はじめに:これは、某雑誌からの依頼を受けて執筆したものの、掲載されなかった論文です。その理由は私自身にあるのですが、このまま埋もれさせてしまうのもどうかと思い、約15年半の歳月を経てここに公表します。
1.地方自治体の広域化という政策の是非を問い続ける必要性
2009年8月30日は、日本の政治史に記録されるべき重要な日である。この日の衆議院議員総選挙で自由民主党が惨敗し、第一党の地位を民主党に明け渡すことが確定したからである。翌月に民主党・社会民主党・国民新党との連立政権が誕生し、政権交代によってそれまでの自由民主党・公明党の連立政権とは異なる方向性が打ち出された。
しかし、過剰な期待は大きな幻滅に至りうる。政権交代によってすべてが劇的に変わる訳ではない。変更される政策とともに継続される政策も存在するし、今後が不透明のままに残されている政策も存在する。たとえば、民主党は「地域主権」を掲げて「ひもつき補助金」の廃止・「一括交付金」への転換、地方負担金制度の廃止などを主張するが(1) 、地方税制度の在り方ないし税源配分については言及していない(2) 。また、市町村合併や道州制については、補完性の原理を前面に出しつつ「権限の移譲に並行する形で、自治体の自主性や多様性を尊重しながら、基礎的自治体の規模や能力の拡大を目指します」としており(3) 、自由民主党・公明党連立政権時代ほど積極的ではないにせよ、地方自治体の広域化について推進の立場をとるものと思われる。
しかし、「自主性や多様性を尊重」するならば、選択肢は市町村合併に限られない。大森彌氏は「今後の市町村のあり方としては、合併一本やりではなく、広域連携や都道府県補完も選択肢になっている。新政権が『基礎的自治体の規模や能力の拡大』を小規模市町村の解消という形で推進することのないように強く求めたい。再び合併では市町村は疲弊しきってしまう」と述べる(4) 。地方税財政制度、とくに地方税制の抜本的な見直しを伴わない地方自治体の広域化は、地方自治体の破綻への過程を加速化するだけであろう (5)。
地方自治体の広域化の是非は、地方分権の観点から現政権においても当然問われなければならない。そして、市町村合併は、常に総括され、反省されなければならない問題である。元々、市町村合併は基礎的地方自治体たる市町村の足腰の強化を図ることが目的であるとされていたはずである。地方経済の疲弊が一層強く叫ばれる昨今において、市町村合併はむしろ疲弊を拡大させる結果に終わっていないのであろうか。市町村合併が進められる際に、税源移譲など、地方税財政制度の根本的な見直しが行われるべきである。市町村合併と地方税制とは、本来、論理必然的に結びつくものではないが、全く無関係であるとは言いえないはずである(6) 。
そこで、本稿においては、これまでの市町村合併推進政策を回顧の上で検討し、地方税制との関わりを検証していくこととしたい。
2.地方分権の意味
これまでの地方分権改革を巡る論議において、市町村合併ないし道州制という形で地方自治体の広域化が強く主張されてきた。多くの主張に共通する内容は、広域化が地方自治体の自立性を高め、行財政基盤の強化を図るために不可欠である、というものである。しかし、その思考方法は妥当であろうか。
この点を含めて地方分権改革について考察を進める際に、地方分権という言葉の意味が問題とされなければならない。
地方分権に関しては、大別して新自由主義的立場と住民自治的立場がある (7)。
新自由主義的立場は、団体自治に力点を置き、住民自治を軽視する傾向を帯びる。この立場が重点を置くのは「行政の効率化」、「規制緩和・民間委託」、「自治体間競争」および「合併促進」であり(8) 、土居丈朗氏の表現を借りるならば「国内での不要な規制や関与を取り除き、地方政府間の競争を促しつつ、中央政府は地方政府が財政難に陥っても救済しないこと(ハードな予算制約)にコミット(関与)する仕組み」の「市場保全的財政連邦主義」と無関係ではなかろう(9) 。
