長らくgoo blogで続けてきましたが、あれこれと考えた結果、2025年8月7日より、はてなブログのほうで書いていくこととしました。何卒よろしくお願い申し上げます。
新しいアドレスは、次の通りです。
https://derkleineplatz8537.hatenablog.com/
何卒お見知りおきを。なお、ブログの名称を少し変えました。
法学部長となってから5か月が経過しました。8月に入ってから多少ともゆっくりできるのかな、と思っていたのですが、そうでもなかったのでした。
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権利主体相互間に生ずる法律上の関係を、法律関係という。このように定義づけたとき、「行政法関係」とは、行政法によって規律される法律関係のことである。行政法上の法律関係ともいう。ここで再び、公法と私法との区別が問題となる。まず、公法と私法との区別を前提にして、議論を進める(なお、両者の区別は相対的であるというのが一般的である)。
行政上の法律関係という場合、公法関係と私法関係とが存在することが基礎となっている。私法関係が私人相互間の関係におけるものと同一の規律による支配を受ける関係であり、これが一般的であるとするならば、公法関係は特殊なものである。そして、公法関係は権力関係と管理関係とからなる。
(1)公権論
国や地方公共団体と私人との間に権利が存在する(憲法における基本的人権は、まさにこの類のものである)。この権利を公権という場合もあるが、普通、公権は私法上の権利(私権)と異なるものという意味において用いられる。
代表的な見解によれば、公権とは「公法関係において、直接自己のために一定の利益を主張しうべき法律上の力をいう」〈田中二郎『新版行政法上巻』〔全訂第二版〕(1976年、弘文堂)24頁〉。私人が自らの利益として主張しうる点において、「法が単に国又は個人の作為・不作為を規定していることの結果として生ずる反射的利益」とは区別される〈田中・前掲書84頁〉。国家的な公権として、警察権、課税権、統制権などがあげられ、個人的な公権として、参政権、受益権、自由権、平等権があげられる。以上は基本的人権と類似する分類であり、受益権は行政訴訟を提起する権利、生活保護請求権などを含む。
公権は、公益上の見地から与えられるものとされる。そのため、公権が有する特色として、相対性(絶対不可侵性を有しない)、放棄不能性(不行使は自由であるが、放棄することはできない)、専属性(他人に移転したり、その権利を差し押さえたりすることは許されない)があげられる。
しかし、この公権論は、現在、それほど強力に主張されている訳ではない。第一に、公法・私法二分論の妥当性に対する疑問があげられる。第二に、公権に独自性を認めがたい。例えば、相対性は、土地所有権などの私権にも見られる。専属性というのであれば、親権や夫婦間の権利にも認められなければならない(認められないとしたら訳のわからないことになる)。第三に、その内容が豊かでないことがあげられる。手続法上の権利(申請、聴聞、文書閲覧などに関する)なども、現在においては認められる傾向にあるし、認められなければならない。
(2)権力関係と管理関係
公法関係は権力関係と管理関係とからなることは前述した。ここで両者について説明する。
権力関係(支配関係ともいう)は、国または公共団体が、法律上、優越的な意思の主体となって相手方たる私人に対するものであり、本来的な公法関係とも称される。行政行為などに見られる。「公権力の行使」とは、行政庁が私人に対して、法律に基づいて一方的に計画し、命令し、給付し、一定の法律関係を形成し、指導し、強制する活動の総称である。個別的な行政法規に、根拠規定を必要とする。行為規範を欠く場合、あるいは行為規範に違反する公権力の行使は、違法であって、効力を生じないのが原則である。
或る行政作用が公権力の行使にあたるか否かの判定は、公権力の行使については、実体法上「法の規則」が強く要請される(行政行為論の中心的課題)、公権力の行使は、手続法上「行政手続」の要請に応ずるものであることを要する、公権力の行使は、「抗告争訟」(抗告訴訟、行政不服申立てなど)の対象となる、という三点と関連する。
