2025年5月27日火曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第57編

 第56編の続きを 2003年中に終わらせる予定でしたが、私の仕事の関係で年を越してしまいました。何回続くかわかりませんが、2004年になったということで、今回から第五部として不定期連載を続けることとします。

 朝日新聞2003年12月17日付朝刊(大分版)に掲載された「場外車券場訴訟終結、市民に経緯説明」という記事によりますと、12月16日、日田市役所で、サテライト日田設置許可無効確認訴訟が終結したことを受けた報告会が行われました。これには、大石市長、寺井一弘弁護士、サテライト日田設置反対連絡会を構成する17団体、日田市議会議員、日田市職員など、およそ100人が参加したそうです。

 この記事自体が相当に短く、全文を引用したほうが早いくらいですが、ここではそれを避けておきます。

 2000年から2001年にかけて、サテライト日田問題は大分県内、そして日本全国の注目を浴びました。第13編にも記したように、2001年1月7日、この問題を扱った「噂の! 東京マガジン」(TBS系)が、13時から放送されました。2000年12月21日に、私は、この番組の制作を担当するフラジャイルという会社の方の取材を受けました。この模様は録画されていたのですが、数日後、私の携帯電話に、取材のシーンは放映されないかもしれないとの連絡を受けました。取材班の方々は、このホームページを御覧になっていたようで、非常に綿密な取材をなされておりました。それは、当日の放送内容からもわかりました。

 その後、大分地方裁判所での口頭弁論が始まりました。昨年の1月28日、日田市敗訴の判決が出た時には、私も大分県庁の記者クラブに行き、記者会見の席に座らせていただきました。おそらく、その頃が、この問題に関する熱気のピークになっていたと思います。福岡高等裁判所での口頭弁論の時には、2度とも傍聴整理券が配られたという表向きの熱気とは裏腹に、実際にはどこか冷めた空気が漂っていました。私自身が感じていたのです。報道も、以前のような大きさではなくなりました。12月16日の報告会がどのような雰囲気だったのかわかりませんが、参加人数が100人というのは、贔屓目に見ても以前より少なくなったように思われます。訴訟などが完全に日田市主導、すなわち行政主導で行われたことには、日田市民の間からも批判がありました。とくに、サテライト設置に反対しながらパチンコ屋の進出を容認するというような状態には、厳しい批判が寄せられてもおかしくなかったでしょう。勿論、パチンコ屋とサテライトでは、根拠法令も所轄の行政庁も異なります。そのため、ただちに両者を同様に論ずることはできません。しかし、青少年への影響という点では、両者にそれほどの違いが見出せません。あるいは、パチンコ屋のほうが大きいかもしれません。2002年度からは、他ならぬ日田市の住民から、パチンコ屋の問題を指摘する声も出始めていました。

 上記朝日新聞の記事に戻ります。大石市長は、「市民の結集に感謝する。日田での車券発売を断念した別府市には様々な思いがあったと思うが、同じ県内の観光都市として手を携えて発展を目指したい」という趣旨を述べたとのことです。また、寺井弁護士は「サテライト裁判は法曹界の注目を受けた。弁護団としては控訴審で敗訴しても最高裁で地方自治のあり方を問いたかったが、別府市と日田市の和解を優先させた」と述べています。これは、11月10日にも述べられていることです。

 また、サテライト日田設置連絡会も、12月16日をもって解散されたようです。

 さて、第56編の続編として、11月10日に 提出された日田市側の「準備書面(第6)」(9月22日付)の内容を紹介し、若干の検討を試みます。今回は「第3、本件訴訟における控訴人の原告適格」です。6頁目から最後の頁まで続く、かなり長い部分です。

 まず、自転車競技法の解釈です。まず、自転車競技法第1条について、「機械産業、体育事業その他の公益事業の振興と自治体財政のための収益事業として競輪事業を位置づけて、これを規律しているのである」と評価しています。その上で、 「ある市が営む競輪事業に係る場外車券売場を他の市町村の地域に設けることは(同法4条1項)、その地元市町村が競輪事業を営むことによって獲得されるはずの収益に多大の負の影響を及ぼすことは明らかである」として、今回の問題で言えば日田市の財政上の利益は「法律上保護された利益」にあたると主張されています。もし、日田市が競輪事業を営むのであれば、こうした財産的利益を得ることが可能となります(もっとも、自転車競技法において競輪事業の主体となりうるのは都道府県と、総務大臣が指定する市町村だけですから、日田市がこの指定を受けなければなりませんが)。

 しかし、日田市の場合、競輪事業を営むことによって得られる利益ではなく、「営まないことによって得られる地域環境的な利益」を主張しています。これが競輪事業を営むことによって得られる利益と不即不離の関係にあると即断できるかどうかについては、疑問もあります(日田市が競輪事業の主体として指定を受けていないとすれば、このように主張できないのは明らかであるからです)。ただ、まちづくりという観点からすれば、都道府県、および総務大臣が指定する市町村は、競輪事業を行うか否かについて選択権があり、これが地方自治体の政治・行政の方針を決定することになります。日田市が指定を受けようとすれば、(これまでにもその機会はありえた訳ですから)総務大臣の判断により、指定を受けて競輪事業を営むことが可能でしょう。その意味では、日田市側の主張も成立しえます。ただ、今回の問題は、指定を受けた市町村である別府市が日田市において場外車券販売事業を営もうとすることですから、少々次元の違う話ではないかとも思われます。

 いずれにしても、日本の市町村には、地域設計、まちづくりに関する基本的な法的権限がない、または、あるとしても非常に不十分です。これは、私だけが述べている訳ではなく、何人かの方が書かれており、私も同感したものです。この年末年始、横浜の青葉台と渋谷で何冊かの本を購入し、読んだのですが、その中の1冊に書かれていました。今回の地方分権改革では、結局のところ日本をどのような国家にするのかに関する基本方針が明確にされているとは言い難く、とりあえず市町村合併を進めてそれから具体的に権限を配分するという方法が採られています。これでは、市町村に期待されるべき本来の役割が明確にされないままに終わる可能性が非常に強くなります。サテライト日田問題は、こうした地方分権改革の論議に一石を投じるものとなりえたはずなのですが、実際にはそのようになっておりません。

 「準備書面(第6)」に戻ります。既に示した、日田市側による自転車競技法の解釈は、地方自治法の解釈にも結び付けられ、自転車競技法が、地方自治法第2条第11項ないし第13項にいう「地方公共団体に関する法令」であり、「地方自治体の財政に直接関わる法律でさえある」として、経済産業大臣側の主張に反論を加えています。なお、日田市側は、「地方公共団体に関する法令」について「『単に地方自治法、地方公務員法、地方財政法のよう主として地方公共団体だけを対象とした法律の規定のみを指すのではなく、いかなる法令についても、いやしくも地方公共団体に関する事項を規定した条文があれば、すべてを含むものと解すべきである』とされている」と述べていますが(引用は原文のまま)、出典などが示されていません。「地方公共団体に関する法令」について、地方自治法に特別な解釈の方法を示す規定が存在しない以上、日田市側の解釈は妥当でしょう。

 ここまで、自転車競技法との関連で日田市側の原告適格に関する主張を概観しました。基本的には一審段階からの主張のまとめと言うべきものであり、内容に大きな変化などはありません。これからさらに深められる可能性もあったのですが、訴えの取り下げにより、可能性で終わっています。

 「準備書面(第6)」は、続いて自転車競技法施行規則を取り上げ、その保護する利益について論じています。

 この施行規則は経済産業省令で、自転車競技法第4条第2項を受けた施行規則第4条の3は場外車券売場設置許可の基準を示すものです。日田市側は、この中の第1号と第4号をあげています。

 施行規則第4条の3第1号について、日田市側は「学校その他の文教施設や病院その他の医療施設の設置・運営主体の文教・保健衛生に係る利益は、自転車競技法及びその施行規則によって個別的利益としても保護された法益であるということができ」ると主張しています。従来であれば、こうしたものは単なる公益であり、個人などにとっては反射的利益であって、法律が直接保護する利益ではないと理解されたのです。しかし、これでは結局のところ行政庁の裁量権を統制することができなくなりますし、そうでなくとも地域の主体性などを無視することになります。また、何故に文教施設や医療施設に関連する距離制限が置かれているのかについて、趣旨を不明確にするおそれがある、と言えないでしょうか。今回の訴訟は日田市という地方自治体が原告なのです。日田市は、文教施設や医療施設の設置場所などを決定する権限を有するはずです(あくまでも、市営の施設についてですが)。また、都市計画などについても、日田市には一定の権限があるはずです。そうであれば、自転車競技法施行規則第4条の3第1号が、場外車券売場が設置される市町村の法的利益を個別のものとして保護しないと解釈することは、市町村の都市計画に関する権限などを全く無視することにならないでしょうか。今後、日田市側としては、さらに都市計画法などをも援用して自説を補強する必要があったと思われます。

 日田市側は、原告適格を基礎付けるために最三小判平成6年9月27日判時1518号10頁を引き合いに出しています。この判決は、治療所を経営する者がパチスロ店の営業許可の取り消しを求めた事案に関するもので、結局は請求が棄却されていますが、原告適格が認められています。この事案の場合、治療所からパチスロ店までが30mを少し超える程度しか離れておらず、これは実体審理をしてみなければわからないというものでした。そのため、原告適格を審査するにしても本案審理と同一の手続をしなければならなかったのでした。そこで仮にこのパチスロ店が制限区域内に存在しないことが明らかになったとしても、本案について何らかの判断をするほどに審理が熟している、とされたのです。

 サテライト日田の場合も、距離制限に関して言うならば、結局は本案審理に入り込まなければならないということなのでしょう。実際、距離制限を争う場合、それが訴訟要件の問題なのか本案の問題なのかと問われるならば、どちらにも該当すると考えられます。距離制限が許可の要件に入っているのですから、本案の問題に立ち入らざるをえません。訴訟要件の問題で済ませるとすれば、法の保護する利益が何であるのかという点(原告の個別的利益を保護するのか、公益を保護するにすぎないのか)で判断するしかないのですが、このような態度では、裁判を受ける権利(憲法第32条によって保障されている)を没却することになりかねません(準備書面も、この最高裁判決に付されている園部逸夫裁判官の補足意見を引用しています)。

 次に、施行規則第4条の3第4号です。これは「周辺環境との調和」という、行政庁の広い裁量を許すかのような文言を出しています。そのためでしょうか、「準備書面(第6)」は、最高裁判例の傾向から「場外車券売場予定地周辺地域の環境上の利益を、自転車競技法及び施行規則によって個別的利益として保護された利益とまではいえず、それは一般的公益に改称されるものと解さざるを得ない」ことを認めています。しかし、これは原告が私人であるからこそであって、原告が地方自治体であれば別である、とも主張されています。公益保護規定であるからこそ「地方自治体のみが原告適格を有しうることの根拠となる」というのです。これは極端な解釈で、日田市側もそれを認めています。そこで、「地方自治体の原告適格を根拠づけうる公益保護規定は、当該地方自治体に関わる地域的な公益の保護規定である必要があり」、「当該公益保護規定と原告地方自治体の主張する利益との間に、後者が前者の保護範囲に包摂されるものである必要がある」と述べています。

 ここは少々わかりにくいかもしれません。端的に記せば、「周辺環境との調和」というものは地方自治体が判断すべき事柄である、ということになるでしょう。勿論、私人であっても判断できるのですが、最高裁判例は私人の個別的利益と公益とを比較考量する方法論を採用していますので、実際には無理が生じます。そこで、「周辺環境」という、まさしく地方自治体に関係する事柄については、まさしく公益を実現するために存在する地方自治体に整備などをする権限があり、それが地方自治体の法的利益でもあるということを主張しています。そして、このことが、日田市側が主張する「まちづくり権」につながっていくのです。日田市は、第4次総合計画においてまちづくりを理念として掲げています(これもかなり抽象的な文言で、具体的にどのようなまちづくりを進めるのか、注目しておく必要があります)。また、日田市議会が全会一致で場外車券売場設置反対の決議を行っていること、さらに「日田市公営競技の場外券売場設置等による生活環境等の保全に関する条例」を制定していることをあげ、場外車券売場などが設置された場合に生じうる「周辺環境への配慮に努めようとしている」と述べて、最終的に「日田市の主張する地域環境にふさわしいまちづくりの権利・利益は、公益としての地域環境に責任を負う自治体の『まちづくり権』と評すべき法益であり、自転車競技法とその施行規則によって保護された利益として、原告適格を認めるに足りるものと考えられるものである」と主張しています。

