界が各論分断的になっており、地方自治法の趣旨などが生かされないという結果になっているのです。内閣法制局が、法律案の審査権を有しているのですが、このことも法体系における縦割り現象に対する歯止めになっておりません。

 こうした状況の中で、これまで、地方自治体は右往左往せざるをえない状況に置かれていました。地方行政の分野にまで国の縦割り行政の影響が及び、統一的なまちづくりなどを阻んできたという訳です。残念ながら、地方分権改革が進められ、機関委任事務が廃止されたと言っても、国の強力な関与は形を変えて残っています。中央省庁が再編されたと言っても、縦割りの弊害は解消しておらず、むしろ強まっているかのような印象すら受けます。地方自治体の現実から「受け皿論」などというものが登場するのですが、これは或る意味で本末転倒です。これまで地方自治体に手枷足枷をかけ、その上で補助金などの飴あるいはパンを天井からぶら下げたのは、一体何処の誰なのでしょう。これを忘れてはいけません。

 経済産業省側の第4準備書面は、上記の内容のまま、大分地方裁判所に提出されており、3月26日の口頭弁論ではこの書面どおりに「陳述します」との一言で終わりました。

 これに対抗するためにも、今後、まちづくり権の中身、もっと言うならば法的な根拠をさらに具体化する必要が出てきたということになります。おそらく、具体的な形は地方自治体によって異なるでしょう。それでよいのです。それこそがまちづくりですから。問題は、憲法第8章や地方自治法からどのように地方自治体のまちづくり権を導き出すかということです。3月7日に、私はこの課題を与えられたと理解しております。勿論、行政法学者の一人でもありますから、以前からの課題なのですが、改めて考えなければならないのです。まちづくりという言葉自体、論者による微妙な差があり、単なるハード作りなのか、景観保護なのか、住民自治のルールなのか、不明確なところがある点は否定できません。その際、ニセコ町のまちづくり基本条例は参考となります。

 正直に記すと、財政調整などの研究を進めている私としては、憲法第8章の諸規定を改正し、地方自治をもう少し強く前面に押し出す必要があると思っています。この際、連邦制や道州制は議論の対象になりません。連邦制=分権という図式は単純にすぎ、歴史的事実をも軽視しています。ヴァイマール共和国期のドイツ、建国当初のドイツ民主共和国も連邦国家でしたが、集権的国家でした。同じような例としては、アルゼンチンなどをあげることができるでしょう。また、現在のドイツ連邦共和国についても、税財政の側面からすればむしろ集権的な国家であるという指摘があります(Wolfgang Renzsch, Finanzverfassung und Finanzausgleich, Die Auseinandersetzungen um ihre politische Gestaltung in der Bundesrepublik Deutschland zwischen Wahrungsreform und deutscher Vereinigung (1948~1990)〔伊東弘文訳『ドイツ財政調整発展史―戦後から統一まで―』(1999年,九州大学出版会)〕。

 四谷の街を歩き、南北線および東西線経由で早稲田大学に戻り、資料収集を続けながら、「地方自治とは一体何であるのか」という根本的な疑問が、頭の中を駆け巡りました。大分に戻ってからも、大学院福祉社会科学研究科に関係する仕事などをこなしながら、様々な文献を漁って読み続けています。何度か記しているように、私自身は、博士後期課程在学中から財政調整の研究に取り組んでいます(その割には進んでいないのですが)。その関係で、地方税制度にも関心を持っているのですが、日本国憲法は、どう考えても、国と地方自治体との役割分担、地方自治体の権限などに関する諸原則を、必ずしも十分に明確にしているとは思えないのです。

 色々なことを考えているうちに、3月26日を迎えました。NHKラジオ第一放送の正午のニュースで、例の東京都外形標準課税訴訟の判決が東京地方裁判所から出され、東京都が敗訴したという報道を耳にし、日田市対経済産業大臣訴訟の結末はどうなるかと、いくつかのパターンを考えました。東京都の外形標準課税については、私は当初から疑問視しておりますので、その意味において、判決の結論自体は妥当だと思うのですが、理由については妥当とは言えない部分もあると考えています。この記事の趣旨から外れるので、これ以上は記さないこととします。