この考え方によれば、地方分権改革は地方自治体の自由度を上昇させる一方で地方自治体間の格差をも拡大させることになるが、一種の所得再分配の手段である地方交付税には「努力しない自治体までも過保護に救済する側面が強い」から、地方税源を強化する一方で地方交付税は縮小すべきこととなる (10)。また、「地方分権は規制緩和・市場経済化と軌を一にする」のであって「行政によって規制された経済を自由化し市場原理を追求することは、経済体制の分権化に他ならない」(11) 。土居氏は明言を避けるが、以上の考え方からすれば「努力しない」市町村を地方交付税で「救済する」必要性はないから、結局は合併により消滅するしかない。新自由主義的立場によれば、地方分権のために市町村合併は必要不可欠ということになる。そればかりか、市町村合併が進まなければ、地方税制の改革も難しいということになるであろう。
日本に限らず、地方分権改革は福祉国家体制によって肥大した国家の行政権を縮小させるという意味合いを有する。福祉国家における諸政策の多くは中央政府によって担われるから、中央集権的色彩を帯びることは避けられない。福祉国家が「財政の非効率や官僚主義を内包し、経済活力低下の一因となった」ことは否定できないことから (12)、新自由主義的立場は、地方分権を財政危機からの脱却の手段と捉えた上で、様々な地方自治体を効率性や競争の観点から選別する。そのため、地方分権改革と言いながら実際には中央集権的な色彩を帯びることとなる (13)。それが極端な形で現出するのが市町村合併推進政策であり、道州制推進政策であろう。
これまでの地方分権改革の流れをみると、住民自治的立場に言及しない訳ではないとはいえ、新自由主義的立場に基軸を置いていることは明らかであろう。長らく国が抱えてきた権限を都道府県、政令指定都市、中核市に移行する。しかし、既存の都道府県や市町村には小規模のものが多く、国から移譲された権限を使いこなせるだけの力はないから、合併によって規模を拡大する。市町村に適切な規模を設定し、その水準に到達するまで合併によって市町村の数を減らす。このようにして効率性を高め(民営化なども組み合わされる)、地域住民へのサービスなどについて競争をさせる。一方、国の責任は可能な限り軽減(さらに地方に転嫁)する。規模の経済を重視する点において企業の組織再編と部分的に類似する。住民は行政サービスの受け手として位置づけられるが、それは支配の客体から取引の顧客への変化であり、客体という位置づけ自体は維持されている。そのため、住民自治、住民の手による地域づくり、住民の主体性という観点は稀薄である。2005年3月31日限りで失効した旧「市町村の合併の特例に関する法律」第4条には市町村合併に関する住民発議制度が置かれていたが、これは住民自治のうちの都合のよい部分を選択したものである。そのため、たとえば住民投票制度は、一般的には単純に議会制民主主義の否定であると理由づけられて否定される。
新自由主義的立場は、地方自治体を一個の企業体として理解するのであろう。そして、既に述べたように、従来の議論では住民を消費者=客体としてのみ捉えるような議論が多い。その中で、「地域主権型道州制」を唱える江口克彦氏は、住民を「『お客様』であり、また『株主』でもある」と位置づける (14)。しかし、元来、地方自治において住民が主権者としての立場を占めるべきであることを忘れてはならない。「お客様」としての立場があるとしても、それは主権者の立場から結果的に派生するものに過ぎない。
また、適正な市町村の規模が論じられる際に、主に人口のみが基準とされてきた。吉村弘氏は、市町村の職員数および人件費を分析し、効率性の観点から最も適正な規模は人口が30万人前後の市である旨を述べる(15) 。民主党も、根拠を明確にしていないが「例えば、人口30万人程度の基礎的自治体に対しては、現在の政令指定都市と同等レベルの事務権限を移譲します」と述べる(16) 。
しかし、効率性は人口面のみの問題ではない。人口のみを適正規模の基準とすることは、「日本の自然風土を無視した暴論というしかない」(17) 。中核市や特例市などが過疎市町村を吸収し、過疎地域を抱え込むことは十分に予想された (18)。地方分権改革推進委員会の「中間的な取りまとめ(平成19年11月16日)」は限界集落の問題を取り上げるが、市町村合併(さらに道州制)との関連については検討していない。市町村合併により、限界集落の増加を食い止めることはできたのか。
新自由主義的立場の地方分権論は、地方税についても問題を抱える。その最も大きなものが応益負担原則である(19) 。国(中央政府)と異なり、地方自治体(地方政府)が所得再分配を行う必要はなく、この点から現行の地方税制には問題があるという趣旨が主張されることも少なくない。
