2025年5月14日水曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第36編

 2001年、大分県では、中津競馬廃止(これは、今後の公営競技を考える上で非常に重要な事件です)、道路拡張に伴う損失補償に絡む汚職事件など、こと地方政治や地方経済を考える上では話題に事欠かない1年でした。年末になると、どこの新聞社や放送局でも十大ニュースを取り上げますが、このサテライト日田問題をはじめ、3月の別府市議会空転(これもサテライト日田事件が原因の一つなのですが)、杉乃井ホテルの経営破綻、道路拡張に伴う損失補償に絡む汚職事件など、別府市に関係のある事件が多かったのも印象的です。何故なのかはわかりませんが。

 このようなことを記したのも、12月17日、テレビ大分(TOS)で17時53分から放映されているTOSスーパーニュースで、地方自治に関係する大分県十大(重大、かもしれません)ニュースの一つとして、サテライト日田問題が取り上げられたからです。この日は仕事でしたので、自宅のヴィデオテープに録画をしておきました。市町村が別の市町村を相手取って訴訟を起こすということも珍しければ(類例を聞いたことがありません)、市町村が国を相手取って訴訟を起こすことも珍しく(摂津訴訟や大牟田電気税訴訟の例はありますが)、まして、国の設置許可に対して市町村が無効等確認訴訟(および取消訴訟)を提起するというのは、前代未聞ではないでしょうか。公営競技そのものの存続も問われている時勢だけに、十大(重大)ニュースとして取り上げられるのは当然です。実は、この番組の途中、ほんの少しですが私が登場します。私のコメントが、字幕付きで大分県内に放映されたのでした。この部分は生放送でなく、12月14日の夕方、TOSのスタッフの方が研究室に来られました(勿論、事前の連絡がありました)。その際に収録されたものです。 コメントの中身は、これまでこのホームページなどにおいて発言してきた内容の要約ともいうべきものであり、今後の地方分権の方向性を占うものであるという趣旨などを述べています。もっとも、ホームページなどを除き、サテライト日田問題に関する 私の発言が公にされるのは、今年の5月7日にNHK総合テレビで18時10分から放映された「情報ボックス」(大分ローカルの番組)以来のことです(収録は4月10日)。その少し前には「サテライト日田をめぐる自治体間対立と条例」も公表されました。勿論、それ以外の場においても、サテライト日田問題に関わり続けています。今年、私はサテライト日田問題だけを追えるような状況になかったのですが、やはりサテライト日田問題に明け、終わった1年でした。とくに前半はそうです。これ以外にも、大分県には地方自治に関する問題が多く、この県は、あたかも全国に存在する地方自治の諸問題を凝縮したような場所ではないかとすら思えてきます。

 翌12月18日、大分地方裁判所第1号法廷において、対別府市訴訟の口頭弁論が行われました。同じ法廷では、やはり別府市に関係する訴訟の口頭弁論が行われました。原告はおおいた・市民オンブズマン、被告は別府市長で、情報公開に関する訴訟でした(非公開処分取消請求訴訟)。原告側の永井敬三氏、河野聡弁護士とは、以前から情報交換などをしておりますが、今回の訴訟の詳しい内容をうかがっておりません。しかし、例の汚職事件に関連して大分県に政治倫理条例を作らせようとする運動のことを教えていただきました。12月22日に集会があったのですが、私は仕事の都合で参加していません。また、12月23日付の西日本新聞朝刊社会面には、おおいた・市民オンブズマンが、例の汚職事件に絡んで大分県の職員数名を刑事告発したという記事が掲載されています。大分県といい別府市といい、行政の空気が沈滞気味であることを感じているのは、私だけではないようです。もっとも、これを言い出せば、大分県内のほとんどの市町村も同様なのですが。

 非公開処分取り消し請求訴訟は10時から、日田市対別府市訴訟は10時15分からでしたが、被告人側の訴訟代理人がともに内田健弁護士であることから、予定よりも8分ほど早くから、続けてなされたのでした。この日も、原告である日田市側から準備書面が提出され、後は次回の期日が決められて終了しました。