 大分地方裁判所に到着したのは12時半、日田市役所の職員の方お一人以外、誰もいなかったのですが、13時をすぎて傍聴人が集まりました。今回は人数が少なかったのですが、九州大学の木佐茂男教授が来られておりました。また、ゼミ生のお二人も傍聴しておりました。以前から、熊本県立大学の学生お一人も傍聴を続けております。そうなると、大分大学をはじめとした大分県内の大学関係者で、このサテライト日田問題に関心を抱いているのは、教職員と学生とを問わず私一人だけということになります。何とも言えません。

 13時半に開廷し、口頭弁論が始まりました。今回は、東京都立大学の人見剛教授による3月18日付の鑑定意見書が提出され、木田弁護士から内容についての説明がなされました。この書面のコピーは、日田市側によって傍聴人全員に配られました。大石市長、室原議長などから「わかりやすい内容だ」という意見が聞かれました。今回、参照および引用について人見教授の御了解を得ることができましたので、ここに内容を紹介することとします。

 鑑定事項は、「日本の学説及び裁判例からみた『まちづくり権』の侵害を理由とする地方自治体の原告適格について」となっております。白藤教授、村上教授に続いてアメリカ合衆国の例をも参照しています。

 さて、まずは「出訴資格」についてです。これは、裁判所法第3条第1項にいう「法律上の争訟」への該当性に関わります。人見教授は、地方自治体が行政事件訴訟法に規定される抗告訴訟を提起する場合として、(1)「財産権の主体たる地位を典型とする私人と同様の立場で訴訟を提起する場合」と、(2)「私人とは異質の行政主体としての立場」において「訴訟を提起する場合」とに分かれるとしております。

 このうち、(1)については出訴資格を否定する見解はみられないとして、那覇地判平成2年5月29日判時1351号16頁を参照しています。問題は(2)なのですが、これについても、ドイツ、フランス、英米諸国の例を引きつつ、さらに、摂津訴訟控訴審判決(東京高判昭和55年7月28日行裁例集31巻7号1558頁)、最判平成13年7月13日判例自治216号100頁を例としてあげ、この場合においても地方自治体に出訴資格があるとしております。

 続いて、「抗告訴訟の紛争事案において自治体の原告適格が認められるか否か」についての検討に入っております。ここでも、(3)「行政処分の名宛人としての固有の資格における自治体の原告適格」と、(4)「行政処分の第三者としての固有の資格における自治体の原告適格」とに分けて検討する必要があるとして、それぞれについて検討を進めております。

 このうち、(3)については、国地方係争処理委員会および自治紛争処理委員会(地方自治法第250条の7以下を参照)に審査を申し出て、その審査の結果などについて高等裁判所に取消訴訟を提起できるという場合があります。しかし、これは抗告訴訟ではなく、機関訴訟であるとされています。そうなると、この両委員会の審査を経ないで抗告訴訟を提起できるのかという問題が生じますが、地方自治法第245条において両委員会の審査対象から外されているものがあり、これについては抗告訴訟を提起することが可能であるとされています。また、外されていないものについても抗告訴訟が可能である見解として、室井力・兼子仁編『基本法コンメンタール・地方自治法〔第4版〕』(2001年、日本評論社)373頁(人見教授御自身が担当されています)、および、白藤教授の論文(基は学会報告)「国と地方公共団体との紛争処理の仕組み」(日本公法学会編・公法研究62号208頁)を参照されております。

 そして、(4)です。経済産業大臣側の主張に対する反論としての意味をも有するものです。行政事件訴訟法第9条の解釈論が展開されます。

 まず、行政法学においては、原告適格について「法律上保護された利益説」と「法律上保護に値する利益説」との対立が知られております。しかし、最近の判例は、ベースとしては「法律上保護された利益説」を採用しつつも、その範囲を拡大する傾向を示しています。この説は、処分の根拠となる法律の規定が公益を保護する趣旨か個人の利益を直接保護する趣旨かによって原告適格を判断するのですが、最近は、「個人の利益を保護する規定は、法令の明文によるものでなくともよく、解釈上保護する趣旨と理解できればよい」とする傾向、公益保護を趣旨とする規定であっても個人の個別的利益を保護する趣旨と理解できる場合があるとする傾向、処分の直接の根拠規定などに限らず、共通の目的を有する関連法律など法体系を鑑みるべきであるとする傾向(新潟空港訴訟最高裁判決が典型)、処分によって侵害される可能性がある利益の内容や性質や程度も判断要素とする傾向があることが指摘されています。