しかし、地方自治体が所得再分配政策を担う必要性がないと直ちに言い切れるであろうか。むしろ、地方分権改革が進み、権限の多くが都道府県(もしくは道州)または市町村に移譲されるならば、国が行ってきた所得再分配政策の少なからぬ部分をも地方自治体が行わざるをえない(20) 。そうしなければ、地方自治体の内部における住民の連帯意識は失われ、地域間格差の是正の放置による地域経済全体の悪化につながりかねない。
このように考えるならば、地方分権改革は住民自治的立場を根本に据えて進めるべきである。少なくとも、効率性一辺倒では地域の崩壊を招きかねず、過疎化問題や限界集落問題を解決することはできない。
住民自治的立場が重点を置くのは「共同生活権の確立」、「権限・財源の地方委譲」、「自治と地域間調整」および「住民自治・住民参加」である (21)。このうち、第一点は地方分権の最終目的であり、次いで第四点が最も重要な実現手段である。そして、第二点は、これらのために不可欠な過程である(22) 。
住民自治的立場によれば、地方分権改革は住民自治の拡充の機会である。国による規制の緩和は、地方自治体ないしその住民にとって、これまで画一的に国から押し付けられてきた地域づくりを自らの手に取り戻すことを意味する。新自由主義的立場が住民を消費者として理解するのに対し、住民自治的立場は住民を主権者として理解する。
従って、住民は第一に最終的決定権者であり、企画者であり、生産者であり、出資者であり、結果的に消費者でもある。そもそも、地方自治体は住民を社員とする社団法人としての性格を有する。これが日本国憲法第8章の諸規定にも親和性を有する解釈であろう。住民自治的立場によれば、市町村合併は住民の意思によって選択されるべきものであり、国や都道府県が推進策を作成して誘導するようなものではない。むしろ、地方税制や地方交付税の拡充(または縮小)を求めることは、住民の総意に基づき、地方自治体が有する請求権の一部と考えてよい。また、役割分担は、国民主権原理からすれば、住民自治的立場に必ずしも矛盾しない。
そして、地方税制においても、応益負担原則一辺倒ではなく、応能負担原則を尊重するものでなければならない。前述のように、地方分権改革が進行し、権限移譲が進むならば、地方自治体が所得再分配政策を行う必要性は拡大するからである。その意味において、2006年度改正による個人住民税所得割の比例税率化(三位一体改革の一環として行われた税源移譲に伴うものである)は、各地域の実態を見ることなく机上において進められた改革の産物と評価せざるをえない。また、この比例税率が標準税率とされているとはいえ、地方税法第343条の3第1項(および第35条第1項)によって「一の率でなければならない」とされている点については、地方自治体の課税自主権の拡大という要請、さらに住民自治の原則とも矛盾すると評価できる。
3.第一次地方分権改革
地方分権改革の時期区分については議論があるものと思われるが、本稿においては、地方分権推進委員会が地方分権推進法によって設立されてから解散するまでの時期を第一次地方分権改革とし、それ以降より現在に至るまでの時期を第二次地方分権改革とする。
第一次地方分権改革は、地方分権推進委員会最終報告において総括されているように、主に国から都道府県への権限移譲に力点が置かれていた。また、地方税財政制度の見直し、とりわけ地方税財源の拡充が旗頭とされていたが、それはあまり進まなかった。地方税制については法人事業税(都道府県税)への外形標準課税の導入(拡充と表現するほうが適切か)、および法定外税に関する地方税立法権の強化が成果とされているが、同委員会が自ら認めるように、肝心な点はほとんど手つかずのまま残されたと評価してよい。
他方、地方分権推進委員会は、既に第一次勧告において市町村合併の推進の必要性を主張しており、第二次勧告において具体的な方策を示して推進を強調している。市町村合併は明治時代から度々進められてきただけに、本来であれば地方分権改革と論理必然的に接合可能であるか否かが検証されなければならなかった。また、市町村合併については合併特例債の発行を認め、地方交付税の配分に優遇措置を設けるなどの方策をとったが、地方税制そのものへの関連付けはなされなかった。これは、国が現在まで抱える膨大な財政赤字を少しでも減らすため、地方交付税や補助金などの合理化を進めるという目的があったからであろう。税源移譲が進まなかった点はその端的な例である。