 「まちづくり権」は、今回の訴訟において初めて登場したもので、おそらくは日田市側の弁護団も認めると思われますが、まだ未熟なものです(だからこそ、行政法学者などに理論の充実が求められているということになりますが)。「準備書面(第6)」では地方自治法第2条第4項が引き合いに出されていますし、同14頁以降において自治権の一環として主張されています。しかし、憲法学説などをみると、日本国憲法の下における地方公共団体の権利主体性を認める説は非常に少ないようです。ドイツの学説などにおいては、連邦共和国基本法第28条の解釈から、(法律の留保の下に置かれているとは言え)地方自治体であるゲマインデには権利主体性が認められるというのが一般的であるようです(但し、個人に認められる基本権の享有主体性はありません)。実際、ドイツの連邦憲法裁判所や連邦行政裁判所の判例をみると、ゲマインデが原告となって訴訟を提起する例が多くみられます。しかし、日本の場合、そもそも地方自治体が原告となって訴訟を提起したという例がほとんどなく、行政事件訴訟法に規定される抗告訴訟(取消訴訟や無効等確認訴訟など)に至っては、日本国憲法施行下においてサテライト日田訴訟が初めてのことです。

 今後の課題は、日本国憲法第92条ないし第95条の解釈論を深めること、そして地方自治法第2条などの解釈論を前進させることです。一つの道具として、北野弘久教授が主張される新固有権説が考えられます。元々は地方税財政に関する理論ですが、地方税財政が地方自治体の存立にとって根幹を成すものであることからすれば、まちづくり権への応用なども可能であるはずです。そして、地方自治法第2条第1項において、地方自治体が一つの独立した法人格を有するとされていることを忘れてはなりません。これまでの行政法学の理論などでは、法人について公法人と私法人とに分類して性質を議論していたのですが、精度としては非常に粗いものであることは否定できないでしょう。その意味において、第47編において取り上げた大分地方裁判所2002年11月19日判決(日田市対別府市)が参考になるでしょう。この判決は、公法人である地方自治体にも一定の範囲内において名誉権が認められるという判断を示しましたが、理由として、地方公共団体も法人であって「行政目的のためになされる活動等は種々異なり、これを含めた評価の対象となり得るものであるから、それ自体一定の社会的評価を有しているし、取引主体ともなって社会的活動を行うについては、その社会的評価が基礎になっていることは私法人の場合と同様である」ことをあげています。勿論、公法人を完全に私法人と同様に扱うことはできません。しかし、公法と私法との区別が相対化し、さらには公法と私法との区別を不要とする説も有力になっていることを想起すべきです。要は、公法人というものを先験的に把握するのではなく、活動内容に応じて個別的・具体的に判断する必要があるということです。また、地方自治体が住民から構成される一種の社団法人であり、住民代表たる首長および議会などの機関が置かれていることも、重要な鍵になるのではないでしょうか。

 この後、「準備書面(第6)」は、場外車券売場設置許可の法的性質などについての検討を行っていますが、これについては、機会を改めて取り上げることとします。


(初出:2004年1月7日)

2025年5月26日月曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第56編

 11月10日の控訴審第2回口頭弁論において日田市が訴えの取り下げを申し出て、11月17日に国が訴えの取り下げに同意することにより、一応は解決の方向に向かっているサテライト日田問題ですが、果たして、今後、自転車競技法の改正などが行われることになるのでしょうか。

 第54編において、11月10日の控訴審第2回口頭弁論の模様を報告いたしましたが、その時に提出された準備書面についての検討をまだ進めていません。そこで、今回、控訴人と被控訴人の双方から提出された準備書面の内容を検討することといたしますが、その前に、12月3日から開かれている日田市議会の模様などを眺めてみることとします。

 意外と言えば意外なのですが、このところ、各新聞社のホームページを見ても、サテライト日田に関する記事が掲載されることは少なく、私が確認した限りでは、毎日新聞社のホームページでしか見ることができません。同社の日田支局、楢原義則記者による記事が何度か掲載されており、それらを取り上げておきます。

 既にホームページでの掲載が終了している12月4日付朝刊の記事として、19面(大分)の「サテライト訴訟 国に大きな一石 日田市議会開会」というものがあります 〔19面(大分)〕。この記事によると、3日に開会した議会での冒頭に、大石市長はサテライト日田訴訟の取り下げについて述べました。記事によると「まちづくり権への司法判断は得られなかったが、国に大きな一石を投じ、無駄ではなかった」ということです。

 次に、12月12日付の記事として21面(大分)の「サテライト 日田訴訟事後処理 『国は法改正考えず』 市長 自転車競技法で認識」があります。それによると、11日に行われた日田市議会で、大石市長は、井上利男議員および伊藤哲司議員の質問に対する回答として、国(経済産業省)は自転車競技法の改正を考えておらず、地元の市町村長の同意を必要としない現行の運営を改めない方針も示されているという趣旨を述べたとのことです。

 別府市が設置(正確には設置された場合の車券販売)を断念したということで気になるのは、損害賠償の件です。これについて、やはり12日付記事によりますと、大石市長は、溝江建設と別府市の間の問題であるとして、当面は推移を見守っていくという趣旨を述べました。また、許可が「取り消されて初めて全面解決する」とも述べています。

 一方、別府市のほうですが、やはり市議会が行われています。ただ、新聞報道による限り、サテライト日田問題は正面から取り上げられていないようで、大分合同新聞12月10日付朝刊の記事「別府市議会 競輪事業は今後も継続」によると、12月9日の別府市議会において、自由市民クラブの浜野弘議員が競輪事業の継続について質問したそうです。JR日豊本線亀川駅の近くにある別府競輪場の施設は、私の目にも老朽化しているように見えますが(別府競輪場に入ったことはありません)、建築後30年が経っていて相当に老朽化が進んでいるそうです。浜野議員の質問に対し、別府市の観光経済部次長である藤沢次郎氏は、老朽化を認めつつ、競輪事業によって得られる収益金が別府市の一般会計に繰り入れられていることをあげ、これが別府市の貴重な財源になっていることから、今後も競輪事業の継続に努めるという意向を明らかにしています。

 日田市に話を戻します。もう一つ気になるのが訴訟費用です。毎日新聞大分版12月12日付上記記事によると、大分地方裁判所の段階で1123万円、福岡高等裁判所の段階で565万円だったとのことです。

 さて、11月10日に時間を戻し、準備書面の中身を紹介し、検討を進めることといたします。

 控訴人である日田市側の「準備書面(第6)」は、9月22日付となっております。18頁分あるこの書面は、4月18日付の「控訴理由書」に示された主張を「整理・補完する」ものとなっております。

 これに対し、被控訴人である経済産業大臣側の「第6準備書面」は、11月7日付となっております。こちらは全部で7頁ですが、1頁目は「被控訴人指定代理人」の氏名などが記載されているだけですから、実質は6頁分ということになります。

 想起していただきたいのは、第51編に記した、第1回口頭弁論における裁判長からの注文です。ここでもう一度記すと、控訴人には、原告適格と本案(自治権の主張、自転車競技法の憲法適合性など)とにおいて混然となされている憲法理論を区別することが求められ、被控訴人には、原告適格についての判例が基本的に私人の場合に妥当することが指摘された上で、判例で示された理論などが地方自治体にも妥当するのか否かについて検討するように求められました。果たして、両者は裁判長からの注文に対し、どのように応えたのでしょうか。

 今回は、控訴人である日田市側の「準備書面(第6)」の内容を紹介し、若干の検討を加えます。ただ、訴えが取り下げられたために、今回の両準備書面が最後となります。そのこともあり、今回の両準備書面については丁寧に紹介し、検討を加えたいと思います。日田市側の「準備書面(第6)」は18頁に及び、内容も多岐にわたります。そのため、数回に分けて紹介および検討を試みます。被控訴人である経済産業大臣側の「第6準備書面」についても同様とします。おそらく、来年3月までには終えるでしょう。

 日田市側の「準備書面(第6)」は、控訴理由書と同様に「第1、原判決の判断の誤り」から始められています。

 控訴人側は、大分地裁判決が原告適格について「当該行政法規が個別的利益の保護を含むか否かは、当該行政法規の趣旨・目的、保護利益の内容・性質等」によって判断すべきであるという趣旨であることについて「最高裁の到達点を大きく後退させる」と批判しています。それでは、「最高裁の到達点」からいかなる事柄が判断されるべきなのでしょうか。控訴人側は、次のような点を示しています。

 「①法律の合理的解釈」

 「②関連法規の関係規定との関係における根拠法規の位置付け」

 「③根拠法規の規則によって保護される法益の性格」

 「④その他規則内容、立法趣旨、下位法規による規制など」

 ここでいう最高裁判例は、既にこの不定期連載においても何度か登場している新潟空港訴訟最高裁判決のことです。大分地裁判決も、形の上では新潟空港訴訟最高裁判決の枠組みを踏襲していますが、私が、判例解説の「場外車券売場設置許可無効確認請求事件」〔法令資料解説総覧第256号(2003年5月号)120頁から122頁まで〕において述べましたように「形式的なものに終始して」おり、「一応は根拠規定および関連法規などを総合的に判断しているが、相互の関連性への配慮に乏しく、法律の規定を形式的に判断するだけで終わってい」ます。「準備書面(第6)」はさらに厳しく、大分地裁判決が「当該行政法規だけの解釈に終始して」いると評価しています。

 自転車競技法の解釈については、大分地裁判決が「①自治体の個別的利益を直接保護する明文の規定がないこと、②本件許可制度が自治体の個別的利益を保護する趣旨をうかがわせる規定がないこと、③許可基準に具体的規定がないこと、などから自治体の個別的利益を保護していないと結論付けていること、などから自治体の個別的利益を保護していないと結論付けている」と評価しています。私も、上記判例解説において自転車競技法第1条第1項の解釈を取り上げて疑念を示しましたが、新潟空港訴訟最高裁判決の趣旨からすれば、「自治体の個別的利益を直接保護する明文の規定」でもなければ「自治体の個別的利益を保護する趣旨をうかがわせる規定」でもない自転車競技法第1条第1項について合理的かつ体系的な解釈が求められます。「準備書面(第6)」も、大分地裁判決が示す①~③が自転車競技法第1条第1項に規定されていないことを認めつつ「最高裁は、各根拠法規の合理的解釈を通じて地域住民等の原告適格を導出した」と述べています。

 そして、場外車券売場設置許可の性質については、再び、警察許可ではなく「一種の設権的行為」(認可)と理解すべきであると主張しています。

 これについては、第37編において取り上げ、第51編において再び述べていますが、私は警察許可と理解せざるをえないと考えておりました。この点においては、控訴人側の主張と異なります。

 しかし、単純に許可と考えることに問題があることは、私も承知しております。自転車競技法第4条によって、場外車券売場は競輪事業者以外の者であっても、許可を得て設置することができます。しかし、いかに設置の自由があるといっても、車券を販売する自由は存在しません。競輪事業者である都道府県および指定市町村が、設置許可を得た場外車券売場にて車券の販売を行わないのに、例えば私が許可を得て場外車券売場を設置しても無意味です。そうすると、許可を純粋な許可と考えることには問題が生じます。

 ただ、それでは認可と考えるべきなのでしょうか。第37編においても述べたように、認可は、鉄道やバスの運賃の改定、農地の売買などが代表例で、私人の行為を補充して法律上の行為を完成させる行為のことです。認可を得なければ、運賃の改定や農地の売買は無効です。農地の売買を例に取ると、認可を得なければ、農地の売買契約が完成しないのです。

 また、認可の場合、それを得られない行為は無効であるため、その行為を行っても罰則がないのが普通です。しかし、場外車券設置許可の場合、その許可を得ないで場外車券売場を設置しますと、自転車競技法に罰則がないとは言え、刑法第186条第2項に規定される賭博場開帳等図利罪などに問われかねないでしょう。もっとも、認可を得られない行為は無効であり、その行為を行っても罰則がないというのは、あくまでも行政法学の教科書に書かれている原則であり、法律に示されている実際の構造について話が別であることも考えられます。