 ただ、これらはあくまでも原告が私人である場合であって、地方自治体にはストレートに適用できません。人見教授もこの点を確認しております。しかし、塩野宏教授の論文、白藤教授による鑑定意見、垣見助教授の論文などを参照しつつ、地方自治体についても私人と同様に出訴資格を認めるべきであるという趣旨が導かれます。この際、自然環境保護法第14条第2項や大気汚染防止法第3条第5項などが引き合いに出されており、「少なくとも、こうして自治体の参加手続が名分譲定められている場合に、その手続が遵守されないときは、当該自治体は、その参加的地位の毀損を理由とする行政処分の取消訴訟の原告適格を有すると解すべきであろう」と結論づけられております。

 以上を踏まえた上で、鑑定意見書は「本件訴訟の検討」に入ります。人見教授は、日田市が原告適格を有する理由として3点をあげられています。非常に詳細な検討内容なのですが、これを全て引用して紹介する訳にもいきません(何らかの形で公刊されるならば、ありがたいことなのですが)。そこで、要点のみを紹介します。

 第1点として、自転車競技法の趣旨があげられます。この法律の主要な目的は地方自治体の財政の健全化です。一方、別府競輪場の場外車券売場が日田市に設けられることにより、日田市は、仮に競輪事業を営んでいれば得られたかもしれない利益を失う可能性があります。このことから日田市に「法律上の利益」がある、という訳です。もっとも、日田市の場合は「競輪事業を営まないことによって得られる地域環境的な利益」を主張しているのですが、これも仮に競輪事業を営んでいれば得られたかもしれない利益と表裏の関係にあります。つまりは同質だというのです。こうした利益を、自転車競技法は、許可制度などにおいて当然に予定している。これが鑑定意見書の立場です。

 第2点として、自転車競技法第3条で定められる競輪場の設置・移転許可と第4条との関係です。場外車券売場の場合、経済産業省令によって基準が定められており、ここから、「学校その他の文教施設や病院その他の医療施設の設置・運営主体の文教・保健衛生に係る利益は、自転車競技法及びその施行規則によって個別的利益としても保護された法益である」と結論づけております。これに対し、場外車券売場設置予定地の周辺地域が有するはずの環境上の利益については、自転車競技法などによって個別的に保護された利益であるとは言えないとしながらも、「原告が、まさしく公益の担い手である地方自治体であれば、話は全く別である。法律上の保護法益が公益であることを理由にその原告適格が否定されるのは、原告が個人的な利益の担い手である一般私人であるからこそである。公益保護規定であることは、自治体の原告適格を否定する理由にならず、むしろ自治体のみが原告適格を有しうることの根拠になるともいえよう」とされております。この部分は多少とも強引かという印象を受けますが、「およそ公益保護規定であれば、それを根拠に自治体は取消訴訟を提起しうるとするのは極端であ」るとも言明されております。

 第3点は、地方自治体が場外車券売場の設置に関係する場合の手続的参加の問題です。自転車競技法の場合、競輪場の設置については関係自治体からの意見の聴取が予定されておりますが、場外車券売場については予定されていません。人見教授は、地方自治法第244条の3第1項を「一つの手がかり」としてあげているのですが、場外車券売場などは、地方自治法第244条第1項にいう「住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設」に該当せず、しかも民間事業者がサテライト日田の設置を進めていることを認めております。その上で、「病院や福祉施設などの『公の施設』の区域外設置の時は、地元自治体との協議を要するが、ゴミ焼却場のようないわゆる迷惑施設は『公の施設』に該当しないから協議を要しないとするのは、いかにも不合理である」と述べています。そして、場外車券売場は、設置主体は民間事業者であっても建物の設置ということに留まること(留まらなければ自転車競技法に違反します)、「競輪事業の主体たる別府市の意思と全く独立に、民間事業者が場外車券売場の建設を企図することはあり得ない」から、サテライト日田を(公の施設ではないとしても)別府市の施設とみるべきであるという主張がなされます。そして、サテライト日田についても「地方自治法第244条の3の趣旨に即した地元自治体との協議を不可欠とすべきである。(中略)そのような協議を受けずに場外車券売場が設置されることになる原告日田市は、協議を受けるという手続的地位の毀損を理由に、場外車券売場設置許可処分の取消訴訟を提起することができる」と結論づけています。

