2025年5月30日金曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第61編の付録

制度的保障論に関する簡単な図です。



 (初出:2004年12月22日)

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第61編

 まず、本題に入る前に、第60編で取り上げた院内町の場外舟券売り場設置計画について、続報がありましたので 、紹介しておきます。読売新聞朝刊大分版に9月19日付で掲載された「院内町の『場外舟券売り場断念』 大阪の事業者が町に報告」という記事(http://kyushu.yomiuri.co.jp/nsurf/nsurf44/nsu4409/nsu440919d.htm)によると、9月17日、院内町での場外舟券売場設置計画を進めていた事業者(大阪市に本社を置く「トイ・アセットコーポレーション」。不動産・金融コンサルタント業)がこの計画を断念したことが判明しました。理由は明らかにされていませんが、院内町と、東京都にある全国モーターボート競走会連合会に、文書による報告が届いたとのことです。院内町は、建設初期費用(およそ10億円)の負担ができなかったからではないかとみているようです。9月10日には、院内町に、正式な覚書のことについて連絡があったとのことでした。

 

 私がこのホームページ(2004年の4月上旬までは「大分発法制・行財政研究」という名称でした)を立ち上げて間もない2000年夏から継続してきたこの不定期連載も、いよいよ、この第61編で完結となります。当初は数回で終わるだろうと思っていましたが、約4年間、61編まで到達しました。いつの間にか、このホームページのメイン的な地位を占めるようになり、サテライト日田問題のためにホームページを立ち上げたという誤解まで生じたのですが、今、川崎で、そして高島平で振り返ってみても、この問題に関わることができたことには大きな意味を感じています。そして、この問題を通じて、日田市を中心として多くの方々と出会い、意見を交換する機会などを得ることができました。今、皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。

 7月7日に掲載した第60編から5ヶ月以上が経っています。この時は、サテライト日田問題についてあまり述べていませんので、2月26日に掲載した第59編からであれば10ヶ月近くが経とうとしてます。とくに他意はなく、私自身が勤務地を変更し、新たな環境への順応に時間がかかったこと、この不定期連載に取り組む余裕がなかったことが原因です。おそらく、最も長い空白期間になってしまいましたが、今回は、いわば「あとがき」として、私の目で見たサテライト日田問題について振り返ってみたいと考えています。

 (よく考えて見ると、大分大学でこの問題に関わり続けたのは私だけでした。)

 もっとも、これは私自身にとって大きな問題でもあります。2004年3月まで大分大学教育福祉科学部に勤務し、大分県の県庁所在地である大分市に住んでいた私にとって、サテライト日田問題を振り返ることは、2000年夏以降の私自身の生活全体を回顧する、あるいは反省することにつながります。勿論、2000年夏から2003年11月まで、私はサテライト日田問題だけに取り組んでいた訳ではありません。市町村合併の問題にも取り組みましたし、地方税財政制度の研究をも進めてきました。いまだに完成していないのですが、アルベルト・ヘンゼルの財政調整法理論を中心としたドイツ財政法の研究も続けています。これらが、どこかでサテライト日田問題につながっているような気がしているのです(これは、あくまでも私の感覚的なものであり、論理的に説明しうることではありません)。

 サテライト日田問題は、日本の地方自治制度に重要な問題点をいくつも提示しています。その最も大きなものを一言で表すならば、日本国憲法によって保障されているはずの地方自治の現状です。もう少し長めに記せば、地方自治体が有するはずの地域に関する自己決定権、「まちづくり権」の有無であり、地方自治体の独立性の程度でした。三位一体改革が曲がりなりにも進められようとしている中で、この問題は、日本全体に波紋を呼び、地方自治、住民の地位について改めて大きな問いかけをなしたのです。

 本来であれば、地方自治の理念からして、地域のことは、地域の公共団体(統括団体)である地方自治体、そして何よりもその地方自治体に居住する住民によって決定されるべきであるはずです。ところが、日本国憲法の下でも、地方自治体や住民の自己決定権は、全く否定されることこそなかったものの、実際には、財政、その他の手段などにより、かなり制約されておりました。高度経済成長期には、それでもよかったのかもしれません。しかし、日本社会が成熟の度を増すに従い、弊害が目立つようになりました。その早い現われが公害問題です。そして、バブル期には通称リゾート法などにより、国が補助金などの誘導策によって実質的に地方自治体の自己決定権(および能力)を喪失させ、地域住民の意思にそぐわないような(そして、どこもかしこもゴルフ場などという、まるで金太郎飴のような没個性的でもある)大規模な開発が行われました。宮崎市にあるシーガイアが典型的な例です。この巨大施設がある一ツ葉地区の悲劇は、決して忘れられてはなりません。バブルの崩壊によってリゾート計画が軒並み破綻すると(当然のことですが)、今度は景気対策ということで、国の指図に従ってこれまた大規模な、そして住民の意思やニーズから乖離した大規模公共事業が展開されていきます。こうして、地方財政は悪化の一途をたどり、地方自治体は当事者能力を失って無責任になる、というような結果に陥りました。

 地域の住民が、自らの力で暮らしやすい街(地域)をつくる。この当然のことが、中央集権的な日本においてなかなかできなかったのです。サテライト日田問題も、まさにその類の問題でした。

 勿論、住民がただ黙っていた訳ではありません。しかし、地域のニーズに合わせた事業を行おうとしても、法律などの壁がありました。地域の自己決定が生かされないような法制度になっていたのです。地方自治法そのものにもこうした色彩の規定がありましたし、個別の法律をあげればきりがないでしょう。

 自転車競技法もそうです。地域に公営競技が必要であるのか否かについて、住民の役割は何も規定されていません。この法律には、国、都道府県および市町村(指定された)が登場しますが、競輪事業を営まない市町村は最初から対象の外に置かれていますし、事業を営むか否かにかかわらず、市町村の住民が登場する幕は全く存在しないのです。私は、この不定期連載において、公営競技そのものに反対している訳ではないことを何度も強調しています。公営競技は、歴史的にみても、地方自治、地方財政などに対する一定の役割を果たしてきました。このことは率直に認めなければなりません。しかし、川崎市に生まれ育ち、起点に競輪場と競馬場、途中の駅の近くに東京競馬場、終点に競輪場があるというJR東日本の某路線の沿線を利用している私は、競輪や競馬などを一度もやったことがないものの(このことで或る先生から叱られましたが)、人の心理や街の環境などにどのような影響を与えるかを知っています。そして、住民よりも事業者の利益を優先している現行の法体系に何らかの問題がないのかと考え続けていました。

 憲法第92条以下によって、地方自治体(地方公共団体)には自治権が保障されています。しかし、それは、憲法によって直ちに具体化するものとは言い難いものであり、法律や政令など、国の法によって範囲が定められます。これを具体化というのですが、見方を変えれば、具体化とは、抽象的には広汎であるはずの権限などが狭められるということでもあります。そして、範囲をどのように定めるかについては、日本国憲法自体が国の法律によることを明示しています。

 地方自治については、憲法学にいう制度的保障説が通説の地位を占めています。制度的保障説は、ドイツの公法学者シュミット(Carl Schmitt)が『憲法論(Verfassungslehre)』という研究書において提唱したもので、これに該当するものとして(論者によって違いがありますが)私有財産制度や大学の自治、政教分離、婚姻などがあります。シュミット自身は、ヴァイマール憲法第127条を例として、まさに地方自治制度が制度的保障であることを述べています。この説の内容を簡単に示すと、さしあたり、上に記したことになるのですが、これでは乱暴かもしれませんのでもう少し丁寧に記しておきます。

 憲法の規定の中には、国民の基本的人権(基本権)を保障するのではなく、その基本的人権(基本権)に関わる制度の存在を保障するものがあります。憲法第29条は国民の財産権を保障していますが、それだけでは不十分ですから、私有財産制度をも保障すると考えるのです(私有財産制度が否定されるところで財産権の保障を主張してもほとんど意味がないでしょう)。この、制度の存在を憲法が保障するという 考え方を制度的保障説というのです。

 しかし、よく考えて見ると、制度の存在を保障するということは、それほど明確な説明になっていません。例えば私有財産制度の存在を保障すると言っても、制度の中身が何であるのかはわかりません。むしろ、国が法律によって明確にしなければならないのです。そして、制度を保障する意味は、基本的人権(基本権)の保障につながります。そこで、制度的保障説は、制度を保障することの意義として、憲法に定められた基本的人権(基本権)の中心的な部分を立法権による侵害から守るというところにある、と述べます(立法権という部分に注意して下さい)。そして、制度の存在自体を前提として、具体的な中身を法律によって形成する権限(と記してよいでしょうか)を導き出します。

 ここで再び財産権および私有財産制度を取り上げますと、抽象的に財産権といっても中身が明らかになりませんので、財産権が保障されるための私有財産制度を考えます。日本の場合は、一般的に民法で具体化を行っており、この他、商法、労働法、経済法など諸分野の法律による具体化を行っています。この結果、物権については民法などの法律によって定められたもの以外には認められないということが起こります( 民法に規定されておらず、慣習法として、判例法によって認められた譲渡担保などは例外的な存在です)。 抽象的に考えれば、物権にも様々なものが存在しうるでしょう。しかし、法律によって具体化されるとともに、我々が行使しうる物権には制約が加えられているのです。

 制度的保障論は、基本的人権(基本権)に中心的な部分と周辺的な部分とがあると考えます。制度についても同様です。従って、基本的人権(基本権)、制度そのものを否定することはできません(憲法によって保障されているからです)。そして、基本的人権(基本権)、制度の中心的な部分については、立法権による侵害(規制)をなすことができません。これに対し、周辺的な部分については、立法権による侵害(規制)が正当化されることになります。もっとも、このように主張しうるとしても、何が中心的な部分であり、あるいは周辺的部分であるのかについては、結局、中心的部分をどのように考えるかに係ってきます。

 (簡単な図を作ってみましたので、△をクリックして参照して下さい。)

 地方自治が制度的に保障されるということは、とりもなおさず、上記のような問題点を抱えることを意味します。そもそも、地方自治の中心的な部分とはいかなるものなのでしょうか。憲法第92条にいう「地方自治の本旨」が該当すると考えることもできます。しかし、これも決して明確な言葉ではありません。一般的には団体自治と住民自治を意味すると説かれていますが、両者とも、具体的な中身が法律によって決められるのですから、答えとしては不十分です。そして、中心と周辺との境界が曖昧にされていたため、日本国憲法における地方自治の規定は、或る意味において、むしろ中央集権体制の強化に資する結果をもたらしたとも言えます。

 このことを、私は別の形で指摘しています。僭越ながら、日本租税理論学会編『相続税制の再検討(租税理論研究叢書13)』(2003年、法律文化社)に掲載された私の論文「ヘンゼルの地方財政調整法制度論」から引用させていただきます(同書177頁。なお、これは、2002年11月16日、中央大学駿河台記念館にて行われた同学会第14回大会における個別報告が基となっています)。

 「日本国憲法は第九二条ないし第九五条において地方自治に関する規定を置くが、これらの規定には、地方公共団体(都道府県および市町村)の税財政制度の基本的枠組みに関する内容は含まれていない。むしろ、日本国憲法は、ドイツ連邦共和国基本法第一〇四a条以下(とくに、第一〇五条ないし第一〇七条)などと異なり、地方公共団体の税財政制度については具体像を示さず、沈黙していると評価してもよい。

 もとより、憲法第九二条により『地方自治の本旨』が謳われ、第九四条により『地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有』するのであるから、地方公共団体が独自の税財政制度をもつことは許容される。しかし、第九二条および第九四条から明らかであるように、地方公共団体の税財政制度の基本的枠組みは『法律でこれを定める』のである。したがって、地方税財政制度が中央集権的なものとなるか地方分権的なものになるかは、日本国憲法の上では必ずしも明らかでなく、地方自治法、地方財政法、地方税法、地方交付税法などに委ねられざるをえない。その際、制度的保障論が援用されることも考えられるのであるが、地方税財政制度のいかなる部分が核心的であるのか、必ずしも明らかではない。そればかりでなく、制度的保障論そのものが中央集権的観点に立つものでもある。結局のところ、地方税財政制度の設計は、最終的に中央政府の決定事項となる。日本国憲法の場合、その要素が非常に強いと思われる。」( 注などは省略)