管理関係は、伝来的な公法関係とも称され、国または公共団体が公的事業または公的財産の管理主体として私人に対する場合を指す。この場合、私法関係に類似するが、公共の福祉との関係上、私法関係と異なる法的規律に服する。行政作用法において、民商法に見られない特例が多く設けられる他、行政救済法において、行政事件訴訟法第4条・第39条以下に定められる当事者訴訟が用意されている(もっとも、あまり活用されていない)。
一応は上記のように説明できるが、先にも触れたように、権力関係だから民法の適用が排除されるという訳でもなく、管理関係だから民法の適用が排除されないという訳でもない。
(3)特別権力関係論
租税関係など、国民一般が国や地方公共団体の権力に服する関係が存在する。これが一般権力関係である。これを前提とするならば、特別権力関係とは、特別の公法上の原因(法律の規定または本人の同意)によって成立する、公権力と国民との特別の法律関係をいう。特別権力関係の理論は、公務員の勤務関係、国公立大学の在学関係、在監関係など、性質の異なる法律関係を、或る国民が公権力に服従するという関係として捉えている(それがそもそも問題である)。
特別権力関係の中身として、公権力は包括的支配権(例、命令権、懲戒権)を有するから、個々の場合には法律の根拠がなくとも私人を包括的に支配できる(ここから、法治主義の排除ということが導かれる)、公権力は、私人に対し、一般国民として有する人権を制限できる、この関係の内部における公権力の行為は原則として裁判所の審査に服さない、と主張された。
しかし、日本国憲法の下で、「特別権力関係」論はそのままで維持されえない。日本国憲法の下、実務上は修正された特別権力関係理論が維持されているが、最高裁判例は、行政事件訴訟の限界という観点から、特別権力関係を体系的かつ包括的に措定していない。むしろ、一般的外部関係に対する意味での個別的内部関係ないし部分社会的関係の存在を肯定しているにすぎないように見える(もっとも、特別権力関係を完全に否定しているとも言えない)。こうしてみると、「特殊自律的内部関係」は、公法私法の区別と無関係に、学校や宗教団体などの内部における自治自律的関係ないし専門的技術的関係から、一般社会の外部的関係と区別されて取り扱われるものであることになろう。
●公務員の人権
国家公務員の政治活動の自由は、国家公務員法第102条および人事院規則14-7により制限されている。また、公務員・国営企業職員は、労働基本権が制限される(国家公務員法第98条第2項、地方公務員法第37条、国営企業労働関係法第17条など)。具体的には、警察職員・消防職員・自衛隊員・海上保安庁・監獄に勤務する者には、労働基本権全て(団結権・団体交渉権・争議権)が否定される。非現業の一般公務員には、団体交渉権と争議権が否定される。郵便などの現業の公務員には、争議権が否定される。
初期の判例は、「公共の福祉」および「全体の奉仕者」を理由として、簡単にこれらの制限を合憲としていた(特別権力関係論の影響であろう)。最大判昭和41年10月26日刑集20巻8号901頁(全逓東京中郵事件)は、公務員の労働基本権を尊重する立場を採った。この流れは、最大判昭和44年4月2日刑集23巻5号305頁(都教組事件)にも受け継がれた(合憲限定解釈を用いた)が、最大判昭和48年4月25日刑集27巻4号547頁(全農林警職法事件)によって再度転換された。この判決は、一律かつ全面的な制限を合憲とした。また、公務員の政治活動の自由に対する制限については、最大判昭和49年11月6日刑集28巻9号393頁(猿払事件)がある。
しかし、公務員の人権は、法律や条例により、勤務条件(俸給など)が詳細に規定されている。労働基本権の制約についても、法律の規定に基づいているのであり、特別権力関係によって説明する必要はないと思われる(特別権力関係理論の影響を否定しえないとしても)。