 以前から、私は、サテライト日田設置許可手続には問題があると思っていて、行政手続法などによって手続の瑕疵を主張できないかと考えておりました。その旨を、日田市側の弁護団にも述べたことがあります。しかし、行政手続法ではあまりに根拠が薄弱です。許可処分など、行政手続法第2章にいう「申請に対する処分」の手続の際に、公聴会などを開催する旨の規定が同第10条にあるのですが、これは努力義務規定なのです。地方自治法第244条の3の趣旨を生かす、これを類推適用と表現してよいのかわかりませんが、そのような考え方を思いつかなかったのでした。まだまだ勉強不足でした。

 余談ですが、「競輪事業の主体たる別府市の意思と全く独立に、民間事業者が場外車券売場の建設を企図することはあり得ない」という部分は、人見教授が意図されたかされなかったかわかりませんが、別府市に対する間接的な批判ともなっております。この不定期連載においても紹介し、私自身が批判しているように、サテライト日田問題に関する別府市の対応は不適切としか言いようがありません。別府市は、あたかもサテライト日田は別府市の意思と無関係に進められたかのような態度を示すことがあったからです。

 今後の日程ですが、次回は5月21日、13時10分から13時30分までです。既に次々回についても決定しており、7月23日の13時30分からとなっております。

 最後に、当日、木佐先生から、「まちづくり権への挑戦~日田市場外車券売場訴訟を追う~」と題されたゼミ論集〔九州大学法学部2001年度行政法演習(木佐茂男ゼミ)研究報告書〕をいただきました。まず、この場を借りて、改めて御礼を申し上げます。論集は、ゼミの学生諸君により、主に日田市側の観点による内容となっており、かなり詳細な研究報告となっており、完成度も高いと評価できます。このホームページでの不定期連載など、半分は不要になるのではないかと思われるほどです。


(初出:2002年3月31日)

2025年5月15日木曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第39編

 前回(第38編)、日田市を離れ、福岡市の話題を取り上げました。福岡市当局が場外馬券場設置についていかなる見解を持っているのか、私の知るところではありません。しかし、少なくとも、住民の立場からすれば、学校や住宅、そして病院や福祉施設の立ち並ぶ地域に場外馬券売場などができるということは、地域の環境破壊に他ならないということになるでしょう。最近では、東京都が後楽園競輪復活の意向を示したのに対し、文京区長が慎重な姿勢を示したと報じられています。以前であれば、公営競技はまさに「公共の福祉」に資するものと考えられたでしょうし(実際、その趣旨を述べた判決も存在します)、公営競技の収益が地域の教育環境改善に役立ったことも事実です。私の出身地である川崎市でも、競輪や競馬からの収益で小学校や中学校などが建設されました。とは言え、今、公共性という言葉自体、以前のように「錦の御旗」的な意義を失っています。絶対的な護符として振りかざすべきものでもなくなっているのです。公営競技も、こうした観点から捉えなおす必要があるのかもしれません。

 また、以前であれば地方自治体の貴重な収入源でもあった公営競技が、現在、むしろ地方自治体のお荷物的存在となっている、あるいは、なりつつある、という厳しい現実があります。昨年の6月に幕を閉じた(あくまでも正式には、ということです)、大分県の中津競馬がまさに代表例なのですが、最近では浜名湖競艇を例としてあげることができます。

 朝日新聞静岡版3月11日付の記事「浜名湖競艇 配分金収入波間に消え」(http://mytown.asahi.com/shizuoka/news02.asp?kiji=5937)によると、浜名湖競艇企業団を運営している新居町、舞阪町および雄踏町の新年度予算案は、いずれも、競艇事業からの収入(浜名湖競艇企業団からの配分金)を零と見込んでいます。実は、平成13年度も配分金は零でした(当初の見込みは1億6000万円でしたが、昨年11月に減額修正されています)。町税収入も伸び悩み、地方交付税も削減され、この3町にとっては頭の痛い話です。配分金が零では予算として歳入額に入れることもできません。1981年度には配分金が1町あたりで18億円だったとのことで、この頃には3町の歳入額の4割が配分金、雄踏町の場合には税収よりも配分金のほうが多かったというほどでした。この3町については、道路舗装率、下水道普及率なども高かったそうです。しかし、1997年度から、配分金は10億円を割り込み、2000年度には1億9500億円にまで落ち込んでいます。

 ここでお断りしておかなければならないのですが、私は、何も公営競技そのものに反対する立場を採りませんし、公営競技が絶対的に悪であるという立場も採りません。公営競技の必要性や功罪に関する議論と、サテライト日田のような問題とは、区別、否、峻別する必要があります。私は、以前からこの点を意識していますが、この点を混同している論者が少なくないようなので、注意を促しておきたいのです。これは、後に取り上げる別府市の主張について、とくに妥当することです。日田市に対しても、このことをよく考えていただきたいと思います。