 長く引用しました。このことは、公営競技などについても妥当すると考えられます。公営競技は地方財政法の一分野でもあるからです。そればかりでなく、地方、さらに住民がどれだけ主体性を持ちうるかという問題にもつながるからです。最終的には、あらゆる法制度が中央政府の手によって形成されるのですが、そこに地方、そして住民の立場がどのように生かされるべきなのか。サテライト日田問題を通じて、自転車競技法が抱える、地方分権の理念に矛盾する性格が露見しました。場外車券売場の設置に際して、地域住民の意向は無視される。それが法律によって正当化される、というより、法律は地域住民なり市町村なりの意向に全く配慮をしない。そして、地域の声を集約しようとする条例を制定すると、それが法律に矛盾するものとして問題になる。しかし、憲法に照らすと、法律にも問題があることがわかる。サテライト日田問題を法律の点からみると、こんなことになります。

 日田市公営競技の場外券売場設置等による生活環境等の保全に関する条例(以下、日田市条例と記します)と自転車競技法との関連について、このホームページにも掲載している「サテライト日田をめぐる自治体間対立と条例」に記したことについて、掲示板「ひろば」に、大分大学での同僚から批判を受けました。これには正直に言って呆れたとしか言いようがなく、地方自治に関して憲法学者がいかに貢献をしていないかがわかったほどでした(最近の議論を概観すればわかりますが、例えば地方分権改革や市町村合併を日本国憲法と照らし合わせて論じている憲法学者は非常に少ないのです。多くは行政法学者によってなされています)。私は、法律と条例との関係を規定する地方自治法第14条に照らせば、日田市の条例には問題があると思っています。どう読んでも、自転車競技法の趣旨と合わないからです。自転車競技法には、そもそも、場外車券売場の設置場所となる市町村、およびその住民の意見を反映させる手続を定めた条文がありません。立法資料に目を通しておりませんので詳しいことはわかりませんが、第1条に地方財政の改善などが謳われていることからして、市町村、住民の意見聴取などは当初から考えられていなかったものと思われます。私は、当初から憲法レベルと法律レベルの議論を分けて論じているのです。これは、実定法学に携わる者の常識に属することだと思われます。

 私がこの問題にかかわりはじめた2000年6月下旬は、まさにこの日田市条例が日田市議会で可決され、制定された時期でした。制定即公布即施行という条例でした。大分合同新聞社からこの件についてコメントを求められた時、直感で、これは行政法学的に大きな事件だと感じました(事実はその通りに進みました)。そこで、条例をファックスで送っていただき、コメントをしたのでした。あの時の意見については、当の日田市役所で反発を受けたということを、2001年3月2日、日田市役所での取材の際に知りました。私が別府市を支持していると考えられた方もおられたようです。しかし、2000年秋、私が新聞などでこの問題を追うに従って、別府市の態度に疑問を抱き始めました。それは小さくなるどころか大きくなる一方でした。市報べっぷ2000年11月号の記事を知った時には、「こんなことを市報の記事として書くものなのか?」、「この時期にこの特集をやるというのはどういうことなのか?」などという疑問が湧きました。この他にも、誠実さに欠けるとしか言いようのない態度には、単なる一大分県民として憤りを感じたほどでした。同じような感想を、私は別府市民の方からもうかがっています。そして、2000年12月9日、あの別府市でのデモが行われました。情報を得ていたので、私は見に行きました。少なくとも日本において、これほど珍しいデモもないでしょう。何しろ、市長を先頭に、日田市議会、市内の商工会議所など17の団体が、別府市の北浜から別府駅東口までの道路を往復したのです。今悔やんでいるのは、カメラと録音機を持っていかなかったことです。しかし、あの熱気は、私が大分県に住んでいた7年間で最高のものでした。私にも、その時の日田市の意思が痛いほどに伝わってきたのです。今も、時折ですがあの日のことを思い出します。

 2001年2月には、別府市議会臨時会における関連議案の否決という衝撃的な事実が起きました。前日の委員会審議では可決されていたのに、本会議では逆の結果になったのです。これも、日本の議会運営ではあまり生じないことです。これがいわば転換点になります。その後、別府市では、サテライト日田設置関連議案が提出されなくなりました。同じ頃には、日田市が経済産業大臣を相手取った行政事件訴訟(設置許可処分無効確認訴訟など)と別府市を相手取った市報記事訂正請求訴訟が日田市議会で可決され、実際に提訴されます。

 今振り返ってみると、サテライト日田問題は、この頃が最も熱気に溢れていたように思われます。とにかく、2001年1月と2月には、この問題に関する報道が多かったのでした。また、私自身も、当時日田市のホームページに設置されていた掲示板に登場しては書き込みなどをしていました。別府市議会には多くの日田市民が傍聴に訪れ、議案の審議などを見つめていました。これが無言の圧力になったのかもしれません。

 その後、訴訟が始まってから、私は、なるべく時間を見つけて大分地方裁判所へ出かけました。今だから書けるのですが、日田市対別府市訴訟のことで日田市役所、さらに梅木哲弁護士の事務所を訪れるため、大分医科大学(現在の大分大学医学部)の講義を休講にしたことがあります(これは、打ち合わせのためです)。日田市対別府市訴訟については、何回か傍聴できなかったことがありますが(全てこの連載で記しています)、日田市対経済産業大臣訴訟は、大分地方裁判所、そして福岡高等裁判所で行われた口頭弁論の全てを傍聴しています(これも今だから書けるのですが、福岡高等裁判所での口頭弁論は月曜日に行われたため、大分医科大学医学部医学科の「法学」と大分大学教育福祉科学部の「日本国憲法」を休講にしています)。

 日田市対別府市訴訟においては、地方公共団体に名誉権が認められるか否かが最大の争点になりました。この判決は2002年11月19日に出され、日田市が勝訴しました。判決は、2004年になってから判例タイムズ1139号154頁に掲載されましたが、今のところ、この判決に対する評釈は、私が知る限りにおいてですが、私の「地方公共団体の名誉権と市報掲載記事」(大分大学大学院福祉社会科学研究科紀要第1号(2004年)21頁~30頁)のみです。

 これに対し、日田市対経済産業大臣訴訟は、日田市対別府市訴訟と全く同じ裁判官(三氏)で行われたのですが、この連載においても示したように、実際には日田市の原告適格の有無が最大の争点になりました。原告適格は訴訟の要件の問題ですから、本来であれば、これが最大の争点になること自体が妙なのですが、行政事件訴訟の現状からしてやむをえなかったのです。判決は2003年1月28日に出されました(余談ですが、熊本県立大学総合管理学部の集中講義「財政法」のお話をいただいたのがこの頃です)。見事に敗訴、しかも却下判決でした (やはり判例タイムズ1139号の83頁に、この判決が掲載されています)。この判決についても、私は「場外車券売場設置許可無効確認請求事件」という評釈を書きました。判決言い渡しの後、日田市役所の方々などと話したのですが、「こんなものなのか?」というような声を聞きました。私も落胆していました。その後、大分県庁にある記者クラブでの会見の席に行きたいと申し出たところ、了解を得て行きましたが、私まで記者会見の席に出されるとは思っていませんでした。遠慮したのですが、どうしてもというので座らせていただきました。興奮していたので、まともに意見を話せたかどうか疑われるような状態でした。

 日田市は直ちに控訴しました。そして、2003年6月23日と11月10日、いずれも雨の日に福岡高等裁判所での口頭弁論が行われました。4月に別府市長選挙が行われ、市長が交代したことで、サテライト日田問題は解決の方向に向かう可能性が高まったのですが、11月10日、日田市は訴えを取り下げることを明らかにしました。その日の午前中、別府市は、溝江建設に設置断念(正式には車券販売の断念)の通告を済ませ、経済産業省には確約書の撤回を申し入れたという説明がなされました。こうして、日田市にとってのサテライト日田問題は終わりを告げたのでした。

 訴訟の取り下げによってこの問題そのものは終わりました。しかし、もう少し一般化して考えると、この問題について解決されていない部分があります。日田市対経済産業大臣訴訟は、結局、原告適格問題で終始しました。そのため、本案審理に入っていないのです。いわば途中で打ち切られた形になったので、未解決の事柄が残されています。

 1.地方自治体の出訴資格

 そもそも、地方自治体は行政事件訴訟法に定められている抗告訴訟(取消訴訟や無効等確認訴訟)を提起することができるのか。2004年6月に行政事件訴訟法の改正法律が公布され、2005年4月1日に施行されますが、この点については議論されなかったようで、改正にも生かされていません。従って、この問題はそのままの形で残されています。

 2.地方自治体の原告適格

 実は、「地方自治体の」という言葉は不要かもしれません。住民が同じような訴訟を提起した場合には、やはり原告適格の問題が出てくるからです。行政事件訴訟法の改正法律により、第9条に第2項が追加されました。これは、新潟空港訴訟最高裁判決(最二小判平成元年2月17日民集43巻2号56頁)やもんじゅ訴訟最高裁判決(最三小判平成4年9月22日民集46巻6号571頁)などの趣旨が生かされたものと解説されています。しかし、日田市対経済産業大臣訴訟においては、新潟空港訴訟最高裁判決やもんじゅ訴訟最高裁判決で示された基準の適用あるいは解釈をめぐって、日田市側と経済産業大臣側が争いました。所詮は法律の解釈だから見解が分かれるものであるとも言いうるのですが、基本的に、原告適格である以上は原告に多少とも有利な解釈がなされ、なるべく本案審理に移行するようでなければならないでしょう。

 そして、サテライト日田訴訟がもたらした原告適格の問題は、これまでの原告適格に関する学説の盲点を突くものです。行政事件訴訟法は、原告が私人であることを基本線としています。そのために、私人が訴訟において主張する利益が、法律によって私人の法的な権利あるいは利益として保護されるものであれば原告適格が認められ、公益という性格に過ぎなければ原告適格が否定されます。しかし、地方自治体の場合は、私人であれば法的な権利あるいは利益ではなく公益であるという場合であっても、それがまさに地方自治体の法的な権利あるいは利益であるとも考えられるのです。最三小判平成14年7月9日民集56巻6号1134頁のように、地方自治体が原告として提起した建築工事続行禁止請求の民事訴訟が裁判所法第3条第1項にいう「法律上の争訟」に該当しないとして却下されるという例があることからすれば、地方自治体が訴訟を提起すること自体が難しいのかもしれません。いずれにせよ、地方自治体と訴訟との関係については、さらに検討を加える必要があります。

 3.地方自治体の「まちづくり権」

 おそらく、「まちづくり権」という言葉が用いられるようになったのは、サテライト日田訴訟が最初でしょう。寺井弁護士によるのか、木佐教授によるのか、私にもわからないのですが、いずれにせよ、最近では一般化しつつあります。しかし、実は、この「まちづくり権」という権利は、具体的な中身がまだ十分に詰められていないのです。

 「まちづくり権」は、大分地方裁判所の段階における原告側の準備書面(第1)において登場します。ここにおいても未熟な議論が展開されていますが、整理すると、憲法上の根拠として第92条および第94条があげられるようです。そして、地方自治体のまちづくり計画に際して地方自治法第1条の2第1項および第2条第4項(こちらは計画策定義務を定める)があげられています。直接的には、地方自治体の計画策定権を意味するようなのですが、前提として地方自治権があげられ、既に失効している地方分権推進法第2条なども援用されています。

 原告側は、何度も準備書面中で「まちづくり権」を述べていますし、寺井弁護士も、そのものずばりの『まちづくり権』という著書において「まちづくり権」の主張を展開しています。しかし、「まちづくり権」を具体的な法的権利とするには、多方面からの分析が必要になるでしょう。地方自治法第1条の2や第2条などは、地方自治体の権限に関する基本的な事項を規定するに留まりますし、地方自治体の法的権利として権限を定めたものと解釈することは難しいと思われます。