もっとも、最大判昭和29年9月15日民集8巻9号1606頁、および最二小判昭和32年5月10日民集11巻5号699頁※は、公務員の勤務関係が特別権力関係であることを肯定する。その上で、このような関係の下で懲戒処分や専従休暇不承認処分を、司法権審査が及ぶものとした。その条件として、裁量者による処分が事実無根かあるいは著しい濫用と認められるとき、法的統制の実効性を保障する必要があるとき、としている。
前掲最大判昭和29年9月15日および最二小判昭和32年5月10日は、公務員の懲戒処分と裁量審査との関係におけるリーディングケースでもある。最三小判昭和52年12月20日民集31巻7号1101頁(Ⅰ―80。私が解説を担当している)も参照されたい。
●在監関係
在監関係についても、憲法第18条および第31条により在監者にも基本的人権が保障される以上、特別権力関係がそのまま妥当すると考えるべきではない。しかし、在監者に基本的人権が全て保障されるという考え方は、常識にも反するし、懲役などの目的などとも矛盾する。在監者の基本的人権を制限する目的は、拘禁と戒護(逃亡・証拠隠滅・暴行や殺傷の禁止・規律維持など)そして受刑者の矯正教化ということを達成するためにあるから、その範囲における必要最小限度の制限が必要である。
この点に関して、最大判昭和45年9月16日民集24巻10号1410頁は、喫煙の禁止を定めた監獄法施行規則第96条の法律上の根拠が問題となった事案に対し、監獄法施行規則第96条を憲法違反でないとしたが、このような制限は法律で定めるべきであるという批判が強い。
「よど号」ハイジャック記事抹消事件最高裁判決(最大判昭和58年6月22日民集37巻5号793頁)は、監獄内における規律・秩序が放置できない程度に害される「相当の具体的蓋然性」が予見される限りにおいてのみ、監獄長による新聞記事抹消処分が許されるとの基準を示したが、その判断について監獄長の裁量判断を尊重している点には問題もある。その他、監獄法第50条・同法施行規則第130条による「信書の検閲」は憲法第21条に違反しないとする判決もある(最一小判平成6年10月27日判時1513号91頁)。
●地方議会の内部規律
自律的な法規範をもつ社会ないし団体において当該規範の実現を内部規律の問題として自治的措置に任せるのを良とし、裁判によって判断するのを適当としない事柄が存在する。最大判昭和35年10月19日民集14巻12号2633頁(Ⅱ―152)は、こうした見地から、地方議会議員に対する出席停止という懲罰議決は司法審査の対象外とした。なお、除名の場合は、議員身分の喪失(ある意味で一般社会との外部的関係である)に関する重大事項として司法審査が及ぶとする。
●大学と学生との関係 国公立・私立を問わず、学校は学生の教育という特殊な目的を有する。よって学校は一般市民社会と異なる部分社会である。そのため、その目的の達成に必要な限度内において(法令がなくとも)学校側に包括的支配権が認められ、教育的裁量が認められることについて異論はない。また、私立学校の利用関係は私法上の契約関係であることは、争いのないところであろう。国公立大学については、特別権力関係と解するのが通説である。これは、国立または公立大学が営造物(公共施設)であることからみれば、例外であることになる。最大判昭和29年7月30日民集8巻7号1501頁、最小三判昭和52年3月15日民集31巻2号234頁(Ⅱ―145)は、単なる単位認定が司法審査の対象外であり、一般市民秩序と直接の関係を認められる特段の事情があるときのみ、司法審査が及ぶとする(懲戒処分についても同様)。
▲第7版における履歴:2020年4月30日掲載。
▲第6版における履歴:2015年11月11日掲載。2017年10月26日修正。 2017年12月20日修正。
1.憲法を具体化するものとしての行政法という理念
行政法の成文法源とされるものは、憲法、条約、法律、命令、条例、地方公共団体の長の規則である。このうち、憲法は国家の基本的な法であり、かつ、最高法規であるため、行政法の法源としても最高の地位を占めるものである。そればかりでなく、少なくとも立憲主義の理念に即して考えるならば、「行政および行政法は本質的にその時代の憲法によって決定される」のであり、行政法は憲法を具体化するものでなければならないのである。