 ここで余談になります(それにしてはかなり長いのですが)。パチンコはどうなのでしょうか。競馬などと混同する方々が多いのですが、適用すべき法律などが違います。なお、私は刑法学を専攻していないので、以下の記述に誤りがあるかもしれません。正確を期したつもりですが、御指摘・御教示を賜れるならば幸いです。

 パチンコの場合は風俗適正化法が適用されますし、パチンコ屋がお客に対して現金などを渡す訳ではないのです。仮に、例えばパチンコで勝ったお客が2万発の玉を景品に交換するとします。そして、1発あたり2円50銭で店から借りた(法律上は購入になりません)として、店が等額で返してくれるとすると、5万円分になります。この5万円を、現金で店が返すとなれば、刑法第185条の賭博罪に該当します。但し、同条ただし書きにもありますように「一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるとき」は、賭博罪に該当しません。例えば乳酸菌飲料、チョコレート、インスタントラーメン、煙草などは、パチンコ屋で取り替えたとしても賭博罪に該当しない訳です。もっとも、最近は、卸値か小売価格かはわかりませんが、1万円分以内であれば景品として取り替えられます。目覚し時計、CDなどはもちろん、家庭用ゲーム機やシャネルの香水なども景品となっています(実際、私が大学院生であった頃、六本木のパチンコ店でシャネルのNo. 5などが景品として並べられていました)。中には、携帯電話の契約という景品までありました(私が大学院生の頃です)。こうしたものが「一時の娯楽に供する物」なのかどうかわかりませんし、パチンコでこうしたものを「賭けた」ことになるのかどうかも、私にはよくわかりません。いずれにせよ、パチンコ屋のカウンターで玉やメダルと取り替えられるのは景品であって現金ではないのです。

 それなのに、パチンコで勝ったお客は現金と取り替えているではないか、これは立派なギャンブルだろう、という声が聞こえてきます。たしかに、最終的には現金に化けることになりますが、これにはカラクリ(?)があります。景品のうち、特殊景品と呼ばれる物があります。お客はこれを持って、パチンコ店とは経営者が違うはずの景品交換所へ持って行きます。そこで特殊景品と現金とを交換するのですが、ここでは一種の売買契約が履行されることになります。特殊景品には、昔であればボールペンなど、今では金箔やペンダントなどが用いられており、景品によって単価が違います。こうした景品を、一応はお客が景品交換所に売ることとなります。売った結果によって、お客はいくらかのお金を手にする訳です。或る意味では脱法行為なのかもしれませんが、パチンコ屋自身が現金と取り替える訳ではないので、風俗適正化法にも刑法にも抵触しないのです。

 たしかに、パチンコと公営競技では、地域の環境に与える影響などの点で似通っている部分が多いのですが、意外にも、行政法学者や弁護士などにパチンコを御存知ない方が多いようなので、記しておいた次第です。

 さらに余談めいたことを記すと、私自身、パチンコやパチスロなどをよくやっていた時期がありましたが、飽きてしまい、ここ数年は全くやっていません(どちらかというと、私は飽きっぽい性格です。その割には、この不定期連載を続けていますが)。麻雀をしたこともありませんし、競馬や競輪なども全くしません。一種の公営ギャンブルであり、私人が行えば刑法第187条の富くじ罪に該当するはずの宝くじやサッカーくじもやっていません。多少とも仕組みを知っているだけに、やる気すら起こりません。それにしても、宝くじというものは、戦後、地方財政が破綻したことを受けて、いわば再建策の一環として始められたのであり、地方財政の状況が改善されるまでの「当分の間」に限り、運営されるべきものでした。しかし、現在では、廃止どころか、ますます大掛かりになっています。地方財政の状況は戦後一貫して再建から程遠い状況にある、ということなのでしょうか。それとも、ソヴィエト社会主義共和国連邦の建国の際にも使われた「当分の間」の魔力でしょうか。〕

 さて、サテライト日田問題に入ることとしましょう。2002年3月5日、11時より、大分地方裁判所1号法廷において、日田市対別府市訴訟の口頭弁論が行われました。実は、当日、私はこの模様を傍聴しておりません。午前中、大分大学で会議があり、都合がつかなかったからです。翌日、日田市役所企画課より、別府市側の準備書面(2002年3月4日付)を送っていただきましたので、それを基に検討して参ります。