 そもそも、「まちづくり権」は、どの地方自治体に認められるのでしょうか。都道府県および市町村に認められるのか、基本的には市町村に限られるのか。都道府県にも認められるとするならば、都道府県の「まちづくり権」と市町村の「まちづくり権」との抵触が起こりえます。その時、都道府県の権利のほうが優越するとなれば、逆に地方自治法に違反しかねません。両者が対等であるとするならば、結局は裁判所、または国の行政機関において調整せざるをえないということになります。

 また、市町村の「まちづくり権」がぶつかり合うということも考えられます。例えば、サテライト日田問題で「まちづくり権」を使うとすれば、別府市にとっては競輪事業を十分に展開することが「まちづくり権」の一環であり、日田市にとっては自らの区域内に公営競技関連施設を作らせないことが「まちづくり権」の一環です。法律によって公営競技関連施設を設置することが認められており、しかも区域に制限がないことからすれば、別府市が日田市に別府競輪場の場外車券売場を設置することも、「まちづくり権」の正当な行使ということになります。これが不当であるというのであれば、法律によって何らかの制限を加えなければなりませんが、それではいかなる制限を加えることができるのでしょうか。例えば、大分市が青少年向けの施設を日田市に作ることは認められないのでしょうか。

 4.自転車競技法の構造

 サテライト日田問題においては、自転車競技法の構造自体が争われました。憲法第31条などとの関係において、適正な行政手続を定めたものとはいえず、(第4条などの特定の条文が)違憲ではないのか、という疑いが寄せられたのです。関係すべき市町村あるいは住民の意思を全く反映させないという点において、この法律には問題が多いのですが、経済産業省は、既に、自転車競技法の第4条などを改正する意思がないことを明確にしています。現に、サテライト新橋訴訟など、原告住民の法的利益を保護する旨の規定が自転車競技法に存在しないと判断された判決がいくつか出ています。そうすると、今後も公営競技の場外券売場設置許可に関する訴訟は続き、原告適格がないとして却下あるいは棄却され続けるのではないでしょうか。

 自転車競技法は、主に地方財政の改善と産業振興を目的としています。このこと自体が誤っているとは思えません。しかし、それらとともに、地域という視点を常に念頭に置かなければならないでしょう。その意味において、自転車競技法、競馬法などの公営競技関連法律については、地方分権の観点からの見直しが求められるのではないでしょうか。


 このホームページにおいて、私は、サテライト日田問題を報告しています。全てを取り上げられた訳ではないのですが、半分以上はあげられたでしょうか。そして、今、私の自宅には、この訴訟に関連する資料を収めたファイルが数冊あります。判決文のコピーは当然として、原告側および被告側の準備書面、答弁書、鑑定意見など、様々な資料を得ました。本来ならば全てを紹介すべきなのでしょうが、鑑定意見などについては著作権などの問題があります。スキャナで読み取り、PDFファイルか何かにして公開するという手もあるのですが、準備書面の要点などは既にこの連載で紹介しておりますし、私の意見などについても、執筆の時点において十分に示したつもりです。今後、この不定期連載の内容が単行本などになることはないものと思われますが(「なればいいなあ」とは思っています)、仮に単行本として出版されるようなことがあるならば、準備書面、答弁書、鑑定意見などもできる限り収録したいと考えています(その際には、鑑定意見を書かれた先生方の御承諾を得たいと考えていますので、よろしくお願いします)。

 私がこの不定期連載を続けてきたのは、大分県に住む行政法学者として、大分県内に地方自治の根本に関わる大問題が存在するということを、情報として発信したかったからです。元々が飽きっぽい性格なので、よくぞ続けてこられたと思っていますが、それは、おそらく、日田市を中心とする熱心な方々と、或る部分で思いを共通にしていたからでしょう。私にとっても、このホームページにとっても、サテライト日田問題は重要なものでした。何度か記していますが、この問題に、偶然であったとはいえ出会ったことにより、私自身の行政法学者としての立場を見直すことができました。今後も、この体験が私の研究生活に何らかの影響を与えることであろうと思われます。

 そして、うれしかったのは、この不定期連載が私の予想を超える反響を得たことでした(何しろ、サテライト日田問題のためにホームページを開いた学者と、大分合同新聞に書かれたくらいです)。学習院大学の高木光教授のホームページでも取り上げられていますし(但し、アドレスが大分時代のままになっています)、Yahoo!の掲示板などでも取り上げられたようです。一般の掲示板ということで私は警戒していましたし、強烈な悪口の一つや二つは覚悟していましたが、好評だったようです。少しだけ私もみたのですが、この連載のアドレスが記されていて「この件については森先生のこれを読め」というようなことが書かれていたのです。これには驚きました。「本当にいいのか?」と、大分大学の研究室で考え込んだくらいです。この他、行政実務家のホームページに取り上げられたり、私が書いたこの問題の関連論文などが引用または紹介されたりしていました。青森県六戸町の町長さんから、場外車券売場関係の記事を送っていただいた時には、驚愕と感激で言葉が出なかったほどです。

 実は、この不定期連載については、当初から、理解しやすい文章で構成するつもりでいました(別にこの連載に限ったことではないのですが)。専門家以外の方にはわからないようなものにしたくなかったのです。事柄の性質上、専門的な事柄を取り上げ、検討せざるをえないのですが、その場合でも、関心がある方であればどなたにでも理解していただけるような文章にするつもりでした。解説、説明などが多くなっているのはそのためです。どこまで実現しているかはわかりませんが、私の大学院時代の恩師でもある新井隆一先生(早稲田大学名誉教授)から受けた御指導を、この連載に存分に生かそうと考えていたのです。そして、行政法学者としての私の見方をふんだんに盛り込んでいますが、それだけでなく、一大分県民、一大分市民としての私の立場を前面に押し出しました。記事を作成している時(大部分は、自宅としていた大分市大字宮崎の賃貸マンションの4階の一室で書いたものです)には、行政法学者としての立場を一度捨てて、一大分県民、一大分市民の立場で記すように心がけていました。勿論、行政法学者としての立場を出す必要がある場合もあります。

 もしかしたら、また何かの機会にサテライト日田問題を取り上げ、論文などを書くこともあるかと思います。そして、この問題に関する解説や評釈なども書かれることでしょう。しかし、現在の時点において、この長期不定期連載を終わらせることが、大分県を離れた私にとっての一つの区切りになります。この事件は、私にとって、行政法学者としての立場と大分県民としての立場とが交錯するようなものになりました。 これは、既に記したように、意図的に行いました。

 今回、第61編をもって、4年以上にわたった不定期連載を終わります。 私にとっても、このホームページにとっても、サテライト日田問題は重要なものでした。そのため、全ての編の掲載を続けます。

 何度か記していますが、この問題に、偶然であったとはいえ出会ったことにより、私自身の行政法学者としての立場を見直すことができました。今後も、この体験が私の研究生活に何らかの影響を与えることであろうと思われます。

 最後に、この問題で顕彰されるべきは、誰よりも日田市民の皆様方です。遠い所からになりますが、これからも、私は日田市の行政事情などを観察し、応援し続けていきたいと考えています。そして、日田市には、この問題での経験を通じて、住民自治の理念を最大限に生かした行政活動を展開していただき、常に最先端を切り開いていくような地方自治体に成長して欲しいと願っています。 サテライト日田問題は、日田市、そして日田市民にとって、むしろ、これからの良き日田市を作り上げ、発展するためのスタートラインに過ぎないのです。このことを最大限に協調して、連載を終えます。応援して下さった方々に 、この場を借りて感謝を申し上げます。


(初出:2004年12月22日)

2025年5月29日木曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第60編

 第59編以来、実に4箇月以上の時間が経過しました。当初は、この第60編の内容を、私がサテライト日田問題に関わるようになってから現在までの総括とした上で、3月中に掲載するつもりでおりました。しかし、既に大東文化大学法学部への移籍が決まり、引越しなどの準備に追われ、4月に入ってからは新しい環境に慣れる必要性もあり、なかなか手を付けることができないまま、7月になりました。また、ここで改めて総括をする必要があるのか、という思いもありました。最初から関わっていた訳ではありませんし、日田市での市民集会などに呼ばれたことも参加したこともありません(連載記事をお読みいただいた方ならおわかりのことでしょう。全て、新聞記事の引用などで済ませています)。理論的にも、まちづくり権なるものを現行の地方自治法などから導き出せるのかという疑問がありました。地方分権改革の基本的な思考からして、まして、市町村合併が強力に推進される中で、本当に、市町村が一法人としての権利を保障されているのかという問題が生じてきます。

 また、昨年、私自身は、仕事の関係などで市町村合併に関わらざるをえなくなっていました。大分県に住んでいる限り、市町村合併は切実な問題です。今は川崎市に住んでいますが、神奈川県でも相模原市などにおいて合併に関する問題が発生していますし、首都圏では都県合併構想が大々的に喧伝されています。その中で、住民の立場はどのようになるのか、などの様々な課題が登場しています。市町村合併は、地方自治を考える際に避けて通ることができないのです。

 市町村合併に関する私の意見については、今年(2004年)の3月に出版された、日本財政法学会編『地方税財源確保の法制度』(財政法叢書20、龍星出版)に収められている「討論―地方税財源確保の法制度」、および『改革と自治のゆくえ(月刊地方自治職員研修臨時増刊号75)』(2004年3月号増刊)に収められている「自治・分権から眺めた市町村合併」を御覧下さい。

 第59編を掲載してから現在までの間、3月には花伝社から、日田市対経済産業大臣訴訟における日田市側弁護団長、寺井一弘氏の著書『まちづくり権』が出版されました。私が入手したのは、東京に帰ってからのことです。

 他方、私は、昨年(2003年)の夏、熊本県立大学総合管理学部における集中講義を終えてから、月刊地方自治職員研修2003年10月号に掲載された「リーダーたちの群像~平松守彦・前大分県知事」の原稿とともに、日田市対別府市訴訟の判決に対する評釈を中心とした「地方公共団体の名誉権と市報掲載記事―大分地方裁判所平成14年11月19日判決の評釈を中心に―」の原稿を作成しました。後者は大分大学大学院福祉社会科学研究科の紀要第1号(創刊号)のためのものでしたが、発行が遅れ、私が大分を離れた3月下旬の段階においてまだ刊行されていなかったのです。2004年3月に刊行されたとのことですが、私の手元に届いたのは4月に入ってからのことでした。既に、このホームページにも掲載しておりますので、参照していただければ幸いです。

 日田での問題が終わったとは言え、他の地域においては、公営競技の場外券売場設置計画が進められています。住民の反対運動が展開されている所もありますし、そうではない所もあります。大分県でも、大分市にボートピア(場外舟券売場)設置計画がありました(今はどうなっているのか、全くわかりません)。そして、2004年7月7日、読売新聞大分版に、院内町におけるボートピア設置計画に関する記事が掲載されました。東京では読売新聞大分版の記事を読めませんので、ホームページ掲載記事に頼るしかありません。

 「院内にボートピア計画~町と事業者、3地区住民に説明」という記事によると、院内町の二日市地区に設置される計画であるということで、話は昨年の1月に始まったようです。二日市地区に、農業用の溜池があります。およそ8000平方メートルほどの広さだということですが、20年ほど前から「施設の老朽化が進み、使われていない」とのことです。そこで、水利権を持つこの地区の住民が、この溜池の活用策を求めたということです。それがボートピア設置計画に結びついたのです。

 今年の3月、二日市地区、野尻地区、副地区の住民を対象に説明会が行われました。その時点においては3地区とも同意したとのことです。既に地質調査や測量などが行われているようですが、7月に入り、5日の夜から3地区における基本計画の説明会が行われます。記事から判断すると7日までのようです。また、3地区では対策協議会の設置もなされるようです。

 報道が示す基本計画の概要ですが、設置事業者は大阪市に本社を置く不動産・金融コンサルタント業の会社です。どこの競艇場の場外舟券売場にするのかという点はまだ決定されていないのですが、施設そのものについては、24000平方メートルの区域を開発し、建物の分をおよそ2500平方メートルとし、500台分の駐車場を設けるということです。この記事には、院内町長のコメントとして「合併を前に、検討を進める最後の機会。慎重に進めたい」というコメントが掲載されています。

