2025年5月19日月曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第43編

 私がサテライト日田問題に関わるようになって、2年が経過しました。第1編にて大分合同新聞2000年7月2日付朝刊朝F版23面の記事に掲載された私のコメントを紹介しました。6月下旬、研究室に電話があり、その際に話した内容の一部が掲載されたものです。実は偶然の産物です。当初、大分合同新聞の記者氏は、他の方にコメントを求めたのです。しかし、詳しい理由はわかりませんが、私のところに話が回ってきました。伺った瞬間、これは別府市と日田市という地方自治体間の対立であり、地方分権が曲がりなりにも進められる中で行政法学上も大きな問題となるであろう、という予感、あるいは職業的な勘が働きました。大分県内の事件としては非常に大きい、全国的なものであることが、すぐに理解できました。果たして、その後の経過は私の予想通りでした。今、私は、この問題に取り組めてよかったという思いと、その取り組みへのきっかけを下さった方々への感謝の念を、ここで改めて示しておかなければなりません。

 公営競技の問題は、九州でも幾つか登場しています。その一つである福岡ドーム内場外馬券売場設置計画は、地元の強力な反対が功を奏し、佐賀、荒尾そして岩手の3競馬組合が設置を断念するという結果に終わりました。どういう訳か、この時の記事が手元にないのですが、このホームページの掲示板「公園通り」でも話題になりましたので、そちらも参照していただければ幸いです(お書き下さった方々に、ここで御礼を申し上げます)。

 そして、福岡ドーム内場外馬券売場設置計画が断念されることになって、佐賀競馬の存続についても見直し論議が始まる可能性が出てきました。朝日新聞社のホームページ(佐賀版)に6月4日付で掲載された「佐賀競馬、赤字続くなら廃止も/知事が見解」という記事によります(但し、現在は掲載期間終了の故に読むことができません)。これについては、既に「公園通り」に「佐賀競馬の見直し論議が始まるか」(3635番)として記しましたが、ここで再録しておきます。

 6月3日に行われた佐賀県知事の定例記者会見で、知事が佐賀県競馬組合の見直しの方向を述べました。単年度赤字が4年続いており、競馬組合のの財政調整積立金を取り崩しているようですが、この積立金も尽きる可能性が高く、佐賀県が一般財源を投入せずに廃止する可能性もあります。今年度の経営状況が判断材料となるようです。しかし、福岡ドーム内の場外馬券売場設置を断念したことで、記事の言葉を借りるならば「『経営改善策の柱』を失い、苦しい対応を迫られている」という状況では、かなり苦しいのではないでしょうか。「昨年、有識者らでつくる経営改善委員会から提言を受け、職員賃金やレース賞金のカットなど合理化策や振興策に取り組んでいる。今年度は収支均衡にし、来年度からの黒字化をめざしている」というのですが。また、佐賀県にとって、福岡市周辺は魅力のある市場であるとのことで、今後も福岡市に場外馬券売場の候補地を探すようです。

 しかし、このことから、場外馬券売場設置そのものが断念されたという訳ではありません。つまり、福岡市(あるいは、もう少し広く、福岡都市圏)に場外馬券売場を設置したいという意向は放棄されていません。朝日新聞社のホームページ(福岡圏版)には、6月11日付で「『馬券場、都市圏に設置を』/鳥栖市長要請」という記事が掲載されています(但し、この記事も、現在は掲載期間終了の故に読むことができません)。この記事によると、佐賀競馬組合の副管理者を務める鳥栖市長が、昨日、福岡市役所を訪れ、福岡市長と会談したようです。鳥栖市長が、福岡都市圏での場外馬券売場設置に理解を求めたのに対し、福岡市長は協力の意向を示したとのことです(なお、福岡市では競艇事業を行っています)。

 なお、福岡市にはサテライト博多問題もありますが、どのように進捗しているのかはわかりません。

 一方、6月20日に、西日本新聞宮崎版で、宮崎市北部での場外車券売場設置計画が報じられました。宮崎市議会でも取り上げられており、この模様は朝日新聞宮崎版でも6月26日付で報道されました。このことについても、掲示板「公園通り」3735番および3764番に記したのですが、一部を引用する形で、改めて紹介します。

 西日本新聞宮崎版に掲載された記事は「宮崎市に競輪場外車券場計画 来年夏にも開設か 教育環境悪化懸念も」というものです(http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-local/miyazaki.html。但し、既に別記事に差し替えられています)。この場外車券売場がどの競輪場に関係するものなのか、記事では明らかにされておりません。日田や福岡と違うのは、地元住民が建設推進の立場を明らかにしている点です。設置予定場所は、宮崎市の広原という所にある山林です。手元にある地図ではよくわからないのですが、同市の北のほうにあるようで、「サテライト設置構想については、建設予定地周辺の住民でつくる同市住吉地区振興会(山口兼幸会長)と同市北地区振興会(窪田義秋会長)が昨年九月、宮崎市議会に推進の請願を提出、賛成多数で採択されている」とのことです。そして、「同市は既に、建設を計画している同市内の会社と都市計画法などに基づく事前協議に入っており、同市の開発承認と経済産業相の設置許可を経て、早ければ来年夏にもオープンする見通し」であるとのことです。

 朝日新聞宮崎版に掲載された記事は「場外車券売り場前向き対処示す 宮崎市長」というものです(http://mytown.asahi.com/miyazaki/news02.asp?kiji=1456)。この記事は、宮崎市議会において場外車券売場構想に関する質問が出され、市長が答弁したという内容のものです。 昨年の9月には、設置促進に関する請願を宮崎市議会本会議で採択しています。宮崎市も、設置に向けて動き出すようです。また、設置に際して、場外車券売場の予定地に近い「北地区、住吉の両振興会は、市民100人を雇用することなどを条件に、98年9月に設置に同意」しており、「市も5月24日に業者との間で、林地開発に関する協定を締結していた」とのことです。

 さらに、7月に入ってから、青森県にも場外車券売場設置問題があるという内容のメールをいただきました (御教示をいただいたことに関し、この場を借りて御礼を申し上げます)。この件について新聞記事などがあるのか探したところ、東奥日報という新聞社のホームページに、昨年(2001年)6月12日付の「六戸場外車券場、着工の動きなし」という記事が掲載されていました(http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2001/0612_6.html)。この記事の内容を紹介します。

 六戸町の坪毛沢地区に、サテライト六戸の設置が計画されていました。設置許可の申請者は民間会社で、競輪事業施行者である青森市、六戸町、北日本自転車競技会とともに開設の準備をしていました。設置許可は、2000(平成12)年2月、当時の通商産業省(大臣)から出されました。当初は2000年の3月に着工し、8月に完成させ、9月に開業という段取りだったのですが、用地買収を終えることができないため、施設の着工ができないという状態です。この間、資金調達ができなかったという理由で、申請者である民間会社の会長が交代しています。

 何故、設置許可が出されてから1年4ヶ月も経ったというのに用地買収ができなかったのか、そのあたりはよくわかりません。しかし、計画そのものとして杜撰であると評価できます。このようなものに設置許可を出した当時の通商産業省(大臣)は何をやっていたのかという疑問も湧いてきます。自転車競技法第3条第7項によれば、「経済産業大臣は、競輪場の設置者が一年以上引き続きその競輪場を競輪の用に供しなかつたときは、第一項の許可を取り消すことができ」ます。この規定は、第4条第4項により、場外車券売場についても準用されます。従って、設置許可が出されたのに1年以上も設置されないのであれば、「競輪の用に供しなかつた」ことに他なりませんから、設置許可の撤回―条文には「取り消」しとありますが、この場合、行政法学上の撤回です―がなされてもおかしくないのですが、撤回はなされなかったようです。

 おそらく、撤回をすれば行政の問題が浮上するという理由なのでしょう。仮に、用地買収が困難であることが容易に予想される場合であれば、そもそも設置許可をするとは思えません。そして、設置許可の申請がなされ、その内容を審査する際に、如何なる方法で判断がなされるのかという問題があります。経済産業大臣(実際には経済産業省の地方部局である経済産業局)は、実地調査などを行っているのでしょうか。おそらく、書類審査のみではないでしょうか。そうであれば、用地の取得の難易度などはわからないでしょう。そして、いざ設置許可を出してから1年以上も着工されなかったとなれば、杜撰な計画に基づく申請に対して設置許可をなしたということになり、実際に申請の審査を担当した者の責任などが問われうることとなります。

 しかし、考えてみれば、撤回に至りうるまでの1年間は、決して短いものではありません。むしろ、撤回までの期間としては適切、いや、場合によっては長すぎるものかもしれません。何年経っても用地買収すら進まないようでは、その計画が破綻していることと意味の違いはないと言ってもよいでしょう。長期間の後に着工し、開設したとしても、情勢の変化により、営業の見通しがどうなるかはわかりません。まして、サテライト六戸の場合、用地買収の際に資金調達ができなかったということですから、実際に開業してもどうなるかわからない、というのが本当のところでしょう。様々なことを考慮に入れるならば、このような場合には速やかに許可を撤回すべきではないでしょうか。

 東奥日報の記事によると、6月11日、六戸町議会の一般質問でこのサテライト六戸問題が扱われたようです。この時、町長は「民間会社の経営にかかわる問題に、町として直接立ち入るわけにはいかないが、関係者などからの情報収集に努めたい」という趣旨の答弁をしたようです。一方、6月13日には、東北経済産業局産業課が事情聴取を行う旨が記されています(実際に行われたか否かは不明です)。設置許可の撤回がなされるかどうか、この時点でもわからなかったのですが、どうやら、撤回はなされておらず、今も着工されず、という状態にあるようです。

 Googleで検索したところ、この記事以外にサテライト六戸問題を扱ったものは見つからなかったので、今年に入ってからの状況はよくわかりません。しかし、いただいたメールによると、今も着工されていないようです。しかも、岩手県内に予定されているサテライト石鳥谷(いしどりや)も、1997(平成9)年に設置許可が出されたにもかかわらず、1年以内に着工されなかったということです(なお、まだ事実の確認をしていないことを、ここでお断りしておきます)。但し、ここは1999年7月にオープンしています(岩手県内では初の場外車券売場です)。

 おそらく、 同種の問題は、競輪、競馬などの別を問わず、各地に存在するものと思われます。情報などがございましたら、お寄せいただければ幸いです。


(初出:2002年7月3日)

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第42編

 このところ、講義などの仕事が増え、以前ほどサテライト日田問題に充てる時間がありません。そのためもあり、第41編からかなり時間がたち、1ヶ月になろうという6月中旬になって、ようやく第42編をお届けすることができました。

 今回は、第41編に続き、2002年5月21日に大分地方裁判所で行われた口頭弁論の模様を報告いたします。

 午前中、大分県庁に行き、市町村合併関係の資料を探しました。目的のものが見つからなかったのは残念でした。また、この時には、第41編で紹介した口頭弁論は終わっています(既に記したように、この口頭弁論のことは事前に全く知らされておりません)。

 12時20分ころに大分地方裁判所に入りました。その後、日田市の方々が来られました。もう顔なじみになっている方々ばかりですが、今回、大石市長は、やむをえない事情により来られておりません。そして、口頭弁論の度に遠方から駆けつけてくれる他大学の学生氏も、大学院生となって大分地方裁判所に到着しました。それに対し、大分県内の大学の関係者は、相変わらず私一人です。講義と重なるため、やむをえない部分もあるのですが、学生に呼びかけたりしても全く反応がありません。教員にしても同じです。純粋に行政法学者と言える者が、大分県内では私しかいないからかもしれませんが。

 13時10分から、口頭弁論が始まりました。経済産業大臣側からは、とくに準備書面などが提出されておりません。これに対し、日田市側は、5月21日付の「準備書面(第4)」、そして第41編で紹介した村上順教授の論文が甲第29号証として提出されております。また、今回は、寺井一弘弁護士、木田秋津弁護士に加え、藤井範弘弁護士が原告席に着きました。そして、いつものように、準備書面の骨子について説明がなされています。

 今回提出された準備書面は、既に提出されている経済産業大臣側の第3準備書面および第4準備書面に対する反論と、日田市側の主張の補充を内容としております。法廷での骨子説明においても述べられているのですが、第40編においても紹介した通り、経済産業大臣側の第4準備書面は、日田市側が今年1月21日付で提出した準備書面(第3)においてなされた求釈明(第37編も参照して下さい)に対する応答にも釈明にも全くなっていないため、提出されたものです。

 まず、原告適格について述べられています。 経済産業大臣側は、自転車競技法第4条第1項による許可処分が「申請者に対して場外車券売場の設置に関する一般的な禁止を解除するという法的効果を与えるにとどま」る旨を主張しています。これに対し、今回の準備書面は、自転車競技法の規定にある「経済産業省令で定める基準に適合する場合に限り、その許可をすることができる」という文言に着目して反論を行っております。つまり、この規定は行政法学の許可(警察許可)を意味するのではなく、一定の裁量を与える趣旨であるという訳です。そのため、場外車券売場設置の許可を受けるための形式的な要件が揃っていたとしても、経済産業大臣には許可の義務が発生しないということになります。「できる」と規定されているのですから。そこで、「国は許可・不許可処分に際し、(中略)実質的に文教上、保健衛生上又は周辺環境等との調和において保護に欠ける場合は、不許可とすることが予定されているのである」という主張につながるのです。