 自転車競技法の場合、設置許可を得る者と競輪事業者は別でありえます。そうすると、設置許可を得ることと車券を販売することとは別の話ですから、設置許可を得れば、競輪事業施行者でない者であっても場外車券売場としての建物を造ることはできます。これが被控訴人側の主張です。しかし、設置許可の実際をみても、設置許可が出されるまでの審査過程において、許可申請に係る場外車券売場において競輪事業者が車券を販売する意思を有するか否かが問題となります。仮に、競輪事業者がその場外車券売場において車券を販売しないというのであれば、おそらく、場外車券売場設置許可は出されないものと思われます。従って、競輪事業者が場外車券売場で車券を販売することが許可の効力を完成させる要件であると考えるべきでしょう。それが常識的な解釈でもあるはずです。

 このため、私は、この不定期連載において述べた従来の見解を改め、場外車券売場設置許可を認可またはその亜種と理解する立場を採ることといたします。

 「準備書面(第6)」の「第1 原判決の判断の誤り」は「憲法が保障した自治権に基づく原告適格について」で終わります。趣旨は、大分地裁判決が憲法による自治権およびそれに基づく原告適格について全く判断を行っていないこと、最高裁判例においても外国の法制度などが日本の法律の解釈の根拠などになりうるのに大分地裁判決が無視していること、これらを批判しているのです。そして、地方自治体の原告適格について「日田市の『まちづくり権』が①どのような態様で、②どの程度拘束を受けるのか、③どの程度の財政的な措置が強いられるのか、④その結果、日田市のまちづくりはどのように変質を余儀なくされるのかという視点から主張したのである」と述べています。

 続いて、「第2、最高裁判例の原告適格の考え方」に移ります。ここは、行政事件訴訟法第9条の解釈に関する部分です。今回の訴訟は行政事件訴訟法第36条に基づく無効等確認訴訟を中心としていますが、原告適格については取消訴訟と基本的に同じであるため、行政事件訴訟法第9条の解釈論が必要です。

 「準備書面(第6)」は、次のように最高裁判例の流れを整理しています。なお、以下の引用には準備書面からのものと、判決からのもの(とは記していますが、孫引きです)とがあります。

 ①主婦連ジュース訴訟(最判昭和53年3月14日民集32巻2号211頁):「処分の名宛人以外の第三者が処分の取消を求める場合には国民一般が持つような抽象的利益の侵害を主張するのでは足りない」。

 ②長沼ナイキ訴訟(最判昭和57年9月9日民集36巻9号1679頁):この判決では「意見書の提出や公聴会の開催といった、処分における参加手続の存在に着目して行政法規が個人の個別的利益の保護をも含む趣旨を読み取る手法をとった」。

 ③伊達火力発電所訴訟判決(最判昭和60年12月17日訟務月報32巻9号2111頁):これは新潟空港訴訟最高裁判決の前段階と言える内容を含んでいます。原告適格の有無を判断する際には「行政法規が個人の権利利益を保護することを目的として行政権の行使に制約を課していることにより保障されている権利利益」も「処分の法律上の影響を受ける権利利益」に含め、「行政法規による行政権の行使の制約とは、(中略)直接明文の規定はなくとも、法律の合理的解釈により当然に導かれる制約を含む」と述べられているのです。

 ④新潟空港訴訟最高裁判決(最判平成元年2月17日民集43巻2号56頁):これについて、判決の引用は不要でしょう。「準備書面(第6)」が述べているように「処分の根拠となっている規定のみならず関連法規を含む『法体系』の中で原告適格が判断されるべきであることを明確に示している」ことをあげておけば十分でしょう。

 ⑤もんじゅ訴訟最高裁判決(最判平成4年9月22日民集46巻6号571頁):新潟空港訴訟最高裁判決以降、最高裁判例は「当該行政法規によって保護されている法益の性質にも注目して原告適格を柔軟に解釈するようになってきている」と評価されています。「準備書面(第6)」は、これについて司法研修所編『改訂・行政事件訴訟の一般的問題に関する実務的研究』(2000年、法曹会)90頁を参照しています。もんじゅ訴訟最高裁判決は「被侵害利益が生命・身体等の重大なものであることを加味して、根拠法規の文言だけからでは個別的保護法益を抽出しづらい場合にも原告適格を拡張した」。そして、これが、都市計画法や森林法などに関する事件にも適用されることになり、保護法益も生命・身体や財産権、さらに日照の利益にも拡張されている、と指摘されています。

 ここで、「準備書面(第6)」は最近の行政事件訴訟法改革(改正)への動向について触れています。上記のように、次第に原告適格の範囲が拡大されてきているとは言え、基本的には今も原告適格の範囲が厳格に解される傾向が残っており、私人の権利や利益の救済に対する障害となっています。また、これまでの判例では、地方自治体ではなく、私人が処分の第三者であることが想定されています。これまでの経緯からすればやむをえないのですが、地方自治体が原告である場合には別の要素に関する検討が必要とされます。実際、「準備書面(第6)」も、小早川光郎「抗告訴訟と法律上の利益・覚え書き」西谷剛他編『政策実現と行政法(成田頼明先生古稀記念)』(1998年、有斐閣)47頁を参照しつつ、これまでの判例理論を次のようにまとめています。

 ①「当該処分が原告にとって不利益であ」ること、

 ②「その利益が、当該処分に関する法令で保護されている利益の範囲に含まれ」ていること、

 ③「当該法令による保護が、原告らの個別関係者の利益を、単にその法令によって保護される公益の一部として位置づけるのではなく、公益とは区別して個別かつ直接に保護するものである」こと。

 上記3点が、第三者たる私人に原告が認められるための要件です。地方自治体の場合は、①および②は適用可能としても、③が難しくなります。そこで、地方自治体については③の要件が不要であるとして、次のように整理しています。

 ①「当該処分により特定の自治体に具体的な不利益が」及ぶこと、

 ②その上で「その不利益が当該処分を定めた行政法規やその関連法規の保護する利益の範囲にあると解釈でき」ること。

 このようになるのは「もともと原告適格論は抗告訴訟が客観訴訟ではないことを前提として、どの範囲まで処分の取消の主張を認めるかを画するために発展した議論であ」るからで、「主張資格の限界付けに困難を来さない本件のような場合には」公益云々への言及などが不要になる、というのです。

 これについては、本来であればこの場において検討を加えるべきですが、既に長くなっておりますし、今、私に余裕などがないため、機会を改めることとします。


(初出:2003年12月14日)

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第55編

 第54編において、11月10日の控訴審第2回口頭弁論、および、日田市による訴えの取り下げの模様を報告しました。この記事を作成していた11月18日の時点において(掲載は11月19日)、経済産業省側が訴えの取り下げに同意したという情報は得られていなかったのですが、20日、原告弁護団のうち、寺井弁護士と桑原弁護士が所属するリベルテ法律事務所より、国(経済産業省。行政事件訴訟においては経済産業大臣)が訴えの取り下げに同意するという書面を福岡高等裁判所に提出したという情報を得ました。

 これは、新聞記事のコピーとともに、私の自宅に封書で届いたものです。開封したのは、11月21日の午前1時頃です。20日、朝の1限から講義などの仕事を抱え、他にも仕事があったため、帰りが21日の午前中になったのでした。そこで、今回の第55編を作成したという次第です。

 また、別府市のほうも、市長が市議会に対してサテライト日田設置断念(正確には、設置された場合の車券販売の断念)を報告したとのことです。これで、サテライト日田問題は、損害賠償などの問題を別とすれば、全てが終わったということになります。

 前回、弁護団声明を引用させていただき、また、今回も勝手に引用させていただきますが、リベルテ法律事務所よりいただいた寺井弁護士の名前による文書によりますと、「私どもは、本件について最高裁判所の憲法判断を求めたいと考えていたところでしたが、実質的に『サテライト日田』の設置がなされなくなった現状を踏まえ、この段階でひとまず終止符を打つことがベターであろうと決断致した次第であります」とのことでした。この点については、様々な考え方がありうると思います。しかし、私は、個別の問題の解決を優先すべきであるという考え方を採ります。地方自治、地方分権、地方自治体の出訴資格および原告適格、まちづくり権などの問題は残されてしまいましたが、具体的な問題を離れて、純粋にこれらの問題だけについて裁判所の判断を求めることが適切か否かについては、疑問を付けざるをえません。今の最高裁判所の判例が示す傾向から考えると、最高裁判所第三小法廷平成14年7月9日判決(これについては、さしあたり、法令資料解説総覧250号88頁に掲載されている金子正史教授による解説を参照して下さい)が示すように、裁判所法第3条第1項にいう「法律上の争訟」に該当しないという理由づけがなされるなど、地方自治体に不利な判断がなされる可能性があります。それでは薮蛇になりかねません。勿論、我々が確固とした理論を組み立てれば、別の可能性が開かれます。

 情報をお届け下さったリベルテ法律事務所の皆様に、ここで改めて御礼を申し上げます。私も、何度か、東京都新宿区四谷にある事務所にお邪魔しました。このことは、この不定期連載にも記しております。

 これまで、寺井弁護士を初めとして、原告・控訴人側弁護団の皆様、日田市役所の皆様、日田市民の皆様、そして全国で応援されていた皆様(このホームページを御覧いただいた方々を初めとして)には、色々とお世話になりました。この場を借りて御礼を申し上げます。

 何度も記しておりますように、サテライト日田問題に取り組むことで、私自身の立場、あるいは足元を見つめなおすこともできました。その一方、地方自治のあり方、まちづくり権のことなど、課題もできました。寺井弁護士も、記者会見の場などにおいて述べられております。今後、私自身が、こうしたことについてさらに研究を深めなければなりません。大分大学に勤務する者として、この問題に関わることは、大げさかもしれませんが職業的な使命感によるものでした。

 本来は、11月10日に提出された準備書面について検討をすべきですが、これについては、別の機会に行うこととします。よほどのことがない限り、12月中に掲載できるでしょう。


(初出:2003年11月21日)

2025年5月25日日曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第54編

 この不定期連載も54回目を迎えました。2000年7月から不定期の連載として始まったこのコーナーは、2000年12月末日までの12編を第一部、2001年1月から12月までの24編を第二部、2002年1月から12月までの12編を第三部、そして、2003年掲載文を第四部としています。また、月刊地方自治職員研修2001年5月号に掲載された論文「サテライト日田をめぐる自治体間対立と条例」、および、法令解説資料総覧2003年5月号(通巻256号)に掲載された論文(判例評釈)「場外車券売場設置許可無効確認請求事件」を姉妹編としております。

 2000年6月3日にスタートした「大分発法制・行財政研究」のメインの一つともなっているこの不定期連載は、行政法学者や行政実務家の方にも認知され、参考ページなどとして紹介されるまでになりました。私自身、よくここまで続けられたと思っています。それには、行政法学者としてよりも、私個人としての立場なり感覚なり環境なりが大きく作用していると考えています。

 このような書き出しとなったのは、今年中にこの連載を終えることになりそうだからです。何度か補充の記事などを作らなければならないのですが、それでも2003年度中に連載を完結させることとなります。その理由は、 この続きを読んでいただければおわかりいただけるでしょう。不定期の連載も、今回で54回目となりました。よくぞここまで続けられたというのが、正直な感想です。

 さて、今回は、2003年11月10日(月)、13時30分から福岡高等裁判所において行われた控訴審第2回口頭弁論の模様を報告いたします。実は、この日、14時30分から日本国憲法の講義が入っていたのですが、後期開始時に休講とすることを伝えておりました。サテライト日田問題を追っているというだけでは済まされない立場にある私としては、何としてでも行かなければならないと思っていました。

 既に何度か記しておりますように(第51編、第53編を参照して下さい)、今年の4月、別府市長選挙が行われました。当時現職であった井上信幸氏が敗れ、浜田博氏が当選しました。浜田氏は、サテライト日田設置問題について見直しなどの方向性を示していました。実際、浜田氏は、折に触れて日田市との円満解決を明言しています。第53編においても取り上げましたように、8月29日、別府市と設置業者との話し合いが行われ、福岡市にある設置業者との間で協議が行われました。別府市議会の状況などを考えると、設置推進ではなく、設置の断念について協議がなされたはずです。

 そのため、控訴審の段階で問題そのものが解決され、訴訟が取り下げられる可能性も高くなっていました。ただ、問題はその時期です。

 11月10日、私は、9時15分大分駅発の特急ソニック14号に乗り、福岡へ行きました。途中、遠賀川駅を過ぎたあたりで朝日新聞社大分支局から電話が入りました。それは、9日に行われた衆議院議員選挙に関するコメントの件でした。博多駅に到着するまでやりとりをしていたのですが、その時にはサテライト日田問題のことが出ていません。