 大分を離れておりますので、サテライト日田問題の後始末の状況については、全くと言ってよいほど情報が入ってきません。別府市と溝江建設との間でどのような解決がなされたのか、あるいはなされようとしているのか。損害賠償がなされないということもないはずです。仮に、日田市が負担を求められるとするならば、再び大きな問題となるでしょう。

 2000年6月下旬、偶然といえばその通りですが、大分合同新聞社からの電話を研究室で受けたことによって、サテライト日田問題に取り組むこととなりました。それから4年が経過しています。ここまで長く関わってきたことが不思議に思われるほどですが、私自身の立場を見直すきっかけにもなりましたし、多くの方々と出会い、意見の交換などをすることもできました。大分県を離れた今、改めて、この問題の大きさを感じています。


(初出:2004年7月7日)

2025年5月28日水曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第59編

 第54編において述べましたように、昨年(2003年)11月10日の午前中、別府市はサテライト日田設置の断念を表明しました。訴訟が福岡高等裁判所に係属しており、第2回口頭弁論が開かれるという日に、突然発表されたのでした。私自身、浜田氏が別府市長に就任してから、サテライト日田問題の解決を予想していたのですが、もう少し時間がかかると思っていました。別府市の表明を受け、第2回口頭弁論においては、日田市側、経済産業大臣側の双方から準備書面が提出された後、日田市側から訴えの全面取り下げの申出がなされました。これは、後に経済産業大臣側の同意を得ており、大分地方裁判所平成15年1月28日判決の効力も完全に失われることとなりました。

 勿論、別府市がサテライト日田の設置を断念したからといって、それで全てが解決された、という訳ではありません。別府市と、設置許可申請者である溝江建設との間の問題が残っているからです。毎日新聞社のホームページに、この問題に関する短い記事が掲載されました。残念ながら、既に削除されていますが、私がこのホームページの掲示板「ひろば」で取り上げていますので、以下、全文を引用しておきます。2042番の「今度は別府市と設置許可申請者との争い?」(2004年2月1日19時46分付)です。

 すっかりと話題にのぼらなくなりつつあるサテライト日田問題ですが、別府市と、設置許可申請者である会社との話し合いが1月28日に行われ、両者の間に見解の相違があるようです。1月29日付の毎日新聞大分版に記事が掲載されています。

 「別府競輪・サテライト問題 溝江建設と円満解決へ…別府市、話し合いで確認」http://www.mainichi.co.jp/area/oita/news/20040129k0000c044005000c.html

 両者の話し合いでは、円満解決の確認が行われたとのことです。これはよいとして、設置に関しては、両者に食い違いがあります。別府市は、会社から話を持ちかけられたという見解を示しているのですが、会社は別府市から話を持ちかけられたという立場をとっています。

 これに関連して、1月31日付の毎日新聞大分版に掲載された「[取材帳から]まだ話し合い?」という記事には「市に残る記録では、業者側が設置を申し出たことになっており、設置関連予算は市議会に否決された。となると、市が断念したのは当たり前の話で、話し合いを続ける意味が理解できない」と書かれています。http://www.mainichi.co.jp/area/oita/news/20040131k0000c044006000c.html

 果たして、どちらの言い分が正しいのか、私には知る由もありません。正式な、あるいは正確な記録が残っていないのでしょうか。いずれにせよ、今後は、溝江建設と別府市との間で損害賠償(補償)に関する交渉が行われることになります。両者の間の問題をもう少し細かくみると、大別して賠償額の問題と日田市の負担の問題があります。額はともあれ、日田市の負担とは道理に合わないのではないか、と思われるでしょう。しかし、現実的に想定されうる事柄です。今後、溝江建設、別府市、そして日田市がいかなる態度を示すのか、注目しておく必要があるでしょう。また、損害賠償問題は、おそらく、2004年度まで継続するのではないかと思われます。

 さて、第56編、第57編および第58編において、日田市側の「準備書面(第6)」の紹介および検討を 行いました。そこで、予告通り、経済産業大臣側の「第6準備書面」(平成15年11月7日付)を扱うことといたします。

 第56編においても述べましたが、「第6準備書面」は全部で7頁ですが、1頁目は「被控訴人指定代理人」の氏名などが記載されているだけですから、実質は6頁分ということになります。2頁目から、日田市側の「準備書面(第6)」に対する反論を展開しています。

 第51編において、第1回口頭弁論の際に裁判長からなされた注文について記しました。再び記しておきますと、控訴人には、原告適格と本案(自治権の主張、自転車競技法の憲法適合性など )とにおいて混然となされている憲法理論を区別することが求められ、被控訴人には、原告適格についての判例が基本的に私人の場合に妥当することが指摘された上で、判例で示された理論などが地方自治体にも妥当するのか否かについて検討するように求められました。日田市側の「準備書面(第6)」は、完全ではないのですが、一応は裁判長の注文に応えた形となっています。それでは、経済産業大臣側の「第6準備書面」はどうなっているのでしょうか。

 まず、「第1 控訴人の原告適格の有無に関する判断基準について」という部分を概観します。

 ここでは、日田市側が新潟空港訴訟最高裁判決の趣旨を誤解している、と述べられています。これは、大分地方裁判所での段階で提出されている「第3準備書面」とほぼ同じ趣旨であり、「原告適格の有無において考慮されるべき関連法規は当該行政法規と目的を共通にするものであって、すべての法規が考慮の対象となるわけではない」と主張されています。

 たしかに、原告適格の有無を判断する際に考慮すべき関連法規は、当該行政法規、すなわち、争いの元となっている行政行為(処分)の根拠となる行政法規に関連するものでなければなりません。これは当然のことです。しかし、それでは、日田市側の「準備書面(第6)」において関連法規として示されているもののうち、何が関連法規と言えないものなのでしょうか。これについては一切記されておりません。地方自治法などが関連法規と言えないとしても、自転車競技法第1条および第3条は関連法規と言えないのでしょうか。

 また、日田市側は、控訴人である日田市が地方自治体であるために「当該法令によって保護される利益が、公益とは区別して個別かつ直接に保護されるものであることは要しないと主張する」のですが、「このような解釈は、抗告訴訟が主観訴訟であることを定めた行訴法9条の解釈に反し、到底採用できるものではない」と述べられています。

 この批判も、正当な部分を含んでいます。元々、行政事件訴訟法第9条は、行政行為(処分)の相手方たる私人が、例えばその行政行為の取消処分(これも行政行為です)の違法性を争うというような場面を想定しています。その違法性によって、私人の利益が侵害されるということになりうるからです。主観訴訟という言葉は、まさに原告自身の利益が侵害されたか否かを争う訴訟のことをいいます。民事訴訟を考えていただければ理解しやすいと思うのですが、例えば、金銭貸借事件であれば、金銭を返してもらったか否かは貸主の利益に関係します。行政事件訴訟法も、基本的には同じ構造となっています。抗告訴訟は、原告の利益を侵害すると考えられる場合に提起できるものです。そのため、住民訴訟などは原告の利益を(少なくとも直接的には)侵害するようなものではないとして、法律に特別な規定が存在しない限り、提起できないことになっています(これを客観訴訟といいます)。

 第57編において述べましたように、日田市側の「準備書面(第6)」は、地方自治体の原告適格について極端な解釈をしています。日田市側もそのことを認めていますので、「地方自治体の原告適格を根拠づけうる公益保護規定は、当該地方自治体に関わる地域的な公益の保護規定である必要があり」、「当該公益保護規定と原告地方自治体の主張する利益との間に、後者が前者の保護範囲に包摂されるものである必要がある」というように主張されているのです。

 しかし、地方自治体も法人ですから、サテライト日田問題のような事件の場合に、地方自治体の主観的利益を想定することはできないのでしょうか。やはり法人である企業などであれば、それ自体の主観的利益は当然存在するでしょう。企業と地方自治体とを単純に同列に並べる訳にいかないのですが、大分地方裁判所平成14年11月19日判決では、地方自治体の名誉権が(一定の条件の下において)認められています。このことからすれば、やはり一定の条件あるいは制約の下においてではありますが、地方自治体の主観的利益を想定することも可能ではないでしょうか。ここは問題提起に留めておきますが、今後、検討を加えなければならない問題です。

 次に、「第2 控訴人の自転車競技法の解釈について」です。この部分も、幾つかの点についての反論が加えられていますが、かなり短いものとなっています。

 一つは、自転車競技法第1条第1項の解釈で、経済産業大臣側は「場外車券売場設置許可制度の目的は、申請に係る施設の位置、構造及び設備が公安上及び競輪事業上適当であるか否かを審査することにあるのであって、当該許可によって事実上影響を受ける可能性がある他の地方自治体の財政の健全化を目的としていると解することはできない」と主張しています。 そして、地方自治法と自転車競技法第4条とが目的を異にするとして、地方自治法を関連法令と考えることはできないと述べています。

 これは、既に何度も主張されていることの繰り返しに留まっています。そのことは、経済産業大臣側の代理人も文中で示しています。従って、詳しい理由は述べられておりません。

 しかし、地方自治法はともかくとして、自転車競技法第1条第1項が同第4条と無関係なのでしょうか。競輪場(競技場)と場外車券売場という違いはあるものの、競輪事業を行うものにとっては共通する目的が存在しないのでしょうか。

 次に、日田市が学校設置管理者としての原告適格を有すると主張する点についてです。これについても、被控訴人側は第5準備書面の主張を繰り返し、「競技法4条2項、規則4条の3第1号は、控訴人が指摘する上記最高裁判例の事案における風営法4条2項2号、同法施行令6条1項ロとは異なり、文教施設あるいは医療施設の設置者の個別的利益を保護していると解することはできない」と述べるに留まっています。この点は、日田市が主張している周辺環境配慮主体としての原告適格についても同様で、完全に否定しています。

 ここまでの段階で、被控訴人である経済産業大臣側は、第1回口頭弁論の際に裁判長からなされた注文について何の配慮もしていないように読み取れます。その必要がないということなのでしょうか。

 第6準備書面の検討を続けます。日田市側は、自転車競技法が「同一自治体内実施原則」なるものを定めていると主張していました。自転車競技法第1条が根拠とされます。これに対して、被控訴人側は、「各地方自治体が競輪事業を実施すると決定し、あるいはこれを実施しないと決定したとしても、このことから直ちに控訴人がいうところの『同一自治体内実施原則』(中略)が論理的に導かれるものではない」と主張します。実際に、1950年、川越市が西武園競輪場(所沢市)で競輪を開催しており、同じように浦和市が大宮競輪場(大宮市。現在は浦和市、与野市とともにさいたま市となっている)で競輪を開催しています。しかし、日田市の主張の真意は、A市がB市の競輪場で競輪事業を行うということではなく、C競輪場の場外車券売場がD市にあり、その事業をC市が行っているという例は存在せず、それが「同一自治体内実施原則」の一部である、ということでしょう。経済産業大臣側は、これについて全く応えていません。

 また、地元自治体や地元住民の同意について、日田市側は、その同意なくして許可がなされた事例はないので、本件許可は平等原則違反であると主張しています。これに対する経済産業大臣側の反論は、私が読む限りでは反論になっていません。経済産業大臣側は、許可の申請から許可処分まで2年10ヶ月を要していること、しかもこれは場外車券売場設置許可については最長であること、行政指導によって地元との調整が行われていたことをあげているのですが、肝心の地元住民の同意については触れられていないのです。行政指導による調整と同意とは別の話です。

 さて、ここからが、第1回口頭弁論の際に裁判長からなされた注文に対する経済産業大臣側の回答(解答)というべき部分です。

 日田市側は、「憲法上保障された地方自治の内容を具体化した地方自治法上の基本構想(同法2条4項)のしくみで認められた一般的計画団体としての地位に基づき、憲法を直接の根拠として本件許可処分の無効確認・取消しを求める原告適格を有すると主張」しています。これに対する、経済産業大臣側の反論は「当審における被控訴人の答弁書の第3の5(9~10ページ)において主張したとおり、このような控訴人の主張は、行訴法9条の解釈に反するものであ」るというものです。ちなみに、日田市があげている塩野宏教授の論文については、反対説として藤田宙靖教授(現在は最高裁判所裁判官)の「行政主体相互間の法律関係について―覚え書き―」という論文があげられています(今、手元にないので参照できません)。