引用は、Hartmut Maurer / Christian Waldhoff, Allgemeines Verwaltungsrecht, 19. Auflage, 2017, §2 Rn.1からのもので、私が訳した(下線部は、原文における斜体字による強調箇所である)。行政法が憲法を具体化するものでなければならないということは、ドイツ連邦行政裁判所長官であったヴェルナー(Fritz Werner)の論文「具体化された憲法としての行政法」(Verwaltungsrecht als konkretisiertes Verfassungsrecht, DVBl. 1959, 527)によって述べられ、ドイツでは一般的に承認されている。
2.国民主権の原理
日本国憲法は、前文および第1条において国民主権原理を明示する。これを具現化するために、例えば権力分立主義が採用されるのである。また、国民主権原理を実現するためには、主権者たる国民の全体に、国の情報、端的に言えば政府が保有する情報が共有され、少なくとも常に入手が可能な状態になっていなければならないはずである。
後の回において詳しく述べたいが、日本の憲法学や行政法学における情報公開請求権に関する議論は、国民原理主義の具体化という側面においてあまりに不十分である。櫻井敬子・橋本博之『現代行政法』〔第2版〕(2006年、有斐閣)14頁の記述も、情報提供に留まっている。理念であるとしたらあまりに不十分であろう。その点において、山崎正『住民自治と行政改革』(2000年、勁草書房)56頁注(4)および132頁の記述は示唆に富む。拙稿「大分県における情報公開(1)―大分地方裁判所平成12年4月3日判決の評釈を中心に―」大分大学教育福祉科学部研究紀要第22巻第2号(2000年)427頁を参照。なお、櫻井敬子・橋本博之『行政法』〔第6版〕(2019年、弘文堂)230頁を参照。
国民主権原理については、既に憲法学の講義などにおいて扱われているはずである。以下、憲法の復習を兼ねるという意味合いを込め、重複することを承知の上で説明を行う。
国民主権と民主主義とは、一般的に同義の言葉として扱われる。しかし、国民主権は法律学的な概念であり、主権の所在を示すものであるのに対し、民主主義は、政治の在り方についての政治思想的な概念である。但し、国民主権は、民主主義の中に含まれると解することもできる〈橋本公亘『日本国憲法』〔改訂版〕(有斐閣、1988年)85頁を参照〉。
民主主義は、個人の尊厳を最高の価値とする。そのため、国家における「支配者と被支配者との自同性(Identität)」が要求されることになる。これが実現されなければ、国民主権の意味がないということになる。
国民、主権のいずれも、一般的に理解しうる語であり、日本国憲法においても用いられる。しかし、実際には、条文により意味を異にする。この点に注意しなければならない。国民主権という場合の主権は、国の最高の意思、国の政治の在り方を最終的に決定する権力、換言すれば最高決定権を意味する。日本国憲法は、このような最高決定権を国民が行使するということを宣言しているのである。
※櫻井敬子・橋本博之『現代行政法』〔第2版〕15頁は「憲法のいう国民主権は、第一義的には、国政の運営が国民の名において行われることを意味」すると述べているが、これは説明としても弱く、理念に関する説明として十分なものとは言えない。
最高決定権は、憲法の制定や改正に関して、その力を最大限に発揮すべきものとされている、と考えることができる。国民主権は、元々、憲法制定権力が国民に帰属することを意味する。憲法制定権力の発動により実定憲法が制定されると、合法性の原理となり、制度化された上で、権力性と正当性とに分解することとなる。ここで、国民主権の権力性とは、国の政治の在り方を最終的に決定する権力を国民自身が行使する、ということを意味する。また、国民主権の正当性とは、国家の権力行使を正当づける究極的な権威が国民に存する、ということを意味する。