 さて、今回は、この12月18日の口頭弁論を紹介し、若干の検討を試みることとします。今回は、12月12日付の準備書面によります。

 まず、準備書面は、「地方公共団体の自律性」を述べた上で、「原告のまちづくりの基本的な方針」を紹介しています。ここでは、1990(平成2)年の第3次日田市総合計画(「活力あふれ、文化・教育の香り高いアメニティ都市ひた」として、「歴史・文化・自然を生かし、地域性を尊重した豊かでゆとりのある人間性あふれる市民生活を構築するまちづくり」を方針とするもの)、そして2000(平成12)年の第4次日田市総合計画(「人・まちの個性が輝き、響きあう共生都市」を目指すとされています)に言及しています。

 (なお、大変に申し訳ないのですが、この記事をお読みの日田市役所関係者の方がおられたら、第3次日田市総合計画および第4次日田市総合計画を閲覧させていただけないでしょうか。当方から日田市役所にうかがい、相応のコピー代を負担させていただきます。他にも条例などを検索したいのです。1月下旬に日田市役所にお伺いいたします。)

 その上で、サテライト日田設置反対に関する運動の経緯を記しています。まず、平成8年12月18日に日田市内の15団体(17団体となるのは平成10年1月26日)が提出した反対決議書を、次に同年20日に日田市議会が全会一致で可決したサテライト日田設置反対決議を述べ、「原告及びその執行機関は、このような住民の意見を行政に反映させ、地方公共団体の自律性を実現する責任を負っている」として、今年6月12日および11月2日付の準備書面でも述べられているように、「平成9年8月以降、『サテライト日田』の設置が文教都市に相応しくないとして、設置反対の意思を表明し、許可権者である通産大臣をはじめ各関係機関に対し、再三再四に亘って、設置不許可を強く申し入れてきたのである」としています。

 この部分については、広報ひた2001年3月15日号の表にも掲載されている通り、1999年から2000年5月31日までの動きが明確になっていないという問題点があります。おそらく、日田市としては、当時の通商産業省機械情報産業局車両課長から別府市長あてに出された2000年1月14日付の文書において「本場外車券売場(注:サテライト日田のこと)を予定している日田市においては、日田市、日田市議会及び地域住民が設置に反対しているところです」と記されており、「確約書」として2000年2月25日付で別府市長名により当時の通商産業省機械情報産業局長に提出された文書(別事第4-0574号)において「競輪場外車券売場(サテライト日田)については、日田市、日田市議会及び地元住民が設置に反対しており、また久留米市(久留米競輪場)との商圏調整についての合意形成も整ってない状況にあります」と記されていることを、「日田市、日田市議会及び地元住民」が反対運動を続けてきた事実を示すものと主張しているものと思われます。また、1997年12月2日、サテライト日田設置計画の一時凍結を当時の九州通産局が日田市に連絡していることからしても、1999年から2000年5月31日までの段階で表立った反対運動の足跡を示せなかったとしても、或る意味では当然のことかもしれません。

 さて、問題は、別府市の名誉毀損行為です。問題の市報べっぷは、別府市全世帯に配布されるのみならず、大分県内の市町村にも配布されています(余談ですが、大分大学経済研究所にも配布されており、私は、ここで例の記事を読み、コピーしました)。準備書面は、この点を指摘した上で「あたかも原告が過去3年以上に亘って、許可権者である通産大臣に対し明確な反対の意思表示をしなかったという印象を一般人に与えるものである」と述べ、さらに、次のように述べています(引用が長くなります)。

 「また、『市報べっぷ』に本件記事が掲載された平成12年11月当時、原告は日田市内の17団体に対し、逐一、通産大臣に対する設置反対の申入れ内容等を説明し、日田市のまちづくりに反する『サテライト日田』の設置運営を断固、阻止しようとしていた時期である。

 このような時期における本件記事の事実摘示は、あたかも原告が『通産大臣に何等の反対の意思表明をしなかった』、『市民団体に虚偽の事実を報告していた』という印象を一般の住民に与えた。

 それに加えて、(中略)原告のまちづくりの取り組みに対しても、住民に重大な疑問を与えるとともに、住民に真実を知らせるという公正な行政運営・執行に対する信頼をも喪失させるものであった。