もっとも、市町村税制について全く成果がなかった訳でもない。2000年のいわゆる地方分権一括法によって、法定外普通税については許可制から事前協議制(総務大臣の同意を要する。以下同じ)に変更され、法定外目的税が、やはり事前協議制の下で許容されることとなった (23)。これらは地方税立法権の拡充をもたらしたという点において、たしかに第一次地方分権改革の一つの成果である。
しかし、法定外税と市町村合併との関連は稀薄、否、皆無である。小規模市町村に合併を強いる代償として法定外税に関する立法権が拡大された訳ではない。主要な税源の多くが国税に配分され、地方税に定められる税目が(すべてではないが)地方税の主要な地位を占める状況において、残された税源は狭小であり、一部の法定外税を除いて市町村の主要な財源となりえない。そればかりでなく、許可制から事前協議制への変更が、果たして実質的に大きな変化と評価しうるのか。
周知のように、総務大臣の同意の性質について議論がある(24) 。近藤哲雄氏は「許可も同意を要する協議も権力的な関与である」と述べ(25) 、「国と自治体が対等であるとして行われる関与では、たとえ許可とされるものにあっても、国地方係争処理委員会が指摘したような協議は必要なものであろう。現に、これまでも国と自治体間では許可等の権力的関与であっても必要な協議は行われるのが通常である」と指摘する (26)。
ここで法定外普通税である太宰府市歴史と文化の環境税の例を示しておこう。この税を規定する条例の案が太宰府市議会に提出されたのは2002年3月1日であり、同月22日に議決されて条例が成立した。その後に総務大臣との事前協議が行われたのであるが、実際には2001年に総務省への打診や協議が行われている。そして2002年2月には総務省から条例案の内容に対して指導などが行われている (27)。すべての法定外税について調査しえなかったが(28) 、少なくとも太宰府市歴史と文化の環境税の例を見る限り、許可制から事前協議制への変化は度々主張されるほどには大きなものと評価することはできない。
4.第二次地方分権改革
地方分権推進改革会議、第27次以降の地方制度調査会、地方分権改革推進委員会が公表した勧告等を参照すると、市町村合併推進は幾度も述べられているが、そこに地方税制改革とのリンクは見られない。むしろ、第27次地方制度調査会答申が述べるように「これまで以上に自立性の高い行政主体となることが必要であり、これにふさわしい十分な権限と財政基盤を有」することが求められていた。
この点に関連して、川瀬光義氏は「4兆円の国庫補助負担金の縮減、『基本方針2005』で具体化された所得税から個人住民税への税源移譲による3兆円規模の税源移譲も、『2010年代初頭における基礎的財政収支の黒字化』(基本方針2005)をめざす一環でしかない」と指摘し、市町村合併について「現在の国と地方自治体との役割分担・税財源の配分などはまったく問題とされない。現行の国と自治体との関係を前提として、交付税など国の移転財源への依存度が高い自治体を一掃し、国にあまり迷惑をかけない『自治体』を作り出そうとしている」と述べる (29)。
この川瀬氏の主張に、地方分権改革の本質、市町村合併と地方税制との関連の切断が表現されている。市町村合併は、地方税法の性格の見直し、税源配分の再検討につながる絶好の機会であったと考えられるが、それはなされず、普通地方交付税などに依存しないという意味での自立性の強調につながり、地方分権改革推進委員会第一次勧告(2008年5月28日)にいう「完全自治体」(地方自治体の機能の強化)に至る。ここには財政調整の観点が稀薄であり、市町村の税財政の強化に関する具体的な方針も十分に示されていない。
もっとも、第二次地方分権改革の間に、まず市町村住民税の均等割の税率を定める地方税法第310条が改正され、市町村の規模により異なっていた税額が一律に改められ、次いで前述のように同第35条第1項および第343条の3第1項が改正されて所得割が比例税率化された。市町村合併との関係を脇に置くとして、応益負担原則の強調が住民の理解をどの程度まで得られるのか、疑問もある。また、市町村が基礎的自治体であるならば、法人課税、消費課税などに関する税源移譲もありうるのであり、今後の検討を必要とする。
市町村合併は、今後も地方税制との関連性が稀薄なままに進められるのであろうか。