 これはいかにも不十分で、注文に応えていないと言われても仕方のないところでしょう。行政事件訴訟法第9条の解釈に反するというだけでは、何故なのかがわからないからです。既に記したように、行政事件訴訟法は、基本的に、私人が、行政行為の効力を争うことを念頭に置いています。そのことは規定の構造から理解できます(例えば、第7条において、行政事件訴訟法に規定されていない事柄については「民事訴訟の例による」とされています)。答弁書を引き合いに出すに留まらず、より積極的な反論が期待されていただけに、残念です。

 ただ、裁判長からなされた注文については、これで回答(解答)が終わる訳ではありません。「第2 控訴人の自転車競技法の解釈について」の最後となる「7」については、全文を引用しておくこととします。


 ところで、原審における被控訴人の第1準備書面の第1の2(1)(3ページ)、当審における被控訴人の答弁書の第2の2(1)(3ページ)において主張したとおり、競技法は、競輪事業における様々な局面における公正・円滑な運用、安全・秩序を確保し、もって収益を公共的な目的に用いることを規定したものである。

 そして、場外車券売場設置許可制度の趣旨については、原審における被控訴人の第1準備書面の第1の2(2)(4~5ページ)、当審における被控訴人の答弁書の第2の2(2)(4ページ)において主張したとおり、競輪場設置許可制度の目的と同じく申請に係る施設の位置、構造及び設備が公安上及び競輪事業場適当であるか否かを審査することにあるというべきである。

 この点に関して、同様の判断を示した東京地裁平成10年10月20日判決、その控訴審である東京高裁平成11年6月1日判決、その上告審である最高裁平成13年3月23日第二小法廷決定における事案は、場外車券売場の周辺住民が当該場外車券売場設置許可処分の取消しを求めたものであり(乙第14号証)、場外車券売場が設置される予定場所の地方自治体である控訴人が本件設置許可処分の無効確認及び取消しを求めた本件とは確かに事案を異にしている。しかし、法律上、場外車券売場設置許可制度の目的が何であるかを解釈するに当たっては、条文、競技法の目的、競走場設置許可制度との比較等を検討し、その目的を客観的に探求することになるものの、場外車券売場設置許可処分の無効確認ないし取消しを求める者が誰かということは、その解釈に影響を及ぼすものではない。したがって、場外車券売場設置許可制度の目的に関する上記裁判例等の判断は、本件においても妥当するというべきである。


 要約しますと、場外車券売場設置許可の無効確認または取消しを、近隣住民が求めようが地方自治体が求めようが、原告適格については同じように判断すべきである、従って、訴訟では原告適格がないとして却下すべきである、ということになるでしょう。

 単純明快と言えばそうかもしれません。しかし、これでは、結局のところ、作ったものが勝ちということであり、地域住民などが求める良好な環境などはどうでもよい、ということになりかねません。場合によっては、その環境などを守るべき地方自治体も、全く責任を果たすことができない、ということになります。そもそも、よその市町村に公営競技の場外券売場を設置する際に、その市町村の意向を法的に無視してもよいという構造は、いかに規制緩和の時代であるとしても、地域を無視したものではないでしょうか。日本の都市景観などが先進諸国などに比べて劣ると言われて久しいのですが、それは、こうした法律の構造、さらには根本的な立場に基づくものではないでしょうか。開発者などの利益が優先し、実際に都市などに居住する者の生活感、住みやすさなどは軽視されるのです。場外車券売場問題にも、根本的に同じものを感じます。

 これで、2003年11月10日に福岡高等裁判所にて行われた第2回口頭弁論における両者の主張を全て紹介しました。内容としては今回で終了ということになるのですが、私がサテライト日田問題に関わるようになってから現在までの総括をしてみたいと考えていることもあり、第60編を3月中に掲載することといたします。


(初出:2004年2月26日)

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第58編

 今回も、第56編および第57編の続きです。これで、11月10日に日田市側から提出された「準備書面(第6)」(9月22日付)の紹介および検討も終わりです。

 この不定期連載をお読みの方であれば、今回の訴訟で問題とされているのが場外車券売場の設置許可であることは、すぐにおわかりでしょう。しかし、よく考えると、この設置許可の法的性質は不思議なものです。この点については、第37編および第51編において記しました。第37編作成時においては許可説を採用したのですが、日田市側弁護団の一員である藤井弁護士は特権付与的許可という言葉を使用しています。今の時点で考えると上手い表現です(実は不正確ですが)。第37編においても述べましたように、法律の条文に「許可」と書かれているからといって、その法的性質が全て同じであるという訳ではありません。むしろ、行政法学でいう許可なのか認可なのか、あるいは特許なのかを、様々な事情に関連付けて考えなければならないのです。

 今の私の考え方は、たしかに場外車券売場の設置許可は行政法学上の許可であるが、単純な警察許可ではなく、特許的な性格、あるいは認可的な性格を多分に有した許可である、というものです。純粋な特許とは言い切れないし、認可であるとも言い切れないのですが、少なくとも純粋な警察許可ではない、としか言えません。

 その理由をあげておきましょう。第37編にも記したように、自転車競技法は、自転車競技事業の運営主体を、都道府県、および総務大臣が指定する市町村に限定しています。そのため、場外車券売場にて車券を販売できるのも都道府県、および総務大臣が指定する市町村に限られます。また、警察許可であるとすれば、設置自体は誰でも可能であるということになります。法律上はそのようになっています。しかし、実際には、設置者が車券を販売することはできません。そればかりでなく、仮に自転車競技法の規定がなければ、競輪事業施行者以外の者が場外車券売場を設置した場合、刑法第186条第2項に規定される賭博場開帳等図利罪などに問われかねないはずです。

 次に、場外車券売場設置許可を得たとしても、設置許可を受けた者はまさに設置を認められただけであり、車券の販売まで認められる訳ではありません。もし、そこで車券を販売しようとする競輪事業者を見いだすことができなければ、設置許可を受けようとする者は存在しないでしょう。そして、設置許可を受けた者は、設置した施設を競輪事業者に賃貸し、そこで収入を得ようとするはずです。そうすると、実際に設置された場外車券売場で車券を販売する事業者が必要となるという点において、認可の性質に近くなります(純粋な認可ではないのですが)。

 また、警察許可という場合、本来であればその許可を受けなければならない事業は私人の自由に属するものである、という前提があります。第51編に記したことを再び取り上げておきますと、パチンコ屋や雀荘、ゲームセンターであれば、距離制限などに服するとは言え、営業の自由が認められますから、地域独占的な利益が生じるとは言い切れません。風営法が適用される喫茶店を考えるともっとわかりやすいでしょう。しかし、場外車券売場などの場合、営業の自由が認められ、その結果として地域内における競争がありうる、という訳ではありません。事業者が限定されているからです。

 警察許可としての性格も認められるのですが、それだけでは割り切れないもの、それが場外車券売場の設置許可ではないでしょうか。

 さて、「準備書面(第6)」はどのような論理展開を見せるのでしょうか。

 大分地方裁判所平成15年1月28日判決は、場外車券売場設置許可がその「設置に関する一般的禁止を解除するにとどまるもの」であるとしています。しかし、控訴人である日田市側は、この見方を「本件許可処分を単体として捉え」るものでしかないと考えているようです。むしろ、「場外車券売場で車券を販売する行為に関して何らかの届出や許可を要するとする規定がな」いこと(これは、競輪事業者が都道府県および総務大臣の指定を受けた市町村に限定されているからです)などをあげ、「本件許可は単に場外車券売場を適法に設置しうるのみならず、そこで車券の販売行為を行い、それによって利益を得ることをも同時に許容する法的効果を有するものと解すべきである」と述べています。この部分だけ読むと自転車競技法を誤解しているようにも思われるのですが、「公営ギャンブルは刑法の例外として施行者に認められたいわば『特権』であり、本件許可は申請者が本来有する行動の自由を回復する性格ではない」というように、法の構造を捉えています。また、「本件許可の根拠規定が通商産業大臣(引用者注:本件設置許可がなされた時点においてのこと)の裁量を認めていること」から、「事案の特性に応じ通商産業大臣が裁量権を適切に行使することが期待される」許可なのであると論じています。

 次に、自転車競技法第3条が取り上げられています。これは競輪場の設置許可に関する規定で、第3項において都道府県知事に公聴会の開催などを義務づけています。しかし、この規定は場外車券売場の設置許可に関する第4条において準用されていません。大分地方裁判所判決も、この点を捉えて「地元自治体の個別的利益を保護する趣旨とはいえない」と判断しています。これに対し、日田市側は「施行規則に定める競輪場設置許可の要件と場外車券売場設置許可の要件はほぼ同じであ」ることなどをあげ、「合理的な解釈により説明する必要がある」と述べています。

 この後、「準備書面(第6)」は「場外車券売場の設置に関する法規制の沿革」について述べています。ここでは自転車競技法第1条が登場します。元々、場外車券売場は例外的なもので、新設を簡単に許容する制度ではなかったこと、「当該自治体内の民主的な意思形成によって競輪事業を実施することを決定し、かつ当該自治体の財政状況等が競輪事業の実施を必要とすると自治大臣(当時)が認めてはじめて競輪事業を実施することができる」ことから、「競輪場をはじめとする競輪事業のための施設は基本的に施行される自治体内部に設置されることが想定されているのである(同一自治体内実施原則)」と述べられています。このことからすると、場外車券売場の設置許可について公聴会などの手続が必要とされていないのは、自転車競技法制定当時の事情によるものであって、サテライト日田問題のような場合を想定していないということになります。

 しかし、競輪事業者である自治体とは別の自治体に場外車券売場が設置される場合は、最近多くなっているようですが、これに対応しうる規定が法律に存在しません。「準備書面(第6)」によれば「不十分」ですが「場外車券売場の設置に関する指導要領について」(平成7年4月3日付。7機局第164号)です。これは通達です。そのため、行政規則として行政内部にのみ効力を有するものです。行政の外部に対しては、せいぜい、行政指導の指針にすぎないものです。しかし、「準備書面(第6)」も指摘するように「独立型場外車券売場を許容する施行規則改正にあわせて出されたもの」であり、サテライト日田のような事案にはそれなりの機能を果たしてきたのです。

 「準備書面(第6)」は、「平等原則に違反する本件許可処分」という小項目を置いています。サテライト日田のように、地元の自治体や住民が反対の意思を明確に示しているにもかかわらず、設置許可がなされるような例はほとんどありません。そこで、「準備書面(第6)」は「たとえ地元同意の取り扱いが指導要領に基づくものであるとしても、同様の事例において同様の取り扱いがこれまでなされてきたにもかかわらず、本件だけがそのような取り扱いを合理的理由なく受けないとするならば、行政法上の一般原則である平等原則に反する故に違法な処分となることは明らかである」と述べています。サテライトひたの場合、この不定期連載においても述べたように、日田市、日田市民の反対姿勢に留意していたにもかかわらず、2000年6月7日に許可が出されました。これが、「手続的に見ても本件処分は本来履行すべき手続を欠く違法な処分なのであり、控訴人はその手続的地位の侵害を理由とする原告適格を有する」と主張される理由となっています。

 さて、「準備書面(第6)」は、大項目として三つ目の「憲法が保障した自治権に基づく原告適格について」に入ります。これが最後の部分となっています。今回の訴訟は、日田市という地方自治体が提起したという点が最大の特色なのですが、それだけに、原告適格の有無に関する判断が難しくなっていました。少なくとも、日本国憲法制定以後の判例の蓄積もありません。結局、訴え全体が取り下げられたので、地方自治体の原告適格という問題点についての最終的な司法判断はなされずに終わったのですが、それだけに、今後もさらに検討を加える必要があると言えるでしょう。

 日田市側は、「憲法上保障され、地方自治法により具体化された自治権(まちづくり権)に基づき自治体が抗告訴訟を提起しうることは、学説においては極めて有力な見解である」として、塩野宏『行政法Ⅲ』193頁以下(これは初版か第2版か、手元にないので不明)および芝池義一『行政救済法講義』〔第2版〕45頁(現在は第2版補訂版です)が示されています。