 「許可しなければならない」という規定であるから警察許可であり、「許可をすることができる」という規定であるから警察許可ではない、という論法が、全ての法律に当てはまるか否か、検討を要すると思われますが、行政法学の一般論からすれば、このような主張に帰することとなります。さらに、日田市側の主張としては、「国は場外車券売場が設置される地方自治体の文教上又は保健衛生上の利益や周辺環境等との調和を総合的に判断し、憲法及び新地方自治法(―地方分権一括法によって改正を受けた地方自治法のこと。引用者注)によって確認された自治権から派生する「まちづくり権」を侵害しないように十分配慮することが要請されており、地方自治の本旨を侵害しかねない場合には、国は不許可処分とするべく羈束されているのである」ということになります。 こうして、場外車券売場の設置許可は「原告の生活安全、公衆衛生、環境保全に関する権能に対して制約するもので、原告には『法律上の利益』があると解すべきである」という結論に至ります。

 警察許可とは、既に示されているように、一般的な禁止を特定の場合に解除するというものです。自動車運転免許がこれに該当します。警察許可の前提としては、本来、国民の一般的な権利・自由に属すべき事柄を、保健衛生や安全、秩序維持などの理由から一般的に禁止する、というものがあります。今回の準備書面にも登場する食品衛生法の規定がまさにそれです。憲法第22条第1項によって職業選択の自由が保障されることからすれば、(憲法学で時折論じられる営業の自由という問題を別として)飲食店の営業は、基本的に誰でもできるはずです。しかし、全く無制約であるとすれば、保健衛生という面において重大な問題を生じます。そのために、一般的に禁止した上で許可制にしているのです。調理師免許も同様に考えてよいでしょう。また、自動車の運転免許にしても、自動車の運転そのものは国民の一般的自由(憲法第13条にいう「幸福追求権」の一種などとしてのもの)に属するはずですが、事故の際に人体に与える甚大な影響は自転車が与えるそれとは比較になりませんし、その他、交通秩序に重大な支障をきたすおそれもあるので、免許制にしているのです。

 これに対し、 法令の文言は許可であっても、行政法学上は特許あるいは認可と考えられるものがあります。とくに特許とされるものについては、元々、国民の側にその営業などを行う自由が存在しない、従って、一般的な禁止も予定されていない、という前提があります。認可についても同様のことが言えるでしょう。許可と認可との違いについて、よく、許可を受けないで行った違法な行為であっても直ちに効力を失うものではないのに対し、認可を受けないで行った違法な行為は原則として効力を生じない、と説明されます。これも、国民が本来有するはずの権利や自由などと関係があります。

 それでは、自転車競技法で定められる場外車券売場の設置許可の法的性質は如何なるものなのでしょうか。これまで、この不定期連載でも考察を加えてこなかったところですから、ここで検討を加えることとしましょう。あるいは、既に或る程度の検討を済ませているかもしれませんが、改めて、ということになります。仮に前に下した結論と異なっている場合は、訂正、あるいは改説ということにさせていただきます。

 自転車競技法第1条によると、競輪事業の施行者は都道府県および指定市町村〔この場合の指定者は総務大臣(中央省庁改革法施行前は自治大臣)〕です。そして、これら以外のものが競輪事業を行ってはならないこととされています(刑法の賭博罪に該当することとなります)。一方、競輪場および場外車券売場を設置する者は、同法において競輪事業の施行者と区別されており、第3条第8項において「相続若しくは合併」または「競輪場の譲渡し」が示されていること、「相続人若しくは合併後存続する法人若しくは合併による設立した法人又は競輪場を譲り受けた者」が「当該競輪場の設置者の地位を承継する」ことが規定されていることからして、競輪事業の施行者と人格を別個にする者であってもよいことになります。現に、サテライト日田の場合、設置許可の申請者は、既に日田市内においてパチンコ店などを経営する建設会社です(余談ですが、この会社が経営するパチンコ店のCMは、大分県内の民放で流れています)。設置者は、車券を販売することができません。しかし、競輪事業の施行者に場外馬券売場の施設(建物など)を賃貸することは認められます。

 場外車券売場となる可能性がある施設の設置許可を申請し、許可が得られた後に施設を建てるという点だけに着目すれば、基本的には一般の建築確認と変わりがありません。その意味では、法律の文言に示されているように、行政法学上の概念を用いても許可であるとも考えられます。

 しかし、場外車券売場の場合、施設が完成した後に競輪事業の施行者によって車券が販売されなければ意味がありません。設置者が競輪事業の施行者でない限り、車券の販売を業とすることは許されません(第18条が罰則規定です)。場外車券売場として許可がなされた施設について、実際には車券が発売されうるような状況ではないから他の施設に転用しようと考える者も存在するかもしれませんが、現実にありうるかどうかは疑問ですし、第4条第4項によって準用される第3条第7項により、設置許可を得てから1年以上の間に場外車券売場として使用されなかった場合には、設置許可が取り消されうる(この場合は撤回されうる)こととなります。

 また、そもそも、刑法の賭博罪の規定、民法第90条などの存在を考えると、競輪事業、とくに車券の販売は、本来、国民の自由に属する事柄であって、許可が一般的な禁止を解除するものである、と考えるべきなのでしょうか。そのような意見も成立しうるのですが、日本の刑法が賭博罪を設けており、これを社会的法益に関する犯罪と位置づけていること、自転車競技法が刑法の特別法として、競輪事業の施行者を都道府県および指定市町村に限定していることの趣旨を考えるならば、場外車券売場の設置許可を警察許可と位置づけることは妥当でないと考えられます。

 むしろ、行政法学的にみれば認可に該当するのではないでしょうか。認可は、補充行為とも言われるように、第三者あるいは申請者の行為を補充して完成させる行為です。これを場外車券売場の設置許可に当てはめてみると、申請者は、設置許可を得ることによってようやく場外車券売場としての施設を設置することができます。設置許可を得なければ、施設そのものを建てることができるとしても場外車券売場を設置することになりません。逆に言えば、設置許可は施設の設置を完成させるために必要なものです。

 しかも、自転車競技法には、第4条の許可を受けずに場外車券売場を設置したことに対する罰則規定がありません。仮に、場外車券売場の設置許可が警察許可であるとすれば、違反した場合の罰則規定があるはずです。しかし、自転車競技法の場合、設置許可を受けないで場外車券売場を設置しても無効となるだけです。

 このように考えるならば、場外車券売場の設置許可は行政法学上の認可に当たるとするのが妥当です。同じような理屈は、競輪場の設置許可についても妥当します。

 (但し、これまで、自転車競技法にならって設置許可という表現を用いたため、とくに必要のない限り、この用語を引き続いて使うこととします。折に触れて、行政法学上の認可であるということを確認することとします。)

 また、許可と認可の違いは、行政庁が有する裁量権の幅にあるとも言われています。許可の場合、行政庁に全く裁量が存在しない場合もありますし、あるとしてもかなり狭いものにならざるをえません。何故なら、一般的禁止を解除して本来の権利・利益を回復させるという意味が込められているからです。これに対し、認可の場合、一般的禁止ということそのものが予定されていません。行政法上の認可で典型的なものは、公益法人設立の際になされる「許可」です。民法第34条では「許可」となっているため、民法学では許可制とされていますが、行政法学の観点からすれば誤りです。民法学では、許可制と認可制が行政法学と全く逆といってもよいような理解のされ方をしていますが、公益法人の設立に際しては「主務官庁」の裁量が大きく物を言うという現実もあります(この趣旨を述べる判決として、最判昭和63年7月14日判時1297号29頁を参照)。また、この許可を得ないで公益法人が設立されても無効となるだけで、罰則が存在する訳でもありません。

 このことは、場合にも拠りますが、裁量収縮論が適用される可能性があるということをも意味します。つまり、設置許可(ということは、行政法学上の認可)が裁量権の行使の結果であるとしても、一定の場合には裁量権の幅が徐々に小さくなり、ついには零となることもありうる、という理論です。日本では、国家賠償の分野に関して度々用いられるもので、援用する裁判例もありますが、元はドイツ行政法学に由来するもので、Hartmut Maurer, Allgemeines Verwaltungsrechtなどの代表的な行政法学の教科書では、国家賠償などの箇所ではなく、まさしく裁量(Ermessen)の箇所において論じられています。私は、この理論が国家賠償に関して用いられることに疑問を抱いています。結論の妥当性はともあれ、国家賠償はあくまでも行為の結果が違法であることこそ第一の前提であるからです。むしろ、行政事件訴訟において活用されることこそ筋ではないかと考えています。今回のサテライト日田訴訟は、裁量収縮論を使うのにうってつけではないか、と愚考した次第です。何故なら、日田市、および訴訟代理人の寺井弁護士などが主張する「まちづくり権」を補強する可能性があるからです。

 今回の訴訟において裁量収縮論を用いるために、場外車券売場の設置許可に際して、経済産業大臣は広汎な裁量権を有する、ということを第一次的な前提として置きます(その妥当性については、ここで問わないこととします)。しかし、100%の裁量はありえません。憲法をはじめ、内閣法、経済産業省設置法、地方自治法、地方分権推進法、その他の法律による拘束を受けます。自転車競技法が経済産業大臣に一定程度の裁量を与えるとしても、憲法や他の法律の趣旨を全く無視するような裁量権の行使は許されません。従って、この段階で次に、設置許可をなす際にも、便宜の点からして全く基準を作らない訳にもいきません。それだけでなく、基準設定は、申請者が行政手続上有する権利・利益を保障するためにも必要不可欠なものです。これによって、裁量権はさらに縮まってきます。そして、実際に設置が予定されている市町村の状況も大きな鍵となります。住民の反対が多く、現地を調査すると―この現地調査というものが、実際にどの程度行われているのでしょうか。サテライト博多問題を含めて考えると、さらに疑問が膨らみます―、自然環境、社会的環境の悪化が懸念される、としますと、一層、裁量権は収縮します。そして、地方自治体のまちづくり権、あるいは、場外車券売場が設置されることによって地方自治体の負担(行政経費など)が増大する、となれば、さらに収縮されることになります。仮に、誰の目にもこれらのことが明らかであれば、経済産業大臣が有する裁量権は完全に零になる、あるいは零に限りなく近づくことになり、設置許可を出すことはできない、ということになるでしょう。設置許可をなすならば、行政事件訴訟法第30条にいう「裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合」に該当し、違法として「裁判所は、その処分を取り消すことができる」ということになります(条文では「取り消すことができる」となっていますが、「取り消さなければならない」に近いと考えるべきでしょう。第31条において事情判決が規定されていることを考慮しても、違法な処分を取り消さないことは、裁判所の義務に背くことになります)。

 ここまで、原告適格との関連において、行政行為論や裁量収縮論をも援用して論じて参りました。次に、私自身がこの不定期連載において何度となく繰り返して論じている、地方自治法第1条の2および地方分権推進法第4条の意味について、原告側の準備書面が述べているところを検討することといたします。

 私は、この不定期連載において、経済産業大臣側が主張する「プログラム規定説」(地方自治法第1条の2および地方分権推進法第4条について)が妥当でないことを主張しています。これに呼応しているのか否かはわかりませんが、原告側の準備書面も、経済産業大臣の主張について、「これらの規定には何らの裁判規範性が認められないとの趣旨であれば、平成11年7月8日に成立した地方分権一括法の制定過程の論議を全く無視したものであり、国の態度としても極めて不当と言わなければならない」と断じています。

 改めて、地方自治法第1条の2および地方分権推進法第4条を読み返してみます。たしかに、これらの規定は、国の立法方針などを規定するものであり、自然人としての一般国民の権利・利益に直接的な影響を及ぼすものではありません。しかし、このことと、国家機関に対する拘束性の有無とは別の問題です。地方自治法は、日本国憲法を受け、地方自治制度そのものを保障しています。これが個々の具体的な地方自治体の存在を保障する訳ではありません(合併あるいは分割などがありうるからです)。しかし、地方自治制度そのものを保障するということは、とりもなおさず、現に存在する地方自治体の活動などを保障することを意味します。国には、このことに関する義務が課せられています。憲法の規定からしても、「プログラム規定説」は全く妥当性を欠いています。原告の準備書面においては地方自治法第2条第11項ないし第13項が援用されております。私も、これを妥当と解しております。これまで、憲法学におけるプログラム規定説は、自然人としての一般国民の権利・利益に直接的な影響を及ぼさないことをもって、直ちに「指針的・宣言的性格」に結びつけ、法的な拘束力が皆無であるかのように論じてきたように見受けられます。しかし、これはあまりに単純な議論であり、改められなければなりません。