 現に、原告の担当者が市民から『「市報べっぷ」 に掲載されていることは本当なのか』という問い合わせを電話で受けている。」

 (この件については、大分合同新聞2000年11月1日付朝刊朝F版25面、そしてこのホームページの第2編を参照して下さい。なお、これとは逆に、別府市民のほうから、別府市に対し、市報の記事が虚偽であるとの抗議があったという話も、私が複数の別府市民から直接的に伺っていることも記しております。)

 刑法第230条に規定される名誉毀損罪については、例えば、甲という人が乙の名誉を実際に毀損したか否かの判断は、第一次的に乙の判断に委ねられることとなるはずです。同第232条(第1項)によって名誉毀損罪が親告罪とされていることからも、このことが判明します。また、名誉毀損罪の場合、基本的に未遂罪などは成立しえません。名誉を毀損すると考えられる言動がなされた段階において既遂となるからです。私は刑法学の専門家でない上に、手許に刑法各論の参考書がないので、確証を持てませんが、いわゆる危険犯の部類に入るものと思われます。実際に、乙の評価が甲によって毀損されたか否かについては、第三者の評価が分かれうるでしょう。従って、実際に乙の評価が第三者にとって低められたか否かの客観的証明は必要がないこととなります(これを求めたら大変なことになります)。

 この解釈は、基本的に民法第723条についても妥当しうるのではないかと思われます。例えば、プライヴァシー権の存在を日本で初めて認めたものとして有名な「宴のあと」事件判決(東京地判昭和39年9月28日下民集15巻9号28頁)にしても、作家の三島由紀夫および出版社が、この小説のモデルとなった者の名誉を意図的に侵害するつもりで小説を公表したのかどうか、疑問が残ります。おそらく当事者を含め、そうした意図はなかったと主張するでしょう。問題は、その可能性があったかどうかに尽きます(これも、実際にどうであったかを調査することは不可能に近いでしょう)。

 (余談ですが、最近も、同種の訴訟が起き、小説家が敗訴する度に、「文芸の自由」や「表現の自由」が侵害されるという趣旨の発言がなされるのですが、私に言わせれば、このような主張は、いかにその小説家が未熟であるかを示すものに他なりません。熟練した小説家であれば、仮にそのような意味を込めたとしても、洗練された文章を作って、そのような趣旨を上手にぼかすことでしょう。)

 ただ、刑法の場合、過失による名誉毀損は犯罪とならないのに対し、民法の場合は故意のみならず、過失によっても名誉毀損が成立しうる点が異なります。

 そうなると、日田市対別府市の訴訟の場合、ポイントは2つに絞られます。

 (1)日田市に原告適格があるのか。

 (2)別府市に故意または過失があるのか。

 (1)についてですが、私は、原告適格があると考えます。別府市の主張は、日田市が私人を訴訟の相手とした場合には成立しうるかもしれませんが、今回は公法人対公法人であり、同格の市町村であることからしても、私人の表現の自由などを理由とする抗弁は成立しえないと考えられます。

 (2)についてですが、基本的に問題はここにあると思われます。日田市側が提出した証拠からすれば、別府市に故意または過失がなかったと断言はできません。但し、これは別府市側の今後の主張にかかってきます。

 最後に、来年のサテライト日田関連訴訟の日程を、ここで記しておきます。場所は、いずれも大分地方裁判所第1号法廷です。

 1月29日:13時30分から、対経済産業大臣訴訟。

 2月5日:15時30分から、対別府市訴訟(現在のところ、講義の関係もあって、この日だけは傍聴できないのですが、講義の開始時間と終了時間を遅らせることができないか、検討しています)。

 3月26日:13時30分から、対経済産業大臣訴訟。

 勿論、私は、この訴訟を、可能な限り傍聴し、このホームページで取り上げ、検討を続けて参ります。 そして、第13編から続けてきた第二部は、今回をもって終了し、次編からは第三部として、2002年1月から開始します。これまで、この不定期連載を多くの方にお読みいただいており、感謝の念に堪えません。私自身の性格からして、ここまで続くとは予想もしていなかったのですが、第三編につきましても、これまでと変わらぬ御愛顧をお願い申し上げます。また、御意見などがございましたら、電子メールなどでお寄せ下さい。場合によっては、この連載において紹介させていただきます。