ここまで、国民主権原理について解説を行ってきたが、日本国憲法の前文において述べられているように、第15条第1項、第79条第2項、第95条および第96条の場合を除き、常に国民が直接的に国政に関する権限を行使することが予定されているのではなく、「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」することが前提とされている。すなわち、直接民主制ではなく、間接民主制(議会民主制)が基本原則となっているのである。
もっとも、憲法の諸規定の解釈、そして歴史などをみれば明らかであるように、元々、国民主権原理は君主主権への対抗概念であると同時に、近代立憲国家においては市民階級の利益を維持するための機能を有していた。国民とは言うが、基本的に有産階級に限定されていたのである。その後、労働者階級の台頭などにより、文字通り国民全体(とくに貧困者層)の生存権を確保することが国家の命題となり、当初は治安対策の一環として社会保障などを充実させるなど、労働問題に取り組まざるをえなくなると、同質の市民のみを代表する議会による対処などが困難になり、行政権の拡大につながることになる。或る意味において、国民主権原理と現実との乖離はこの時点から始まったとも言える。
また、日本の場合、イギリスやフランスなどと異なり、元々市民階級が存在せず〈あるいは士農工商のうちの商人階級が市民階級に相当すると考えることもできるが、おそらくは違うものであろう〉、明治維新も武士階級による王政復古であったため、市民あるいは商人の政治力は強化されなかった。イギリスやフランスなどにおいては議会の権限が強かったが、大日本帝国憲法は、天皇の権限を非常に強大なものとしており、その下で、議会に比して行政権の範囲は当初から広かった。そもそも、大日本帝国憲法が権力分立主義を採用すると言っても、三権は結局のところ天皇に帰属していた。議会の立法権は制約されていたし、天皇は別に立法権を有していた。しかも、帝国議会成立以前から超然内閣制(内閣制度そのものが憲法上の制度でなかったことに注意!)が存在し、当初から議会が官僚制に対抗しうるほどの力を持っていたかどうかは疑わしい。日本国憲法制定以後も、官僚制の実力はほとんど影響を受けず、むしろ拡大している。日本においては、元々、国民主権原理と現実との乖離が激しくなる要因が存在していたのである。これが社会の発展、そして国民主権原理の普及とともに強く自覚されるようになったと考えられるであろう。
日本国憲法および地方自治法においては、元々、国政よりも地方自治の側面において直接民主制的な要素が多く盛り込まれている(地方自治法第12条、第13条および第74条以下を参照)。地方公共団体の長などに対する解職請求(リコール、国民罷免)、条例改廃請求権(イニシアティヴ、国民発案)、そして、原子力発電所設置や市町村合併などの重要問題において行われる住民投票制度(レファレンダム、国民表決)が行われるのは、単に直接民主制の現われというだけでなく、国民主権原理の具現化としての意味をも有する。
但し、現在の法制度において、国民投票や住民投票は、憲法改正を除き、投票の結果が立法者を拘束することが予定されていない。これは、イニシアティヴについても妥当する。理由としては、憲法自体が議会制民主主義を原則としており、直接民主制はむしろ例外的に位置づけられることがあげられる(例外と記すと誤りになるのかもしれないが)。
3.権力分立主義
論理的な帰結というよりは歴史的・経験的な事実による帰納的現象に属することとも思われるが、国民主権原理を生かすためには、第一に権力分立主義が採用されていなければならない。この権力分立主義も既に憲法学の講義などにおいて扱われているはずであるが、ここで述べておくこととする。