 そして、原告側の準備書面は「自転車競技法の目的について」論じています。経済産業大臣側の主張は「自転車競技法の目的を狭く解釈して本件にあてはめているに過ぎず、自転車競技法の目的を関連法規の関係規定によって形成される法体系の中において合理的に解釈すべき姿勢が欠落している」と批判し、同法が「自転車そのほかの機械の改良及び輸出の振興、機械工業の合理化並びに体育事業その他公益の増進を目的とする事業の振興に寄与すること」、および「地方財政の健全化を図ることを目的としているのであって、地方自治体や周辺住民の個別的利益の保護も目的としていると理解すべき」である、そのために自転車競技法第4条第2項および同法施行規則第4条の3において設置許可の要件が定められている、と述べています。

 原告の準備書面では「第4 最高裁判例の解釈について」において述べられている新潟空港訴訟最高裁判決(平成元年2月17日民集43巻2号56頁)は、行政事件訴訟法第9条に規定される原告適格について、「当該処分を定めた法規が、不特定多数者の具体的な利益をもっぱら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には、かかる利益も右にいう法律上保護された利益に当たる」と述べています。その上で、「当該行政法規が、不特定多数者の具体的な利益をそれが帰属する個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むか否かは、当該行政法規及びそれと目的を共通する関連法規の関係規定によって形成される法体系の中において、当該処分の根拠規定が、当該処分を通じて右のような個々人の個別的利益をも保護すべきものとして位置付けられているとみることができるかどうかによって決すべきである」と述べています。

 これを今回の訴訟に当てはめると、場外車券売場の設置も自転車競技法第1条と無関係ではない、ということになります。また、競輪事業が同法によって地方自治体の自治事務(であると考えられます)と位置づけられていることからして、地方自治法や地方財政法などの規定などとも無関係ではありません。また、設置許可の基準で「学校その他の文教施設及び病院その他の医療施設から相当の距離を有し、文教上又は保健衛生上著しい支障をきたすおそれがないこと」があげられていることからしても、原告の準備書面が主張するように、設置される地方自治体の「環境保護」なども視野に入れたものであると解さざるをえません。

 さらに、原告の主張にもあるように、競輪場と場外車券売場とは「その効果が全く異な」ります。場外車券売場そのものは「自転車競技選手の養成等の側面」を持たないからです。

 原告側の準備書面は、「設置要領通達」および「出訴期間」にも言及しています。このうち、「設置要領通達」については、「通達が許可要件を補完し具体化するものであり、許可要件を解釈する上で重要な役割をもつものである。通達行政の是非は別として、通達は事実上の拘束力を有するもので、経済産業大臣は自ら発した通達に拘束されるべきであ」ると主張しております。実は、通達は行政規則の一種で、行政内部では法的な拘束力を有します。また、外部に対しては法的な拘束力を持たないものの、この通達が設置許可の基準となっていることは否定のしようがありません。そのため、他の処分については通達に従っているのに当該処分については従っていない、というような場合には、違法という評価を受ける可能性もあります。

 また、「出訴期間」ですが、原告側の準備書面は「地方公共団体による提訴は、議会の決議が必要とされており、3ヶ月の出訴期間を遵守することは不可能ないし著しく困難」であることを述べています。また、「地方自治体が国を相手に訴訟を提起することは必ずしも一般的と言えないこと」、「通常は国に対し陳述、請願、要請等を行い解決しようとすること」、「解決に至らないとき初めて訴訟提起を考えること」、「しかもその時期に地方議会が開催されていなければ、臨時議会を召集しなければならないこと」を、理由としてあげています。

 今後の日程ですが、既に次回は7月23日の13時30分から、と決まっております。そして、次々回は10月1日の13時30分から、ということになりました。

 実は、この訴訟との関連で、私は、或る宿題を抱えております。行政法学者の中でも、最初から傍聴を繰り返すなど、或る意味では最も深く関係しているだけに、私も何かをなさねばならない、と考えております。 今回、ここで多少なりとも果たせたならば、この記事の存在意義が増すこととなります。


(初出:2002年6月16日)

2025年5月18日日曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第41編

 平成14年度になってから、この不定期連載の記事を作成するのは、今回が初めてのこととなります。

 その間、福岡市中央区における福岡ドーム内の場外馬券売場設置許可問題のほうも、色々な動きがありました。九州朝日放送(KBC)のホームページ、西日本新聞、朝日新聞などのホームページで動きを追っています。こちらも、既に設置許可が出されておりますが、福岡市は設置に消極的な姿勢を示しています。そして、5月21日に西日本新聞社のホームページに掲載された「ドーム場外馬券場「断念」正式回答へ 福岡市長が見通し」という記事によると、この場外馬券売場設置計画は断念されるようです(http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-today/today.html#011。なお、同社の場合、同じアドレスでも、毎日、記事の内容が変わります)。

 記事によりますと、21日、福岡市の山崎広太郎市長との定例記者会見の席上、市長は、佐賀県競馬組合などの3組合から、正式に計画断念の通知(回等)が届くという見通しを示したとのことです。また、4月末に、市長が福岡ドームの副社長、高塚猛氏と面会したそうで、その席上、市長は計画の断念を求めたのに対し、高塚氏は「迷惑をかけないようにします」と答えたとのことです。記事では「計画断念の意向を表明した、と明らかにした」と評価しています。

 一方、サテライト日田問題のほうですが、現在、訴訟が進行中であるということもあって、目新しい動きはありません。別府市のほうも、設置関連の予算案を市議会に提出しておりませんし、現場のほうも全く進行しておりません。これだけ全国に知られてしまえば、工事を強行することも難しいでしょう。最近知ったのですが、北海道は札幌市の方が、このホームページを紹介して下さっております。また、 第42編においても取り上げますが、神奈川大学の村上順教授が、おそらく、サテライト日田問題に関する本格的な論文としては2番目になるものと思われる―いや、こういう書き方はおこがましいですね 。私の論文など、大したことはありません。他の方による論文で引用されていないのですから―「日田訴訟と自治体の原告適格」という論文を、財団法人地方自治総合研究所が発行する雑誌「自治総研」2002年3月号(通巻第281号)にて発表されています(18頁から41頁まで)。

 さて、5月21日、大分地方裁判所においてサテライト日田関連訴訟の口頭弁論が行われました。今回は、その模様などを報告いたします。

 まず、午前中、10時から10分間、日田市対別府市訴訟の口頭弁論が行われました。実は、私はこのことを全く知らされていなかったため、こちらのほうは傍聴しておりません。しかし、日田市役所の方から原告側の 「準備書面(5)」(平成14年5月15日付)をいただきましたので、それに沿って紹介しましょう。

 準備書面(5)は、まず、「第1 被告の認識」において、被告側が提出した準備書面を引用しつつ、「被告が、『原告が通産大臣に対し明確な意思表示をしなかった』と“認識”あるいは“論評”するにあたり、それを真実と信じるに相当な理由がなければならないが、その資料あるいは根拠を全く示していない」と評価しています。

 上記については、私も、既に何度か、様々な形で指摘しています。 要するに、別府市側は、反論こそ重ねているものの、具体的な主張としては内容の乏しいものか、的外れなものしか出していないのです。情報公開関係の訴訟であれば、それでも勝訴できる可能性はあります(実際、大分地方裁判所で出された諸判決を読むと、その点を強く感じます)。しかし、事は名誉毀損が問題になっている訴訟であり、日田市の主張に対しては、それなりに筋の通った反論こそが求められます。それは、本来であれば決して難しくないはずです。日田市が別府市報によって名誉を毀損されたとする主張の立証責任は、日田市が負っているのですから。

 この部分の後、準備書面(5)は事実経過の説明に頁を割いています。そして、「原告は、平成9年7月31日以降も、再三再四に亘って、通商産業省及び九州通商産業局に対し、『サテライト日田』の設置につき明確な反対の意思表示を行ってきたのである」と主張しています。

 そして、地方自治体の名誉について、新潟地方裁判所高田支部平成13年2月28日判決を引用しつつ、存在を肯定しています。この点についても、私は、既に何度か述べております。

 最後に、本件における名誉回復措置の必要性について述べています。別府市側は、日田市が広報ひた号外(2001年3月15日付)において日田市の主張を掲載していること(第24編も参照)、および、「原告の本件訴訟における主張が報道されていることの二点をとらえ、本件謝罪文(原告は「訂正文」という表示をしている)の掲載の必要はないと主張している」のですが、これについて日田市側は「理解に苦しむ」と述べております。私の意見は、既にこの不定期連載をお読みの方であればおわかりのことと思います。つまり、私も、別府市側の主張について「理解に苦し」んでいるのです。また、準備書面(5)も述べている通り、「広報ひた」に日田市の意見を記すことと、別府市側による名誉の侵害を回復することとは、全く別の次元のことです(あまりに簡単な話ですが)。そして、日田市の主張が「報道されたことをもって名誉が回復されたことにならないのも当然のこと」です。それは、「新聞・テレビ・ラジオなどの報道機関は社会の出来事を広く告げ知らせるにあたり、特に訴訟において係争中の事実については、中立の立場から当事者双方の主張を掲載するものであり、報道という一言をもって名誉が回復されたということなどあり得ない」からです。

 なお、今後の方向性ですが、かなり気になることを耳にしました。どうも、今後、和解の方向に進む可能性が高いようなのです(もっとも、私にとっては予想の範囲内ですが)。4月に進行協議が行われたのですが、裁判長から、和解勧告(あるいはそれに類するもの)が出されたようなのです。6月には、東京高等裁判所から、上越市対東京放送訴訟の判決が出るようです。それを見た上で、7月1日に進行協議がなされるようです。その際、日田市が最初に示している訂正文案を若干修正したもの(表現がきついから穏やかなものにするということのようですが、要は別府市の面子も立つような文面にするということです)を提示するようです。これが受け入れられるならば、今年度中にも和解が成立することになります。

 5月21日の午後には、日田市対経済産業大臣訴訟の口頭弁論が開かれましたが、これについては第42編において報告をいたします。


(初出:2002年5月22日)

2025年5月16日金曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第40編

 このサテライト日田問題がTBSの「噂の! 東京マガジン」によって全国的に知られるようになって、もう1年以上がすぎます。私自身が取り組み始めたのは2000年の6月末で、ホームページで取り上げたのは7月のことです。それから不定期連載となり、今回で第40編となりました。しかも、今回は、私にとって一つの区切りになる日に掲載することになります(その意味は、ここで記しません。次回の更新で明らかにいたします)。よくここまで続けられたものだと、私自身が思っています。熱し易く冷め易いほうなのか、単に飽きっぽい性格なのか、ここまで続くとは思っておらず、このホームページのメインの一つになるとは予想もしていなかったのです。

 今では、多くの行政法学者や行政学者などにも知られるようになり、論文や学会報告においても言葉などが取り上げられるようになりました。この問題について本格的に取り上げた論文は、私の知る限りですが、私の「サテライト日田をめぐる自治体間対立と条例―日田市公営競技の場外券売場設置等による生活環境等の保全に関する条例―」(月刊地方自治職員研修2001年5月号)だけです。また、ホームページに記事を掲載する形でこれほどまでに追い続けているのも、おそらくはこのホームページだけでしょう(掲示板は除いています)。この問題に取り組むようになって、多くの方にこの不定期連載をお読みいただき、御意見をいただきましたし、面識を得させていただく機会を得ることもできました。最近聞いた話では、或る有名な行政法学者の方も、主に日田市のまちづくりという観点からこの問題を取り上げた論文集を公刊されるようです。そこには、このホームページも何度か登場するとのことです。

 しかし、この問題はまだ終わっていません。どのような形で終末を迎えるのか、或る程度の予想はできますし、幾つかのシナリオを書くこともできるのですが、ここではやめておきましょう。

 また、私は加入していないのですが(そして、既に少なからぬ学会に加入していることもあって、予定もないのですが)、民主主義科学者協会法律部会という、学界横断的な(といっても、法律学の中でのことですが)組織があり、ここの合宿が熊本県水俣市の湯の児温泉で開かれるのだが、行政法部会で「自治体間対立」としてこの問題について報告をしてくれないか、という御依頼を、名古屋経済大学の榊原秀訓氏からいただきました。そこで、大分大学内の様々な用事に忙殺される中でそれほど十分な準備ができないまま、3月28日に報告をいたしました。サテライト日田訴訟のうち、日田市対経済産業大臣訴訟に関係されている、九州大学の木佐茂男氏、専修大学の白藤博行氏、東京都立大学の人見剛氏も合宿に参加されているので、正直に申し上げれば不安が多く、私自身も不満足な出来に終わってしまい、申し訳なく思っています。しかし、当日参加された方に、大分県に住んでいる者としての見方を御理解いただければ、と思っています(なお、草稿を用意していたのですが、ここには掲載しません)。