 博多駅で地下鉄に乗り換え、天神で降り、書店に寄ってから赤坂駅のほうに歩きました。そして、昼食をとりました。この時、朝日新聞大分支局から再び電話が入っていたのですが、マナーモードにしており、昼食をとっていた最中でしたので、電話があったことすら気付かなかったのです。

 12時頃、福岡高等裁判所に入りました。今日も傍聴整理券が配布されます。そこで並んでいたのですが、その時、読売新聞西部本社の高橋記者から情報を得たのでした。その内容は、別府市がサテライト日田設置断念を表明した、というものでした。正確に言えば、別府市が設置そのものをするのではなく、設置された場外車券売場で車券を販売したりするのですから、それの断念です。携帯電話の着信記録を確認したら、昼食時にかかってきた電話は朝日新聞大分支局の白石記者からだったので、こちらから連絡を取りました。やはり、同じ内容でした。

 とにかく、驚きました。よりによって控訴審の第2回口頭弁論が行われようとしているこの日に、そのようなことが発表されるとは思ってもいなかったのです。

 また、日田市は、午前中に臨時の日田市議会全員協議会を招集しました。その場では、別府市の設置断念表明を受け、訴え自体を取り下げることについて同意が求められたようです。実は、日田市と別府市の間(市長会談や実務者協議)で、9日、湯布院で協議が行われたとのことですが、そのようなことは議会も知らされていなかったようでした。

 しばらくして、日田市民の方々などを乗せたバス2台などが到着しました。既に福岡では雨が降り出しています。第1回口頭弁論が行われた6月23日も雨でしたが、そのようなことを思い出すような余裕がありません。サテライト博多設置反対運動に関わっておられる方々とも話をしました。少し後に、寺井弁護士、藤井弁護士、桑原弁護士が到着し、私は、藤井弁護士、桑原弁護士と話をしました。寺井弁護士は、11時に別府市から経済産業省(本省)に宛てて提出された文書を手にしていました。少し見せていただきましたが、内容は、サテライト日田が設置された場合には別府市が必ず車券販売などを行うという、2000年2月25日付で当時の通商産業省機械情報産業局車両課長に宛てられた別府市長名義の「確約書」を取り下げ(撤回)するというものです。

 ここまで来て、本当に別府市が車券販売などを断念するとなれば、サテライト日田を設置しても意味がありません。設置業者が車券を販売できる訳ではないからです(販売したら、自転車競技法に違反します)。また、日田市としても訴訟を続ける意味がありません(原告適格はともあれ、訴えの利益がなくなるからです)。そして、訴え全体を取り下げる意向であるということになるのです(控訴取り下げでは、大分地方裁判所の判決が確定してしまいます)。多くの論点が未解決のままになってしまいますが、これも仕方のないことです。

 それから、この不定期連載にも何度となく登場していただき、今年の夏の集中講義の際にお世話になった院生のT氏も来られました。傍聴整理券が配布されました。私は6番です。その時、おそらくは大分の民間放送局の取材班だと思うのですが、マナーの悪い輩がいて、列の横から入り込んで傍聴整理券を取っている若者がいたので、叱りつけました(放送局にはこんな傍若無人な連中ばかりがいるのでしょうか。そうではないですよね)。抽選にはならず、全員が傍聴できることになりました。

 前回と同じ、西棟5階の501号法廷に入ります。抽選がなかったというだけで、空席はほとんどありません。原告(控訴人)席には寺井弁護士、藤井弁護士、桑原弁護士、そして大石市長が着席します。被告(被控訴人)席に、代理人である福岡法務局の訴訟検事が着席したのは、かなり遅い時間でした。今回は2人だけです。

 口頭弁論の進め方は、あらかじめ、桑原弁護士からうかがっていました。まず、控訴人と被控訴人から、それぞれの準備書面が提出されます。それから、日田市側から訴えの取り下げが出されるのです。実際、その通りに進みました。双方から準備書面が出され、裁判長に対し、この準備書面の通りに陳述するということになります(実際に陳述したら相当の時間が必要となりますが、準備書面を提出する際に「この通りに陳述します」と言えばよい訳です)。

 ここで、いつもでしたら、日田市側が準備書面の内容について、傍聴人向けに解説を行うのですが、今回はそれが行われていません。代わりに、準備書面とは異なる陳述が、寺井弁護士からなされました。勿論、訴えの取り下げについてです。今日、別府市から、設置業者である溝江建設(これまではM建設などと記しましたが、今回は実名を出します)に対して、おそらくは口頭で通告がなされたこと、および、やはり別府市から、経済産業省に対して先の「確約書」の撤回の意思表示が文書によってなされたことが明らかにされました。そして、訴えの取り下げが出されたのです。

 もっとも、訴えの取り下げは、一方的にできるものではありません。民事訴訟法第261条がこの点を規定していますので、条文をあげておくこととしましょう。

 第1項:訴えは、判決が確定するまで、その全部又は一部を取り下げることができる。

 第2項:訴えの取下げは、相手方が本案について準備書面を提出し、弁論準備手続において申述をし、又は口頭弁論をした後にあっては、相手方の同意を得なければ、その効力を生じない。ただし、本訴の取下げがあった場合における反訴の取下げについては、この限りではない。

 第3項:訴えの取下げは、書面でしなければならない。ただし、口頭弁論、弁論準備手続又は和解の期日(以下この章において「口頭弁論等の期日」という。)においては、口頭ですることを妨げない。

 第4項:第二項本文の場合において、訴えの取下げが書面でされた時はその書面を、訴えの取下げが口頭弁論等の期日において口頭でされた時(相手方がその期日に出頭したときを除く。)はその期日の調書の謄本を相手方に送達しなければならない。

 第5項:訴えの取下げの書面の送達を受けた日から二週間以内に相手方が異議を述べないときは、訴えの取下げに同意したものとみなす。訴えの取下げが口頭弁論等の期日において口頭でされた場合において、相手方がその期日に出頭したときは訴えの取下げがあった日から、相手方がその期日に出頭しなかったときは前項の謄本の送達があった日から二週間以内に相手方が異議を述べないときも、同様とする。

 この訴訟は行政事件訴訟法によって行われてきたものですが、訴えの取り下げについては同法に規定がありません。第7条は「行政事件訴訟に関し、この法律に定めがない事項については、民事訴訟の例による」と定めておりますので、結局、民事訴訟法第261条に従うこととなる訳です。

 今回の場合、被告・被控訴人の同意が必要となります。上記の第2項に定められておりますように、口頭弁論をした後に訴えの取り下げがなされた場合には、被告・被控訴人の同意を得なければなりません。被告・被控訴人の代理人は福岡法務局の訴訟検事ですから、被告・被控訴人である経済産業大臣(実際には経済産業省の所轄部局)との協議が行われ、その結果次第ということになるでしょう。そして、今回は口頭弁論の期日に行われていますので、調書化が行われます。被告・被控訴人からは、取り下げの同意について「前向きに検討する」という趣旨の発言がなされました。

 その後、大石市長の発言がありました。訴えの取り下げと言いますが、実質的には勝訴判決を得たようなものです。そこで、弁論というよりは御礼というような内容となっていました。また、最終手続(設置許可の撤回または取消)については、今後、被告・被控訴人のほうで検討するということでした。

 今回は、おそらく、10分足らずで閉廷しています。13時45分には、弁護士会館で集会が行われているからです。

 さて、今回、日田市は訴えの取り下げを行った訳ですが、その効果はいかなるものなのでしょうか。やはり民事訴訟法の第262条が、この点を規定しています。

 第1項:訴訟は、訴えの取下げがあった部分については、初めから係属していなかったものとみなす。

 第2項:本案について終局判決があった後に訴えを取り下げた者は、同一の訴えを提起することができない。

 日田市は、訴えの全部を取り下げています。従って、法律上、この訴訟全体が最初からなかったことになります。今年の1月28日に大分地方裁判所で言い渡された判決も無効となり、存在しなかったことになります。そうなると、私自身が書いた判例解説〔月刊誌の法令解説資料総覧第256号(2003年5月号)120頁から122頁まで〕の意味もなくなる訳で、これには多少の抵抗感もあります。また、白藤博行先生、村上順先生、人見剛先生が書かれた鑑定書の意味もなくなる訳です。それだけではなく、これまで、日田市はこの訴訟に相当の費用をかけているはずですから、弁護士費用などはどうなるのかという疑問もあります(下世話な話かもしれませんが)。しかし、法律上、この訴訟自体がなかったことになると言っても、出費などが返ってくる訳ではありませんから、結局は無駄だったのではないか、という疑問の声が上がってきてもおかしくありません。実際、訴訟の最中にも、日田市と別府市は水面下で市長会談や実務者間協議を繰り返してきているのです。

 しかし、私は、訴え全部を取り下げてこの訴訟自体が(法律上)存在しなかったことになるとしても、訴訟が無駄だったとは思いません。むしろ、訴訟を続けたからこそこういう結果になったし、仮に市長会談や実務者協議を続けていても、訴訟がなければここまで動くことはなかったと考えています。井上市長時代には、日田市と別府市のスタンスがあまりにかけ離れていましたので、何度協議を繰り返しても意味がなかったのでした。4月の選挙で別府市長の交代があったことで、風向きは変わりました。それも、おそらくはこの訴訟が続いていたからでしょう(もう一つは、日田市対別府市訴訟で日田市が完全勝訴となったことがあげられます)。そればかりでなく、この訴訟は、福岡ドーム場外馬券売場構想などにも影響を与えました。法律上、訴訟そのものがなかったことになっても、社会的な影響などはかなり大きいものでした。傍聴席を日田市民の方々、日田市議会の方々などが埋めるというようなことがなければ、11月10日はなかったでしょう。このホームページの掲示板である「ひろば」にも記しましたように、訴え全体が取り下げられますと、第1審判決の存在も無意味なものとなりますが、ここまで訴訟を進めてきたからこそ、今回の結果が得られたものだと思われます。実に長い間の闘いでした。私も「ひろば」に記しましたし、T氏も記されていますが、何よりも、今回の主役は日田市であり、日田市民の皆さんです。私は、ここまでの長い努力に、心から敬意を表します。このために、逆に訴えの取り下げという結果につながったのです。

 実は、訴えの取り下げということでは、もう一つ、気になる点があります。時間的には前後しますが、13時45分からの集会、そして14時すぎからの記者会見が終わり、私は、T氏と福岡市営地下鉄赤坂駅付近の喫茶店に入り、今回の結果などについて話をしたのですが、その時に、T氏から、仮にこの訴訟が最初からなかったことになると、訴状、準備書面、大分地方裁判所判決などの記録は一体どうなるのだろうか、裁判所などで保管し、公開などがなされるのだろうか、という疑問が出されました。私も考え込みました。訴訟が最初からなかったことになるのに、訴訟の記録が残るということになるのでしょうか。しかし、実際には行われていますから、記録が一切廃棄されるというのもおかしいと思われます。いかなる扱い方になるのか、御教示を賜りたいものです。いずれにしても、我々が持っている記録(全てがコピーですが)は、非常に貴重なものになります。行政法学者として、いや、一国民として、大切に保存し、折に触れて読み返そうと思っています。第53編においても述べましたように、この問題は、元々は偶然で知ったとは言え、地方分権改革が進められる中での大問題となる可能性がありましたし、実際にその通りとなりました。自転車競技法を初め、地方自治に関する様々な論点を含み、提起しています。

 13時45分からの集会のことなどについて触れておきましょう。私たちが入った時には既に始まっていました。閉廷してから、私がT氏、桑原弁護士と、今回の手続のことについて話をしていたからです。

 まず、大石市長から、今日になって訴えの取り下げを明らかにしたことについて弁明がなされました。その次に、寺井弁護士からのあいさつがありました。この時点で、実質的な勝利集会になっています。寺井弁護士は、最高裁まで争うことも考えていたし、まちづくり権の問題などについて判断がなされることを期待していた、と述べました。しかし、日田市の訴訟の意義などを考慮して、取り下げることとしたということでした。そして、これまでの日田市民の闘いの意義を強調する内容が語られました。その後、日田市議会 の諫山洋介議長による挨拶(実質的には御礼でした)、武内会頭の挨拶(「感無量」、そして7年間の継続が語られました)が続きます。そして、藤井弁護士からは、今回の手続の説明がなされ、準備書面についても触れられました。最後に、桑原弁護士から、今回の感想と訴訟の意義について述べられました。