日本国憲法には、権力分立を直接的に宣言する条文がない。しかし、第41条において「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」とされ、第65条において「行政権は、内閣に属する」とされ、さらに第76条第1項において「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」とされていることから、日本国憲法が権力分立主義を採用することは明らかである。すなわち、日本国憲法は、国家の統治権の作用を、立法、行政、司法に分割し、それらを相互に独立する別個の機関にそれぞれ担当させているのである。なお、権力分立主義は多分に歴史的な概念であることには、注意が必要である。
日本国憲法の規定には示されていないが、権力分立主義は、国や時代、そして論者によって多少の違いがあるものの、元々、国家権力の諸作用を主に機能面から複数の国家機関に分配し、それぞれに担当させることによって均衡を保つという考え方である。出現形態が国によって異なるため、内容も異なるのであるが、一般的に認められる特質として4つが指摘される。
(1)自由主義:何故、単一不可分であるはずの国家権力を、三つの異なる国家機関に分割して担当させるのか。それは、一つに集中させると、権力の濫用を生じさせるからである。権力が集中すれば、国民の権利や自由はたやすく蹂躪される。このことは、歴史が証明してくれる。
(2)消極主義:権力を分割するだけでは不十分であるが、実際の問題として、三権は、時として相互に摩擦することがある。この摩擦を、権力分立主義は意図的に生じさせる、あるいは利用する。このことによって、一つの権力が暴走することを防ごうとするのである。
(3)懐疑主義:アメリカ合衆国の独立宣言の主たる起草者にして第3代大統領であったジェファーソン(Thomas Jefferson. 1743-1826)は、自由な政府が国民の猜疑によって生まれるという趣旨のことを述べている。そこには、政府に対する国民の信頼という考え方はない。こうした、権力に対する悲観主義が、権力分立主義の根底にあることは否定できない。言わば、政府性悪説である(とすると、国民性善説であるのか。これは不明である)。
(4)政治的中立主義:権力分立主義は、一般的に民主主義の前提と考えられている。しかし、実際には、立憲君主制という形態が存在することから明らかであるように、権力分立主義は君主制とも結合する。イギリスはこの典型であるし、現在でもヨーロッパに残る王国(オランダ、スウェーデン、ノルウェー、ベルギー、ルクセンブルク、スペインなど)も、立憲君主制を採り、権力分立主義を採用するのである。逆に、君主主義を採らない国家(共和制)であっても、権力分立制を採用しない国家もある(ナチス期のドイツ、旧ソ連など)。結局、権力分立主義は、君主制を採るか民主制を採るかという単純なものではなく、人権保障を中核に据えるか否かの問題と関係し、人権保障を担保するための一手段であるといいうるのである。
しかし、前述のように、19世紀後半から、第4階級とも言われる労働者階級の発展に伴い、それまで市民階級の利益を実現するための機関であった立法府が変質せざるをえなくなったことから、権力分立主義の変容がみられることとなる。階級対立を防ぐため、または解決するための機能は、従来の警察や国防のみでは到底カヴァーできるものではなく、それ以外の新しいものを必要とした。それまでの形式的平等から実質的平等への変化が期待されたのである。しかし、議会には、こうしたものを生み出すことができなくなった。20世紀、とくに第一次世界大戦後、上記の機能はさらに拡大し、積極国家・社会国家が要請されるようになった(これに対し、従来の近代立憲主義国家は、ドイツの社会主義者ラサール(Ferdinand Lassale. 1825-64)によって「夜警国家」と揶揄されたし、消極国家とも言われた)。そうすると、ますます議会は機能しなくなる。そこで、行政権の活動が必然的に多くなった。こうして、多くの国家において行政権の比重の拡大という現象が見られてきた。いわゆる行政国家現象であり、権力分立主義の変容とは、第一に行政国家への変化である。
但し、既に述べたように、日本の場合は元々行政国家的な色彩が強く、本文に示した説明はそのままでは妥当しない。