 いずれにせよ、サテライト日田関連の話題が出る限りは、最後まで続けて参ります。

 さて、本題に入ることといたしましょう。

 日田市対別府市訴訟の口頭弁論が行われたのが3月5日、その2日後、私は東京へ帰りました。目的は、ヴァイマール共和国期の財政調整法理論に関する資料の収集でしたが、別の用事として、このサテライト日田訴訟の件がありました。午前中、早稲田大学で資料収集をして、一旦中断し、バスで四谷へ向かいました。そして、14時、日田市側の原告代理人を務める寺井弁護士、木田弁護士などが所属するリベルテ法律事務所を訪れました。この日、私は参考資料を持っており、これをお渡しするとともに、若干の意見交換などをいたしました。また、既に2月22日付で経済産業大臣側の第4準備書面が提出されており、これを読ませていただきました。また、寺井弁護士の活動を紹介する記事が、毎日新聞2002年3月6日付朝刊(と思われます)3面14版に掲載されており、そのコピーもいただきました。

 今年に入ってから、福島大学行政社会科学部の垣見隆禎助教授より「明治憲法下の自治体の行政訴訟」という論文の抜刷を送っていただきました(体裁としては失礼なのですが、この場で改めての御礼を申し上げます)。福島大学行政社会論集14巻2号に掲載されたものです。私は、研究室で早速読んだのですが、行政裁判所法という、行政訴訟に関する法律としては著しく不備なものが施行されていた中で、地方自治体の原告適格が認められていた、というより、問題にされていなかったことを知り、驚いたのです。

 そもそも、日本国憲法と異なり、大日本帝国憲法には地方自治に関する規定がありません。このことからして、明治時代から昭和20年代、大日本帝国憲法の時代には、地方自治は憲法上の制度ではなく、地方自治体(とくに都道府県)は国の出先機関のような性格を有しており、自治権などというものが予定されていなかったことになります。

 大日本帝国憲法時代、行政に関する法的紛争(損害賠償を除きます)については、大審院を頂点とする通常裁判所の管轄から外されておりました。つまり、現在のように地方裁判所などに訴訟を提起することができなかったのです。この時代には、ドイツ帝国、とくにプロイセン王国の法制度が模範とされていたため、行政訴訟については別の系統とされていたのです。しかも、行政裁判所法は列記主義を採用していました。これもプロイセン王国の制度に倣ったものです。どういうことかというと、行政裁判所法により、訴訟を提起しうる場合が幾つか定められており、それらのいずれにも該当しない場合には、たとえ行政に関する法的紛争といっても争うことができなかったのです。さらに、行政裁判所は、司法権の系列ではなく、行政権の一環とされ、全国に一箇所、現在の東京都千代田区にしかなかったのです。戦後、日本国憲法が制定されると、行政裁判所は憲法第76条第2項と矛盾するために廃止されましたし、列記主義から概括主義(いかなる法的事件について訴訟を提起することができるかについて、とくに制限を設けないこと)となり、最高裁判所を頂点とする各裁判所において扱われるようになりました。行政事件に関する法律は、日本国憲法制定後、何回かの変遷を経て、現在の行政事件訴訟法となりました。

 しかし、現在の行政事件訴訟法も、地方自治体の原告適格、というより、そもそも、垣見助教授の表現をお借りすれば「出訴資格」があるのか否かは不明です。私人に「出訴資格」があるのは明らかで、その上で原告適格が問題となります。現在、日田市対経済産業大臣訴訟において争われているのは、この「出訴資格」であり、まだ原告適格の段階にあるとは言えない部分があるのです。これまでの判例を検討すると、有名な摂津訴訟など、自治体の「出訴資格」は肯定されているのですが、行政裁判所法の時代にも、この点については全くと言ってもよいほど問題にされておらず、処分の第三者としての地位にある地方自治体が原告となって処分の取消などを請求する訴訟を提起することが認められていたのです。仮に、日田市対経済産業大臣訴訟において日田市の「出訴資格」が否定されるとなると、大日本帝国憲法時代よりも後退することになります。これは、まちづくりを進める場合などに障害となります。また、住民自治の観点からみても問題です。結局、住民自治が否定されかねないからです。何のために、都道府県や市町村が地方自治法によって法人格を与えられているのか、わからなくなるのです。

 次に、経済産業大臣側の第4準備書面について、内容を簡単に紹介します。

 これは、今年1月21日付で原告側から提出された準備書面(第3)においてなされた求釈明(第37編を参照して下さい)に対する応答の形をとっていますが、全く応答にも釈明にもなっておりません。第37編において述べたように、予想がつくことでした。

 まず、「(1)サテライト日田設置許可処分の法的性質(自転車競技法第4条第1項)」ですが、これについて、経済産業大臣側は許可であるという趣旨を述べていますが、第3準備書面(第34編を参照して下さい)で述べた通りであるというような調子で書かれており、他の論点についても同様です。

 次に、「(2)場外車券売場設置許可処分は、立地する地方自治体に何らかの権利義務の変動を与えないのか、そして、この許可処分は地方自治体の権限行使との関係において、法的な問題を一切生じさせないのか」という問題ですが、これについての経済産業大臣側の主張は、全く意味不明です。

 「(3)地方分権推進法、地方自治法の規定の性格」については、経済産業大臣側が正式に条文の訂正をしており、その上で「被告の第3準備書面第1の2の(1)において主張したとおりであり、それ以上に釈明する必要はないと思料する」と書かれております。私は、この文面を見た時、「これでは回答(解答)になっていない。出典くらい明示せよ!」と叫びだす寸前にまで至りました。もっとも、最近読んだ本の中で、これらの規定がプログラム規定だという解説があったのですが、これは公定解釈でも何でもなく、地方分権に関する研究書でした(著者および書名を覚えていないので、改めて調べてみます)。第34編および第37編において述べたように、地方分権推進法第4条や地方自治法第1条などの規定は、国民や住民を直接的に拘束しません。しかし、地方自治法にある他の規定を解釈する際に、強力な基準となります。そればかりでなく、地方自治法の各規定を改正する場合などに、国会に対し、一定の縛りをかけることとなります。さらに言うならば、地方自治法以外の諸法律についても、解釈や改正の指針、基準となるべきものです。その意味において、単なるプログラム規定だとは言えないのです。「宣言的・指針的」規定という言葉の意味について、経済産業大臣側は何の説明もしていません。あるいは、説明できないのでしょうか。それはどちらでもよいのですが、この程度の説明では、相手に理解を求めること自体が無理な話です。仮に、このような言葉が修士論文か何かに書かれていて、私が審査員として学生に説明を求め、この程度の回答しか得られなかったとしたら、私は躊躇せずに不可の評価を与えるでしょう。大学院時代、私自身が、ここに改めて書くまでもない早稲田大学名誉教授の恩師から何度となく厳しく注意されたことでもあります。

 「(4)自転車競技法が保護する利益」については、経済産業大臣側は「第1準備書面第1の2の(1)ないし(5)で詳細に主張した」としております(第1準備書面については第31編も参照して下さい)。原告は「地方自治体の文教上、保健衛生上、周辺環境上の利益保護を一切目的としていないとする趣旨か」と質していました。経済産業大臣側の第4準備書面だけではよくわからないのですが、おそらく、「地方自治体の文教上、保健衛生上、周辺環境上の利益保護を一切目的としていないとする趣旨」なのでしょう。

 最後に、「(5)自転車競技法第1条第1項と地方自治法第1条との関連」についてですが、これについても、経済産業大臣側は第3準備書面において述べたと主張しています。とは言え、その趣旨は必ずしも明らかになっていません。おそらく、従来の「法律上保護された利益説」を堅持するという趣旨でしょう。行政学的な立場を加味して記すならば、この「法律上保護された利益説」は、従来の過度な縦割り行政を訴訟などの面において助長するという弊害をもたらしたのではないでしょうか。法律は、憲法第74条において「法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする」と規定されるように、内容に応じて異なる官庁が所轄します。地方分権推進法は、おそらく、内閣府が所轄官庁でしょう。地方自治法は総務省(以前は自治省)、自転車競技法は経済産業省、競馬法は農林水産省、などとなっております。このこと自体の問題を指摘する意見もあるのですが、それを措くとして、本来であれば体系的に、省庁横断的に捉えるべき法の世界が各論分断的になっており、地方自治法の趣旨などが生かされないという結果になっているのです。内閣法制局が、法律案の審査権を有しているのですが、このことも法体系における縦割り現象に対する歯止めになっておりません。

 こうした状況の中で、これまで、地方自治体は右往左往せざるをえない状況に置かれていました。地方行政の分野にまで国の縦割り行政の影響が及び、統一的なまちづくりなどを阻んできたという訳です。残念ながら、地方分権改革が進められ、機関委任事務が廃止されたと言っても、国の強力な関与は形を変えて残っています。中央省庁が再編されたと言っても、縦割りの弊害は解消しておらず、むしろ強まっているかのような印象すら受けます。地方自治体の現実から「受け皿論」などというものが登場するのですが、これは或る意味で本末転倒です。これまで地方自治体に手枷足枷をかけ、その上で補助金などの飴あるいはパンを天井からぶら下げたのは、一体何処の誰なのでしょう。これを忘れてはいけません。

 経済産業省側の第4準備書面は、上記の内容のまま、大分地方裁判所に提出されており、3月26日の口頭弁論ではこの書面どおりに「陳述します」との一言で終わりました。

 これに対抗するためにも、今後、まちづくり権の中身、もっと言うならば法的な根拠をさらに具体化する必要が出てきたということになります。おそらく、具体的な形は地方自治体によって異なるでしょう。それでよいのです。それこそがまちづくりですから。問題は、憲法第8章や地方自治法からどのように地方自治体のまちづくり権を導き出すかということです。3月7日に、私はこの課題を与えられたと理解しております。勿論、行政法学者の一人でもありますから、以前からの課題なのですが、改めて考えなければならないのです。まちづくりという言葉自体、論者による微妙な差があり、単なるハード作りなのか、景観保護なのか、住民自治のルールなのか、不明確なところがある点は否定できません。その際、ニセコ町のまちづくり基本条例は参考となります。

 正直に記すと、財政調整などの研究を進めている私としては、憲法第8章の諸規定を改正し、地方自治をもう少し強く前面に押し出す必要があると思っています。この際、連邦制や道州制は議論の対象になりません。連邦制=分権という図式は単純にすぎ、歴史的事実をも軽視しています。ヴァイマール共和国期のドイツ、建国当初のドイツ民主共和国も連邦国家でしたが、集権的国家でした。同じような例としては、アルゼンチンなどをあげることができるでしょう。また、現在のドイツ連邦共和国についても、税財政の側面からすればむしろ集権的な国家であるという指摘があります(Wolfgang Renzsch, Finanzverfassung und Finanzausgleich, Die Auseinandersetzungen um ihre politische Gestaltung in der Bundesrepublik Deutschland zwischen Wahrungsreform und deutscher Vereinigung (1948~1990)〔伊東弘文訳『ドイツ財政調整発展史―戦後から統一まで―』(1999年,九州大学出版会)〕。

 四谷の街を歩き、南北線および東西線経由で早稲田大学に戻り、資料収集を続けながら、「地方自治とは一体何であるのか」という根本的な疑問が、頭の中を駆け巡りました。大分に戻ってからも、大学院福祉社会科学研究科に関係する仕事などをこなしながら、様々な文献を漁って読み続けています。何度か記しているように、私自身は、博士後期課程在学中から財政調整の研究に取り組んでいます(その割には進んでいないのですが)。その関係で、地方税制度にも関心を持っているのですが、日本国憲法は、どう考えても、国と地方自治体との役割分担、地方自治体の権限などに関する諸原則を、必ずしも十分に明確にしているとは思えないのです。

 色々なことを考えているうちに、3月26日を迎えました。NHKラジオ第一放送の正午のニュースで、例の東京都外形標準課税訴訟の判決が東京地方裁判所から出され、東京都が敗訴したという報道を耳にし、日田市対経済産業大臣訴訟の結末はどうなるかと、いくつかのパターンを考えました。東京都の外形標準課税については、私は当初から疑問視しておりますので、その意味において、判決の結論自体は妥当だと思うのですが、理由については妥当とは言えない部分もあると考えています。この記事の趣旨から外れるので、これ以上は記さないこととします。

 大分地方裁判所に到着したのは12時半、日田市役所の職員の方お一人以外、誰もいなかったのですが、13時をすぎて傍聴人が集まりました。今回は人数が少なかったのですが、九州大学の木佐茂男教授が来られておりました。また、ゼミ生のお二人も傍聴しておりました。以前から、熊本県立大学の学生お一人も傍聴を続けております。そうなると、大分大学をはじめとした大分県内の大学関係者で、このサテライト日田問題に関心を抱いているのは、教職員と学生とを問わず私一人だけということになります。何とも言えません。

 13時半に開廷し、口頭弁論が始まりました。今回は、東京都立大学の人見剛教授による3月18日付の鑑定意見書が提出され、木田弁護士から内容についての説明がなされました。この書面のコピーは、日田市側によって傍聴人全員に配られました。大石市長、室原議長などから「わかりやすい内容だ」という意見が聞かれました。今回、参照および引用について人見教授の御了解を得ることができましたので、ここに内容を紹介することとします。

 鑑定事項は、「日本の学説及び裁判例からみた『まちづくり権』の侵害を理由とする地方自治体の原告適格について」となっております。白藤教授、村上教授に続いてアメリカ合衆国の例をも参照しています。