 会場では「日田市行政訴訟の取下げについて(弁護団声明)」と題する文書が配られました。「日田市行政訴訟弁護団」を構成する寺井一弘弁護士、中野麻美弁護士、藤井範弘弁護士、桑原育朗弁護士の連名によるもので、日付は2003年11月10日となっています。ここで全文を引用させていただきます(ほぼ原文のままです)。

 日田市は、平成13年3月19日、別府競輪場場外車券売場「サテライト日田」の設置を許可した国の行政処分は、憲法の定めた地方自治権にもとづく日田市の「まちづくり権」を真っ向から侵害するものとして、その取消と無効確認を求めて裁判所に提訴し、現在まで福岡高等裁判所において審理が継続されてきた。

 しかし、本日午前、別府市は、溝江建設株式会社に対して日田市において今後別府競輪の場外車券を発売しないことを通告するとともに、国(経済産業省)に対して「サテライト日田」の設置が承認されれば場外車券を発売すると確約した平成12年2月25日付書面の撤回を申入れるに至った。このことは、日田市あげて反対してきた「サテライト日田」の設置が断念されたことを意味するものであり、長年にわたる日田市民の真剣かつ粘り強い闘かいの勝利に他ならない。

 日田市と弁護団は、憲法を無視した国(経済産業省)の行政処分が違憲・違法なものであることを司法の場において明白に判断されることが何よりも重要であると考えてきたが、「サテライト日田」の設置が事実上実現されなくなった現状を踏まえ、本日、国を相手とした行政訴訟を取下げることとした。

 これまで本件訴訟を暖かく支援していただいた全国各地の市民、学者、マスコミ関係者の方々などに深く感謝の意を表するとともに、「まちづくり権」の確立をめざす運動が今後わが国の各地方自治体においてさらに大きく発展していくことを心から期待してやまないものである。

 集会が終わってから、記者会見が行われました。私とT氏も残り、聞きました。日田市長、弁護団が列席しています。そのやり取りを簡単に紹介します。

 まず、9日の日田市長と別府市長との会談ですが、この件は大石市長から説明がなされました。事務協議として日田市から7日に申し入れを行いました。それに対し、別府市が応じたことで、湯布院町(詳しい場所は明らかにされていません)において極秘で行われました。その時、別府市長から設置断念(先ほども記しましたが、正確には車券販売の断念)の意向が示されたとのことです。別府市では、忘れもしない2003年2月8日の市議会臨時会で、サテライト日田設置関連補正予算案が否決されました。2月1日の別府市議会観光経済委員会で可決された議案が、見事な逆転で否決されたのでした。その時から、環境が変わっていないというのです。実際、朝日新聞2003年11月11日付朝刊28面(大分)13版に掲載されている「場外車券場訴訟取り下げへ日田市長ら『市民の意思が実った』」という記事に、別府市の住民団体である「サテライト日田設置を強行する別府市長に腹が立つ会」の事務局長、森アツコ氏のコメントが掲載されており、その内容からも、サテライト日田設置に反対する声が別府市民の間にも根強いことがうかがわれます。それが、現市長の浜田氏の当選につながったのです。

 また、大石市長は、別府市と溝江建設が口頭でしかやり取りをしておらず、今回の断念についても申し入れがなされた、という説明をしました。おそらく、別府市長との会談で示されたことなのでしょう。しかし、この点を確認しようがないとは言え、何の文書も交わされていないというのは不思議です。あるいは、正式に別府市が車券販売を決定した段階で契約書のようなものでも交わそうとした、ということなのでしょうか。一方、別府市と経済産業省(設置許可当時は通商産業省)とのやり取りは書面でなされており、今回の確約書の撤回も書面でなされています。

 さらに、別府市と溝江建設との間のことで、今後予想される損害賠償請求などについては、日田市にはとくに何の説明もなかったとのことです。

 次に、寺井弁護士は、今回の訴訟について、憲法判断を求める気持ちは強かった、と述べました。私が記者側の席に座っていたためかもしれませんが、学界にも大きな影響を与えたという趣旨も述べられました。

 再び大石市長に記者側から質問がなされ、大石市長は、設置許可の取消(撤回)を求めること、自転車競技法の改正も求めることを表明しました。また、別府市との関係については、浜田市長の意向が観光都市としての共存であり、日田市としても思いは同じである、ということが述べられました。

 最後に、寺井弁護士から訴えの取り下げの説明がなされました。経済産業省側が同意しない可能性も「あることはある」が、実際上、可能性はほとんどないであろう、という見通しが示されました。また、同意については、一週間程度でなされるのではないか、とも言われています。ただ、11月18日現在、経済産業省側が訴えの取り下げに同意したという情報は得られておりません。

 記者会見終了直後、私も西日本新聞などからコメントなどを求められました。但し、新聞記事には登場しておりません。朝日新聞2003年11月11日付朝刊28面(大分)13版には私が登場しますが、これはサテライト日田関係ではなく、衆議院議員選挙関係のコメントです(ちなみに、顔写真は、私の希望により、2002年9月15日付朝刊32面(大分)10版に掲載されたものが使用されています)。

 以上で、11月10日の模様について報告を終えることとなります。この日に提出された準備書面の内容を扱うことができなかったのですが、これについては、補充的な記事を作成し、年内に第55編として掲載することといたします。


(初出:2003年11月19日)

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第53編

 今から3年ほど前の2000年6月27日、日田市議会は日田市公営競技の場外券売場設置等による生活環境等の保全に関する条例案を可決しました。この条例は、即日公布・施行されています。この条例について大分合同新聞社からコメントを求められ、その一部分が同年7月2日付の朝刊に掲載されました。元々は偶然だったのですが、一種の職業的な勘というべきか、これは地方分権改革が進められる中での大問題となる可能性があると判断し、コメントを求められたはいいが条例を読まなければ話にならないということで、ファックスで送っていただき、目を通した上で意見を述べました。それが、この問題に私が取り組むようになったきっかけでした。

 その後、秋には、日田市と別府市との対立が激しくなりました。当時の別府市などの対応については、どちらの市にも居住していない私にも不満が残るものでした。当事者という意識がまるで感じられなかったからです。

 翌年には、日田市対別府市の裁判、そして日田市対経済産業大臣の裁判が始まりました。私は、よほどのことがない限り、大分地方裁判所に足を運びました。日田市対別府市の裁判のほうは、昨年の11月19日に日田市が勝訴し、この判決が確定しましたが、日田市対経済産業大臣の裁判のほうは、今年の1月28日に日田市敗訴の判決が出され、現在、福岡高等裁判所で控訴審が続けられています。

 このまま、日田市と別府市は、この問題についてお互いの主張を平行線に乗せたまま対立の道を進み続けるかと思われました。少なくとも、私はそのように考えていました。

 しかし、今年になってから、どうやら、風向きが変わったようです。この問題が解決されるかもしれないという期待感が膨らんでいるようです。

 きっかけは、今年(2003年)4月27日に行われた別府市長選挙でした。4氏が立候補する大乱戦になりましたが、当時の現職であった井上信幸氏以外は、サテライト日田計画推進について否定的あるいは懐疑的な意見を述べていました。選挙の結果、井上氏が落選し、浜田博氏が当選しました。既に第51編において紹介しているように、浜田氏は、サテライト日田問題を「円満」に解決したいという意向を示しています。5月2日に別府市役所にて行われた別府市長(浜田氏)と日田市長(大石昭忠氏)の会談において、浜田氏は、設置業者と話し合いを進める意向を明らかにしていました。

 その後、別府市側のほうではとくに表立った動きはなかったようでしたが、8月29日になって、別府市と設置業者との話し合いが行われたことが報じられました。

 私も知らなかったので驚いたのですが、毎日新聞2003年8月29日付朝刊19面(大分)に掲載された「サテライト日田問題 解決方針、理解された 設置業者との面会で別府市」という記事によると、別府市の大塚助役と担当課長が、福岡にある設置業者を訪問し、「円満解決」の方針について話し合いを行ったとのことです。このことは、28日に行われた別府市長の定例記者会見で明らかにされました。ただ、現在、日田市対経済産業大臣訴訟が続けられているので、今後も慎重に協議を進めていくとのことです。なお、浜田氏が市長に就任してから、別府市が設置業者と接触したのは、この時が初めてのことだったそうです。

 この「円満解決」は、具体的に何を意味するのでしょうか。常識的に考えれば、設置断念でしょう。設置を推進するのであれば、わざわざ別府市と設置業者が折衝する必要などない訳ですし、「円満解決」という言葉自体が相応しくありません。

 サテライト日田の場合、何度も記しておりますように、別府市自身が設置許可を受けているのではありません。設置業者が建物などを立て、別府市が賃借します。設置業者が車券を販売できる訳ではないからです。つまり、設置業者が場外車券売場を設置しても、車券を販売する別府市が賃借しなければ、場外車券売場の意味がないのです。おそらく、別府市は、設置業者の建物を賃借してサテライト日田で別府競輪などの車券を販売するということを断念する、という方針を伝えたのでしょう。これに対し、設置業者の側はどのように反応したのか、記事ではあまり明確にされていませんが、記者会見の席で大塚助役が「相手方もこちらの言うことに賛同してくれた。市の姿勢を理解してもらった、と考えている」と語ったそうです。もっとも、西日本新聞2003年8月30日付朝刊30面(大分)に掲載された「別府市と建設業者協議 サテライト日田 円満解決目指す」という記事によると、やはり大塚助役は、両者の間に具体的な話がなかったということを述べたそうです。

 また、西日本新聞の記事「別府市と建設業者協議 サテライト日田 円満解決目指す」によれば、7月の下旬に、別府市の担当職員が九州経済産業局を訪れています。記事には「同問題に関する意向も伝えた」としか記されていないので、具体的なことは不明です。しかし、状況からすれば、設置に向けて努力するという意向ではなかったでしょう。

 仮に、別府市がサテライト日田での車券販売計画を断念するということになれば、経済産業大臣は許可の撤回をなすことができます(この許可が違法だというのであれば取消で、適法だというのであれば撤回です。効力の性質が違ってきます)。しかし、いずれにしても、設置許可の効力が失われることになる可能性も出てきました。

 最近、公営競技の苦しい現状に関する記事が増えています。地方競馬でも、大分県中津市では既に廃止されていますが、本来ならば一般会計を潤すはずの特別会計が、一般会計からの持ち出しで支えられているという現状は、多くのところで見受けられます。私自身は、競輪も競馬も、公営競技の一切をやりませんし、宝くじもやりませんし、最近ではパチンコもやりませんので、よくわからないのですが、少なくとも大分大学では、男子学生でもギャンブルにはまっているような人はあまりいません。私の出身地である神奈川県でも公営カジノ構想がありますが、国や地方公共団体がこんなものをやりだそうということ自体、モラルが失われかけているような気がしてならないのです。実際、公営カジノ構想を表明している地方公共団体の内部をみると、東京都といい、別府市といい、宮崎県といい、静岡県といい、公共事業のやりすぎによる財政難など、あまりに色々な問題を抱えているような気がしてなりません。


(初出:2003年9月3日)

2025年5月24日土曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第52編

 今回は、サテライト日田問題について何か特別な動きがあったという訳ではないのですが、いくつかの理由により、新しい記事を掲載いたします。

 7月、日田市長選挙が行われました。その結果、現職の大石昭忠氏が三回目の当選を果たしました。

 8月に入ってから、日田市対経済産業大臣訴訟で原告日田市の訴訟代理人を務める寺井一弘弁護士など、数名の弁護士が所属され、私もお世話になっている東京のリベルテ法律事務所から、同事務所のニュース2003年夏季号を送っていただきました。この5面が「日田市行政訴訟、福岡高裁へ 第一審は『原告適格なし』で却下」という記事となっております。

 基本的には、今年1月28日に大分地方裁判所から出された判決の報告、同日になされた福岡高等裁判所への控訴の報告、そして、6月23日に福岡高等裁判所にて行われた第1回控訴審口頭弁論の報告です。このうち、今年1月28日に大分地方裁判所から出された判決に関連しては、「大分地裁の却下決定は、直ちに新聞、テレビなどで大きく報道されましたが、行政法学者からは厳しい批判が相次ぎ、報道機関の各社もそれぞれ失望のコメントを出しました」と書かれており、その「行政法学者」の代表として、九州大学の木佐茂男教授、そして大分大学の森稔樹助教授(要するに、これを書いている私です)のコメントが掲載されています。