 まず、別府市側の準備書面は、冒頭から「原告は、自転車競技法によって運営されている競輪事業を『ギャンブル』と決め付けた上で、『サテライト日田』の設置は日田市の目指す『文化・教育の香り高い都市』というまちづくりビジョンに相応しくない施設であり、青少年の健全育成の見地からも好ましくない施設であるとして、各関係機関に対して設置不許可を強く申し入れてきたなどと主張する」と、これまでより攻撃的な調子で書かれており、最後まで続きます。その上で、乙第8号証を参照し、場外車券売場が設置されている市町村を示した上で、こうした市町村でも日田市と同様のまちづくりの理念が掲げられており、「場外車券売場が設置されている市町村において、特に場外車券売場の設置に起因して青少年の健全育成が阻害されているという事実はな」く、日田市の主張は「公営競技に対する偏見を前提と」するものであると批判しております。

 この部分については、たしかに、別府市の主張が示すように、日田市の主張を裏付ける証拠が乏しいと思われます。しかし、一般常識あるいは感覚からすれば、競輪がギャンブルであると「決め付け」ているという批判には、違和感を覚えるでしょう。実際、私が2000年12月9日に別府駅前でサテライト日田設置反対のデモ行進を取材した時、別府市民の方からも、競輪はギャンブルでしかないという趣旨の発言を聞いておりますし、公営カジノ構想に至っては「一体何を考えているのか」、「別府市はギャンブルで街を活性化することばかり考えている」、「これで風紀が(ますます)悪くなる、湯布院町などと違って文化的な活動については全く遅れている」という批判も飛びました(第8編も参照して下さい)。このような批判を、別府市はどのように考えるのでしょうか(勿論、昨今のパチンコについて、ギャンブル性が全く無いとは申しませんが)。

 既に記したように、競輪などの公営競技は、仮に私人が行ったとすると直ちに賭博罪の構成要件を充たすこととなります(この点が、パチンコなどと違うところです)。それを都道府県や指定市町村が行えるというのは、競馬法や自転車競技法などによって事業運営が認められているからにすぎません。いわゆるノミ行為などは、競馬法や自転車競技法などによって処罰されます。法律学的に言うと、刑法が一般法であり、自転車競技法などは特別法となります。場外券売場のみに関して私人が設置許可申請をなしうるというのも、法律の趣旨からすればおかしいとも考えられるのですが、あくまでも設置のみであって、実際に私人が馬券や車券などを販売することができないことにしているのです。

 また、乙第8号証には、たしかに、競輪場または場外車券売場が設置されている市町村のまちづくりに関するヴィジョンが列挙されております。23頁にも及ぶものです。しかし、これらは、単に市町村と「まちづくりビジョンの理念等」とその「根拠」が列挙されているにすぎず、しかも項目に留まります。この程度であれば、どの市町村でも掲げることができます。問題は、その実際上の意義であり、実現状況です。別府市もまちづくりの理念などを示しておりますが、近年開学した某大学の設置に関しては、稀少種類の植物が自生する市有地を無償で提供した問題が大きく取り上げられましたし、別府市に、国際性があふれているとされる大学の所在地として相応しいような図書館施設がないことも問題とされました。実際、大分県内で最も充実した図書館は大分市内にある大分県立図書館です(次が大分大学附属図書館でしょうか)。

 それに、公営競技をまちづくりの手段として位置づけるか否かは、それこそ市町村の主体性に基づくものです。別府市に隣接し、今では別府市よりも温泉などの観光地として知られる大分郡湯布院町も、早くからまちづくりの実践例として知られておりますが、ここには数件のパチンコ屋があるものの、公営競技に関連する施設(公営競技場および場外車券場)はありません。公営競技の是非はともあれ、まちづくりだけで考えれば、全国的にみて、別府市より湯布院町のほうに軍配が上がるでしょう。

 仮にまちづくりの根拠を挙げるとするならば、総合計画の類では不十分でしょう。こうしたものに法的な拘束力はないのです。まちづくり条例、あるいはそれに類するもののほうが、有効性があります。