 さて、まずは「出訴資格」についてです。これは、裁判所法第3条第1項にいう「法律上の争訟」への該当性に関わります。人見教授は、地方自治体が行政事件訴訟法に規定される抗告訴訟を提起する場合として、(1)「財産権の主体たる地位を典型とする私人と同様の立場で訴訟を提起する場合」と、(2)「私人とは異質の行政主体としての立場」において「訴訟を提起する場合」とに分かれるとしております。

 このうち、(1)については出訴資格を否定する見解はみられないとして、那覇地判平成2年5月29日判時1351号16頁を参照しています。問題は(2)なのですが、これについても、ドイツ、フランス、英米諸国の例を引きつつ、さらに、摂津訴訟控訴審判決(東京高判昭和55年7月28日行裁例集31巻7号1558頁)、最判平成13年7月13日判例自治216号100頁を例としてあげ、この場合においても地方自治体に出訴資格があるとしております。

 続いて、「抗告訴訟の紛争事案において自治体の原告適格が認められるか否か」についての検討に入っております。ここでも、(3)「行政処分の名宛人としての固有の資格における自治体の原告適格」と、(4)「行政処分の第三者としての固有の資格における自治体の原告適格」とに分けて検討する必要があるとして、それぞれについて検討を進めております。

 このうち、(3)については、国地方係争処理委員会および自治紛争処理委員会(地方自治法第250条の7以下を参照)に審査を申し出て、その審査の結果などについて高等裁判所に取消訴訟を提起できるという場合があります。しかし、これは抗告訴訟ではなく、機関訴訟であるとされています。そうなると、この両委員会の審査を経ないで抗告訴訟を提起できるのかという問題が生じますが、地方自治法第245条において両委員会の審査対象から外されているものがあり、これについては抗告訴訟を提起することが可能であるとされています。また、外されていないものについても抗告訴訟が可能である見解として、室井力・兼子仁編『基本法コンメンタール・地方自治法〔第4版〕』(2001年、日本評論社)373頁(人見教授御自身が担当されています)、および、白藤教授の論文(基は学会報告)「国と地方公共団体との紛争処理の仕組み」(日本公法学会編・公法研究62号208頁)を参照されております。

 そして、(4)です。経済産業大臣側の主張に対する反論としての意味をも有するものです。行政事件訴訟法第9条の解釈論が展開されます。

 まず、行政法学においては、原告適格について「法律上保護された利益説」と「法律上保護に値する利益説」との対立が知られております。しかし、最近の判例は、ベースとしては「法律上保護された利益説」を採用しつつも、その範囲を拡大する傾向を示しています。この説は、処分の根拠となる法律の規定が公益を保護する趣旨か個人の利益を直接保護する趣旨かによって原告適格を判断するのですが、最近は、「個人の利益を保護する規定は、法令の明文によるものでなくともよく、解釈上保護する趣旨と理解できればよい」とする傾向、公益保護を趣旨とする規定であっても個人の個別的利益を保護する趣旨と理解できる場合があるとする傾向、処分の直接の根拠規定などに限らず、共通の目的を有する関連法律など法体系を鑑みるべきであるとする傾向(新潟空港訴訟最高裁判決が典型)、処分によって侵害される可能性がある利益の内容や性質や程度も判断要素とする傾向があることが指摘されています。

 ただ、これらはあくまでも原告が私人である場合であって、地方自治体にはストレートに適用できません。人見教授もこの点を確認しております。しかし、塩野宏教授の論文、白藤教授による鑑定意見、垣見助教授の論文などを参照しつつ、地方自治体についても私人と同様に出訴資格を認めるべきであるという趣旨が導かれます。この際、自然環境保護法第14条第2項や大気汚染防止法第3条第5項などが引き合いに出されており、「少なくとも、こうして自治体の参加手続が名分譲定められている場合に、その手続が遵守されないときは、当該自治体は、その参加的地位の毀損を理由とする行政処分の取消訴訟の原告適格を有すると解すべきであろう」と結論づけられております。

 以上を踏まえた上で、鑑定意見書は「本件訴訟の検討」に入ります。人見教授は、日田市が原告適格を有する理由として3点をあげられています。非常に詳細な検討内容なのですが、これを全て引用して紹介する訳にもいきません(何らかの形で公刊されるならば、ありがたいことなのですが)。そこで、要点のみを紹介します。

 第1点として、自転車競技法の趣旨があげられます。この法律の主要な目的は地方自治体の財政の健全化です。一方、別府競輪場の場外車券売場が日田市に設けられることにより、日田市は、仮に競輪事業を営んでいれば得られたかもしれない利益を失う可能性があります。このことから日田市に「法律上の利益」がある、という訳です。もっとも、日田市の場合は「競輪事業を営まないことによって得られる地域環境的な利益」を主張しているのですが、これも仮に競輪事業を営んでいれば得られたかもしれない利益と表裏の関係にあります。つまりは同質だというのです。こうした利益を、自転車競技法は、許可制度などにおいて当然に予定している。これが鑑定意見書の立場です。

 第2点として、自転車競技法第3条で定められる競輪場の設置・移転許可と第4条との関係です。場外車券売場の場合、経済産業省令によって基準が定められており、ここから、「学校その他の文教施設や病院その他の医療施設の設置・運営主体の文教・保健衛生に係る利益は、自転車競技法及びその施行規則によって個別的利益としても保護された法益である」と結論づけております。これに対し、場外車券売場設置予定地の周辺地域が有するはずの環境上の利益については、自転車競技法などによって個別的に保護された利益であるとは言えないとしながらも、「原告が、まさしく公益の担い手である地方自治体であれば、話は全く別である。法律上の保護法益が公益であることを理由にその原告適格が否定されるのは、原告が個人的な利益の担い手である一般私人であるからこそである。公益保護規定であることは、自治体の原告適格を否定する理由にならず、むしろ自治体のみが原告適格を有しうることの根拠になるともいえよう」とされております。この部分は多少とも強引かという印象を受けますが、「およそ公益保護規定であれば、それを根拠に自治体は取消訴訟を提起しうるとするのは極端であ」るとも言明されております。

 第3点は、地方自治体が場外車券売場の設置に関係する場合の手続的参加の問題です。自転車競技法の場合、競輪場の設置については関係自治体からの意見の聴取が予定されておりますが、場外車券売場については予定されていません。人見教授は、地方自治法第244条の3第1項を「一つの手がかり」としてあげているのですが、場外車券売場などは、地方自治法第244条第1項にいう「住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設」に該当せず、しかも民間事業者がサテライト日田の設置を進めていることを認めております。その上で、「病院や福祉施設などの『公の施設』の区域外設置の時は、地元自治体との協議を要するが、ゴミ焼却場のようないわゆる迷惑施設は『公の施設』に該当しないから協議を要しないとするのは、いかにも不合理である」と述べています。そして、場外車券売場は、設置主体は民間事業者であっても建物の設置ということに留まること(留まらなければ自転車競技法に違反します)、「競輪事業の主体たる別府市の意思と全く独立に、民間事業者が場外車券売場の建設を企図することはあり得ない」から、サテライト日田を(公の施設ではないとしても)別府市の施設とみるべきであるという主張がなされます。そして、サテライト日田についても「地方自治法第244条の3の趣旨に即した地元自治体との協議を不可欠とすべきである。(中略)そのような協議を受けずに場外車券売場が設置されることになる原告日田市は、協議を受けるという手続的地位の毀損を理由に、場外車券売場設置許可処分の取消訴訟を提起することができる」と結論づけています。

 以前から、私は、サテライト日田設置許可手続には問題があると思っていて、行政手続法などによって手続の瑕疵を主張できないかと考えておりました。その旨を、日田市側の弁護団にも述べたことがあります。しかし、行政手続法ではあまりに根拠が薄弱です。許可処分など、行政手続法第2章にいう「申請に対する処分」の手続の際に、公聴会などを開催する旨の規定が同第10条にあるのですが、これは努力義務規定なのです。地方自治法第244条の3の趣旨を生かす、これを類推適用と表現してよいのかわかりませんが、そのような考え方を思いつかなかったのでした。まだまだ勉強不足でした。

 余談ですが、「競輪事業の主体たる別府市の意思と全く独立に、民間事業者が場外車券売場の建設を企図することはあり得ない」という部分は、人見教授が意図されたかされなかったかわかりませんが、別府市に対する間接的な批判ともなっております。この不定期連載においても紹介し、私自身が批判しているように、サテライト日田問題に関する別府市の対応は不適切としか言いようがありません。別府市は、あたかもサテライト日田は別府市の意思と無関係に進められたかのような態度を示すことがあったからです。

 今後の日程ですが、次回は5月21日、13時10分から13時30分までです。既に次々回についても決定しており、7月23日の13時30分からとなっております。

 最後に、当日、木佐先生から、「まちづくり権への挑戦~日田市場外車券売場訴訟を追う~」と題されたゼミ論集〔九州大学法学部2001年度行政法演習(木佐茂男ゼミ)研究報告書〕をいただきました。まず、この場を借りて、改めて御礼を申し上げます。論集は、ゼミの学生諸君により、主に日田市側の観点による内容となっており、かなり詳細な研究報告となっており、完成度も高いと評価できます。このホームページでの不定期連載など、半分は不要になるのではないかと思われるほどです。


(初出:2002年3月31日)

2025年5月15日木曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第39編

 前回(第38編)、日田市を離れ、福岡市の話題を取り上げました。福岡市当局が場外馬券場設置についていかなる見解を持っているのか、私の知るところではありません。しかし、少なくとも、住民の立場からすれば、学校や住宅、そして病院や福祉施設の立ち並ぶ地域に場外馬券売場などができるということは、地域の環境破壊に他ならないということになるでしょう。最近では、東京都が後楽園競輪復活の意向を示したのに対し、文京区長が慎重な姿勢を示したと報じられています。以前であれば、公営競技はまさに「公共の福祉」に資するものと考えられたでしょうし(実際、その趣旨を述べた判決も存在します)、公営競技の収益が地域の教育環境改善に役立ったことも事実です。私の出身地である川崎市でも、競輪や競馬からの収益で小学校や中学校などが建設されました。とは言え、今、公共性という言葉自体、以前のように「錦の御旗」的な意義を失っています。絶対的な護符として振りかざすべきものでもなくなっているのです。公営競技も、こうした観点から捉えなおす必要があるのかもしれません。

 また、以前であれば地方自治体の貴重な収入源でもあった公営競技が、現在、むしろ地方自治体のお荷物的存在となっている、あるいは、なりつつある、という厳しい現実があります。昨年の6月に幕を閉じた(あくまでも正式には、ということです)、大分県の中津競馬がまさに代表例なのですが、最近では浜名湖競艇を例としてあげることができます。

 朝日新聞静岡版3月11日付の記事「浜名湖競艇 配分金収入波間に消え」(http://mytown.asahi.com/shizuoka/news02.asp?kiji=5937)によると、浜名湖競艇企業団を運営している新居町、舞阪町および雄踏町の新年度予算案は、いずれも、競艇事業からの収入(浜名湖競艇企業団からの配分金)を零と見込んでいます。実は、平成13年度も配分金は零でした(当初の見込みは1億6000万円でしたが、昨年11月に減額修正されています)。町税収入も伸び悩み、地方交付税も削減され、この3町にとっては頭の痛い話です。配分金が零では予算として歳入額に入れることもできません。1981年度には配分金が1町あたりで18億円だったとのことで、この頃には3町の歳入額の4割が配分金、雄踏町の場合には税収よりも配分金のほうが多かったというほどでした。この3町については、道路舗装率、下水道普及率なども高かったそうです。しかし、1997年度から、配分金は10億円を割り込み、2000年度には1億9500億円にまで落ち込んでいます。

 ここでお断りしておかなければならないのですが、私は、何も公営競技そのものに反対する立場を採りませんし、公営競技が絶対的に悪であるという立場も採りません。公営競技の必要性や功罪に関する議論と、サテライト日田のような問題とは、区別、否、峻別する必要があります。私は、以前からこの点を意識していますが、この点を混同している論者が少なくないようなので、注意を促しておきたいのです。これは、後に取り上げる別府市の主張について、とくに妥当することです。日田市に対しても、このことをよく考えていただきたいと思います。

 ここで余談になります(それにしてはかなり長いのですが)。パチンコはどうなのでしょうか。競馬などと混同する方々が多いのですが、適用すべき法律などが違います。なお、私は刑法学を専攻していないので、以下の記述に誤りがあるかもしれません。正確を期したつもりですが、御指摘・御教示を賜れるならば幸いです。