第29次地方制度調査会が2009年6月16日に当時の麻生太郎内閣総理大臣に提出した「今後の基礎自治体及び監査・議会制度のあり方に関する答申」は、1999年以来の市町村合併推進政策を2010年「3月末までで一区切りとする」としたことにより注目された。
この答申は、前文において「基礎自治体である市町村は、住民に最も身近な地方自治体として、さらにその自立性を高めていくことが期待される。これまで進められてきた市町村合併の評価・検証をも踏まえ、基礎自治体である市町村の行財政基盤の充実強化を図っていく必要がある」と述べ、その上で「人口減少・少子高齢化の進行等の社会状況の変化に対応して、地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤を確立することが求められ」たことによる市町村合併は、市町村の数が1999年3月31日の3232から2010年3月23日の1760(見込み)に減少したことから「相当程度進捗したものと考えられる」と述べる。そして、これまでの市町村合併政策について長所および短所を示した上で、「多くの合併市町村において行財政基盤が強化されて」いると評価する。しかし、以上について何ら明確な根拠は示されておらず、非常に抽象的な記述に終始している。
また、この答申は第27次地方制度調査会答申の方向性を基本的に支持しており、2010年4月以降も「自主的に合併を選択する市町村に対して必要な支援措置を講ずることが適当である」と述べている。
さらに、第29次地方制度調査会の答申については、「大都市圏」の市町村合併に言及している点を問題としたい。ここでは面積の狭小により「行政サービスの受益と負担が一致しておらず、行政運営の単位のあり方が課題となっている」一方で「市町村合併や広域連携による高い効率化効果が期待でき」ると論じられる。しかし、市町村の境界をいかに引くとしても受益と負担との不一致は生じうるのであり、それを調整するのは都道府県、さらに国の役割ではなかろうか。そもそも、住民の受益と負担のみを基準とすることが適切であるかについても疑問が残る。仮にこの基準に従って「大都市圏」で市町村合併を進めた場合、たとえば首都圏において市町村合併が一層進められた場合には、東京(首都圏)への一極集中はさらに進むのではなかろうか。そのようになれば、税源配分によっても全国的な地域間格差は是正されないこととなる。
5.おわりに
私は、平成の大合併の荒波が最も強かった時期に、大分大学教育福祉科学部に勤務していた。大分県は、それ以前から広域連合を積極的に推進するなど、市町村の広域化に熱心であったが(30) 、1999(平成11)年の過疎市町村指定率は約77.6%で第1位であり(58市町村中45市町村が指定を受けていた)、2003(平成15)年の指定率は約75.9%(58市町村中44市町村)で、やはり第1位であった (31)。市町村合併の研究に取り組み、実際に県内各地で進められる過程を知り、地方分権という理念との乖離などを感じざるをえず、また、地方分権の理念にも疑問を覚えさせるものであった。当時から市町村合併推進論者は市町村合併の長所および短所を一般的な形で示していたが、それ自体が形容矛盾または語義矛盾であり (32)、各地域が有する固有の事情を無視した机上の空論と表現するしかない。
そして、市町村合併が地方税制の拡充とあまり関係のない形で進められただけでなく、過疎化対策との関連についても疑問が生ずるが、これについては別の機会に論じたい。
本稿は、以上の点を意識しつつ、市町村合併と地方税制との関係について議論を展開した次第である。今後も、機会をみて地方自治体の広域化と地方税制との関連において、主に財政調整の観点から検討を進めたい。
(1)民主党「Manifesto 2009」19頁、同「民主党政策集INDEX 2009」7頁。
(2)谷隆徳「民主党政権で地方はこうなる」地方自治職員研修2009年4月号17頁。高木健二「政権交代後の地方財政」地方自治職員研修2009年12月号20頁も「政権交代後の地方財政の姿は不透明である」と評価する。
(3)「民主党政策集INDEX 2009」7頁。引用文中にある「基礎的自治体」は「現在の市町村」と説明されている。なお、現行の「市町村の合併の特例等に関する法律」は2010年3月末日をもって失効する(同附則第2条第1項)が、その後の方針についても民主党は明らかにしていない。