 木佐教授のコメントは、既に2003年1月29日付朝日新聞朝刊25面(大分10版)に「理論的検討の貧しさ目立つ」として掲載されたものであり、この不定期連載では第49編において紹介しております。リベルテ法律事務所ニュースでは「新しい社会状況や地方分権を一切考慮しない古色蒼然とした判決」の部分のみが引用されています。

 また、私のコメントは、2003年1月28日付朝日新聞夕刊9面3版「『地方自治に逆行』 場外車券訴訟 幕切れ判決十数秒 日田市長怒り強く」中の「あまりに形式的」という部分からの引用で、「あまりにも形式的な判決。日田市の主張の中身に踏み込んでほしかった。」となっております。やはり、この不定期連載では第49編において紹介しております。

 そして、リベルテ法律事務所ニュースの記事では、第一審判決後における大石市長の談話を「地方自治体が国を訴える資格がない(原告不適格)とする理由での一刀両断の判断は大変遺憾。市民自らがまちを守るという意欲を踏みにじった」として紹介しております。また、第51編において私自身が報告をしている控訴審第1回口頭弁論における大石市長の弁論の最後を、「国の許可は、法・理・情のいずれにもかなっていないもので、中央集権的な発想でなされた暴挙である」とまとめております。

 さらに、6月23日の口頭弁論については、次のように記されています。

 「弁護団は、『第一回期日で結審』される事態を予想したうえ必要な対策を練って臨みましたが、星野裁判長は、さらなる審理を求めた弁護団の主張を受け入れ、四ヶ月半先の一一月一〇日午後一時三〇分を第二回期日として指定しました。四月の統一地方選挙で別府市長に初当選した浜田氏が『サテライト日田設置を断念する意向』との報道がなされていることもあって、いわゆる『政治的決着』が可能かどうかも含め、本件の解決は秋以降に持ちこされることになりました。」

 大分県に住む者として、少々補足をしておきますと、現在、別府市では、このサテライト日田問題について特別な動きがないようです。浜田博氏が市長就任後初の別府市議会に臨んだ際にも、サテライト日田設置関連補正予算案などは提出されておりません。浜田市長になってから、別府市では本来の温泉を生かしたまちづくりに取り組むNPOなどを支援する方向にあるようです。

 今後、サテライト日田問題はどのように動いていくのか。少なくとも、別府市は鍵の一つを握っています。いかに距離が離れていようとも、日田市と別府市は同じ大分県内に存在する市です。今後、両市の関係が改善されることを願ってやみません。

 なお、今回の記事ですが、リベルテ法律事務所ニュース2003年夏季号を送っていただき、改めてこの不定期連載の第49編を読み直したことが、作成のきっかけでした。私のコメントの部分が整理されておらず、わかりにくかったかもしれません。ここに、整理したうえで再掲いたします。

 まず、2003年1月28日付朝日新聞夕刊9面3版「『地方自治に逆行』 場外車券訴訟 幕切れ判決十数秒 日田市長怒り強く」中の「あまりに形式的」という部分です。

 「地方分権とは、単なる国と地方との仕事の役割分担ではなく、住民の手によるまちづくりを意味する。事例は違うが、昨年12月の国立マンション訴訟の判決や、高速増殖原型炉もんじゅの判決など住民の主張が認められ始めてきた。それだけに大分地裁の原告適格を理由にした却下は、あまりに形式的ではないか。日田市の主張の中身に踏み込んで欲しかった。」

 次に、2003年1月28日付大分合同新聞夕刊夕F版13面「サテライト設置許可訴訟 『まちづくり権』門前払い 地裁『原告適格なし』 日田市の訴え退ける」からです。

 「原告適格の有無で判断せず、住民のまちづくり権について踏み込んだ判断をしてほしかった。地方分権の流れを考えれば、一歩後退した判決。住民は、原告適格の壁をクリアするためにも、まちづくり権を具体化する必要がある。」

 最後に、2003年1月29日付読売新聞朝刊24面(大分地域ニュース)「場外車券場訴え却下、控訴 解決には長い道のり 別府市 日田の断念要望門前払い」からです。

 「この訴訟が全国に問いかけたものは『地方自治とは何か』に尽きる。その点にほとんど触れておらず、原告適格が広げられる方向にあったのを逆の方向に持っていくとは、いったい何年前の判決なんだという印象を強く持った」

 市町村合併の行方とともに、地方分権改革も混迷状況が続いています。それだからこそ、この訴訟は重要な意味を持ちます。第49編において記しましたように、この訴訟は、まさに地方分権のあり方を問うものであり、最終的には「地方自治、そして地方分権とは何かに尽きる」ものです。たとえいかなる解決の形を取ろうとも、このことに変わりはないでしょう。そして、これまで、一貫して私がとってきた考え方も変わらないでしょう。

 なお、実は一昨日になって知ったのですが、学習院大学の高木光教授のホームページ「高木光のライブ行政法2003年度版」の「教材コーナー」に、この不定期連載が紹介されております。

 この連載は、まだまだ続きます。何か動きがあり次第、新記事を掲載してまいりますので、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。


(初出:2003年8月16日)

2025年5月23日金曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第51編

 前回(第50編)から3か月弱が経過しました。この間に、市町村合併についての講演を3回行い、統一地方選挙についてもコメントを求められるなど、色々なことがありましたが、片時もサテライト日田問題を忘れたことはありません。私自身、今年(2003年)1月28日の大分地方裁判所判決について「判例解説」を行いました。これは、5月26日に発売された月刊誌「法令資料解説総覧」256号120頁に「場外車券売場設置許可無効確認請求事件」として掲載されています。御覧いただければ幸いです。

 また、6月21日に東京の某大学で行われた某研究会において、人見剛先生より、東京都立大学法学会雑誌43巻1号(2002年7月)159頁に掲載された論文「『まちづくり権』侵害を理由とする抗告訴訟における地方自治体の原告適格」の抜き刷りをいただきました。先生も書かれておりますように、この論文は、大分地方裁判所に昨年の3月26日付で提出された鑑定意見書を基にしたものとなっています。私の判例解説では引用あるいは参照できず、残念でしたが、この問題に取り組み続け、私自身が新たな論文などを作成する際には、是非とも参考にさせていただきたいと思っております。この場を借りて、先生に御礼を申し上げます。

 さて、 今回は、2003年6月23日(月)、13時30分から福岡高等裁判所において行われた控訴審第1回口頭弁論の模様を報告いたしますが、その前に、前回の記事を掲載後に生じた幾つかの動きを取り上げます。

 4月に統一地方選挙が行われました。13日(日)に行われた大分県知事選挙のほうが注目度が高く、私自身も何度となくコメントなどを求められました。しかし、サテライト日田問題という点では、勿論、27日(月)に行われた市町村長・議会議員選挙のほうが重要です。とくに、大分市長選挙と別府市長選挙は、大分県でも注目度の高い選挙でした。別府市長選挙の場合、サテライト日田問題の他にも様々な問題があり、4氏が立候補するという乱戦になりました。当然、サテライト日田問題も選挙戦での論点の一つとなったのですが、現職の井上信幸氏以外は、サテライト日田設置に反対、あるいは見直しという姿勢を取りました。井上氏だけは、別府市がこの問題の当事者でないこと、設置を積極的に進めていくことを表明したのですが、他の3氏は、日田市と話し合うという姿勢を出しておりました。

 選挙の結果、井上氏が敗れ、浜田博氏が当選しました。新市長になってから、早速、動きがありました。

 まず、4月30日(水)、浜田市長が、市長として初の記者会見を行いました。大分合同新聞5月1日付朝刊の記事「浜田・別府市長が就任会見 助役の体制再検討も」(http://www.oita-press.co.jp/read/read.cgi?2003=05=01=981769=1)によれば、浜田氏は、サテライト日田について「わたしが反対して止められるものならよいが、(業者に設置許可を出した)国との兼ね合いもある。議会が予算執行を否決した状況の中で、なぜもっと慎重に審議しなかったのだろうか。とにかく、円満解決できる手だてを考えたい」と述べたようです。記事にも「慎重に言葉を選んだ」と書かれているように、井上前市長の対応などを批判していますが、直ちに結論を出さず、今後は日田市などと調整していきたいという方向性を示しました。

 5月2日(金)には、日田市の大石市長など3氏が別府市役所を訪れました。そして、10時、日田市長と別府市長の会談が行われました。この件については、やはり大分合同新聞の5月2日付夕刊「サテライト問題2市トップ会談 別府市長 『業者と協議』」(http://www.oita-press.co.jp/read/read.cgi?2003=05=02=939543=2)など、幾つかの新聞記事があります。大分合同新聞によると、日田市長の要請に対し、別府市長は、2001年2月の臨時議会でサテライト日田設置関連特別予算が否決されたことをあげつつ、強行に設置を進めるべきではないという姿勢を示しました。その上で、「円満解決に向けて設置業者の溝江建設(福岡市)などと話し合いを進める意向を明らかにした」とのことです。

 その後、日田市と別府市との間では、とくに目立った動きはありません。このことについては、6月23日、福岡弁護士会館で行われた記者会見の席上でも取り上げられております。

 4月には、控訴理由書および書証を送っていただきました。今年の4月18日付となっている控訴理由書は、全部で52頁にもなる大変な力作です。ちょうど、判例解説の原稿を書いている時であったので、目を通しました。基本的な内容は、大分地方裁判所で争われた時と同じなのですが、内容には相当の発展性があります。字数の関係もあり、また、口頭弁論が行われる前の段階でもあったので、引用などは控えましたが、参考になったのは事実です。とくに、自転車競技法の制定段階から、歴史的経緯を踏まえて議論を展開している点は高く評価できます。同じ公営競技でも、競馬、競艇、競輪などとありますが、所轄官庁の違いで法令間に矛盾がありますし、場外券売場については立法趣旨が忘れられている、あるいは、立法の段階で漏れがあるということがわかります。

 この控訴理由書が、福岡高等裁判所でどのように受け止められるのか。今、地方分権改革推進会議の議論などをみていても、地方分権はどこへ行ったのかというような思いを禁じざるをえません。「骨太」などと、どこかの宣伝のようなフレーズが使われていますが、「骨太」どころか「骨抜き」になりかねないのです。こうした流れを止める方法の一つとして、裁判所による地方自治法関係の法規解釈に期待したいのです。ただ、問題は、裁判所が地方分権の減速ないし停滞さらには後退を激化させる、と記せば問題なのかもしれませんが、それに近い傾向を示しているようである、ということです。地方公共団体は国と別個の法人格を有していますが、そのことが従来の行政法理論などで十分に尊重されていません。この点は、憲法裁判所制度が存在するドイツと異なります。3月15日の日本財政法学会第21回大会での私の報告でも触れましたが、ドイツの場合、事案によるとは言え、ゲマインデ(日本の市町村に近い)が訴訟の原告となりうることは当然の前提です。それほどに、法人格が尊重されているのです。日本の場合、地方自治について制度的保障論を通説としており、この点ではドイツと同様ですが(しかも、ドイツの場合は法律の留保論も主張されます)、法人格、言い換えれば権利の主体としての位置づけでは、日本とドイツとでは異なると言わざるをえません。

 そして、判例解説でも記しましたように、大分地方裁判所判決は、形式こそ最高裁判例の流れを受けているものの、とても判例の水準に達しているとは言えないものです。判例解説に記したことをここに引用いたします(なお、「本件判決」は、2003年1月28日の大分地方裁判所判決のことです。また、「最高裁判決」は、新潟空港訴訟最高裁判決のことです)。

 本件判決も、原告適格の判断の枠組みそのものとしては、右の最高裁判決と同じ流れを受けている。しかし、本件許可処分の根拠規定および関連法規の解釈は、前記最高裁判決と比較すれば、形式的なものに終始しているものと思われる。例えば、本件において一つの鍵となる自転車競技法1条1項について、本件判決は一般的公益を保護する趣旨のものであって、個別の地方自治体の利益を保護するものではないと判断する。しかし、同条項には「公益の増進」と「地方財政の健全化」が掲げられており、規定の上では両者が区別されている。これをどのように解すればよいのか。また、本件判決は自転車競技法の目的と地方自治法の目的とが異なると判断しているが、自転車競技法1条にいう「地方財政の健全化」と地方自治法1条にいう「地方公共団体の健全な発展の保障」が無関係であるとは言えないであろう。仮に無関係であるとすれば、何故に都道府県および指定市町村に競輪事業が認められるのであろうか。