(初出:2001年12月25日)

2025年5月13日火曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第35編(写真5)

現場の北側です。柵は、うどん屋の南側に立てられていました。


(初出:2001年12月10日)

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第35編(写真4)

 設置予定場所の中から撮影したものです。昨年の今ごろであれば立ち入ることができなかったのですが、今は御覧の通りで、私の車も同じ敷地内に停めました。奥のほうに噴水と何体かの像(スフィンクスなどです)とピラミッド側の別棟があります。私も最初は信じられなかったのですが、パチンコ屋です。ゲームセンターと同居しています。この少し手前には、鉄の柵を立てるために開けたと思われる穴がありました。現在はふさがれています。


(初出:2001年12月10日)

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第35編(写真3)

 日田駅の裏、田島に日田市役所があります。上の写真は、現在も日田市役所西側に掲げられている垂れ幕です。


(初出:2001年12月10日)

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第35編(写真2)

 これは、アーバンピラミッドの裏にある駐車場の北側に立てられている看板です。この裏は農地です。それに限らず、設置予定場所の北側は農地となっています。このような看板は、日田市の北部(国道212号線沿い)でも見られます。日田市連合育友会は、サテライト日田設置反対17団体のうちの一つです。


(初出:2001年12月10日)

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第35編(写真1)


 日田駅前に立てられているものです。同じものが、この写真の反対側、ロータリーにも立てられています。また、三隅川(日田市内での筑後川の名前)にもありました。


(初出:2001年12月10日)

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第35編(本文)

 初めに、お断りです。今回は、現場を中心に写真を掲載するのですが、システムの都合上、ここで一気に公開することができません。そのため、本編は、本文、写真1から写真5まで分割されます。

 昨年(2000年)の12月9日、別府北浜から別府駅東口までを往復するサテライト日田設置反対運動デモ行進が行われました。実際にこの様子を見聞した者として、2000年12月9日は忘れられない日となるでしょう。少なくとも、「2000年のうちで一番印象に残る日は?」と尋ねられたならば、即、12月9日である、と答えます(あくまでも私の場合ですが)。

 それからちょうど1年が経ちます。サテライト日田設置予定場所はどうなっているのかが気にかかり、12月8日、約半年ぶりに現地を訪れることとしました。同じ大分県内であるとは言え、大分市中心部から日田市中心部までは90km以上あります。仕事の関係などで、日田に向かう時間を取ることができなかったのです。しかし、11月24日、北海道大学(札幌市北区)で行われた日本自治学会第1回総会の席で、ほんの少しではありましたが、千葉大学の大森彌教授が、報告においてサテライト日田問題に触れられ、地方分権改革が進められている中でそれに全く対応していないような法律の存在意義を問うものであるという趣旨の見解を示されました。また、当日、九州大学の木佐茂男教授にお会いし、この問題に関する意見交換をいたしました。そのようなことがあったので、仕事が一段落したら日田へ行こうと決めていました。

 12月1日にデジタルカメラを購入しましたので、今回は、現地の様子を写真付きでお伝えいたします。なお、第6編においても現地の模様を述べておりますので、お読み下さい。

 さて、内容に入る前に、12月9日、西日本新聞日田版に掲載された記事を紹介しましょう。私は、同社のホームページで発見しました。「『サテライト日田」問題 九大生も競輪論争注目 予定地見学や意見交換」という見出しがついております。全文を引用し、紹介させていただきます。西日本新聞本社および日田支局の皆様、九州大学の関係者の皆様、問題がございましたらご連絡をいただけますでしょうか。すぐに削除いたします。

 (以下、引用)

 別府市が日田市に設置を計画している競輪の場外車券場について、日田市が設置許可の取り消しなどを求めて国との訴訟にまで発展した「サテライト日田」問題で、九州大学法学部の行政法ゼミ(木佐茂男教授)の学生ら十六人が八日、日田市友田の設置予定地見学や担当市職員との意見交換を行った。

 同ゼミは九州各地の行政問題をテーマに研究を進めており、まちづくりや公営ギャンブルなどの問題が複雑に絡み合ったサテライト問題に着目。生の意見を聞くため初めて日田市を訪れた。