(4)大森彌「『地域主権』の実現と『基礎的自治体』の重視」ガバナンス2010年1月号19頁。江藤俊昭「地方自治制度改革の行方―第29次地方制度調査委員会答申を読む―」自治体法務研究2009年冬号32頁も参照。
(5)この点については、岡田知弘「道州制と300基礎自治体構想の行く末」地方自治職員研修2009年1月号17頁が興味深い。
(6)拙稿「自治・合併から眺めた市町村合併」地方自治職員研修2004年3月号増刊91頁。
(7)拙稿「日本における地方分権に向けての小論」大分大学教育学部紀要第20巻第2号(2000年)192頁、同「地方分権下の市町村合併」大分大学教育福祉科学部研究紀要24巻1号(2002年)78頁。新自由主義的立場と住民自治的立場は、それぞれ、重森暁氏の「新古典派的地方分権」と「自治・共同的地方分権」に対応する〔重森暁「地方分権と税財政問題」自治体問題研究所編『地方分権の「歪み」―地方分権推進計画の検証―』(1998年、自治体研究社)34頁を参照〕。また、内山昭『分権的地方財源システム』(2009年、法律文化社)191頁は「新自由主義的分権論」と「階層間・地域間の協力、連帯を重視する分権論」とに分ける。後者が本稿の住民自治的立場に対応するものと思われる。
(8)重森・前掲34頁。
(9)土居丈朗「地方分権に市場原理活用」日本経済新聞2007年8月6日付朝刊21面(経済教室・エコノミクス・トレンド)。伊藤敏安『地方分権の失敗 道州制の不都合―円滑な推進に向けた経済学的論点整理―』(2009年、幻冬社)61頁も参照。
(10)土居・前掲日経記事。
(11)土居・前掲日経記事。
(12)内山昭『分権的地方財源システム』(2009年、法律文化社)191頁。
(13)西日本新聞2009年6月17日付朝刊6面に掲載された社説「平成の大合併 『功罪』を丹念に検証せよ」は、「地方の『自主的な合併』を建前としながらも、実質的には国が『上から』号令を掛けて主導する合併だったことが、平成の大合併の『限界』ではなかったか」と述べている。社説の主張にdéjà-vuを覚えるのは、私のみではなかろう。
(14)江口克彦『地域主権型道州制―日本の新しい「国のかたち」―』(2009年、PHP新書)222頁。
(15)吉村弘『最適都市規模と市町村合併』(1999年、東洋経済新報社)43頁、80頁。伊藤・前掲書67頁も参照。
(16)民主党「民主党政策集INDEX 2009」7頁。
(17)谷・前掲17頁。
(18)拙稿・前掲大分大学教育学部紀要第20巻第2号202頁。なお、西川雅史「市町村合併による支出削減と市町村構成の変化:市町村合併が都道府県に与える影響」会計検査研究39号(2009年)38頁、44頁を参照。
(19)「応益原則」という言葉が多用されるが、多義的かつ不明確である。拙稿「地方消費税再考―地方税財政権の観点から―」税制研究55号(2009年)95頁。
(20)内山・前掲書224頁も同旨であろう。
(21)重森・前掲34頁。
(22)なお、旧「市町村の合併の特例に関する法律」第10条、現行の「市町村の合併の特例等に関する法律」の第16条第1項を参照。
(23)拙稿「地方目的税の法的課題」『地方税の法的課題(日税研論集46)』(2001年)307頁、および同論文にあげた諸文献を参照。
(24)拙稿「地方税立法権」日本財政法学会編『地方財政の変貌と法(財政法講座3)』(2005年、勁草書房)49頁を参照。
(25)近藤哲雄『自治体法』〔第一次改訂版〕(2008年、学陽書房)39頁。
(26)近藤・前掲書39頁。
(27)拙稿・前掲「地方税立法権」54頁注(61)。
(28) 2009年4月1日における市町村の法定外税については、地方税務研究会編『月刊「地方税」別冊 地方税関係資料ハンドブック(平成21年)』(2009年)83頁、87頁を参照。
(29) 川瀬光義『幻想の自治体財政改革』(2007年、日本経済評論社)10頁。
(30)橋本祐輔・大塚広「緩慢なる市町村合併」地方分権研究会編『平松・大分県政の検証』(1999年、緑風出版)190頁[橋本祐輔担当]を参照。
(31)拙稿「リーダーたちの群像 平松守彦・前大分県知事」月刊地方自治職員研修2003年10月号32頁も参照。
(32)拙稿・前掲地方自治職員研修2004年3月号増刊93頁。
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