 新潟空港訴訟最高裁判決は、原告適格の判断の際に、定期航空運送事業免許処分の根拠規定である航空法100条・101条の他、同法中の関連規定をも解釈の要素に含め、周辺住民の原告適格を肯定した。「もんじゅ」訴訟最高裁判決の場合も、原告適格の判断については同様である。両判決とも、根拠規定および関連法規などを実質的に、かつ総合的に解釈し、原告適格を判断した。これに対して、本件判決は、一応は根拠規定および関連法規などを総合的に判断しているが、相互の関連性への配慮に乏しく、法律の規定を形式的に判断するだけで終わっている。

(原文は縦書きで、数字も漢数字。)

 福岡高等裁判所が、こうした点をどのように判断するのか。これまで、情報公開や住民監査請求などで、大分地方裁判所の判決が福岡高等裁判所で取り消された例がいくつかあります。もう少し踏み込んだ判断をするのか、ということなど、色々なことを考えながら、6月23日を迎えました。

 この日、大分県も福岡県も雨でした。大分地方裁判所での口頭弁論の時と違っています。私は、大分駅9時15分発の特急ソニック14号で博多駅へ出ました。少し早めの特急電車に乗ったのは、おそらく傍聴整理券が配られるだろう、と予測したからです。博多駅周辺で買い物をして、昼食をとり、地下鉄で天神へ出ます。福岡高等裁判所の最寄り駅は赤坂なのですが、都合により、天神で降りました。そこからまっすぐ歩くと、程なく赤坂駅に着きます。さらに西へ進むと、すぐに福岡城址に着きます。福岡高等裁判所・地方裁判所は、この福岡城址内にあります。到着したのは12時30分になる前でした。既に、入口に傍聴整理券の発行が小さく掲示されていました。既に、口頭弁論の度に遠方から駆けつけてくれる他大学の院生であるT氏が到着していました。しばらく、この問題を中心に話をしておりました。12時45分をすぎたころでしょうか、西門のところに小型のバス3台で駆けつけた日田市民の方々がおられることに気付きました。第35編の写真1で紹介した黄色いノボリなどが持ち込まれていましたが、裁判所の敷地内では使用禁止となっています。市民の方々と話をいたしまして、13時55分、正門から通りにかけて堀の上に架かる橋で、日田市民、日田市役所職員などが集まり、ミニ集会が行われました。第8編で取り上げた別府市での抗議デモの際に着用されたハチマキやタスキがここでも使われ、その姿で大石市長と武内会頭が挨拶をしました。雨の降る中でしたので、メモを取れなかったのが残念です。この模様は、NHK、OBS、RKB(福岡の放送局)などが取材しておりましたし、6月24日付の西日本新聞朝刊大分版でも取り上げられています。

 その後、13時になったので、傍聴整理券が配られました。口頭弁論が行われる501号法廷には87しか席がなく、結局、抽選となりました。私は78番の札をとっており、くじを引いたのですが、外しました。こういう時の嫌な予感は当たるものです。しかし、日田市役所の方が傍聴券を私に下さったので、傍聴することができました。ありがたいことです(ここで御礼を申し上げます)。501号法廷に入り、私は原告席側の一番前の端に座りました。その隣にT氏、そして、反対運動のTさんが着席 しました。また、サテライト博多問題に取り組まれている博多区住民の方と久々にお会いし、情報をいただきました。サテライト博多のほうは、今のところ何の動きもないそうですが、嵐の前の静けさかもしれません。そして、結局、設置が断念された福岡ドーム内場外馬券売場設置反対運動の方ともお会いしました。法廷では、やはり最前列に座 りました。

 13時27分、3名の裁判官が入廷しました。2分間の写真撮影が行われた後、13時半に開廷しました。まず、被控訴人である経済産業大臣の訴訟代理人(福岡法務局の訴訟検事の方など)から答弁書が提出されました。これについては、大分地方裁判所の時と同様に、法廷では何の説明もありません。 記者会見終了後に日田市役所のG氏からうかがった話によれば、大分地方裁判所の時とほとんど変わらぬ内容で、10ページほどしかなかったそうです。ついでに記しておきますと、6月16日に福岡法務局で行われた判例研究会では、この被控訴人側訴訟代理人のうちの1氏 (福岡法務局訴訟検事)が、大分地方裁判所判決について報告を行っています(私は、講義の都合で出席できなかったため、報告の内容などを知りません)。

 続いて、控訴人である日田市側から冒頭手続が求められ、行われました。最初に、大石市長による意見陳述がなされました。これは、私の腕時計で14時13分まで続きましたので、30分以上にわたる長いものでした。しかも、時間が経つにつれて熱が上がり、 口頭弁論終了後のミニ集会において寺井弁護士も指摘したように、裁判長も熱心に聴くようになったのでした。

 内容については、手元に意見陳述の要旨などがないので、私のメモを基に不十分ながら再現をいたします(録音できたら、と思うほどのものでした。勿論、骨子などは裁判所に提出されています)。

 まず、一昨年(2001年)2月23日に行われた訴訟提起の議決からの経過とまちづくり権についての主張が展開されました。サテライト日田設置反対は日田市民の総意であり、それで提訴に踏み切ったということが言われています。

 続いて、ここで一旦サテライト日田から離れ、日田市の歴史、とくに安土・桃山時代、そして江戸時代の歴史に触れられています。よく、天領日田と言いますが、これは江戸時代に日田市が幕府の直轄地であったことに由来します。そのことから、独自の文化が発展したという趣旨でした。

 そして、大石市長自身の施政方針が述べられています。ここで、市長になる前に50カ国を回った商社時代に、家族とともに駐在したドイツでのギャンブル事情(ロトなど)が取り上げられました。これと日本での事情が対比され、平日・休日を問わずに公営競技(地方競馬、競艇、競輪、オートレース)が行われている日本の現状が批判されています。

 続いて、2000年に策定された日田市の第4次総合計画への言及がなされました。ここでは、歴史、文化、そして自然を中核としたまちづくりについて述べられています。この計画の前身である第3次総合計画の理念に、サテライト日田設置が矛盾することも述べられ、反対運動の経緯と許可の経緯があげられました。 また、地方分権の一つとして「地域の特性に応じた事務処理」があげられますが、これをサテライト日田が妨害することになるという趣旨も述べられました。その理由として、道路、清掃などの事務負担量が増大することなどがあげられていたはずです。

 その後、日田市公営競技の場外券売場設置等による生活環境等の保全に関する条例(平成12年6月27日条例第40号)について、若干の解説がなされました。これとの関係で、市長が直接、日本中央競馬会や日本船舶振興会を視察した経緯が述べられています。場外券売場を設置する場合について、許認可の際、設置場所の市町村の同意があることが大前提であるという説明を受けたそうです。それに対して、競輪の場合、その同意が不要であるという違いがあります。

 ここで、少しずつ上昇していた大石市長のボルテージが一気に上昇し、法廷も一気にクライマックスを迎えることになります。その段階の最初に、地方分権の意義、そしてそれがまちづくり権のベースであることが述べられた後、別府市は、何故、別の自治権を有する日田市に場外車券売場を設置し、車券を販売できるのかという疑問が出されました。まちづくり権は各市町村が有するものですから、別府市には別府市の、日田市には日田市のまちづくり権が存在するのだという趣旨です。そして、大分地方裁判所での第1回口頭弁論と同様に、昭和30年代の蜂の巣城闘争の際に発せられた、前日田市議会議長の室原基樹氏の父君、室原知幸翁の言葉「法に叶い、理に叶い、情に叶う国であれ」を引用し、終わりました。

 ここまでで、既に大分地方裁判所での口頭弁論の時間よりも長くなっています。さらに、寺井弁護士から、10分ほど、控訴理由書の要旨説明がなされました。基本的には控訴理由書の説明となっていますが、ここで、やはり私の不十分なメモを基に紹介します。なお、私自身は控訴理由書を開きながら聴いていました。

 まず、今回の訴訟の意義について、寺井弁護士は、憲法第92条に保障された地方自治の本旨、さらには地方自治の意味が問われているものであるという趣旨を述べられました。そこで、原判決の誤りが指摘されています。詳しいことは控訴理由書に示されていますが、端的に示せば、(1)原告適格の判断が最高裁の判例から後退している、(2)自転車競技法の解釈、(3)自治権(まちづくり権)についての審理不尽(憲法適合的な解釈も何もなされていない)、この三点です。そこで、最高裁判例の到達点に基づく判断を求めること、綿密・緻密な解釈を求めることが、いわば請求の中身であることが主張されています。もう少し具体的には、自転車競技法についての論理的解釈、体系的解釈、整合的解釈をすれば、サテライト日田設置許可処分の違法性が導かれるはずであるという趣旨が述べられています。そして、自治権の侵害の他、自転車競技法の当該規定自体が無効なのか、適用違憲(法令の規定自体は合憲であるが、その具体的な適用が違憲であること)なのかという問題も提起されました。

 ここで、法令違憲か適用違憲かという問題が提起されたことには、注目する必要があります。大分地方裁判所の段階では主張されていなかったのです。法令自体が違憲であるとすれば、自転車競技法第4条は無効であり、すぐに改正の必要が出てきます。少なくとも、無効判決が確定すれば、行政機関はこの規定を執行することができなくなります。一方、適用違憲であるとすれば、自転車競技法第4条自体は有効です。しかし、サテライト日田設置許可は憲法違反であるために無効であるということになります。この訴訟の目的からすれば、適用違憲の主張でも十分であるということになります。

 私も判例解説で少しばかり述べましたが、大分地方裁判所判決は、自転車競技法を地方自治法などと関連付けて解釈しておりません。むしろ、憲法や地方自治法と直接の関係を有しないというような理解を示しています。しかし、全ての法令は、憲法に違反してはなりません。そうであるとすれば、個別の法令についてバラバラな解釈をするということは、それ自体、日本国憲法を頂点とする法体系を崩壊させる危険を有することになります。

 寺井弁護士の説明はここで終わり、藤井弁護士による原判決の批判に移ります。原審での原告(つまりは控訴人である日田市)の主張趣旨が述べられます。これも、基本的には控訴理由書に記されています。

 まず、サテライト日田設置許可の法的性質についての疑問が示されました。大分地方裁判所は、警察許可と解しています。これに対し、藤井弁護士は、警察許可と言うよりも、特権付与的許可と解すべきであるという趣旨の 意見を示されました。その理由として、裁量権が経済産業大臣にあることをあげ、今回の場合は裁量権の逸脱・濫用があったとされています。

 この点についてですが、私は第37編で若干の考察を示しました。また、口頭弁論が終了してから、藤井弁護士とも意見交換をしています。第37編に記したことをここに再現しておきます。

 被告側は、この設置許可処分について、許可の申請者に対して「場外車券売場の設置に関する一般的な禁止を解除するという法的効果」を持っている旨を主張しています。これは、行政法学にいう許可の教科書的な説明となっています(なお、原告側は同第2項にも触れています)。

 よく考えると、自転車競技法の構造は不思議なものです。同第1条第1項により、競輪事業施行者は「都道府県及び人口、財政等を勘案して自治大臣(注:現在は総務大臣)が指定する市町村」に限定されています。そうであるとすれば、本来、場外車券売場を設置できるのは競輪事業施行者に限定されるはずです。しかし、第4条により、場外車券売場の設置者は、競輪事業施行者に限られないのです。しかも、場外車券売場を設置する者は、競輪事業施行者でなければ、車券を販売することはできません。被告の主張が正しいとすると、場外車券売場の設置許可は、自動車運転免許と同じようなもので、本来であれば誰でも場外車券売場を設置する自由があるということになります。しかし、そうであれば、車券を販売する自由がないということと矛盾しないでしょうか。ちなみに、自転車競技法第4条の規定が存在しなければ、競輪事業施行者以外の者が場外車券売場を設置した場合、刑法第186条第2項に規定される賭博場開帳等図利罪などに問われかねないはずです。