 次に、別府市側は、昭和25年法律第221号の別府国際観光温泉文化都市建設法を引き合いに出し、別府市総合計画を援用して「住む人も、いきいきと輝く、豊かな生活交流圏の創造」を「まちづくりの基本理念」とし、「学術文化を創造し、人を育む学びのまち」、「健康で、安心して暮らせる福祉のまち」の双方を「まちづくりの基本目標」にしていることをあげています。そして、別府競輪場の周辺(おそらく、半径1.5km以内ということでしょう)に、別府市立の上人小学校・亀川小学校・春木川小学校・北部中学校、大分県立別府羽室台高等学校、別府女子短期大学および附属高校、別府大学などの教育機関、国立別府病院、社会福祉法人太陽の家(身体障害者授産施設)などがあり、これらが「競輪事業によって悪影響を与えられているという事実はない」と主張しています(証拠は一切出されていないようです)。

 この点に関しては、日田市の主張とどのように関連するのかという問題があります。日田市は、市報べっぷ2000年11月号に掲載された別府競輪の特集記事にある「②場外車券売場の通産大臣の設置許可まで、『サテライト日田』の場合3年を要した。反対するのであれば、日田市としては、本来、設置許可が出る前に、許可権者である通産大臣に対して明確な反対の意思表示をすべきだったのではないか」という部分です。すなわち、別府競輪の性質自体を争点にしている訳でもなく、別府競輪の存在による周囲への悪影響の有無も争点にはしていないのです。何故にこれらの主張が登場するのか。経済産業省側の主張であるというならば、理解もできます。すぐ後に「『サテライト日田』が設置されることによって青少年の健全育成が阻害されるという抽象的な観念論に基づいて、『サテライト日田』の設置に反対し、本件『市報べっぷ』競輪特集記事に対しても種々批判を加えているが、何ら具体的な主張はなされていない」という記述があるので、これに結びつけるためなのでしょう。しかし、これも、争点から外れた記述としか言えません。日田市としては、大分県警察などが保持する犯罪記録を反証としてあげる必要があるかもしれませんが(別府市の主張があまりに断定的なので)、日田市の主張に対する整合性のある反論が別府市からなされているとは考えにくいのです。

 第三に、別府市側は、市報べっぷ2000年11月号掲載記事について述べております。「原告の主張は、公益事業としての競輪事業の意義ないし役割を無視し、競輪事業に対する予断と偏見に乗じ、ことさらにその『ギャンブル性』のみを片面的に強調するものであり、公益目的とは無縁のものである」とした上で、「被告は、原告主張のような競輪事業に対する偏見を打破し、公益事業である競輪事業の意義、役割などに対する市民の理解の増進を図るための公益目的のために、本件競輪特集記事を掲載したものである」、「原告主張のような抽象的な観念論ないし偏見によって表現の自由が左右されてはならない」となっております。

 ここの部分は、完全にこの訴訟の争点から外れています。私も、改めて双方の準備書面を読み返して見ましたが、争点は、あくまでも日田市の反対運動に関して別府市が市報において虚偽の事実を記したのか否かであって、市報の記述の妥当性が問われているのです。勿論、別府市が主張するような「予断と偏見」が背後にある可能性は高いでしょう。しかし、日田市が証拠として出している、当時の通商産業省機会情報産業局車両課長名による文書などに対して、何の反論もなされておりません。久留米市との商圏調整についても触れられておりません。また、2001年2月8日、サテライト日田設置関連予算案が別府市議会において否決されたという事実を、どのように受け止めているのでしょうか。

 ここで少々皮肉めいた言い方を許していただけるならば、「被告は、原告主張のような競輪事業に対する偏見を打破し、公益事業である競輪事業の意義、役割などに対する市民の理解の増進を図るための公益目的のために、本件競輪特集記事を掲載したものである」という記述は、別府市自身も競輪事業に「公益」と矛盾する要素があることを認めたものとも読むことができますし、少なからぬ別府市民が「偏見」を持っていることを(断片的にではありますが)証明しています。南立石地区に計画された場外馬券売場設置問題について、別府市はいかなる態度を示してきたのでしょうか。

 それに、市報について「表現の自由」が認められるという主張にも問題があります。市報は、市の行政に関する事実などを報道するものであって、市長など執行機関の意見を一方的かつ無限定に表明すべきものではありません。市報を作成する際に、編集の自由などがあることは当然ですが、虚偽の記載をすることが許されないのは言うまでもありませんし、読者の名誉を毀損することが許されないのも当然のことです。名誉毀損の禁止は、表現の自由に対する内在的な制約として位置づけられますが、両者は完全に相互依存的な関係にあるのではなく、並行関係にあります。