 設置予定地では市職員の説明後、学生が班に分かれて周辺住民や遊戯施設利用者などから、サテライト建設の賛否などについて意見を聴いた。

 その後日田市役所で市職員が、国との訴訟に至るまでの経過や、学生から前もって出されていた「設置のメリット・デメリット」「住民の意見をどう反映させているか」などの質問に答えた。

 意見交換も活発に行われ「日田市全体が反対していると聞いていたが、『設置してほしい』という人もおり意外な感じがした」という学生に、市側は「市民団体を中心にした運動を議会と行政が支援しており、設置反対は市民の総意。個別に賛成する人がいるのは仕方がないが、自分たちの手で街づくりをするという意識を持ってもらうことが重要」と答えた。

 (以上で引用は終わり。木佐先生、ゼミ生の皆様、約束を破ってしまいました。申し訳ございません。しかし、やはり気になる記事ですから……)

 実は、この記事に登場しないとは言え、私も現場におり、木佐先生、ゼミ生の皆さん、日田市役所の職員の方(私が存じ上げている方です)、西日本新聞、大分合同新聞、そして毎日新聞の記者諸氏と意見交換などをしておりました。当日に木佐先生とゼミ生の皆さんが日田に来られることは知っておりましたし、ゼミ生の皆さんがこのホームページを読まれていることも知っておりました。日田市役所の皆様は驚かれたと思いますが。なお、私は、日田市役所での質疑応答などには参加しておりません。

 少しばかり補足しますと、日田市民および日田市出身者の中にサテライト日田設置に賛成する方がおられることは、ひたの掲示板などで知っておりました。昨年の12月、賛否が議論されたからです。公営競技のファンもおられるでしょうし、商売の関係からすれば設置されたほうがよいという考えを持つ方もおられるでしょう。無関心の方もおられるでしょう。これは当然のことです(或る意味では健全です)。むしろ、イメージとして日田市に場外車券場は似合わないという意見も、とくに外部から多く出されます。

 しかし、設置許可に至るプロセスには不透明な部分が多く、中には、最初は何ができるのかよくわからないまま設置に同意したが、後から場外車券場であることがわかって設置反対にまわった人々もおります。また、ここには書けないようなひどい話もあったとのことです。実際、口頭弁論の際に提出される準備書面などを読んでも、行政手続法に従った手続がなされているのか否かなど、不明な点があります。

 さて、私自身のことを記しておきます。大分大学を11時30分に出発し、大分自動車道経由で1時間半ほど走ると、日田駅に着きます。このあたりの商店街の様子を見ようと思い(実は、買い物と食事もしようと思い)、行った訳です。三本松の商店街などには「サテライト日田設置反対」の幟や旗などが多く立てられていたのですが、いつの間にか、そのほとんどが撤去されていました。しかし、日田駅前には数本の黄色い旗が残っています(写真1)。後でわかったのですが、現場の裏側(写真2)、三隅川(日田市内での筑後川の名前)や国道212号線沿いなどには、旗、幟、立て看板などが残っています。

 日田駅前から田島陸橋を越え、田島にある日田市役所の前に出ました。市役所西側には、「サテライト日田設置反対」の大きな垂れ幕が掛けられています(写真3)。この周辺には、日田警察署、大分地方裁判所日田支部などがあり、田島官公街とも呼ばれます。こうした場所に、「○○建設促進!」というスローガンを掲げた垂れ幕を見つけることは簡単で、営団地下鉄半蔵門線永田町駅(大学院時代、通学のために必ずこの駅を通っていました)でもおなじみであるほどです。しかし、「●●設置反対」の垂れ幕が掛けられている市役所というものを、日田市以外に知りません。私は、大分県内の58市町村全てをまわっていますし、その際には必ず市町村役場の付近を通るようにしていますが、「国の強制による市町村合併反対!」というスローガンでもあれば見たいものです。そもそも、公共事業などに反対するのは住民で、行政は推進側、あるいは賛成派であることが通例です。その点で、日田市は全国的にも珍しく、注目を集めているのです。