 法律の条文には「許可」と書かれていますが、行政法学でいう許可であるか認可であるか、あるいは特許であるかは、文言だけで決定されるものではありません。

 許可であれば、被告の説明は正しいことになります。たしかに、競輪事業施行者でない者であっても場外車券売場としての建物を造ることはできます。

 これに対し、特許であるとすれば、競輪事業施行者以外の者が場外車券売場の設置をなす自由は存在しないという前提があることになります。特許によって、新たに権利能力や権利や包括的法律関係が設定されることとなります。特許は、電力事業や鉄道事業などの「公企業」について認められることとなります。しかし、自転車競技法第4条の規定を読む限り、場外車券売場の設置は特許ではないと考えられます。

 それでは、認可なのでしょうか。認可は、鉄道やバスの運賃の改定、農地の売買などが代表例で、私人の行為を補充して法律上の行為を完成させる行為をいいます。つまり、認可を得られなければ、運賃の改定、農地の売買などは無効です。場外車券売場第4条の「許可」はこの認可にあたると考えられなくもありません。しかし、建物を造ることと車券を売ることは別であり、しかも両者の事業主体が異なりうることを念頭に置けば、認可と考えることは妥当でないでしょう。

 結局、設置許可は行政法学上も許可であると考えられるのです。

 私の考え方は、藤井弁護士の説明と異なります。しかし、引用文にも示しましたように、自転車競技法の構造は不思議なものです。場外車券売場の設置自体が私人の自由に属するとしても、私人は車券を販売することができません。結局、競輪事業者である都道府県または指定市町村に施設を賃貸するしかありません。そうであるとすれば、実質的には建築確認と性質をそれほど異にしません。

 あるいは、次のように説明できるでしょうか。場外車券売場の設置許可は、単に施設の設置許可でありますが、車券を都道府県または市町村が販売することにより、施設の設置者である私人には、地域独占的な利益が生じることになります(これは、自転車競技法という法律により、設置許可を申請した私人に認められる「法律上の利益」につながると考えられます。単なる反射的利益であれば、設置許可を申請するだけの意味が稀薄になります)。パチンコ屋や雀荘、ゲームセンターであれば、距離制限などに服するとは言え、営業の自由が認められますから、地域独占的な利益が生じるとは言い切れません。実際、私が住んでいる大分市内の某地域では、パチンコ屋が3軒、ゲームセンターが2軒あります(この他、風営法が適用される喫茶店が数件あります)。詳しいことは不明ですが、これら全ての店舗の経営者が同一であるとは考えにくく、営業の自由、営業競争の自由が存在するはずです。これに対し、場外車券売場の場合、同じ地域、さらには同じ市町村(特別区を含む)に、複数の私人が売場を設置するということはないでしょう。宇佐市にはサテライト宇佐しかありませんし、中津市にも場外馬券売場が1つしかありません。私の知る限りでは、中央競馬の場外馬券売場が渋谷、新宿、浅草にありますが、渋谷を例に取れば、山手線の渋谷・恵比寿間、東急東横線の渋谷・代官山間にある並木橋に一つあるだけです。渋谷区の代々木、神宮前(原宿)、恵比寿などには存在しないのです。それに、場外馬券売場が同一市町村内に複数存在したとしても、パチンコ屋やゲームセンターなどのように競争原理が働くとは思えません。

 このように考えると、場外車券売場の設置許可は警察許可と異なる性質を有する、と考えざるをえません。

 もっとも、藤井弁護士も、場外車券売場設置許可が行政法学上の認可または特許であるという主張をされておりません。そのため、許可としては相当に異質なものであると言いうるでしょう。少なくとも、警察許可よりも行政庁の裁量権が大きい許可であると言わざるをえなくなります。

 私が、法廷で藤井弁護士の説明を耳にしながら考え付いたことは、裁量収縮論でした。国家賠償法の分野で多用されるものですが、この理論の母国であるドイツでは、既に国家賠償法の領域のみならず、行政裁量論そのもの(行政行為の取り消しなどで問題となる)で用いられているはずです。適用違憲を主張するのであれば、裁量収縮論も使えるかもしれないという漠然とした考えが浮かんだのです。 明示的にか否かは別として、適用違憲の故に設置許可を無効とする判決が下されるならば、裁量収縮論が用いられる可能性はあります。

 藤井弁護士の説明に戻りましょう。次にあげられたのは、手続面での違法です。地元自治体の同意は、1995(平成7)年4月3日付の「場外車券売場の設置に関する指導要領について」によって規定されていました。これによると「場外車券売場の設置にあたっては地域社会との調整を十分に行うよう指導する」とされています。通達を発した側自身も、合理的な理由なくして通達に違反できません(当然の帰結となります)。 実際の手続をみても、通商産業省(当時)は、設置許可の申請を受けながらも、日田市の姿勢を考慮して即答していません。しかし、結局、2000年6月7日付でサテライト日田設置許可処分がなされます。これは「地元自治体が反対の意思を明確に表明している状況の中でなされた初めての設置許可処分であって、処分手続の際に地元自治体の意向を反映させなかった点で手続的にも違法な処分である」と評価されたのです(引用は、控訴理由書13頁より)。

 また、自転車競技法第1条については、賭博行為としての違法性を阻却する規定であり(刑法第35条も参照)、控訴理由書においては最大判昭和25年11月22日刑集4巻11号2380頁も引用されています(公営カジノ構想を抱えている自治体の関係者は、おそらく、読んだことも、それどころか、この最高裁大法廷判決の存在すら知らないのでしょう)。藤井弁護士の説明も、この違法性阻却に着目し、仮に地元の同意が不要であるとすれば、自転車競技法第1条の趣旨に反するという内容でした。

 続いて、自転車競技法第4条による許可についての説明がなされました。憲法第92条にいう「地方自治の本旨」を具体化したのが地方自治法であり、とくに、1999年、地方分権一括法による改正がなされたことにより、地方自治体の位置づけや役割の強化もなされています(もっとも、地方分権一括法による自転車競技法の改正はなされていませんが)。これを踏まえると、自転車競技法第4条は、場外車券売場が設置される市町村の法的利益を保障すると解すべきであり、また、こうした市町村に、処分の無効確認などについての原告適格を認める規定であると解すべきである、と主張されました。仮にこれが認められないとすると、自転車競技法第4条そのものが憲法第92条にいう「地方自治の本旨」を損なうことになり、違憲であるというのです。大分地方裁判所での段階においては、法令自体の違憲性が主張されましたが、適用違憲は福岡高等裁判所の段階に入ってからのものです。

 そして、行政事件訴訟法第14条第1項に定められる出訴期間についても、意見が開陳されました。この規定は、取消訴訟の提起の期間を制約しています(日田市は、処分の無効確認とともに処分の取消も請求しています)。この制約は、処分の相手方である私人を想定しているのですが、それをそのまま地方自治体にあてはめると不都合が生じます。地方自治法第96条第1項第12号という特別の規定があるからです。提訴をするには、訴状を完成させればよいというのではなく、議会での承認(議決)を必要とします。そこに至るまでの手間などを考慮に入れると、処分が行われたことを知った日から3ヶ月という期間の制約が置かれるならば、地方自治体は取消訴訟を全く提起できなくなります。日田市のような地方自治体については、出訴期間を機械的に適用することが問題となる、という訳です。

 控訴理由書は、原判決に対する批判という独立の項目を設けています。藤井弁護士の説明も、この項目に基づき、簡略化したものとなっています。原判決(今年の1月28日に大分地方裁判所から出された判決)の誤りは、(1)新潟空港訴訟判決以来の最高裁判例と矛盾する、あるいはそれから後退している(地方自治体固有の原告適格論も展開されていない)、(2)自転車競技法を単なる競輪事業実施法に留まるものとして解釈しており、許可制度の歴史的な背景(但し、骨格には変化がない)をも軽視している、(3)まちづくり権に関する判断の誤りがある、以上の三点であるとまとめられています。そこで、福岡高等裁判所では、(a)サテライト日田設置許可処分は違法である、(b)自転車競技法第1条・第3条・第4条の手続にも違反している、(c)サテライト日田設置許可処分は地方自治体の自治権・まちづくり権を侵害する、という判断がなされるように求められ、説明が終わりました。この時点で14時45分ころだったはずです。

 裁判所からは、甲58号証として日田市側が提出した新聞記事(関連記事)について質問が出されました。政治的意図云々のありやなきやが問われていました。日田市側は、そうした意図がないと答えています。それから、被控訴人による答弁書について、反論の機会をもつことが示されました。

 さらに、福岡高等裁判所は、控訴人である日田市に対して、原告適格と本案(自治権の主張、自転車競技法の憲法適合性など)とにおいて混然となされている憲法理論を区別するように求め、被控訴人である経済産業大臣(実際にはその訴訟代理人)に対して、原告適格についての判例が基本的に私人の場合に妥当することを指摘し、判例で示された理論などが地方自治体にも妥当するのか否かについて検討するように求めました。そして、次回の口頭弁論 を、11月10日(月)、13時30分からとすることが決められました。

 こうして、平成15年(行コ)第5号行政処分無効確認・同取消請求事件の第1回口頭弁論は終わりました。第2回は、私にとって、仕事の関係から苦しい日程なのですが、都合をつけて、何としても参加したいと考えています。

 終了後、15時をすぎてから、福岡弁護士会館の3階で集会(大分地方裁判所の段階では玄関で行っていたもの)が行われました。大石市長、寺井弁護士、藤井弁護士、そして日田市議会議長の諫山洋介氏が挨拶し、寺井弁護士と藤井弁護士が若干の解説などを行いました。なお、自転車競技法の許可の性質について私が藤井弁護士と意見交換をしたのは、この集会が始まる直前のことです。

 集会が終わり、多くの方々が帰途に着きました。そのまま記者会見に移行しましたが、記者クラブでもない所だったので、私などは残っていました。まずは大石市長が挨拶をし、今日で結審、つまりは控訴棄却の可能性もあったが、原告適格について再検討の指示が出たことに触れ、これを歓迎する趣旨が述べられたはずです。

 続いて、寺井弁護士が今日の経緯を説明し、本案(実体)審理については、提出された書面を見て判断するという裁判所の意向に触れました。今回の場合、大分地方裁判所が原告適格のみを判断し、本案審理に入っておりませんので、福岡高等裁判所で本案審理に入るかどうか、ということになります。本案審理に入るとすれば、事件が大分地方裁判所に差し戻される可能性のほうが高いのです。

 ここから、傍聴を前提とする質疑応答が行われました。

 まず、藤井弁護士が、本案審理と原告適格について、憲法理論が混在しているので、もっと整理して欲しいというのが福岡高等裁判所による注文だったと説明しました。その上で、被控訴人が最高裁判例を引用しているが、それは一般私人を対象とした場合の話であって、地方自治体自らが原告である場合には、判例の引用や参照について再検討、再分析する必要がある、とする福岡高等裁判所の説明(これが、先ほど述べた被控訴人への注文になります)について、控訴人の主張を踏まえたものであるという評価を示しました。

 続いて、某記者から、積極的な訴訟指揮を裁判官に求めるのか、その期待可能性はあるのか、という質問がなされました。これに対し、寺井弁護士は、かなり期待しているとこたえました。

 さらに、日田市と別府市との関係について、働きかけがあるか否かの質問がなされました。これについては、大石市長が、別府市の姿勢が若干後退しているような印象があるというようなことを答えた上で、5月上旬の会談以降、話し合いはしていないこと、事務レベルでは5月に2度の申し入れをしていることを明らかにしました。

 これで記者会見も終了しました。私の腕時計は、既に16時近くを指していました。今回は、かなりの長文となりましたが、それだけ、色々な内容が盛り込まれているということです。少なくとも、6月23日の午後は、私にとって相当に密度の濃い時間でした。T氏と、口頭弁論を振り返りながら地下鉄赤坂駅まで歩き、私はそのまま天神まで歩き続けました。

 私自身がこの問題に取り組み始めて、既に3年近くが経過していますが、不定期とはいえ、ここまで連載を続けることができました。 問題が続く限り、連載は継続する予定ですので、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。


(初出:2003年6月26日)

「ひろば 研究室別室」の移転について

   長らくgoo blogで続けてきましたが、あれこれと考えた結果、2025年8月7日より、はてなブログのほうで書いていくこととしました。何卒よろしくお願い申し上げます。  新しいアドレスは、次の通りです。   https://derkleineplatz8537.hatena...