 パチンコの場合は風俗適正化法が適用されますし、パチンコ屋がお客に対して現金などを渡す訳ではないのです。仮に、例えばパチンコで勝ったお客が2万発の玉を景品に交換するとします。そして、1発あたり2円50銭で店から借りた(法律上は購入になりません)として、店が等額で返してくれるとすると、5万円分になります。この5万円を、現金で店が返すとなれば、刑法第185条の賭博罪に該当します。但し、同条ただし書きにもありますように「一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるとき」は、賭博罪に該当しません。例えば乳酸菌飲料、チョコレート、インスタントラーメン、煙草などは、パチンコ屋で取り替えたとしても賭博罪に該当しない訳です。もっとも、最近は、卸値か小売価格かはわかりませんが、1万円分以内であれば景品として取り替えられます。目覚し時計、CDなどはもちろん、家庭用ゲーム機やシャネルの香水なども景品となっています(実際、私が大学院生であった頃、六本木のパチンコ店でシャネルのNo. 5などが景品として並べられていました)。中には、携帯電話の契約という景品までありました(私が大学院生の頃です)。こうしたものが「一時の娯楽に供する物」なのかどうかわかりませんし、パチンコでこうしたものを「賭けた」ことになるのかどうかも、私にはよくわかりません。いずれにせよ、パチンコ屋のカウンターで玉やメダルと取り替えられるのは景品であって現金ではないのです。

 それなのに、パチンコで勝ったお客は現金と取り替えているではないか、これは立派なギャンブルだろう、という声が聞こえてきます。たしかに、最終的には現金に化けることになりますが、これにはカラクリ(?)があります。景品のうち、特殊景品と呼ばれる物があります。お客はこれを持って、パチンコ店とは経営者が違うはずの景品交換所へ持って行きます。そこで特殊景品と現金とを交換するのですが、ここでは一種の売買契約が履行されることになります。特殊景品には、昔であればボールペンなど、今では金箔やペンダントなどが用いられており、景品によって単価が違います。こうした景品を、一応はお客が景品交換所に売ることとなります。売った結果によって、お客はいくらかのお金を手にする訳です。或る意味では脱法行為なのかもしれませんが、パチンコ屋自身が現金と取り替える訳ではないので、風俗適正化法にも刑法にも抵触しないのです。

 たしかに、パチンコと公営競技では、地域の環境に与える影響などの点で似通っている部分が多いのですが、意外にも、行政法学者や弁護士などにパチンコを御存知ない方が多いようなので、記しておいた次第です。

 さらに余談めいたことを記すと、私自身、パチンコやパチスロなどをよくやっていた時期がありましたが、飽きてしまい、ここ数年は全くやっていません(どちらかというと、私は飽きっぽい性格です。その割には、この不定期連載を続けていますが)。麻雀をしたこともありませんし、競馬や競輪なども全くしません。一種の公営ギャンブルであり、私人が行えば刑法第187条の富くじ罪に該当するはずの宝くじやサッカーくじもやっていません。多少とも仕組みを知っているだけに、やる気すら起こりません。それにしても、宝くじというものは、戦後、地方財政が破綻したことを受けて、いわば再建策の一環として始められたのであり、地方財政の状況が改善されるまでの「当分の間」に限り、運営されるべきものでした。しかし、現在では、廃止どころか、ますます大掛かりになっています。地方財政の状況は戦後一貫して再建から程遠い状況にある、ということなのでしょうか。それとも、ソヴィエト社会主義共和国連邦の建国の際にも使われた「当分の間」の魔力でしょうか。〕

 さて、サテライト日田問題に入ることとしましょう。2002年3月5日、11時より、大分地方裁判所1号法廷において、日田市対別府市訴訟の口頭弁論が行われました。実は、当日、私はこの模様を傍聴しておりません。午前中、大分大学で会議があり、都合がつかなかったからです。翌日、日田市役所企画課より、別府市側の準備書面(2002年3月4日付)を送っていただきましたので、それを基に検討して参ります。

 まず、別府市側の準備書面は、冒頭から「原告は、自転車競技法によって運営されている競輪事業を『ギャンブル』と決め付けた上で、『サテライト日田』の設置は日田市の目指す『文化・教育の香り高い都市』というまちづくりビジョンに相応しくない施設であり、青少年の健全育成の見地からも好ましくない施設であるとして、各関係機関に対して設置不許可を強く申し入れてきたなどと主張する」と、これまでより攻撃的な調子で書かれており、最後まで続きます。その上で、乙第8号証を参照し、場外車券売場が設置されている市町村を示した上で、こうした市町村でも日田市と同様のまちづくりの理念が掲げられており、「場外車券売場が設置されている市町村において、特に場外車券売場の設置に起因して青少年の健全育成が阻害されているという事実はな」く、日田市の主張は「公営競技に対する偏見を前提と」するものであると批判しております。

 この部分については、たしかに、別府市の主張が示すように、日田市の主張を裏付ける証拠が乏しいと思われます。しかし、一般常識あるいは感覚からすれば、競輪がギャンブルであると「決め付け」ているという批判には、違和感を覚えるでしょう。実際、私が2000年12月9日に別府駅前でサテライト日田設置反対のデモ行進を取材した時、別府市民の方からも、競輪はギャンブルでしかないという趣旨の発言を聞いておりますし、公営カジノ構想に至っては「一体何を考えているのか」、「別府市はギャンブルで街を活性化することばかり考えている」、「これで風紀が(ますます)悪くなる、湯布院町などと違って文化的な活動については全く遅れている」という批判も飛びました(第8編も参照して下さい)。このような批判を、別府市はどのように考えるのでしょうか(勿論、昨今のパチンコについて、ギャンブル性が全く無いとは申しませんが)。

 既に記したように、競輪などの公営競技は、仮に私人が行ったとすると直ちに賭博罪の構成要件を充たすこととなります(この点が、パチンコなどと違うところです)。それを都道府県や指定市町村が行えるというのは、競馬法や自転車競技法などによって事業運営が認められているからにすぎません。いわゆるノミ行為などは、競馬法や自転車競技法などによって処罰されます。法律学的に言うと、刑法が一般法であり、自転車競技法などは特別法となります。場外券売場のみに関して私人が設置許可申請をなしうるというのも、法律の趣旨からすればおかしいとも考えられるのですが、あくまでも設置のみであって、実際に私人が馬券や車券などを販売することができないことにしているのです。

 また、乙第8号証には、たしかに、競輪場または場外車券売場が設置されている市町村のまちづくりに関するヴィジョンが列挙されております。23頁にも及ぶものです。しかし、これらは、単に市町村と「まちづくりビジョンの理念等」とその「根拠」が列挙されているにすぎず、しかも項目に留まります。この程度であれば、どの市町村でも掲げることができます。問題は、その実際上の意義であり、実現状況です。別府市もまちづくりの理念などを示しておりますが、近年開学した某大学の設置に関しては、稀少種類の植物が自生する市有地を無償で提供した問題が大きく取り上げられましたし、別府市に、国際性があふれているとされる大学の所在地として相応しいような図書館施設がないことも問題とされました。実際、大分県内で最も充実した図書館は大分市内にある大分県立図書館です(次が大分大学附属図書館でしょうか)。

 それに、公営競技をまちづくりの手段として位置づけるか否かは、それこそ市町村の主体性に基づくものです。別府市に隣接し、今では別府市よりも温泉などの観光地として知られる大分郡湯布院町も、早くからまちづくりの実践例として知られておりますが、ここには数件のパチンコ屋があるものの、公営競技に関連する施設(公営競技場および場外車券場)はありません。公営競技の是非はともあれ、まちづくりだけで考えれば、全国的にみて、別府市より湯布院町のほうに軍配が上がるでしょう。

 仮にまちづくりの根拠を挙げるとするならば、総合計画の類では不十分でしょう。こうしたものに法的な拘束力はないのです。まちづくり条例、あるいはそれに類するもののほうが、有効性があります。

 次に、別府市側は、昭和25年法律第221号の別府国際観光温泉文化都市建設法を引き合いに出し、別府市総合計画を援用して「住む人も、いきいきと輝く、豊かな生活交流圏の創造」を「まちづくりの基本理念」とし、「学術文化を創造し、人を育む学びのまち」、「健康で、安心して暮らせる福祉のまち」の双方を「まちづくりの基本目標」にしていることをあげています。そして、別府競輪場の周辺(おそらく、半径1.5km以内ということでしょう)に、別府市立の上人小学校・亀川小学校・春木川小学校・北部中学校、大分県立別府羽室台高等学校、別府女子短期大学および附属高校、別府大学などの教育機関、国立別府病院、社会福祉法人太陽の家(身体障害者授産施設)などがあり、これらが「競輪事業によって悪影響を与えられているという事実はない」と主張しています(証拠は一切出されていないようです)。

 この点に関しては、日田市の主張とどのように関連するのかという問題があります。日田市は、市報べっぷ2000年11月号に掲載された別府競輪の特集記事にある「②場外車券売場の通産大臣の設置許可まで、『サテライト日田』の場合3年を要した。反対するのであれば、日田市としては、本来、設置許可が出る前に、許可権者である通産大臣に対して明確な反対の意思表示をすべきだったのではないか」という部分です。すなわち、別府競輪の性質自体を争点にしている訳でもなく、別府競輪の存在による周囲への悪影響の有無も争点にはしていないのです。何故にこれらの主張が登場するのか。経済産業省側の主張であるというならば、理解もできます。すぐ後に「『サテライト日田』が設置されることによって青少年の健全育成が阻害されるという抽象的な観念論に基づいて、『サテライト日田』の設置に反対し、本件『市報べっぷ』競輪特集記事に対しても種々批判を加えているが、何ら具体的な主張はなされていない」という記述があるので、これに結びつけるためなのでしょう。しかし、これも、争点から外れた記述としか言えません。日田市としては、大分県警察などが保持する犯罪記録を反証としてあげる必要があるかもしれませんが(別府市の主張があまりに断定的なので)、日田市の主張に対する整合性のある反論が別府市からなされているとは考えにくいのです。

 第三に、別府市側は、市報べっぷ2000年11月号掲載記事について述べております。「原告の主張は、公益事業としての競輪事業の意義ないし役割を無視し、競輪事業に対する予断と偏見に乗じ、ことさらにその『ギャンブル性』のみを片面的に強調するものであり、公益目的とは無縁のものである」とした上で、「被告は、原告主張のような競輪事業に対する偏見を打破し、公益事業である競輪事業の意義、役割などに対する市民の理解の増進を図るための公益目的のために、本件競輪特集記事を掲載したものである」、「原告主張のような抽象的な観念論ないし偏見によって表現の自由が左右されてはならない」となっております。

 ここの部分は、完全にこの訴訟の争点から外れています。私も、改めて双方の準備書面を読み返して見ましたが、争点は、あくまでも日田市の反対運動に関して別府市が市報において虚偽の事実を記したのか否かであって、市報の記述の妥当性が問われているのです。勿論、別府市が主張するような「予断と偏見」が背後にある可能性は高いでしょう。しかし、日田市が証拠として出している、当時の通商産業省機会情報産業局車両課長名による文書などに対して、何の反論もなされておりません。久留米市との商圏調整についても触れられておりません。また、2001年2月8日、サテライト日田設置関連予算案が別府市議会において否決されたという事実を、どのように受け止めているのでしょうか。

 ここで少々皮肉めいた言い方を許していただけるならば、「被告は、原告主張のような競輪事業に対する偏見を打破し、公益事業である競輪事業の意義、役割などに対する市民の理解の増進を図るための公益目的のために、本件競輪特集記事を掲載したものである」という記述は、別府市自身も競輪事業に「公益」と矛盾する要素があることを認めたものとも読むことができますし、少なからぬ別府市民が「偏見」を持っていることを(断片的にではありますが)証明しています。南立石地区に計画された場外馬券売場設置問題について、別府市はいかなる態度を示してきたのでしょうか。

 それに、市報について「表現の自由」が認められるという主張にも問題があります。市報は、市の行政に関する事実などを報道するものであって、市長など執行機関の意見を一方的かつ無限定に表明すべきものではありません。市報を作成する際に、編集の自由などがあることは当然ですが、虚偽の記載をすることが許されないのは言うまでもありませんし、読者の名誉を毀損することが許されないのも当然のことです。名誉毀損の禁止は、表現の自由に対する内在的な制約として位置づけられますが、両者は完全に相互依存的な関係にあるのではなく、並行関係にあります。

 私人が有する表現の自由が公法人にも無条件で認められるという主張は正しいのでしょうか。まして、別府市は、当初、市報の発行を公権力の行使と位置づけておりました(第25編を参照して下さい)。公権力の行使という論法が妥当でないことは既に述べましたが、仮に妥当であるとすれば、公権力を行使する者にも表現の自由が私人と同様に認められるという、きわめて危険性の高い論法となります。しかも、別府市が表現の自由を有しながら名誉毀損罪(刑法第230条)の主体とならず、名誉毀損の損害賠償責任をも負わないというのです。これでは絶対君主制の論理です。そして、別府市が当初の公権力の行使という主張を放棄しているとすれば、御都合主義的な主張となります。

 表現の自由は、公権力の行使の対極として位置づけられます。公権力に対する対抗手段でもあり表現の自由を支える価値は、自己実現の価値(個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させる)であり、自己統治の価値(言論活動によって国民が政治的意思決定に関与する)です。それだからこそ、国民主権(民主主義)・自由主義の下において、私人が前国家的に有する自由として位置づけられるのです。憲法学において、公権力を行使する側に私人と同様の表現の自由を認める学説はありません。仮にあったとすれば、不可思議なものです。別府市の主張は、憲法学的にみても許容されないでしょう。