 さて、田島から豆田町、淡窓を通って、設置予定場所に向かいます。なお、現場は、久大本線の光岡駅からのほうが近いのですが、日田駅からのほうがわかりやすく、便利ではないかと思われます。


 これがサテライト日田設置予定場所です。もう少し精確に記すと、手前の駐車場がそうです。昨年の12月3日には、鉄の柵(鉄板による囲い)が周囲を覆っていましたが、今年に入ってから徐々に外され、駐車場に戻りました(写真4)。緑色の屋根のすぐ後はうどん屋です(写真5)。手前の影は自動車整備工場のものです。道路を左側に進むと国道386号線で、土曜日や日曜日の午後ともなると渋滞します(この日も)。

 この予定地の中に、私も車を停め、撮影を開始しました。しばらくして、九大木佐ゼミの皆さん、そして日田市役所の皆さんと会うことができました。日田市役所の方から、鉄の柵を立てるために開けたと思われる穴の存在を教えていただきました。何せ、柵が設けられていた時からかなりの時間が経っており、正確な位置を私も覚えていなかったのです。なお、その穴ですが、現在はふさがれています。

 この日、駐車場にはかなりの空きスペースがあり(銭湯は例外)、パチンコ屋なども空いていましたが、日曜日ともなると満車状態になるそうです。そうなると、周囲にある農地を買収し、道を広げるなどの措置が必要となりますが、農地の場合は売買契約だけで済まされず、市の農地委員会による転用許可(行政法学上は認可)が必要となります。法律において、許可と認可は厳格な定義づけがなされないままに用いられておりますが、行政法学においては区別されます。農地委員会の認可を得ないでなされた農地売買契約は無効です。しかも、許可より認可のほうが、行政庁の裁量の幅が広いと解されています。

 現場の柵が完全に撤去されているということは、少なくとも現段階においては設置の実現性も期待もないということを意味すると思われます。別府市議会は、今年の2月の臨時会において、サテライト日田設置関連予算案を否決しており、その後も同予算案の提出が見送られています。このような状態では、行政事件訴訟法で例外的に認められる執行停止(日田市側による訴状には、執行停止の請求がありません)がなされていなくとも、設置計画が進むとは思えません。このように、予算案提出が見送られ続け、あるいは提出されても否決されるような事態が続けば、設置許可の意味がなくなり、設置許可の撤回(日田市の主張に従えば取消)ということも考えられます。もっとも、或る所では、設置許可から10年ほど経って場外券売場が建設され、オープンしたとのことですが、住民とすれば、おかしな話だとしか思えないでしょう。今回の設置許可にも、停止条件(別府市議会が予算案を可決した段階から効力を生じる旨のもの)か解除条件(2年以内に着工しなければ失効する、というようなもの。地方鉄道法時代の鉄道路線免許によく付せられた)かを付したほうが良かったのではないかと思われます。ドイツでは、行政訴訟において附款を付すべき場合が論じられておりますが、サテライト日田設置許可についても議論の余地があるものと思われます。

 最後に、今回の内容とは直接関係のないことを記しておきます。最近、Yahoo! Japanの掲示板において、この不定期連載記事が、大分県民を初めとする多くの方々から注目されており、お読みいただいていることを知りました。私自身は、仕事の関係やその他の事情もあり、Yahoo! Japanの掲示板に登場することができませんが、過分なほどの賛辞をいただいており、恐縮しております。また、この問題は、行政法学者や行政学者などの間でも知られており、日田市役所の方からも、数名の方が協力している旨の話を伺っております。私も、月刊地方自治職員研修2001年5月号に論文を公表しましたし、機会があれば新たに論文を公表しようと考えています。また、他の方の研究に参加(少なくとも協力)するなどの形で、刊行物としてまとまったものを出したいと考えております。

 今後も、何か動きがあり次第、新記事を追加して参りますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。


(初出:2001年12月10日。写真1ないし写真5も、時間をずらせて同日掲載)

「ひろば 研究室別室」の移転について

   長らくgoo blogで続けてきましたが、あれこれと考えた結果、2025年8月7日より、はてなブログのほうで書いていくこととしました。何卒よろしくお願い申し上げます。  新しいアドレスは、次の通りです。   https://derkleineplatz8537.hatena...