 そこで、大分地方裁判所で争われていた時に提出された鑑定書の趣旨が、福岡高等裁判所の段階においても主張されることとなるのです。とくに、日本の地方自治法制度は、歴史的な経緯から、大体、ドイツ法からの流れとアメリカ法からの流れが融合したようなものとなっています。大分地方裁判所に提出された鑑定書も、ドイツ、アメリカの事情、さらにフランスの事情を参考にしようとするものです。また、「準備書面(第6)」は、戸松秀典『憲法訴訟』(2000年、有斐閣)97頁を援用し、「事実上の損害のテスト」を必要とすると述べています。これは、「憲法の定める地方自治の基本構造、問題となっている法的行為の根拠規定やその周辺にある法的しくみの解釈に加え、その法的行為による自治権の具体的な内容や程度の検討」を中身とするものです。こうして、私人が抗告訴訟を提起する場合と区別して理論構成をすべきである、と主張されるのです。

 第57編において、自転車競技法および同法施行規則の保護法益に関する日田市側の主張を概観しました。自治権侵害の主張との関連性が問題となるはずですが、そこが稀薄である、あるいは混同されているようにも思えます(混同については仕方のない面もあります)。それはさておき、日田市側は、今回のような場合、抗告訴訟の原告適格は「本件処分の根拠規定によって判断されるべきではなく、本件許可処分によって場外車券売場が設置される地元自治体であることから当然に認められると考えるべきである」と述べています。ここは、自転車競技法および同法施行規則の保護法益に関する主張と関連する点です。「本案の主張」として記載されている内容は、自転車競技法および同法施行規則の保護法益に関する日田市側の主張の変奏曲(ヴァリエーション)でもあります。もっとも、だからこそ、地方自治の本旨という憲法上の理念と抵触する、ということになるのですが。

 いずれにせよ、日田市側は、今回のような場合において、地域に生じうる具体的な不利益を自己の利益として主張しうるのは日田市しかありえないこと(これは「利益の特定性」とされています)、自衛権の防御的機能(これは塩野教授の表現です)が問題とされていることから、「当該処分の根拠法規の文言からのみ原告適格を判断することは論理的に不可能である」と述べています。そして、「わが国の地方自治の基本構造を前提とすれば、本件のような事例で原判決の論理により自治体の原告適格を否定することは、憲法で認められた自治権が国によって侵害された場合の救済手段を全面的に認めないこととなる。このような結論は日本国憲法が予定した地方自治の基本構造とは相容れないはずである」として、地方自治法第2条第4項による一般的計画団体としての地位により「憲法を直接の根拠として本件処分の無効確認・取消を求める原告適格を有する」と述べられ、閉じられます。

 日田市側は「地方自治体の権能の中には法律によっても侵しえないものがあ」ると述べています。おそらくは制度的保障論に基づくものでしょう。ただ、問題は、この制度的保障論そのものにあります。これによると、地方自治を制度として保障することは、個々の地方自治体に具体的な人権(法人としての権利)を認めるものではなく、制度の核心を保護することを目的とするのである、ということになります。しかし、それでは、制度の核心とは何でしょうか。これが非常に不明確なものとなりやすいのです。具体的に検討しなければならないことは当然ですが、それでもわかりにくいものとなります。また、制度の核心でなければ、すなわち、周辺部分であれば、改変などは可能なのです。

 おそらく、自治権、まちづくり権は、制度的保障論の枠組みに留まる限り、発展は望めないでしょう。仮に多少の成長が見込まれるとしても、すぐに大きな壁に衝突します。市町村合併との関連もあり、多少とも具体的な人権として構成できないのでしょうか。勿論、地方自治体は、例えば株式会社などの社団法人と異なります。しかし、法人を二種類に分けるとすれば社団法人と財団法人であり、地方自治体は社団法人です。社団法人などを公法人と私法人とに分けることも可能ですが、両者にどれほどの絶対的な差異が存在するのでしょうか。たしかに、統治機能については、公法人以外に認めることはできないでしょう。しかし、公法人といえども私法人と同様の機能を果たす場合がありえます。それに、自然人であっても日本人と外国人では保障されうる範囲が異なりますし、法人に至っては様々な種類が存在し、保障されうる権利の範囲も異なります。単純に公法人・私法人の区別で論じられえないことは明らかです。

 もし、制度的保障論云々を言うのであれば、法人制度自体が制度的保障論によって説明されうる、いや、説明されるべきものでしょう。おそらく、これは暗黙の前提になっているでしょう。しかし、これでは議論が進まなくなるおそれもあります。

 ホームページという場を借りて、かなり挑戦的な論を試みたつもりです。あくまでも試論であり、これから具体的な論をつめていこうと考えています。

 これで、日田市側の「準備書面(第6)」の紹介および検討を終えることができました。経済産業大臣側の「第6準備書面」(平成15年11月7日付)については、第59編にて扱うことといたします。


(初出:2004年1月26日)

2025年5月27日火曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第57編

 第56編の続きを 2003年中に終わらせる予定でしたが、私の仕事の関係で年を越してしまいました。何回続くかわかりませんが、2004年になったということで、今回から第五部として不定期連載を続けることとします。

 朝日新聞2003年12月17日付朝刊(大分版)に掲載された「場外車券場訴訟終結、市民に経緯説明」という記事によりますと、12月16日、日田市役所で、サテライト日田設置許可無効確認訴訟が終結したことを受けた報告会が行われました。これには、大石市長、寺井一弘弁護士、サテライト日田設置反対連絡会を構成する17団体、日田市議会議員、日田市職員など、およそ100人が参加したそうです。

 この記事自体が相当に短く、全文を引用したほうが早いくらいですが、ここではそれを避けておきます。

 2000年から2001年にかけて、サテライト日田問題は大分県内、そして日本全国の注目を浴びました。第13編にも記したように、2001年1月7日、この問題を扱った「噂の! 東京マガジン」(TBS系)が、13時から放送されました。2000年12月21日に、私は、この番組の制作を担当するフラジャイルという会社の方の取材を受けました。この模様は録画されていたのですが、数日後、私の携帯電話に、取材のシーンは放映されないかもしれないとの連絡を受けました。取材班の方々は、このホームページを御覧になっていたようで、非常に綿密な取材をなされておりました。それは、当日の放送内容からもわかりました。

 その後、大分地方裁判所での口頭弁論が始まりました。昨年の1月28日、日田市敗訴の判決が出た時には、私も大分県庁の記者クラブに行き、記者会見の席に座らせていただきました。おそらく、その頃が、この問題に関する熱気のピークになっていたと思います。福岡高等裁判所での口頭弁論の時には、2度とも傍聴整理券が配られたという表向きの熱気とは裏腹に、実際にはどこか冷めた空気が漂っていました。私自身が感じていたのです。報道も、以前のような大きさではなくなりました。12月16日の報告会がどのような雰囲気だったのかわかりませんが、参加人数が100人というのは、贔屓目に見ても以前より少なくなったように思われます。訴訟などが完全に日田市主導、すなわち行政主導で行われたことには、日田市民の間からも批判がありました。とくに、サテライト設置に反対しながらパチンコ屋の進出を容認するというような状態には、厳しい批判が寄せられてもおかしくなかったでしょう。勿論、パチンコ屋とサテライトでは、根拠法令も所轄の行政庁も異なります。そのため、ただちに両者を同様に論ずることはできません。しかし、青少年への影響という点では、両者にそれほどの違いが見出せません。あるいは、パチンコ屋のほうが大きいかもしれません。2002年度からは、他ならぬ日田市の住民から、パチンコ屋の問題を指摘する声も出始めていました。

 上記朝日新聞の記事に戻ります。大石市長は、「市民の結集に感謝する。日田での車券発売を断念した別府市には様々な思いがあったと思うが、同じ県内の観光都市として手を携えて発展を目指したい」という趣旨を述べたとのことです。また、寺井弁護士は「サテライト裁判は法曹界の注目を受けた。弁護団としては控訴審で敗訴しても最高裁で地方自治のあり方を問いたかったが、別府市と日田市の和解を優先させた」と述べています。これは、11月10日にも述べられていることです。

 また、サテライト日田設置連絡会も、12月16日をもって解散されたようです。

 さて、第56編の続編として、11月10日に 提出された日田市側の「準備書面(第6)」(9月22日付)の内容を紹介し、若干の検討を試みます。今回は「第3、本件訴訟における控訴人の原告適格」です。6頁目から最後の頁まで続く、かなり長い部分です。

 まず、自転車競技法の解釈です。まず、自転車競技法第1条について、「機械産業、体育事業その他の公益事業の振興と自治体財政のための収益事業として競輪事業を位置づけて、これを規律しているのである」と評価しています。その上で、 「ある市が営む競輪事業に係る場外車券売場を他の市町村の地域に設けることは(同法4条1項)、その地元市町村が競輪事業を営むことによって獲得されるはずの収益に多大の負の影響を及ぼすことは明らかである」として、今回の問題で言えば日田市の財政上の利益は「法律上保護された利益」にあたると主張されています。もし、日田市が競輪事業を営むのであれば、こうした財産的利益を得ることが可能となります(もっとも、自転車競技法において競輪事業の主体となりうるのは都道府県と、総務大臣が指定する市町村だけですから、日田市がこの指定を受けなければなりませんが)。

 しかし、日田市の場合、競輪事業を営むことによって得られる利益ではなく、「営まないことによって得られる地域環境的な利益」を主張しています。これが競輪事業を営むことによって得られる利益と不即不離の関係にあると即断できるかどうかについては、疑問もあります(日田市が競輪事業の主体として指定を受けていないとすれば、このように主張できないのは明らかであるからです)。ただ、まちづくりという観点からすれば、都道府県、および総務大臣が指定する市町村は、競輪事業を行うか否かについて選択権があり、これが地方自治体の政治・行政の方針を決定することになります。日田市が指定を受けようとすれば、(これまでにもその機会はありえた訳ですから)総務大臣の判断により、指定を受けて競輪事業を営むことが可能でしょう。その意味では、日田市側の主張も成立しえます。ただ、今回の問題は、指定を受けた市町村である別府市が日田市において場外車券販売事業を営もうとすることですから、少々次元の違う話ではないかとも思われます。

 いずれにしても、日本の市町村には、地域設計、まちづくりに関する基本的な法的権限がない、または、あるとしても非常に不十分です。これは、私だけが述べている訳ではなく、何人かの方が書かれており、私も同感したものです。この年末年始、横浜の青葉台と渋谷で何冊かの本を購入し、読んだのですが、その中の1冊に書かれていました。今回の地方分権改革では、結局のところ日本をどのような国家にするのかに関する基本方針が明確にされているとは言い難く、とりあえず市町村合併を進めてそれから具体的に権限を配分するという方法が採られています。これでは、市町村に期待されるべき本来の役割が明確にされないままに終わる可能性が非常に強くなります。サテライト日田問題は、こうした地方分権改革の論議に一石を投じるものとなりえたはずなのですが、実際にはそのようになっておりません。

 「準備書面(第6)」に戻ります。既に示した、日田市側による自転車競技法の解釈は、地方自治法の解釈にも結び付けられ、自転車競技法が、地方自治法第2条第11項ないし第13項にいう「地方公共団体に関する法令」であり、「地方自治体の財政に直接関わる法律でさえある」として、経済産業大臣側の主張に反論を加えています。なお、日田市側は、「地方公共団体に関する法令」について「『単に地方自治法、地方公務員法、地方財政法のよう主として地方公共団体だけを対象とした法律の規定のみを指すのではなく、いかなる法令についても、いやしくも地方公共団体に関する事項を規定した条文があれば、すべてを含むものと解すべきである』とされている」と述べていますが(引用は原文のまま)、出典などが示されていません。「地方公共団体に関する法令」について、地方自治法に特別な解釈の方法を示す規定が存在しない以上、日田市側の解釈は妥当でしょう。