 一方、市報などによる名誉毀損は、観念としても、現実としても存在しうるものです。市報の編集・発行それ自体は非権力的な行政手段です。しかし、編集に際して裁量が認められることは否定できません(計画策定などと共通します)。先ほど、名誉毀損の禁止と表現の自由とは完全な相互依存的な関係でなく、並行関係にあると記したのは、市報に着目してのことです。いかなる内容の記事を作成し、市報に掲載するかについては、発行者の裁量が働くことになります。この際、裁量の行使には一定の制約が課せられます。行政事件訴訟法第30条を参照するまでもなく、逸脱・濫用があってはなりません。そして、損害賠償責任は、基本的に結果責任です(ドイツの行政法学に由来する裁量収縮論が登場する余地がありますが)。

 最後に、別府市は、日田市のまちづくりヴィジョン「からみて『ギャンブル』と評価されるであろうパチンコ店(9店舗)が営業を行っており、現在、さらに本件『サテライト日田』設置予定地の周辺(日田市友田地区)に1店舗が建築されている」ことから、「パチンコ店の存在を容認しつつ、場外車券売場について前期理念に反する『異質な施設』であるなどとして、その設置に反対する原告の主張には整合性がない」と批判し、「『サテライト日田』が本件設置予定地に設置されたとしても、青少年の健全育成に対して具体的かつ切迫した悪影響を及ぼすような環境悪化が生じる危険性は少ない」と主張しています。

 この点についても、当初からの訴訟の争点とどのように関連するのかという問題がありますし、あたかも経済産業省側からの主張とも読めます(訴訟に際して、別府市と経済産業省は協力関係にあるのでしょうか。あるとしても別に不思議なことではないのですが)。その点は置くとして、たしかに、日田市の主張には矛盾があります。既に、パチンコと公営競技の違いについて述べておりますが、日田市が掲げるまちづくりの理念からすれば、パチンコ店も除外されてこそ、主張が一貫すると考えられるからです。しかし、パチンコ店については風俗適正化法が適用され、日田市は法的にパチンコ店の進出を阻止する権限を有しておりません(建築確認は別です。もっとも、これについても議論の余地はあります)。パチンコ店の営業許可については、都道府県公安委員会の権限とされております。実は、この点も、地方分権からすればおかしなことなのです。

 なお、日田市対別府市訴訟の今後についてですが、4月に進行協議が行われるようです。その後の口頭弁論については未定ですが、結審が間近であるという話です。このところ、別府市議会にはサテライト日田設置関連の予算案が提出されていません。そのような状況においてどのような判断が下されるのか、注目したいところです。

 また、このサテライト日田問題について、今月下旬、或る研究会において報告をすることとなりました。機会を与えて下さった関係各位に御礼を申し上げます。


(初出:2002年3月17日)

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第38編

 サテライト日田問題により、公営競技の場外券売場設置に関する各地での問題は、地方自治、とりわけ、住民自治の大問題として、注目を浴びています。九州でも、福岡市に2つの場外券売場が設置される予定となっており、これが問題となっています。このことについては、第37編でも少々触れました。今回は、日田を離れ、福岡市で問題となっている問題の一つ、福岡ドーム内に設置が予定されている場外馬券売場を取り上げます。もっとも、日田とは異なり、私がこれまで問題を十分に追いかけた訳ではありません。しかし、他の地域においてどのように反対運動が展開されているのか、若干であったとしても取り上げるべきでしょう。まして、福岡市では、博多駅前(博多口)に場外車券売場(サテライト博多)設置問題もあるのですから。2つの場外券売場が同時並行的に問題となるのは、政令指定都市である福岡市だからなのでしょうか。もっとも、地方競馬といい競輪といい、事業の収支状況は概して良好でないと聞きます。それだからこそ、博多駅前および福岡ドームに場外券売場を設置しようということなのかもしれません。

 第37編において記した通り、1月29日に大分地方裁判所で行われた日田市対経済産業大臣訴訟の口頭弁論の後、福岡ドーム内の場外馬券売場の設置に反対する福岡市民の方から、2月9日に当仁中学校で行われる反対集会へのお誘いを受けました。私は、この機会にと思い、参加することを決めました。土曜日ですが、当日の午前中には大学での会議が入っています。これに出席した上で、自家用車を使い、大分自動車道、九州自動車道、福岡都市高速道路2号線および1号線を経由し、西公園ランプで降り、中央区の北西端、川を渡れば早良区で福岡ドームがあるという当仁中学校に到着しました。ちなみに、私が福岡市を訪れるのは約8か月ぶりのことで、唐人町周辺は全く初めて、福岡ドームを間近に見たのも初めてです(入ったことはありません)。

 地図で調べておいたのですが、実際に走ってみて驚きました。地下鉄唐人町駅から北に向かうと、高層住宅が立ち並び、西日本短期大学をはじめとして、多くの学校が並んでいます。当仁中学校に入ると、福岡ドームが間近に見えます。福岡市の方々は、福岡ダイエーホークスというプロ野球団の存在もあって身近に思われるかもしれませんが、私には異様な光景として眼に焼き付きます。一種の威圧感すらあるのです。野球場といえば、川崎球場、東京ドーム(前身の後楽園球場も)、横浜スタジアム、阪神甲子園球場、西宮球場などをみていますが、福岡ドームには、これらと違う何かがあるように思えます。

 私が当仁中学校に到着したのが少しばかり早かったこともあり、当仁中学校の校長室に案内していただき、校長先生、シンポジウムのパネラーの方々に紹介していただきました。そして、会場である体育館に入りました。右側のほうには、福岡市議会議員、福岡県議会議員、さらには福岡県で選出された国会議員、またはその秘書の方々の席も設けられています。一般席には、私の他、サテライト日田設置反対運動に参加されている方、サテライト博多設置反対運動に参加されている方も来られておりました。

 予定時間を少しすぎてから、シンポジウム「ドームにゃ馬券売り場はいらんばい―守れ! 子供と住環境―」は、「子供の教育環境を守る会」の平田素子氏の司会によって始まりました。「馬券売場を作らせぬ会」の代表を務める諸岡敬一郎氏による開会の辞、弁護士で修猷館高校PTA会長も務める実行委員長の羽田野節夫氏による挨拶の後、福岡中央養護学校保護者会会長の溝口生司氏による基調報告がありました。

当日配布された資料、および溝口氏の報告によると、この場外馬券売場計画は、佐賀競馬組合、荒尾競馬組合、そして岩手競馬組合によって進められたもので、2001年2月28日、農林水産省との事前協議が開始され、3月12日には福岡ドームに要望書が提出されています(ここに岩手が入ってくる理由ですが、詳細を書くことは控えます。ヒントとして、福岡ドームを本拠地としているプロ野球団をあげておきます)。4月からは福岡ドームより、10月10日に上記三競馬組合より、地元の校区自治連合会長への事前説明がなされています。場外馬券売場の設置承認申請書が農林水産省から提出されたのは11月28日であり、設置が承認されたのは12月6日でした。

 一方、11月28日、「馬券売場反対の会」は、設置反対の要請書を提出しています(提出先は不明)。12月に入ってから、地行浜1丁目町内会長、当仁中学校PTA役員など多数の市民が福岡市長へ陳情をしており、「馬券売場に反対する福岡連絡会」なども陳情をしております。また、福岡市PTA協議会が、福岡市長および福岡市議会議長に反対署名(約13000人分)を提出しています。今年の1月に入ってからは、福岡市議会においてこの問題が取り上げられております(1月25日、福岡市議会第一委員会において「請願審査」)。福岡市議会は、請願を継続審査としております。

 ここまでの経緯の中で、場外馬券売場計画は地元の同意を得られたものと扱われていました。しかし、実際には、自治会連合会長5氏が住民に何の説明も相談もせずに同意の捺印を押したということです。法的には何の権限もなく、そもそも法人格すらないのが通常であるはずの自治会が、地域住民の代表機関として位置づけられるのもおかしな話なのですが、実際、行政は何かと自治会組織を利用します。そのために、各地で訳のわからないような事件が続発したりするのです(私自身も、実家のほうで経験しています)。

 また、今回のシンポジウムにおいては、基調報告用の他、数枚の資料が配布されております。新聞記事が主なものですが、「西新宿競輪施設誘致反対の会」(代表は古川昭夫氏)による「非会員制場外券売場では、中学生も馬券・車券が購入可能」という記事も入っております。ここでも紹介しておきます。

 1991年、大阪府警察署少年課は、大阪府内の場外馬券売場で補導された未成年者(高校生が443人、中学生が23人、専門学校生などが219人、計685人)に意識調査をしました。その結果は、次の通りでした(回答したのは511人)。

 購入回数1回:200人

 購入回数2回:117人

 購入回数3回・4回:96人

 購入回数5回以上:98人

 私が驚いたのは、「窓口で(未成年ということで)購入を拒否されたことがあるか? という問いに対しては、463人(91%)が無い と回答しています」という件でした。私自身は、生まれてから今まで、馬券や車券などの類を一度も購入しておりませんし、公営競技場に入ったのも2回だけです。2回とも川崎競輪場でしたが、競輪ではなく、バザーなどが行われていた時に入ったのでした。競馬法第28条は「学生生徒又は未成年者は、勝馬投票券を購入し、又は譲り受けてはならない」と定めておりますし、自転車競技法第7条の2も「学生生徒及び未成年者は、車券を購入し、又は譲り受けてはならない」と定めております。そのため、競馬事業施行者や競輪事業施行者(そして競艇事業施行者やオートレース事業施行者)は、未成年者に馬券や車券などを販売してはならないはずです。確認の作業をほとんどしていないのでしょうか。1970年代、私が小学生の頃、江口寿史氏のデビュー作である「恐るべき子供たち」という漫画の中には、大人に変装して東京競馬場で予想屋をやって稼ぐ小学生が登場しますが、中学生以上であれば、制服さえ着なければ堂々と馬券や車券などを購入できるということになります。

 また、1991年9月10日付朝日新聞朝刊31面に掲載された「中高生ら685人が競馬 配当金はデートなどに 大阪で補導」という記事も資料として示されています。

 「西新宿競輪施設誘致の会」によれば、上記の調査結果は、1993年5月に高松地方裁判所で出されたウインズ高松差止訴訟の判決でも引用されており、同裁判所は「未成年者の馬券購入を完全に防止することは不可能であり、風俗や教育上の悪影響を与えることは否定できない」と判断したとのことです(残念ながら、判決の出典などは示されておりません)。この論理は、福岡市中央区の唐人町などでは一層強く妥当することになるでしょう。

 基調報告の後、シンポジウムがありました。コーディネーターは羽田野氏、パネラーは、早良区小学校PTA連合会会長の坂田浩司氏、地行浜1丁目町内会代表の上畠茂幸氏、当仁中学校青少年健全育成協議会副会長の奥村貞夫氏、そして「子供の教育環境を守る会」の光安美穂氏でした。パネラーから数分間の意見表明、質疑応答の順に振興しましたが、ここでは、各パネラーの意見を紹介しましょう。

 坂田氏は、PTAの立場を強調しておりました。福岡ドームが選ばれたのは、駐車場などがあり、整備されているという理由であるが、付近は有数の文教地区であり、一度許されるならば、他の施設も許されざるをえなくなる、という危機感を示しました。

 上畠氏は、自治会長という立場から、ホークスタウンの建設時に町内会長を務め、ダイエーと交渉したという経験などを語りました。

 奥村氏は、環境浄化運動に取り組んできた立場から、ギャンブル性の高いものが残虐性などに発展する可能性のあることを指摘し、福岡県および福岡市が本気で青少年対策(保護育成)に取り組むつもりなのかと、疑問を呈示しました。

 光安氏は、住民として、この場外馬券売場計画は新聞報道によって初めて知らされたのであり、それ以前には何の説明もなかったこと、事実経緯に触れた上で、住民の知らない間に「住民の同意」がなされたという、まさに住民としての怒りの念を語りました。

 その後、住民の同意などをめぐって質疑応答がなされました。

 シンポジウムの最後に、「シンポジウム宣言(案)」が、「当仁中学校区教育環境を守る会」の上畠みずえ氏によって朗読され、採択されました。ここで、全文を紹介いたします。

 「私達は、福岡ドームに場外馬券売り場の開設が予定されているこの地域に住み、そして働く者として、青少年の教育育成環境を懸念する市民として、福岡ドームの場外馬券売り場設置に反対し、この設置計画を撤回、断念させるためにここに集まった。

私達はこの計画の反対と撤回を求める声を福岡市民に広め、福岡ドームと三競馬組合(岩手・佐賀・荒尾)に対してこの計画の撤回、断念を申し入れてきた。福岡市議会に対しては、この計画への反対を求める請願をし、農林水産省に対しては、承認取り消しを申し入れた。今日ここに集まり、意見を交え、次のことを確認し、決議しあった。

 1 地域住民の住環境と周辺の教育環境、医療環境などをないがしろにした馬券売場設置計画は、この地域環境に相容れないものである。

 2 こども総合相談センターを設立しようとしている福岡市の計画と矛盾するものである。

 3 地元住民の意見をまったく無視した手続きに重大な欠陥がある。

 ここに集う地域住民と福岡市民はこの計画に驚き、怒り、そして決意する。

 福岡ドームとダイエーに要求する。この計画の撤回と断念を!!