権力分立主義そのものは、ファシズム、ナチズム、共産主義などからの挑戦を受けつつも、維持されてきた。しかし、国家レヴェルであれ地方レヴェルであれ、立法権を担う議会の空洞化が、一般的に見られるようになったのである。
行政権は、元来、法の執行機関と位置づけられていた。しかし、議会が機能不全に陥るならば、実際に政策を立てうるのは行政権である。何故なら、国家活動の範囲が大きくなることにつれて、特殊な専門的知識が多く要求されるし、迅速な、しかも組織的な活動を要求するが、このような事柄を議会に、さらには議員に要求しても、不可能とは言えないまでも困難であるからである。このことから、国の基本政策を形成し、決定するための実質的な権限を、行政権が行使するようになったのである。これは、官僚制の発展にもつながり、オンブズマン制度の成立原因にもなる。
但し、スウェーデンの場合は憲法などによる特殊な事情があり、行政国家現象がオンブズマン制度を生んだ訳ではない。さしあたり、私のサイト「川崎高津公法研究室」に掲載している「川崎市市民オンブズマン条例についての考察」の第二章「オンブズマン制度についての一般的考察」(http://kraft.cside3.jp/ombuds2.htm)を参照されたい。
第二の変化は、政党国家現象とも呼ばれる。政党の成立原因は、国家によって異なるが、第一の変化において述べた階級対立が、後の政党に発展する場面は多い。元々の権力分立主義は、政党の存在を予定しておらず、むしろ敵対的な態度を見せたほどである。しかし、現実の政治制度に鑑みれば、良かれ悪しかれ政党を無視することはできない。そして、政府・与党と野党との対抗関係が、重要になる。政党は、立法権にも行政権にも関与するのである。
第三の変化は、司法国家現象とも呼ばれ、人権保障の発展と関連がある。国家活動の範囲が拡大されれば、それだけ人権侵害の可能性が広がる。そして、多くの法案が、行政権によって作成され、立法権によって可決されるから、それだけ統制の必要性も大きくなる。行政法学に取り組むにあたり、最も注意を強く向けなければならない部分である。
司法国家現象は、アメリカ合衆国の判例法として登場した違憲審査権の普及による司法権の拡大として捉えられる。アメリカの場合、違憲審査権は現在に至るまで憲法に規定されておらず、1803年のマーヴェリー対マディソン(Marbury v. Madison)事件判決、とくにマーシャル(John Marshall)首席裁判官の法廷意見により、判例法として確立された。しかし、アメリカ合衆国の実質的な憲法の一部をなしているのみならず、20世紀に入り、違憲審査権は幾つかの類型の下に発展し、少なからぬ国で確立されている。日本国憲法も、第81条により、最高裁判所を頂点とする裁判所が違憲審査権を行使することとされている。
しかし、実際のところ、日本において違憲審査権はそれほど行使されておらず、憲法違反の疑いがある法律などについても、合憲の判断が下されている。日本の司法権は、行政権および立法権に対して、積極的に統制を加えることが少ないのである。多くの判決にうかがわれるように、これまでは行政権の第一次的判断権を尊重するという態度が見受けられ、それは過剰でないのかという疑念すら生じさせるものであった。これは、権力分立主義の誤解もしくは曲解に、または時代の変化への不対応に由来するものと思われる。そして、その原因の一つは、従来の行政法学や憲法学が生み出したものであるとも言いうるであろう。
なお、権力分立主義は、元々、立法、司法、行政のそれぞれを担う国家機関相互の抑制・均衡を目指すものとして理解されていたが、最近では、例えば行政権内部における抑制・均衡の関係をも目指すものとする理解が生じている〈その例として、櫻井・橋本・『現代行政法』〔第2版〕20頁〉。これは、従来から内部監査などの形式で行われているが、行政監査といい、会計検査院による検査といい、その機能の有効性については議論がある。2001年には行政機関が行う政策の評価に関する法律が制定され、政策評価の指針や評価基準の策定、さらに第三者機関の設置などが行われている。
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