 私人が有する表現の自由が公法人にも無条件で認められるという主張は正しいのでしょうか。まして、別府市は、当初、市報の発行を公権力の行使と位置づけておりました(第25編を参照して下さい)。公権力の行使という論法が妥当でないことは既に述べましたが、仮に妥当であるとすれば、公権力を行使する者にも表現の自由が私人と同様に認められるという、きわめて危険性の高い論法となります。しかも、別府市が表現の自由を有しながら名誉毀損罪(刑法第230条)の主体とならず、名誉毀損の損害賠償責任をも負わないというのです。これでは絶対君主制の論理です。そして、別府市が当初の公権力の行使という主張を放棄しているとすれば、御都合主義的な主張となります。

 表現の自由は、公権力の行使の対極として位置づけられます。公権力に対する対抗手段でもあり表現の自由を支える価値は、自己実現の価値(個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させる)であり、自己統治の価値(言論活動によって国民が政治的意思決定に関与する)です。それだからこそ、国民主権(民主主義)・自由主義の下において、私人が前国家的に有する自由として位置づけられるのです。憲法学において、公権力を行使する側に私人と同様の表現の自由を認める学説はありません。仮にあったとすれば、不可思議なものです。別府市の主張は、憲法学的にみても許容されないでしょう。

 一方、市報などによる名誉毀損は、観念としても、現実としても存在しうるものです。市報の編集・発行それ自体は非権力的な行政手段です。しかし、編集に際して裁量が認められることは否定できません(計画策定などと共通します)。先ほど、名誉毀損の禁止と表現の自由とは完全な相互依存的な関係でなく、並行関係にあると記したのは、市報に着目してのことです。いかなる内容の記事を作成し、市報に掲載するかについては、発行者の裁量が働くことになります。この際、裁量の行使には一定の制約が課せられます。行政事件訴訟法第30条を参照するまでもなく、逸脱・濫用があってはなりません。そして、損害賠償責任は、基本的に結果責任です(ドイツの行政法学に由来する裁量収縮論が登場する余地がありますが)。

 最後に、別府市は、日田市のまちづくりヴィジョン「からみて『ギャンブル』と評価されるであろうパチンコ店(9店舗)が営業を行っており、現在、さらに本件『サテライト日田』設置予定地の周辺(日田市友田地区)に1店舗が建築されている」ことから、「パチンコ店の存在を容認しつつ、場外車券売場について前期理念に反する『異質な施設』であるなどとして、その設置に反対する原告の主張には整合性がない」と批判し、「『サテライト日田』が本件設置予定地に設置されたとしても、青少年の健全育成に対して具体的かつ切迫した悪影響を及ぼすような環境悪化が生じる危険性は少ない」と主張しています。

 この点についても、当初からの訴訟の争点とどのように関連するのかという問題がありますし、あたかも経済産業省側からの主張とも読めます(訴訟に際して、別府市と経済産業省は協力関係にあるのでしょうか。あるとしても別に不思議なことではないのですが)。その点は置くとして、たしかに、日田市の主張には矛盾があります。既に、パチンコと公営競技の違いについて述べておりますが、日田市が掲げるまちづくりの理念からすれば、パチンコ店も除外されてこそ、主張が一貫すると考えられるからです。しかし、パチンコ店については風俗適正化法が適用され、日田市は法的にパチンコ店の進出を阻止する権限を有しておりません(建築確認は別です。もっとも、これについても議論の余地はあります)。パチンコ店の営業許可については、都道府県公安委員会の権限とされております。実は、この点も、地方分権からすればおかしなことなのです。

 なお、日田市対別府市訴訟の今後についてですが、4月に進行協議が行われるようです。その後の口頭弁論については未定ですが、結審が間近であるという話です。このところ、別府市議会にはサテライト日田設置関連の予算案が提出されていません。そのような状況においてどのような判断が下されるのか、注目したいところです。

 また、このサテライト日田問題について、今月下旬、或る研究会において報告をすることとなりました。機会を与えて下さった関係各位に御礼を申し上げます。


(初出:2002年3月17日)

「ひろば 研究室別室」の移転について

   長らくgoo blogで続けてきましたが、あれこれと考えた結果、2025年8月7日より、はてなブログのほうで書いていくこととしました。何卒よろしくお願い申し上げます。  新しいアドレスは、次の通りです。   https://derkleineplatz8537.hatena...