 ここまで、自転車競技法との関連で日田市側の原告適格に関する主張を概観しました。基本的には一審段階からの主張のまとめと言うべきものであり、内容に大きな変化などはありません。これからさらに深められる可能性もあったのですが、訴えの取り下げにより、可能性で終わっています。

 「準備書面(第6)」は、続いて自転車競技法施行規則を取り上げ、その保護する利益について論じています。

 この施行規則は経済産業省令で、自転車競技法第4条第2項を受けた施行規則第4条の3は場外車券売場設置許可の基準を示すものです。日田市側は、この中の第1号と第4号をあげています。

 施行規則第4条の3第1号について、日田市側は「学校その他の文教施設や病院その他の医療施設の設置・運営主体の文教・保健衛生に係る利益は、自転車競技法及びその施行規則によって個別的利益としても保護された法益であるということができ」ると主張しています。従来であれば、こうしたものは単なる公益であり、個人などにとっては反射的利益であって、法律が直接保護する利益ではないと理解されたのです。しかし、これでは結局のところ行政庁の裁量権を統制することができなくなりますし、そうでなくとも地域の主体性などを無視することになります。また、何故に文教施設や医療施設に関連する距離制限が置かれているのかについて、趣旨を不明確にするおそれがある、と言えないでしょうか。今回の訴訟は日田市という地方自治体が原告なのです。日田市は、文教施設や医療施設の設置場所などを決定する権限を有するはずです(あくまでも、市営の施設についてですが)。また、都市計画などについても、日田市には一定の権限があるはずです。そうであれば、自転車競技法施行規則第4条の3第1号が、場外車券売場が設置される市町村の法的利益を個別のものとして保護しないと解釈することは、市町村の都市計画に関する権限などを全く無視することにならないでしょうか。今後、日田市側としては、さらに都市計画法などをも援用して自説を補強する必要があったと思われます。

 日田市側は、原告適格を基礎付けるために最三小判平成6年9月27日判時1518号10頁を引き合いに出しています。この判決は、治療所を経営する者がパチスロ店の営業許可の取り消しを求めた事案に関するもので、結局は請求が棄却されていますが、原告適格が認められています。この事案の場合、治療所からパチスロ店までが30mを少し超える程度しか離れておらず、これは実体審理をしてみなければわからないというものでした。そのため、原告適格を審査するにしても本案審理と同一の手続をしなければならなかったのでした。そこで仮にこのパチスロ店が制限区域内に存在しないことが明らかになったとしても、本案について何らかの判断をするほどに審理が熟している、とされたのです。

 サテライト日田の場合も、距離制限に関して言うならば、結局は本案審理に入り込まなければならないということなのでしょう。実際、距離制限を争う場合、それが訴訟要件の問題なのか本案の問題なのかと問われるならば、どちらにも該当すると考えられます。距離制限が許可の要件に入っているのですから、本案の問題に立ち入らざるをえません。訴訟要件の問題で済ませるとすれば、法の保護する利益が何であるのかという点(原告の個別的利益を保護するのか、公益を保護するにすぎないのか)で判断するしかないのですが、このような態度では、裁判を受ける権利(憲法第32条によって保障されている)を没却することになりかねません(準備書面も、この最高裁判決に付されている園部逸夫裁判官の補足意見を引用しています)。

 次に、施行規則第4条の3第4号です。これは「周辺環境との調和」という、行政庁の広い裁量を許すかのような文言を出しています。そのためでしょうか、「準備書面(第6)」は、最高裁判例の傾向から「場外車券売場予定地周辺地域の環境上の利益を、自転車競技法及び施行規則によって個別的利益として保護された利益とまではいえず、それは一般的公益に改称されるものと解さざるを得ない」ことを認めています。しかし、これは原告が私人であるからこそであって、原告が地方自治体であれば別である、とも主張されています。公益保護規定であるからこそ「地方自治体のみが原告適格を有しうることの根拠となる」というのです。これは極端な解釈で、日田市側もそれを認めています。そこで、「地方自治体の原告適格を根拠づけうる公益保護規定は、当該地方自治体に関わる地域的な公益の保護規定である必要があり」、「当該公益保護規定と原告地方自治体の主張する利益との間に、後者が前者の保護範囲に包摂されるものである必要がある」と述べています。

 ここは少々わかりにくいかもしれません。端的に記せば、「周辺環境との調和」というものは地方自治体が判断すべき事柄である、ということになるでしょう。勿論、私人であっても判断できるのですが、最高裁判例は私人の個別的利益と公益とを比較考量する方法論を採用していますので、実際には無理が生じます。そこで、「周辺環境」という、まさしく地方自治体に関係する事柄については、まさしく公益を実現するために存在する地方自治体に整備などをする権限があり、それが地方自治体の法的利益でもあるということを主張しています。そして、このことが、日田市側が主張する「まちづくり権」につながっていくのです。日田市は、第4次総合計画においてまちづくりを理念として掲げています(これもかなり抽象的な文言で、具体的にどのようなまちづくりを進めるのか、注目しておく必要があります)。また、日田市議会が全会一致で場外車券売場設置反対の決議を行っていること、さらに「日田市公営競技の場外券売場設置等による生活環境等の保全に関する条例」を制定していることをあげ、場外車券売場などが設置された場合に生じうる「周辺環境への配慮に努めようとしている」と述べて、最終的に「日田市の主張する地域環境にふさわしいまちづくりの権利・利益は、公益としての地域環境に責任を負う自治体の『まちづくり権』と評すべき法益であり、自転車競技法とその施行規則によって保護された利益として、原告適格を認めるに足りるものと考えられるものである」と主張しています。

 「まちづくり権」は、今回の訴訟において初めて登場したもので、おそらくは日田市側の弁護団も認めると思われますが、まだ未熟なものです(だからこそ、行政法学者などに理論の充実が求められているということになりますが)。「準備書面(第6)」では地方自治法第2条第4項が引き合いに出されていますし、同14頁以降において自治権の一環として主張されています。しかし、憲法学説などをみると、日本国憲法の下における地方公共団体の権利主体性を認める説は非常に少ないようです。ドイツの学説などにおいては、連邦共和国基本法第28条の解釈から、(法律の留保の下に置かれているとは言え)地方自治体であるゲマインデには権利主体性が認められるというのが一般的であるようです(但し、個人に認められる基本権の享有主体性はありません)。実際、ドイツの連邦憲法裁判所や連邦行政裁判所の判例をみると、ゲマインデが原告となって訴訟を提起する例が多くみられます。しかし、日本の場合、そもそも地方自治体が原告となって訴訟を提起したという例がほとんどなく、行政事件訴訟法に規定される抗告訴訟(取消訴訟や無効等確認訴訟など)に至っては、日本国憲法施行下においてサテライト日田訴訟が初めてのことです。

 今後の課題は、日本国憲法第92条ないし第95条の解釈論を深めること、そして地方自治法第2条などの解釈論を前進させることです。一つの道具として、北野弘久教授が主張される新固有権説が考えられます。元々は地方税財政に関する理論ですが、地方税財政が地方自治体の存立にとって根幹を成すものであることからすれば、まちづくり権への応用なども可能であるはずです。そして、地方自治法第2条第1項において、地方自治体が一つの独立した法人格を有するとされていることを忘れてはなりません。これまでの行政法学の理論などでは、法人について公法人と私法人とに分類して性質を議論していたのですが、精度としては非常に粗いものであることは否定できないでしょう。その意味において、第47編において取り上げた大分地方裁判所2002年11月19日判決(日田市対別府市)が参考になるでしょう。この判決は、公法人である地方自治体にも一定の範囲内において名誉権が認められるという判断を示しましたが、理由として、地方公共団体も法人であって「行政目的のためになされる活動等は種々異なり、これを含めた評価の対象となり得るものであるから、それ自体一定の社会的評価を有しているし、取引主体ともなって社会的活動を行うについては、その社会的評価が基礎になっていることは私法人の場合と同様である」ことをあげています。勿論、公法人を完全に私法人と同様に扱うことはできません。しかし、公法と私法との区別が相対化し、さらには公法と私法との区別を不要とする説も有力になっていることを想起すべきです。要は、公法人というものを先験的に把握するのではなく、活動内容に応じて個別的・具体的に判断する必要があるということです。また、地方自治体が住民から構成される一種の社団法人であり、住民代表たる首長および議会などの機関が置かれていることも、重要な鍵になるのではないでしょうか。

 この後、「準備書面(第6)」は、場外車券売場設置許可の法的性質などについての検討を行っていますが、これについては、機会を改めて取り上げることとします。


(初出:2004年1月7日)

2025年5月26日月曜日

アーカイヴ:サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第56編

 11月10日の控訴審第2回口頭弁論において日田市が訴えの取り下げを申し出て、11月17日に国が訴えの取り下げに同意することにより、一応は解決の方向に向かっているサテライト日田問題ですが、果たして、今後、自転車競技法の改正などが行われることになるのでしょうか。

 第54編において、11月10日の控訴審第2回口頭弁論の模様を報告いたしましたが、その時に提出された準備書面についての検討をまだ進めていません。そこで、今回、控訴人と被控訴人の双方から提出された準備書面の内容を検討することといたしますが、その前に、12月3日から開かれている日田市議会の模様などを眺めてみることとします。

 意外と言えば意外なのですが、このところ、各新聞社のホームページを見ても、サテライト日田に関する記事が掲載されることは少なく、私が確認した限りでは、毎日新聞社のホームページでしか見ることができません。同社の日田支局、楢原義則記者による記事が何度か掲載されており、それらを取り上げておきます。

 既にホームページでの掲載が終了している12月4日付朝刊の記事として、19面(大分)の「サテライト訴訟 国に大きな一石 日田市議会開会」というものがあります 〔19面(大分)〕。この記事によると、3日に開会した議会での冒頭に、大石市長はサテライト日田訴訟の取り下げについて述べました。記事によると「まちづくり権への司法判断は得られなかったが、国に大きな一石を投じ、無駄ではなかった」ということです。

 次に、12月12日付の記事として21面(大分)の「サテライト 日田訴訟事後処理 『国は法改正考えず』 市長 自転車競技法で認識」があります。それによると、11日に行われた日田市議会で、大石市長は、井上利男議員および伊藤哲司議員の質問に対する回答として、国(経済産業省)は自転車競技法の改正を考えておらず、地元の市町村長の同意を必要としない現行の運営を改めない方針も示されているという趣旨を述べたとのことです。

 別府市が設置(正確には設置された場合の車券販売)を断念したということで気になるのは、損害賠償の件です。これについて、やはり12日付記事によりますと、大石市長は、溝江建設と別府市の間の問題であるとして、当面は推移を見守っていくという趣旨を述べました。また、許可が「取り消されて初めて全面解決する」とも述べています。

 一方、別府市のほうですが、やはり市議会が行われています。ただ、新聞報道による限り、サテライト日田問題は正面から取り上げられていないようで、大分合同新聞12月10日付朝刊の記事「別府市議会 競輪事業は今後も継続」によると、12月9日の別府市議会において、自由市民クラブの浜野弘議員が競輪事業の継続について質問したそうです。JR日豊本線亀川駅の近くにある別府競輪場の施設は、私の目にも老朽化しているように見えますが(別府競輪場に入ったことはありません)、建築後30年が経っていて相当に老朽化が進んでいるそうです。浜野議員の質問に対し、別府市の観光経済部次長である藤沢次郎氏は、老朽化を認めつつ、競輪事業によって得られる収益金が別府市の一般会計に繰り入れられていることをあげ、これが別府市の貴重な財源になっていることから、今後も競輪事業の継続に努めるという意向を明らかにしています。

 日田市に話を戻します。もう一つ気になるのが訴訟費用です。毎日新聞大分版12月12日付上記記事によると、大分地方裁判所の段階で1123万円、福岡高等裁判所の段階で565万円だったとのことです。

 さて、11月10日に時間を戻し、準備書面の中身を紹介し、検討を進めることといたします。

 控訴人である日田市側の「準備書面(第6)」は、9月22日付となっております。18頁分あるこの書面は、4月18日付の「控訴理由書」に示された主張を「整理・補完する」ものとなっております。