 三競馬組合に呼びかける。この計画の撤回と断念を!!

 農林水産省に求める。この計画の承認撤回とこの計画そのものの撤回、断念の指導を!!

 私達のこどもの未来と地域環境を守るために、地域住民、PTA、教育関係者、医療関係者等々、みんなで手に手を取ってこの計画の阻止のために、前進しよう!!」

(送り仮名などは原文のまま)

 その後、シンポジウムに参加した多くの人々は、福岡ドームに向かってデモ行進をしました。私は、他の地域の方々とともに、西鉄福岡駅前(中央区天神)に向かいました。


(初出:2002年3月2日)

2025年5月14日水曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第37編

 2002年になりました。前回からは約1か月ぶり、今年初めてのサテライト日田問題関連記事となります。動きがあり次第、記事を追加して参りますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

 この不定期連載を始めてから約1年半になります。昨年の1月および2月は、この問題をめぐる様々な動きがあったため、新しい記事を何度も加えました。時の流れは速いものです。前回も記しましたが、私の性格からして、ここまで回数を重ねるとは予想もしていなかったのです。

 1月29日、大分市はかなり冷え込みました。しかし、13時頃、大分地方裁判所の玄関前は、かなり熱い雰囲気に包まれていました。日田市民を載せたマイクロバスが2台、マスコミ関係者も多く、裁判所の職員も玄関に集まっています。サテライト日田問題とは別の訴訟が行われるのかと勘違いしたほどです。大石市長を始めとする日田市のトップ、寺井弁護士など原告弁護団が大分地方裁判所に入ると、第1号法廷に我々も進みます。前回よりも傍聴人が多くなっていました。しかも、今回は、福岡市で問題となっている博多駅前(博多口)の場外車券売場設置に反対する市民、および、やはり福岡市は中央区の福岡ドーム内に設置が予定され、今月になってから許可も出された場外馬券売場(これは地方競馬のもの)に反対する市民も傍聴に訪れているということでした。

 13時30分、対経済産業大臣訴訟の口頭弁論が行われました。今回は、原告側から「準備書面(第3)」が提出され、寺井一弘弁護士から説明がなされました。また、甲第26号証および甲第27号証も提出され、木田秋津弁護士から説明がなされました。

 まず、「準備書面(第3)」の内容を紹介します。これは、昨年11月2日付で被告側から提出された第3準備書面に対し、釈明を求めるものとなっております。この中には、既に私が不定期連載において検討した事柄もあります。

 (1)サテライト日田設置許可処分の法的性質(自転車競技法第4条第1項)

 被告側は、この設置許可処分について、許可の申請者に対して「場外車券売場の設置に関する一般的な禁止を解除するという法的効果」を持っている旨を主張しています。これは、行政法学にいう許可の教科書的な説明となっています(なお、原告側は同第2項にも触れています)。

 よく考えると、自転車競技法の構造は不思議なものです。同第1条第1項により、競輪事業施行者は「都道府県及び人口、財政等を勘案して自治大臣(注:現在は総務大臣)が指定する市町村」に限定されています。そうであるとすれば、本来、場外車券売場を設置できるのは競輪事業施行者に限定されるはずです。しかし、第4条により、場外車券売場の設置者は、競輪事業施行者に限られないのです。しかも、場外車券売場を設置する者は、競輪事業施行者でなければ、車券を販売することはできません。被告の主張が正しいとすると、場外車券売場の設置許可は、自動車運転免許と同じようなもので、本来であれば誰でも場外車券売場を設置する自由があるということになります。しかし、そうであれば、車券を販売する自由がないということと矛盾しないでしょうか。ちなみに、自転車競技法第4条の規定が存在しなければ、競輪事業施行者以外の者が場外車券売場を設置した場合、刑法第186条第2項に規定される賭博場開帳等図利罪などに問われかねないはずです。

 法律の条文には「許可」と書かれていますが、行政法学でいう許可であるか認可であるか、あるいは特許であるかは、文言だけで決定されるものではありません。

 許可であれば、被告の説明は正しいことになります。たしかに、競輪事業施行者でない者であっても場外車券売場としての建物を造ることはできます。

 これに対し、特許であるとすれば、競輪事業施行者以外の者が場外車券売場の設置をなす自由は存在しないという前提があることになります。特許によって、新たに権利能力や権利や包括的法律関係が設定されることとなります。特許は、電力事業や鉄道事業などの「公企業」について認められることとなります。しかし、自転車競技法第4条の規定を読む限り、場外車券売場の設置は特許ではないと考えられます。

 それでは、認可なのでしょうか。認可は、鉄道やバスの運賃の改定、農地の売買などが代表例で、私人の行為を補充して法律上の行為を完成させる行為をいいます。つまり、認可を得られなければ、運賃の改定、農地の売買などは無効です。 自転車競技法第4条の「許可」はこの認可にあたると考えられなくもありません。しかし、建物を造ることと車券を売ることは別であり、しかも両者の事業主体が異なりうることを念頭に置けば、認可と考えることは妥当でないでしょう。

 結局、設置許可は行政法学上も許可であると考えられるのです。

 (2)場外車券売場設置許可処分は、立地する地方自治体に何らかの権利義務の変動を与えないのか、そして、この許可処分は地方自治体の権限行使との関係において、法的な問題を一切生じさせないのか。

 「準備書面(第3)」は、「本件場外車券売場の設置に伴う公安(生活安全)・公衆衛生・道路・環境保全・青少年の健全育成上の事務を処理する義務を地方自治体である原告が一切負わないと理解する趣旨か」と質しています。

 (3)地方分権推進法、地方自治法の規定の性格

 これについては、既に私が第34編において検討し、被告の主張が妥当でないことを主張しております。被告側は、第3準備書面において「地方分権推進法1条の2」および「地方自治法2条の2」という、存在しない条文をあげておりました。今回の口頭弁論で、「地方分権推進法1条の2」は地方分権推進法第4条に、「地方自治法2条の2」は地方自治法第1条に訂正されました。この他を含め、「宣言的・指針的性格」しか持たないという主張がなされていたので、これについて、原告は「何らの法規範性も有しないとする趣旨か。被告の主張が公権的解釈であれば、併せてその根拠及び出典を明らかにされたい」と質しています。時間が前後しますが、閉廷後、いつものように、大石市長、寺井弁護士などが傍聴人を前にして玄関にて解説などをされた時に、最後に私が指名され(恒例となりつつあります)、改めてこの点を指摘しています。公権的解釈とは思えないのです。地方分権推進法や地方自治法の逐条解説書を参照しても、到底、「宣言的・指針的性格」しか持たない、つまり、法的な拘束力のない規定であるとは考えられないのです。もっとも、「宣言的・指針的性格」の意味は、論者によって異なりうるものです。そのために、明らかにされなければならないことです。演劇やコンサートのプラグラムも、演じる者に何らかの拘束をかけるものです。

 地方自治法第1条は、たしかに、地方自治法という法律の目的を定めるものです。この意味において、国民や住民を直接的に拘束しません。しかし、地方自治法にある他の規定を解釈する際に、強力な基準となります。そればかりでなく、地方自治法の各規定を改正する場合などに、国会に対し、一定の縛りをかけることとなります。「地方公共団体の健全な発達の保障」は、少なくとも、国に対して命じられることでしょう。行政庁が地方自治体の事務に関する何らかの事務処理基準などを策定する際にも、当然、大原則として機能するでしょう。その意味においては、抽象的であるとは言え、法的拘束力があると考えられます。地方分権推進法第4条については、自宅にある判例六法に掲載されていないので、機会を改めて検討します。

 経済産業大臣側は、その主張について、典拠を一切明らかにしておりません。独自の見解なのか、官公庁のごく一部にのみ刊行されている逐条解説書の類から引用したのか、鑑定人の見解なのか、明確にして欲しいものです。

 (4)自転車競技法が保護する利益

 これは、原告適格を判断する上で重要です。自転車競技法は、地方自治体の個別的利益、周辺住民の個別的利益を保護することを目的としていないのか、という問題です。このような規定がないという被告の主張に対して、原告は「地方自治体の文教上、保健衛生上、周辺環境上の利益保護を一切目的としていないとする趣旨か」と質しています。

 (5)自転車競技法第1条第1項と地方自治法第1条との関連

 もう少し詳しく言うならば、自転車競技法第1条にいう「その他の公益の増進」および「地方財政の健全化」と地方自治法第1条にいう「地方公共団体の健全な発展の保障」とはいかなる関係に立つものか、ということです。

 素直に読むならば、全く無関係ではないことは自明です。地方自治体が健全に発展するためには、地方財政の健全化が前提となります(だからこそ、私の研究課題の一つである財政調整が重要な問題となるのです。地方分権は、財政の分権も含みます。税源配分や地方交付税など、いずれも地方財政の健全性を担保するために検討がなされる必要があるのです)。自転車競技法は、他の公営競技関連諸法と同様、戦後の混乱期に壊滅状態であった地方財政の再建に資するために制定されたという経緯を持っています(宝くじの法的根拠となっている当せん金付証票法も同様です。宝くじは、現在ますます盛んになっていますが、元来は「当分の間」のみ発行されるべきもので、地方財政が健全化し、安定すれば不要となります)。このことからしても、上記両者は無関係ではありません。

 問題は、「その他の公益」とは何かということです。自転車競技法第1条は「自転車その他の機械の改良及び輸出の振興、機械工業の合理化並びに体育事業」を例示しており、「その他の公益」としています。ここに、周辺住民の利益が入らないのでしょうか。地方自治体による自主的な行政が入らないのでしょうか。

 以上が、原告側による「準備書面(第3)」の内容です(私の意見なども付加しましたが)。これに対し、経済産業大臣側は、次回の口頭弁論(3月26日)までに回答する旨を述べました。いかなる見解が述べられることでしょうか。或る程度の予想はつきますが、ここでは述べないこととしましょう。

 甲第26号証および甲第27号証についても述べておきます。甲第26号証は、専修大学の白藤博行教授による鑑定意見書で、「ドイツの学説および裁判例からみた『まちづくり権』の侵害を理由とする地方自治体の出訴権について」鑑定しています。また、甲第27号証は、神奈川大学の村上順教授による鑑定意見書で、「フランスの学説および裁判例からみた『まちづくり権』の侵害を理由とする地方自治体の出訴権について」鑑定しています。いずれも、かなり本格的なものであり、非常に参考になるものですが、紹介は機会を改めて、ということにさせていただきます。

 白藤先生、村上先生、このホームページをお読みでしたら、ここで紹介させていただいてよろしいか、御意見などをお願い申し上げます。

 口頭弁論は、14時になる少し前に終わりました。先ほど記したように、大分地方裁判所の玄関に、大石市長、寺井弁護士など、大勢が集まり、大石市長の挨拶、寺井弁護士の解説がなされました。その後、名前を失念して申し訳ないのですが、原告側訴訟代理人の弁護士氏、そして木田秋津弁護士が、続けて解説をいたしました。最後に、寺井弁護士の御指名で私が意見などを述べました。大分大学にいる行政法学者として、私は、傍聴などを通じて協力させていただいております。

 その後、サテライト日田設置反対女性ネットワーク代表の高瀬由紀子氏を中心に、同ネットワークのメンバーの方、博多駅前の場外車券売場(サテライト博多)の設置に反対する福岡市民の方、福岡ドーム内の場外馬券売場の設置に反対する福岡市民の方(全員が女性)、そしてK大学学生のT氏とともに、大分駅構内のパン屋兼喫茶店で意見交換をしました。また、資料もいただきました(この場を借りて、改めて御礼を申し上げます)。サテライト博多のほうは、本来であれば専門学校があるという場所を更地のように見せかけて許可を申請したという話を聞きました。常套手段ではあるようですが、ひどい話です。許可権者は現地調査をしないのでしょうか。また、福岡ドームのほうですが、2月9日、福岡ドームに近い当仁中学校で反対集会が行われるとのことです。実は、私もお誘いを受けました。この類の問題は全国各地にありますので、都合をつけて、他の地域の状況を知りたいと思っていました。福岡ドームのほうは、最近、福岡市が設置に難色を示したという趣旨の新聞記事を読んだのですが、許可が出されています。

 なお、最後に、日田市対別府市の訴訟について、お知らせです。2月5日の15時30分から口頭弁論が行われる予定でしたが、3月5日の11時に延期されました。


(初出:2002年1月30日)

「ひろば 研究室別室」の移転について

   長らくgoo blogで続けてきましたが、あれこれと考えた結果、2025年8月7日より、はてなブログのほうで書いていくこととしました。何卒よろしくお願い申し上げます。  新しいアドレスは、次の通りです。   https://derkleineplatz8537.hatena...