 これに対し、被控訴人である経済産業大臣側の「第6準備書面」は、11月7日付となっております。こちらは全部で7頁ですが、1頁目は「被控訴人指定代理人」の氏名などが記載されているだけですから、実質は6頁分ということになります。

 想起していただきたいのは、第51編に記した、第1回口頭弁論における裁判長からの注文です。ここでもう一度記すと、控訴人には、原告適格と本案(自治権の主張、自転車競技法の憲法適合性など)とにおいて混然となされている憲法理論を区別することが求められ、被控訴人には、原告適格についての判例が基本的に私人の場合に妥当することが指摘された上で、判例で示された理論などが地方自治体にも妥当するのか否かについて検討するように求められました。果たして、両者は裁判長からの注文に対し、どのように応えたのでしょうか。

 今回は、控訴人である日田市側の「準備書面(第6)」の内容を紹介し、若干の検討を加えます。ただ、訴えが取り下げられたために、今回の両準備書面が最後となります。そのこともあり、今回の両準備書面については丁寧に紹介し、検討を加えたいと思います。日田市側の「準備書面(第6)」は18頁に及び、内容も多岐にわたります。そのため、数回に分けて紹介および検討を試みます。被控訴人である経済産業大臣側の「第6準備書面」についても同様とします。おそらく、来年3月までには終えるでしょう。

 日田市側の「準備書面(第6)」は、控訴理由書と同様に「第1、原判決の判断の誤り」から始められています。

 控訴人側は、大分地裁判決が原告適格について「当該行政法規が個別的利益の保護を含むか否かは、当該行政法規の趣旨・目的、保護利益の内容・性質等」によって判断すべきであるという趣旨であることについて「最高裁の到達点を大きく後退させる」と批判しています。それでは、「最高裁の到達点」からいかなる事柄が判断されるべきなのでしょうか。控訴人側は、次のような点を示しています。

 「①法律の合理的解釈」

 「②関連法規の関係規定との関係における根拠法規の位置付け」

 「③根拠法規の規則によって保護される法益の性格」

 「④その他規則内容、立法趣旨、下位法規による規制など」

 ここでいう最高裁判例は、既にこの不定期連載においても何度か登場している新潟空港訴訟最高裁判決のことです。大分地裁判決も、形の上では新潟空港訴訟最高裁判決の枠組みを踏襲していますが、私が、判例解説の「場外車券売場設置許可無効確認請求事件」〔法令資料解説総覧第256号(2003年5月号)120頁から122頁まで〕において述べましたように「形式的なものに終始して」おり、「一応は根拠規定および関連法規などを総合的に判断しているが、相互の関連性への配慮に乏しく、法律の規定を形式的に判断するだけで終わってい」ます。「準備書面(第6)」はさらに厳しく、大分地裁判決が「当該行政法規だけの解釈に終始して」いると評価しています。

 自転車競技法の解釈については、大分地裁判決が「①自治体の個別的利益を直接保護する明文の規定がないこと、②本件許可制度が自治体の個別的利益を保護する趣旨をうかがわせる規定がないこと、③許可基準に具体的規定がないこと、などから自治体の個別的利益を保護していないと結論付けていること、などから自治体の個別的利益を保護していないと結論付けている」と評価しています。私も、上記判例解説において自転車競技法第1条第1項の解釈を取り上げて疑念を示しましたが、新潟空港訴訟最高裁判決の趣旨からすれば、「自治体の個別的利益を直接保護する明文の規定」でもなければ「自治体の個別的利益を保護する趣旨をうかがわせる規定」でもない自転車競技法第1条第1項について合理的かつ体系的な解釈が求められます。「準備書面(第6)」も、大分地裁判決が示す①~③が自転車競技法第1条第1項に規定されていないことを認めつつ「最高裁は、各根拠法規の合理的解釈を通じて地域住民等の原告適格を導出した」と述べています。

 そして、場外車券売場設置許可の性質については、再び、警察許可ではなく「一種の設権的行為」(認可)と理解すべきであると主張しています。

 これについては、第37編において取り上げ、第51編において再び述べていますが、私は警察許可と理解せざるをえないと考えておりました。この点においては、控訴人側の主張と異なります。

 しかし、単純に許可と考えることに問題があることは、私も承知しております。自転車競技法第4条によって、場外車券売場は競輪事業者以外の者であっても、許可を得て設置することができます。しかし、いかに設置の自由があるといっても、車券を販売する自由は存在しません。競輪事業者である都道府県および指定市町村が、設置許可を得た場外車券売場にて車券の販売を行わないのに、例えば私が許可を得て場外車券売場を設置しても無意味です。そうすると、許可を純粋な許可と考えることには問題が生じます。

 ただ、それでは認可と考えるべきなのでしょうか。第37編においても述べたように、認可は、鉄道やバスの運賃の改定、農地の売買などが代表例で、私人の行為を補充して法律上の行為を完成させる行為のことです。認可を得なければ、運賃の改定や農地の売買は無効です。農地の売買を例に取ると、認可を得なければ、農地の売買契約が完成しないのです。

 また、認可の場合、それを得られない行為は無効であるため、その行為を行っても罰則がないのが普通です。しかし、場外車券設置許可の場合、その許可を得ないで場外車券売場を設置しますと、自転車競技法に罰則がないとは言え、刑法第186条第2項に規定される賭博場開帳等図利罪などに問われかねないでしょう。もっとも、認可を得られない行為は無効であり、その行為を行っても罰則がないというのは、あくまでも行政法学の教科書に書かれている原則であり、法律に示されている実際の構造について話が別であることも考えられます。

 自転車競技法の場合、設置許可を得る者と競輪事業者は別でありえます。そうすると、設置許可を得ることと車券を販売することとは別の話ですから、設置許可を得れば、競輪事業施行者でない者であっても場外車券売場としての建物を造ることはできます。これが被控訴人側の主張です。しかし、設置許可の実際をみても、設置許可が出されるまでの審査過程において、許可申請に係る場外車券売場において競輪事業者が車券を販売する意思を有するか否かが問題となります。仮に、競輪事業者がその場外車券売場において車券を販売しないというのであれば、おそらく、場外車券売場設置許可は出されないものと思われます。従って、競輪事業者が場外車券売場で車券を販売することが許可の効力を完成させる要件であると考えるべきでしょう。それが常識的な解釈でもあるはずです。

 このため、私は、この不定期連載において述べた従来の見解を改め、場外車券売場設置許可を認可またはその亜種と理解する立場を採ることといたします。

 「準備書面(第6)」の「第1 原判決の判断の誤り」は「憲法が保障した自治権に基づく原告適格について」で終わります。趣旨は、大分地裁判決が憲法による自治権およびそれに基づく原告適格について全く判断を行っていないこと、最高裁判例においても外国の法制度などが日本の法律の解釈の根拠などになりうるのに大分地裁判決が無視していること、これらを批判しているのです。そして、地方自治体の原告適格について「日田市の『まちづくり権』が①どのような態様で、②どの程度拘束を受けるのか、③どの程度の財政的な措置が強いられるのか、④その結果、日田市のまちづくりはどのように変質を余儀なくされるのかという視点から主張したのである」と述べています。

 続いて、「第2、最高裁判例の原告適格の考え方」に移ります。ここは、行政事件訴訟法第9条の解釈に関する部分です。今回の訴訟は行政事件訴訟法第36条に基づく無効等確認訴訟を中心としていますが、原告適格については取消訴訟と基本的に同じであるため、行政事件訴訟法第9条の解釈論が必要です。

 「準備書面(第6)」は、次のように最高裁判例の流れを整理しています。なお、以下の引用には準備書面からのものと、判決からのもの(とは記していますが、孫引きです)とがあります。

 ①主婦連ジュース訴訟(最判昭和53年3月14日民集32巻2号211頁):「処分の名宛人以外の第三者が処分の取消を求める場合には国民一般が持つような抽象的利益の侵害を主張するのでは足りない」。

 ②長沼ナイキ訴訟(最判昭和57年9月9日民集36巻9号1679頁):この判決では「意見書の提出や公聴会の開催といった、処分における参加手続の存在に着目して行政法規が個人の個別的利益の保護をも含む趣旨を読み取る手法をとった」。

 ③伊達火力発電所訴訟判決(最判昭和60年12月17日訟務月報32巻9号2111頁):これは新潟空港訴訟最高裁判決の前段階と言える内容を含んでいます。原告適格の有無を判断する際には「行政法規が個人の権利利益を保護することを目的として行政権の行使に制約を課していることにより保障されている権利利益」も「処分の法律上の影響を受ける権利利益」に含め、「行政法規による行政権の行使の制約とは、(中略)直接明文の規定はなくとも、法律の合理的解釈により当然に導かれる制約を含む」と述べられているのです。

 ④新潟空港訴訟最高裁判決(最判平成元年2月17日民集43巻2号56頁):これについて、判決の引用は不要でしょう。「準備書面(第6)」が述べているように「処分の根拠となっている規定のみならず関連法規を含む『法体系』の中で原告適格が判断されるべきであることを明確に示している」ことをあげておけば十分でしょう。

 ⑤もんじゅ訴訟最高裁判決(最判平成4年9月22日民集46巻6号571頁):新潟空港訴訟最高裁判決以降、最高裁判例は「当該行政法規によって保護されている法益の性質にも注目して原告適格を柔軟に解釈するようになってきている」と評価されています。「準備書面(第6)」は、これについて司法研修所編『改訂・行政事件訴訟の一般的問題に関する実務的研究』(2000年、法曹会)90頁を参照しています。もんじゅ訴訟最高裁判決は「被侵害利益が生命・身体等の重大なものであることを加味して、根拠法規の文言だけからでは個別的保護法益を抽出しづらい場合にも原告適格を拡張した」。そして、これが、都市計画法や森林法などに関する事件にも適用されることになり、保護法益も生命・身体や財産権、さらに日照の利益にも拡張されている、と指摘されています。

 ここで、「準備書面(第6)」は最近の行政事件訴訟法改革(改正)への動向について触れています。上記のように、次第に原告適格の範囲が拡大されてきているとは言え、基本的には今も原告適格の範囲が厳格に解される傾向が残っており、私人の権利や利益の救済に対する障害となっています。また、これまでの判例では、地方自治体ではなく、私人が処分の第三者であることが想定されています。これまでの経緯からすればやむをえないのですが、地方自治体が原告である場合には別の要素に関する検討が必要とされます。実際、「準備書面(第6)」も、小早川光郎「抗告訴訟と法律上の利益・覚え書き」西谷剛他編『政策実現と行政法(成田頼明先生古稀記念)』(1998年、有斐閣)47頁を参照しつつ、これまでの判例理論を次のようにまとめています。

 ①「当該処分が原告にとって不利益であ」ること、

 ②「その利益が、当該処分に関する法令で保護されている利益の範囲に含まれ」ていること、

 ③「当該法令による保護が、原告らの個別関係者の利益を、単にその法令によって保護される公益の一部として位置づけるのではなく、公益とは区別して個別かつ直接に保護するものである」こと。

 上記3点が、第三者たる私人に原告が認められるための要件です。地方自治体の場合は、①および②は適用可能としても、③が難しくなります。そこで、地方自治体については③の要件が不要であるとして、次のように整理しています。

 ①「当該処分により特定の自治体に具体的な不利益が」及ぶこと、

 ②その上で「その不利益が当該処分を定めた行政法規やその関連法規の保護する利益の範囲にあると解釈でき」ること。

 このようになるのは「もともと原告適格論は抗告訴訟が客観訴訟ではないことを前提として、どの範囲まで処分の取消の主張を認めるかを画するために発展した議論であ」るからで、「主張資格の限界付けに困難を来さない本件のような場合には」公益云々への言及などが不要になる、というのです。

 これについては、本来であればこの場において検討を加えるべきですが、既に長くなっておりますし、今、私に余裕などがないため、機会を改めることとします。


(初出:2003年12月14日)

「ひろば 研究室別室」の移転について

   長らくgoo blogで続けてきましたが、あれこれと考えた結果、2025年8月7日より、はてなブログのほうで書いていくこととしました。何卒よろしくお願い申し上げます。  新しいアドレスは、次の通りです。   https://derkleineplatz8537.hatena...